国に振り回されるの、ヤメません?

こんにちは、ジャムおじさんです。
今回は、病医院経営者のみなさまに、ちょっとした発想の転換についてお話したいと思います。

それは・・・、『病医院経営者のみなさん、そろそろ国家全体の医療行政に一喜一憂するのはやめにしませんか?』
やめちゃいましょうよ。これまでは、私も含め、医療経営を指導する側の人たちは、医療福祉の世界は制度リスクを伴うから、国家行政の動向を時々刻々ウォッチしていくことが重要・・・等と口にしてきたんです。たしかに間違ってはいないけれど、私はそろそろ、いささか視点を変えてみることをお勧めしたいんです。


これまでは、「介護保険が始まったから居宅介護サービスだ」、「診療報酬がこう変わったから、それ在院日数を短縮しよう」とか、「療養型病床がなくなるからそれ特定だ」とか…。みんながみんな、国なりマスコミなりコンサルタントが示した模範回答に右へ倣えしていた経営者が殆どでした。こういうのをプロダクトアウトな発想と言うんです。

介護保険を創ったにもかかわらず、国民医療費が、毎年一兆円ずつ増えていく。医療事故が止まらず危機管理が遅々として進まない。療養型病床の大幅削減にどう対処しよう。こんなことは、いい意味で割り切って放っておこうというのが私の提言です。これらが重要なことに異論はないけれど、間違えてはならないのがみなさんの中での優先順位です。

一方、本来の地域医療とは、地域の特性に応じた医療のことであり、あなたが把握すべきは地域生活者の声に他なりません。徹底的に聞き出してこれに応えることをマーケットインと言います。真摯にこれをやっていないから、両者の関係が揺らいでしまうのですよねぇ。

シビアな現状調査もせずに、総花的な医療計画しか提示しない国や政治家の描いたシナリオに振り回されている今日の地域医療は、本来あるべき姿ではないでしょう。誤解を恐れずに言わせてもらえば、そんなのは偽りの地域医療ですよ。真の地域医療を実現しようと思ったら、何より先に、地域や利用者の声を聴きまくらなくっちゃ。


きれいごとを言っていても始まりません。病医院経営者たるみなさんは、自院の収支悪化の解決をお上に求めても埒があかないということを自覚して、今ここで自分にできることに取りかかるべきだと心から思うわけです。現実問題として、あなたは診療をしながら職員とその家族の生活を保証していかねばならない。だったら、まずは自院および自診療圏に特化して、具体的な収支改善に即乗り出しましょうよ、ということなのです。国家レベルでのあるべき医療の方向性。そんな異次元なことで袋小路に嵌っているよりも、まずは現場(地域や自院)に目を向けて、医療商売の原点に戻ってみてはどうですか?まさに、井上陽水の「傘がない」の発想です。ちょっと古いかな・・・?

さて次回は、これからの医療商売の肝についてお話しようと思ってます・・・。

地域と良好な関係を築くための経営手法CRMとは?

こんにちは、ジャムおじさんです。
今回は、百貨店などのサービス業界で顧客との関係を構築するための経営手法CRMについてお話したいと思います。

1980年代、米国からわが国のサービス産業界にもたらされたCRM(Customer Relationship Management)という経営手法があります。時代とともに若干の変化はありますが、CRMの本質的な定義は、「費用効果的に新規顧客を獲得し、上得意客に育成していくための関係維持強化手法」ということ。
 
PRM(Public Relationship Management)は、これを医療福祉ビジネス版にアレンジしたもので、2000年以降、さまざまな地域の医療経営者の方々と実施検証してきました。その結果、百貨店、ホテル、航空会社、メーカー各社が導入してきた顧客との関係構築手法は、医療福祉の世界でも極めて有効であるという確信を持ったわけです。だから私は、このPRMをどんどん横展開して、それぞれの病医院が、その特徴を最大限に発揮できるような患者さんを効果的・効率的に集め、経営に反映させてもらえればなぁと考えています。

では、なぜ病医院は地域との関係を良好に保っていかなければダメなのか。この点についてお話しましょう。ご承知のように、2000年以降の医療改革という名のもとで、医療界全体がネガティブ志向に流れています。っつうか、そもそもこの医療改革自体、本質的な改革になっていないことをみんな知ってますからね。あたかも、どうにもならない現状にグチを言っては嘆き節をうそぶく疲れたサラリーマンのような病医院経営者もたくさいいますもんね。


これが一般産業界だったら、ユーザー視点で徹底的な現状課題の洗い出しをやるものなんですが、医療界ではそれをやらない。バランスシートを悪化させた真犯人は誰かというのを知られたくない、国家レベルでの意図が見え隠れするんですよねぇ。だから、打つ手打つ手があたかも『対症療法』のごとく場当たり的。これでは、決して現代医療システムにはびこる病は根治できません。戦後の長きに渡りブラックボックスでやってきたツケは、そうそう簡単に払拭できるものじゃあないでしょう。

次回は、病医院経営者のみなさんに、ちょっとしたご提案をしてみたいと思います・・・。

新患数の伸びこそが経営の最重要指標

こんにちは、ジャムおじさんです。
今回は、病医院経営における新患の意味についてお話したいと思います。

私はこの10年間、フリーのコンサルタントとしてちょうど10の病医院とおつきあいしてきました。さらに現在も、2つの診療所をお手伝いさせていただいています。また、医学会や地域の交流会などを通じ、数多くの病医院経営者と接点を持たせていただいております。そんななかで、「患者数、それも特に新患が減っている」という相談や愚痴を非常によく耳にするようになってきたのですが、これはヤバいですよ。


私的には、新患数の伸びこそが経営の最重要指標だと思うんです。とくに、西洋医学の限界が指摘されはじめた今の時代こそ、地域満足を徹底追求して新しい患者さんの流れを作っていくことは超重要です。にもかかわらず、新患数減っているということは、経営的にマズいですよ、絶対に。だって、突き詰めて考えれば、医療経営の本質というのは、新しい患者を確保して、継続的に自院を利用し続けてもらうことに他ならないわけですから。

既存の患者だけだったとしたら、遅かれ早かれ医療経営は破綻します。これって、医療に限らず、どの業界でも、どんな規模の会社でも言えることですけどね。だから、新たな患者の流れがなくなったとしたら、これは緊急事態です。なにかしらの手を打って、自院にとって相応しい新患を確保する仕組みを作らなきゃダメということです。


で、新しい仕組みを作るよりも、既にあるものを利用したほうがローコスト&ローリスクでベターだと思いませんか?あるんですよ、PRMという良い仕組みが・・・ね。このPRMをひとことで言うと、「貴院に相応しい新患を効率的に獲得して、生涯にわたって継続的に利用してもらうため、貴院のファンとして育成していく手法」ということになりますかねぇ。


新患数が減っていたり、自院の特性と合わない患者ばかりだったり、という病医院にとっては非常に有効です。さらにPRMという手法は、「相応しい患者さんを集めるだけでなく、それに携わる職員の士気も高める点がすばらしい」と、実際にPRMを導入した病医院からはご好評をいただいております、ハイ。

次回は、PRMの由来についてご紹介しますね・・・。

加工食品業界の許しがたい事実 ~独断的食育論(4/4)~

こんにちは。ジャムおじさんです。
私が以前、コンピューターメーカーに勤務していた頃、大手食品系企業に出入りしていたことはすでにお話しましたよね。で、今回は、当時(1995年~1999年)接点のあった大手加工食品業界の内側から得られた、驚くべき逸話をお伝えしようと思います。
 
経済的利益を追求して活動する食品産業界は、私たちが自らの健康管理に役立つ情報を得るたびに、自社の不利にならぬよう情報を操作してきた歴史があるようです。

1990年代以降、私たちはカロリーの過剰摂取が肥満を引き起こすと教えられてきました。

その後、肥満の主な原因が食事に含まれる脂肪の量であることに私たちが気づくと、食品会社は低脂肪や無脂肪の商品を発売し、「これでもう体重を増やさずに好きなだけ食べられる」と宣伝しまくりました。さらには、もともと脂肪など含んでいないキャンディー他の商品パッケージまで変えて、健康的な脂肪ゼロの商品を新たに開発したように思わせました。
 
しかし、これら低脂肪あるいは無脂肪の商品には、極端に砂糖と炭水化物が多く含まれているということは、決して私たちに伝えられることはありませんでした。そして、砂糖や炭水化物は、体内で消化されると脂肪に変わること、さらに長い目で見れば、以前の太る商品より身体に悪い、中毒性のある化学調味料がふんだんに加えられていることにも言及しませんでした。
 
その結果、1990年代後半から、低脂肪・無脂肪食品の売上が伸びるのと比例して、過体重や肥満の人が着実に増えていったのです。そして今日、私たちの多くはあまりにも忙しすぎて、新鮮な材料のみを使って食事の準備をすることなどできやしない。そこでやむを得ず、一部または完全に調理された食品、つまり、脂肪や砂糖、ナトリウムや中毒性のある化学調味料をたっぷり使って加工された食品を購入しているといった次第です。どうでしょうか?私が、現代に蔓延る悪しき食生活を改めなければならないと悟った理由をご理解いただけるでしょうか…。
 

さて、今回で私の『食』についてのお話は一旦区切りをつけます。悪しき食習慣をもたらした犯人はわかったが、食習慣を改善するにはどうすりゃいいの???そんな声が聞こえてきそうです。そこで現在、私の『食』に多大な影響をもたらしてくれた美人料理研究家・華野小町先生に執筆を依頼しています。このプログに何本か寄稿してもらえるよう交渉中ですので、ちょっとだけ期待して待っていてください…ネ。

『食』の分野で私が取り組んでいくべきこと ~独断的食育論(3/4)~

こんにちは、ジャムおじさんです。
美人料理研究家・華野小町先生との再会から私が見出した、『食』について取り組むべきこと。話はだんだんと、その核心に入っていきます…。
 
人の身体は、13種類の必須ビタミンを毎日摂取する必要があります。その多くは体内では作ることのできないもので、それらのビタミンは、ある種のミネラルとともに、私たちの体内で毎日行われている何百万という化学反応を維持するために欠かせないものです。一日に数種類の新鮮な野菜や果物を食べれば、こうしたビタミンは必要量摂取できるし、そもそも私たちの身体は、種類の違う天然の食物を欲しがるようにできているものなのです。
 
しかしながら、過体重や肥満の人たちの殆どは、彼らが食べている、化学物質で味つけされた加工食品やファストフードのせいで、身体が必要とするビタミンやミネラルの最低所要量すらも摂れない生活が延々と続いてしまうことになります。これらの欠乏は、短期的に見ると、情緒不安定、活力不足、関節痛、視力や聴力の低下をはじめ、これまでの医学が加齢とともに受け入れるように説いてきた様々な疾患となって表れはじめます。また、中長期的には、がんや心臓病といった重大な病気を引き起こす危険をも孕んでいるのです。
 

が、私がもっとも言いたいことはそんなことではありません。なにを食べるべきで、なにを食べないべきか…。これについては、美人料理研究家に任せることにします。私が取り組んでいくべきは、今日の悪しき食習慣の元凶を潰すことです。健康的な人生を望む現代人が糾弾すべきジャンクフード文化のもっとも恥ずべき点は、もっとも熱心な販売者本人が、プライベートでは、自身も含めて、愛する家族には自社商品を極力避けさせているという事実なのです!(続)

ポテトチップマーケティングの恐怖 ~独断的食育論(2/4)~

こんにちは。ジャムおじさんです。
さて今回は、私なりに発見した食育論の背景について書いてみますね…。
 

私が肥満について学んだうち、もっとも重要なこと。それは、これほど多くのヒトが不健康で肥満に陥った最大の原因は、生物学ではなく経済と密接に関係しているということでした。とてつもなく強大な経済力が、私たちが自らの健康をコントロールすることを妨げているのです。

それどころか、私たちの体重増加を促していると言ってもいいでしょう。そして、その力はあまりにも強大すぎて、それを食い止めるためには、生半可なエネルギーでは太刀打ちできないということ。日本経済において、市場規模30兆円を占める加工食品産業と、同じく30兆円の医療産業について理解しなければ、私たちは自己の健康をコントロールすることは難しいだろうということでした…。
 
食品メーカーをはじめとする各企業は、自社商品の熱烈なファンである10%の顧客を徹底的に研究するそうです。彼らの好き嫌い、夢、願望、趣味、欲求、憧れのヒーロー・ヒロイン像等々。特に消費の多い顧客には「フォーカスグループ」(市場調査の事前テストのため、ターゲット市場から抽出された信者的顧客群)への参加を呼びかけ、新商品の試食や、宣伝広告を見せて意見を求めたりしながら洗脳していくのです。彼らが特定の歌手や俳優を好めば、すぐにその有名人たちがテレビやラジオで当該商品を褒めちぎる…といった具合です。思い当たりますよねぇ~。
 
また、食品系企業は、所得の低い、不健康な、過体重の顧客を標的にするのみならず、さらに悪質なことをしています。それは、商品を購入した顧客は、食品会社の化学者たちによって、健康的な量では絶対に満足しないようコントロールされてしまうということです。
 
実は、現代に蔓延る抑制の効かないイライラや、うつ病、ガン等の感情的問題や医学的難問のなかには、ジャンクフードがもたらしているものがかなりあると言われています。私が食事指導を受けている美人料理研究家・華野小町先生の言葉を借りて、ジャンクフードに大量に含まれている化学調味料の恐怖をわかりやすく説明してみましょう。
 
「果物や野菜等の天然の食物を2つ3つ食べると、私たちの舌にある味蕾(みらい)という部分が感じる喜びは徐々に薄れ、異なる種類の食べ物を欲しがるようになっています。でも、フライドポテト、コーラ、ポテトチップス等の多くの加工食品を一口食べた途端に、次から次へと口に運ばずにはいられなくなるような感覚を経験したこと、ありませんか?これは、化学調味料によって、「ひとつだけでは満足できない」ように仕掛けがなされているためなのです。この化学物質による味の変化が極端な食べ過ぎにつながり、肥満を促し、食べ物に多様性を求める味蕾本来の性質を損ねているのです」。
 

これを聞いたとき、私は身体じゅうに電気が走るのを覚えました。すっごい話だ。そして、このひとは単に美人というだけではないすっげえ人だと。(続)

映像文化がもたらした罪 ~独断的食育論(1/4)~

こんにちは、ジャムおじさんです。
今回から、私なりの『食』についての考え方をお話してみようと思います。
 
わが家のテレビは年末年始からバラエティ番組が響きっぱなしですが、今日の映像文化にあっては、子どもたちに悪影響を与える様々な情報を遮断することは困難ですよねぇ。でも、何もせずに現状の食生活に流されてしまえば、私たちの愛する子どもたちの将来は、夢も希望もない真っ暗闇のものになってしまう危険性を孕んでいます。そうさせないためにと、真剣に食育に心血を注いでいる美人料理研究家・華野小町先生(前回の『デリーシャスな交遊録』で紹介)の言い分が、いまの私には非常によく理解できるのです。
 
私が今からお話しする内容は、かなりショッキングなものかも知れません。しかしながら、あらゆる変革は、まず現実を知ることから始まるものです。話の内容に落ち込んだり、取り返しのつかないことをしてきてしまったと嘆くことになるかも知れません。
しかし、まだ遅くありません。人は誤りに気づいた時点で、その瞬間から悔い改めることが可能であると、私は信じています。
 
私は、一昨年春の健康診断で初めて『肥満』と判定され、アルコール量の低減ならびに食生活全般の改善を宣告されました。あれ以来、私はもっとも合理的な(意思の弱い人間でも、楽に継続的に実践できる)食改善の方法について、以前の仕事で接点のあった某病院の管理栄養士に教えを乞うつもりで連絡をしました。たまたま彼女はその病院を離れ、フリーの料理研究家として活躍を始めた時期でした。私たちは再会を喜び、お互いの目指している方向を確認しあいました。彼女の目標は、私は、再び交流をはじめた彼女の話を聴き漁るようになりました。この女性こそが、現在の私の食アドバイザー、と言うか、“超・厳しい食の番人”華野小町先生であります。
 
華野小町先生が目標として掲げている「ヘルスケアレストラン構想」について聞くなかで、こんな台詞を耳にしました。それは、「心身ともに健康的な生活を送るために不可欠な三大要素“食事・運動・ストレスコントロール”について調査すればするほどに、肥満というものの恐ろしさを痛感した。米国同様、いまの日本にも過体重と肥満が蔓延しつつある。特に、未来ある子どもたちにその悪影響が出始めていることは、私たちが何とか手を打たなければならない最大のテーマ」…というくだりでした。
 
この話にビビッときた私は、それ以降、『食』を扱った書籍をかなり読みました。その知識・情報と、以前にたくさんの食系企業の人たちから聞かされた話を合わせて考えるうちに、私のなかで、まず真っ先に取り組まなければならないことを見つけたのです。

そして、まずはこのことをみなさんに広くお知らせすることから始めようと考えたのです。(続)

またまたお医者様にお願い ~カルテの開示~

こんにちは、ジャムおじさんです。
昨日、またまた不愉快な話を聞いてしまいました。中学校以来の友人からの相談です。彼の母上が3年近く通ったクリニックから、新しくできた別のクリニックへ移ろうとしたそうです。なんでも、以前に何かの講演会で話を聞いて、なかなか面白い人だなぁと思っていたドクターが、週に一回、そのクリニックで診療していることがわかったらしいのです。それで、この3年間の経過がわかったほうがいいだろうということで、主だったカルテのコピーをもらいたいと申し出たそうです。
 
が、先方から返ってきた言葉は・・・、
『何の目的で使用されるのですか?』
『当院の治療について、なにか疑問な点でもおありですか?』
『当院になにかご不満でも?』
予想外の質問に、友人の母上は自分の言い方に失礼でもあったのかと驚き、思わず正直に別のクリニックを受診しようと考えている旨を伝え、なにか問題があるでしょうか? と尋ねてしまったそうです。
 
すると・・・、
 『どこの医療機関にかかろうと、それは患者さんの自由です。ただし、カルテをお渡しするには正当な理由が必要です。カルテなど持っていかなくても、普通は診てもらえますよ。問題があれば、そちらの先生から私のほうへ連絡するように言ってください』。
 
これを友人から聞いた私は、一気に血圧が上がっちゃいました。最悪の医者ですよ!
こういうのを一般社会では詐欺というんです。悪徳商法といっしょですね。カルテとはいったい誰のものなのか、この医者は勘違いしています。しかも、現在では患者の求めに応じてカルテを開示する義務が法律で定められています。
 
患者がカルテの写しを要望したら、なにが疑問だ、不満だなどと四の五の言わず提供しなければならないのです。それを本当に知らないとしたら、この医者は100年遅れています。また、知っていて提供しないのであればペテン師と言われても仕方ないでしょう。提供しないだけでなく、「そんなものなくたって診てもらえますよ」と論点をズラしてますよね。これはやっぱり悪質な詐欺です。
 
と同時に、この友人の母上にも苦言を呈したい。なんでそんなところに3年間も通院していたのかと。70年以上も人間をやっていて、人を見る目はないのかと・・・。患者側がこうだから、こういう医者が蔓延るということも言えるのです。
 
しかし、カルテ開示などというテーマが取り沙汰されてから、もう何年になるでしょうか。10年は経ってますよねぇ。だから、医者も医者なら患者も患者だと、私はいつも言ってるんです。どちらもいい加減なんです。もちろん、すべての医者、すべての患者がそうだとは言いません。でも、多いことは確かです。
 
私も自分の母親を見ていて感じるのは、ある程度の高齢になったらやむを得ないのかなぁとも思います。自分がそれぐらいの年齢になったときに、果たして自分の子ども程の若い医者相手に折衝ごとができるだろうかと。そう考えると、やはり医者のほうから歩み寄ってあげるべきなんだと思うのです。
 
とにかく、年末からカルテ絡みの相談が多いんです。なぜに自分自身のカルテをもらうのにそんな大事になるのか。なんで病医院側は簡単に提供してくれないのか。見られてまずいことでもあるのかと疑ってみたくなります。それほどカルテの写しを入手したいのに円滑にいかないという相談が多々あるのです。なんたることでしょうか。
 
さて、お医者様にお願いです。どうか診断結果は書類にして渡してあげてください。患者さんがそのままそこで治療を受けるのであれば、治療方針や見通し、主治医の名前、手術の場合には執刀医の名前、当該手術についての経験や成功率について書いてあげてください。
 
病気を抱えて動転している人間が、お医者様の説明を口頭で聞いてキチンと消化できるはずありません。あとで冷静になってから知り合いのお医者様に相談したくても、素人があやふやな記憶だけを頼りに説明しても、的確な助言が得られないでしょう?
 
増してや大きな手術が必要だというのであればなおさらです。大きな決断を要するときこそ、第二・第三の意見を聞きたいと思うのは当然じゃないですか!自分や家族がそういう立場になったときのことを考えてみてください。
 

どうも、そういう相手の立場に寄り添うといった姿勢が足らないお医者様が多いような気がしてなりません。世間的には偉いとされるお医者様であるならば、なおさらきめ細かな配慮をして欲しいものです。(以上)

拝啓、お医者様…

こんにちは、ジャムおじさんです。
今回からしばらくは、地域医療に携わるドクターたちへのメッセージを書いていきたいと思います。と同時にその内容は、会員さんのみならず、医療を利用する多くの方々に頭のどこかに入れておいて欲しいことでもあります。
 
まずはそのきっかけからお話しますね。
先日、IBM(私の最初の勤め先)時代にお世話になった方の奥さんと会食する機会がありました。その席で、ご主人の最期のときの話から、医療に対する疑問に話が及びました。当時は医療とはまったく無縁だった私ですが、奥さんのお話は、あれから10年が経過した今でもなお、私たちが教訓とすべきことを多々含んでいると思ったのです。
 
「機械のゴーゴーいう空襲のような騒々しさのなかで、主人とは最後に言葉ひとつも交わせずに逝ってしまった。本当にあんな終わり方で良かったのか、今でも心残りでなりません」。そう言った奥さんの言葉が、私の耳にまだ残っています。
 
話によると、事後承諾で人工呼吸器を取り付けられ、なくなる当日まで毎日何度も採決されて、腕はそれこそ薬物患者のように痛々しく変色していたそうです。ちなみにこの採決は、血中の酸素濃度を測定し、人工呼吸のレベルを加減するため、医学的に必要な処置ではあります。しかし、だったらひと言、「おつらいこととは思いますが、どうしても医学的に必要なことなのでご容赦ください」とでも言って欲しいものです。
 
“医学的に当然のことをしているまで”、みたいな顔をされるとしたら、まったくもって憤りを感じます。おそらく医療関係者は、患者さん側の痛みや苦しみに対して鈍感になっているのだと思います。毎日重篤な人たちのなかで仕事をされているわけですからね。
 
私たち一般人にとって病医院とは非日常的な場所ですが、彼らにとっては「日常」なのです。しかし、患者側からすると、例え演技でもいいから悲嘆に暮れる人たちに寄り添うような言動を心がけて欲しいものです。どうか、患者さんが亡くなることや、家族が悲しむことに慣れっこにならないで欲しいという思いでいっぱいです。
 
また、患者さん側でもよく、「意識は戻らなくてもいいから一分一秒でも長く生きていて欲しい」という方がいます。しかし、患者さん本人の苦痛は半端なものではないと思います。人工呼吸器を取り付けるということはどういうことを意味するのか。医療側にも説明して欲しいし、私たちも普段から理解しておきたいものだと思います。
 
「できる限りのことはしました…」と、よくドクターは言います。しかし、ドクターにとってのベストが患者さんにとってのベストとは限らないということを知るべきです。
患者さんや家族がどのような最期を望んでいるのか。そこを事前に共有したうえで事に当たって欲しいのです。
 

ですが、「ひとりひとりの患者にそこまでしていられない」というのはドクターたちの本音でしょう。ですからせめて、患者さん本人が無理であれば家族が明確な意思を持つべきだと思います。

(前回からの続き)“連携”という言葉を安直に使わないで!(2/2)

こんにちは。ジャムおじさんです。
前回からの続きです。
今回は、“連携”という言葉に対する病医院側と患者側の意識格差についてお話しますね。
 
一般的な患者さんの病態推移を、大雑把に、『急性期⇒リハビリ期⇒慢性期⇒療養期』としましょう。第一次小泉内閣による医療改革以降、病態の推移とともに患者さんが治療を受ける医療機関は変わっていくことになっています。治療環境が変わるわけですから、当然、患者さんもご家族も何かと不安になるわけです。
 
この不安を低減するために、退院元病院と転院先病院の然るべき担当者たちが患者さんの情報を共有し、今後の治療や介護の方針や治療内容、考慮点や生活上の注意事項などについて患者さんやご家族同席の下で協議・確認をする…。これが本来の『連携』であり、患者側がその言葉から期待してしまう連携イメージなのです。
 
しかしながら、病医院の連携部門の方々と話してみると、本来の連携のあり方についての認識レベルが甚だ低いのです。この認識のズレが患者満足度を下げ、時にクレームやトラブルとなって爆発するわけです。例えば、私どもNPOに寄せられる相談のトップ3は、以下のとおりです。ちなみに、過去3年間、不動のトップ3(ワースト3?)です。
 
①病院から(患者さんやご家族にとっては)唐突に退院を迫られ、自宅での受け入れが心もとない家族は自ら転院先を探したり、折衝したりしなければならない。⇒ 各病医院の地域連携部門は、対外的なチャネル拡充活動はそこそこやっているかもしれないが、患者側の意向を汲み取りながら退院後の具体的なサービス提供体制を確保することについては関心が希薄であると言わざるを得ない。
 
②訪問診療を受けている患家が、休日および夜間緊急時の連携先と(主治医から)教えられた病院に電話すると、当直スタッフから「はぁ?」という対応をされた挙句、一から事情を説明しなければならない。⇒ 主治医に対して、特に高齢者は気を遣って言いたいことを我慢する傾向があるから表面化しないが、こんなのハッキリ言って詐欺です。
 
③「医療機関と連携しているから安心」と謳われている高齢者施設の入居者が、いざ夜間にナースコールを押すと、夜勤スタッフが救急車を呼んでくれるだけで結局は家族が夜中に呼び出される。⇒ これは双方に問題があるのだが、一般的には弱い立場にある利用者側に対して、自施設の医療機関との連携内容について事前にしっかりと説明し、理解してもらえるよう努めるのが本当のところであろう。
 
誤解を恐れずに言うならば、世の中の地域連携には偽物が多いと思います。今年からは、地域にひとつでも多く『真の連携』が構築・実践されることを望んで止みません。そして、『真の連携』を謳う以上は、是非とも以下の3要素を満たした上で“連携”という言葉を口にして欲しいものです。
 
(1)連携先の確保
自院の守備範囲外の機能やサービスを提供してくれる、可能な限り多くの病医院、介護事業者、生活支援事業者とパートナーシップを構築する。
(2)責任所在の明確化
連携に係る責任部署・責任者を明確にし、そのミッションを理解させる。多くの場合、地域連携室やMSWがこれに当たるのだろうが、医療と介護の垣根が無意味となった今、対外的に連携網を拡充していくためには、社会福祉士という国家資格者が適任ではないか。
(3)連携プロトコルの設計
患者さんを引き渡す側と受け入れる側との手続きやプロセスをマニュアル化することが不可欠だ。引渡し後のフォローアップや病態急変時のオペレーションは是非とも盛り込んで欲しい。特に、退院時カンファレンスには、受け入れ側からも然るべき担当者(看護師&地域連携担当責任者がベスト)を参画させることが肝であろう。
 

さて、“連携”という言葉について病医院側と患者側がイメージするギャップについて2回にわたって書いてきましたが、両者間にズレが頻発する概念に、『手術の成功』、『患者第一』、『かかりつけ医』などがあります。各病医院には、これらの言葉の再定義と相互理解を職員のみならず地域のひとたちとの間で浸透させて欲しいものです。そして、患者さん側も時には「こちらの病院の“患者第一”って具体的にどういうこと?」と尋ねるくらいの意識を持っていただきたいと願っております。(以上)

次へ »


NPO法人 二十四の瞳
医療、介護、福祉のことを社会福祉士に相談できるNPO「二十四の瞳」
(正式名称:市民のための医療と福祉の情報公開を推進する会)
お問い合わせ 042-338-1882