拝啓、お医者様…

こんにちは、ジャムおじさんです。
今回からしばらくは、地域医療に携わるドクターたちへのメッセージを書いていきたいと思います。と同時にその内容は、会員さんのみならず、医療を利用する多くの方々に頭のどこかに入れておいて欲しいことでもあります。
 
まずはそのきっかけからお話しますね。
先日、IBM(私の最初の勤め先)時代にお世話になった方の奥さんと会食する機会がありました。その席で、ご主人の最期のときの話から、医療に対する疑問に話が及びました。当時は医療とはまったく無縁だった私ですが、奥さんのお話は、あれから10年が経過した今でもなお、私たちが教訓とすべきことを多々含んでいると思ったのです。
 
「機械のゴーゴーいう空襲のような騒々しさのなかで、主人とは最後に言葉ひとつも交わせずに逝ってしまった。本当にあんな終わり方で良かったのか、今でも心残りでなりません」。そう言った奥さんの言葉が、私の耳にまだ残っています。
 
話によると、事後承諾で人工呼吸器を取り付けられ、なくなる当日まで毎日何度も採決されて、腕はそれこそ薬物患者のように痛々しく変色していたそうです。ちなみにこの採決は、血中の酸素濃度を測定し、人工呼吸のレベルを加減するため、医学的に必要な処置ではあります。しかし、だったらひと言、「おつらいこととは思いますが、どうしても医学的に必要なことなのでご容赦ください」とでも言って欲しいものです。
 
“医学的に当然のことをしているまで”、みたいな顔をされるとしたら、まったくもって憤りを感じます。おそらく医療関係者は、患者さん側の痛みや苦しみに対して鈍感になっているのだと思います。毎日重篤な人たちのなかで仕事をされているわけですからね。
 
私たち一般人にとって病医院とは非日常的な場所ですが、彼らにとっては「日常」なのです。しかし、患者側からすると、例え演技でもいいから悲嘆に暮れる人たちに寄り添うような言動を心がけて欲しいものです。どうか、患者さんが亡くなることや、家族が悲しむことに慣れっこにならないで欲しいという思いでいっぱいです。
 
また、患者さん側でもよく、「意識は戻らなくてもいいから一分一秒でも長く生きていて欲しい」という方がいます。しかし、患者さん本人の苦痛は半端なものではないと思います。人工呼吸器を取り付けるということはどういうことを意味するのか。医療側にも説明して欲しいし、私たちも普段から理解しておきたいものだと思います。
 
「できる限りのことはしました…」と、よくドクターは言います。しかし、ドクターにとってのベストが患者さんにとってのベストとは限らないということを知るべきです。
患者さんや家族がどのような最期を望んでいるのか。そこを事前に共有したうえで事に当たって欲しいのです。
 

ですが、「ひとりひとりの患者にそこまでしていられない」というのはドクターたちの本音でしょう。ですからせめて、患者さん本人が無理であれば家族が明確な意思を持つべきだと思います。


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