感動する医者の話22

さて、先述の外科医と一杯やりながらこんな話を聞きました。私が、「俗に“外科医の切りたがり”というが、本当に手術はがんに有効だと思っているのか」と質問したときのことです。彼の答えは、執刀する外科医にも真実はわからないというのが本音とのことでした。
例えば、転移のあるがんの手術をして患者さんが1年後に亡くなったとします。患者さんの家族は、「手術しなければ半年しかもたなかっただろうけれど、手術が成功したおかげで1年も生きられた」と言うでしょう。どうしてそんなことが言えるのかといえば、「お医師さんがそうおっしゃったから。できるだけのことをしていただいたから」と…。これが典型的な関係者たちの心模様ではないでしょうか。
 
このあたりのことで悩んでいる外科医は少なくないようです。「この患者のがんは末期がんで、手術しなければ半年余りの命だ。しかし少なくとも数ヶ月は普通の生活ができるだろう。手術をすれば1年は生きられる。しかしQOLは低下し、再発すれば患者の苦痛は大きくなる。ベッドを離れての生活は困難になるだろう」といった葛藤がままあるそうです。

でも、がんであることを告げておいて手術をしないと言えば、「手術ができないほど悪いのか」と患者や家族が絶望しかねない。そこで結局、外科医は患者の身体にメスを入れる道を選択するわけです。彼自身も、こうした葛藤が日常茶飯事だと言っていました。

 
この原因のひとつは、おそらく一般人(患者さんやご家族)の意識のなかに、“がん=手術”という図式が強く染みついているからではないでしょうか。だとすれば、この思い込みを打ち破る必要があると私は思うのです。そして、この問題を考える際に、絶対に忘れてはならない真実があります。
 
ひとつは、「(医師が言う)手術をしなければ半年で死ぬ」という科学的根拠はどこにもないということ。もうひとつが、実際に摘出手術を受け、抗がん剤や放射線治療を受けた患者さん当人の苦しみは誰にもわからないということです。一体全体、誰がためのがん手術なのでしょうか…。
 

世界に目を向ければ、人体にメスを入れることなくがんを治療する東洋医学的治療という選択肢が定着しつつあります。欧米では東洋医学によるがん治療に対しても保険が適用されるなど、西洋医学を偏重することなく、患者さんにとって本当に望ましい医療を提供しようとする国家としての戦略があります。

わが国においても、いいかげんに対症療法的な予算編成はやめて、本当の意味で国民にメリットのあるがん対策を講じてもらいたいものです。

(完)

感動する医者の話21

最近では、がん患者さんやご家族ががんというものについて情報収集したり、医師にいろいろと説明を求めたりする習慣がついてきたように感じています。そしてこれは、これから医療が健全に発展していくためには非常に価値のあることです。
 
かつて結核をはじめとする伝染病や、栄養不良に起因する外来性の病気に有効だった「早期発見・早期治療」という方法論は、がん、脳卒中(脳血管患)、心臓病など、今日的な生活習慣病には必ずしも通用しないという考え方が世界的に広まってきています。何といっても、がんによる死亡者数が毎年増え続けている事実が、結局「早期発見・早期治療」が逆効果になっていることを証明しているではありませんか。適切な検診や適切な治療が行われているならば、がんで亡くなる人たちの数は徐々にでも減少してきていいはずですからね。
 
なのに日本では、がん対策として“早期発見・早期治療”とあちらこちらで盛んに謳われています。しかし、こういった世間では常識とされていることほど疑ってみた方がいいのかもしれません。例えば、自治体などで盛んに喧伝されている集団検診。私が思うに、そもそも集団検診で見つかるようなレベルまで大きくなったがんは、もはや早期発見とは言えません。仮に、PETなど云億円もする高価な検査機器で些細な腫瘍を発見したとして、現在のがん治療では摘出手術と術後の抗がん剤および放射線治療という流れが一般的です。
 
しかし、こうした従来の治療法では免疫系をかなり抑制してしまうことがわかっています。患者さんの身体を衰弱させ、生きようとする意欲や心身の活力を萎えさせてしまうのです。がん自体が多少小さくなったとしても、全体として良い結果が出ないケースがたくさんあるのです。
 
つまり、いくら早期発見をしたからといって、治療法の選択を誤ったのでは意味がないということです。無理やり見つけて、なんでもかんでも抗がん剤や放射線で治療しようとしたら、何もせずに放っておくよりも危険な場合が多いのです。ここらあたりの事情について、医師のみならず患者さんも理解することが必要だと思います。化学物質や放射線で身体を痛めつけて病気が治ると思うほうがおかしいと思いませんか。
 
いまや国民の2人に1人ががんで死ぬ時代です。患者さん側も情報武装する必要があるでしょうが、医師のほうも真のプロフェッショナルならば、何も治療しないということも含めて、がんには手術以外にも選択肢があるということをわかりやすく示さなければならないと思います。たまたま入局した医局が提唱する治療法に固執するだけで、自身が学んでいないからといって別の治療法を頭ごなしに否定するのではプロ失格と言われても仕方ないでしょう。
 

そして患者さん側も、そんなプロ失格の医師が多いという前提で自ら学ぶことが必要です。自分を守るのも、健康にするのも、医師ではなく自分自身であるという真実をしっかりと認識しておくべきなのです。

(続)

感動する医者の話20

さらに、もうひとつ、こんな相談もありました。77歳の女性が肝臓がんと宣告されました。転移もひどく末期とのこと。しかしながら本人には何の自覚症状もなく、これまた1年前の検査では異常なしだったそうです。この先何をどうしたらいいのかわからない。先生、助けて…とのことでした。相談していただいた時点で一切苦痛がないということなので、「ちょっとじっくりと考えましょう」ということにしました。
 
何はともあれ、まずはセカンドオピニオンです。これだけの重篤な診断結果ですから、複数の専門医の見解を聞かずして手術するなどはもってのほかです。必要であれば、専門医の紹介もする旨お伝えしました。
 
次に、セカンドオピニオンの結果、末期がんが確定した場合、治療法の選択をどうするか。これが相談者の今後の人生にとっての分岐点です。年齢的なことや広範囲への転移を考えると、まず摘出手術は絶対に避けるべきかと思います。例え手術が成功しても後々の生活がキツい筈です。術後の放射線や抗がん剤は、いずれも副作用の覚悟が必要になります。何より気分が悪くてどうしようもない場合が多いのです。
 
現時点で痛くも痒くもない以上、敢えてリスクの高い従来の治療法を選択することはお薦めできません。主治医には、「放っておく(手術や化学的治療を行わず、生活習慣を改善しながらがんと折り合いをつけていく)」という選択肢も含めて、相談者の「生活の質」の観点から最善策を提示してもらえるよう要請しました。基本的な考え方として、そもそもがんは生活習慣病です。

つまり、糖尿病や高血圧と同様、現代の西洋医学では根治できない病気です。がんのような内なる病気に対しては、根本原因を取り除かない限り、むしろ治療すればするほどがんの患者さんが死んでいくという傾向があります。私は、実際に従来のがん治療を受けた人たちがすぐに衰弱して亡くなられてしまうのを嫌というほど見てきました。

 
さて、結果的にこのケースは両方とも、患者さんが高齢という点を考慮して、食事、運動、適温維持等の生活改善で免疫力を高める工夫をしていきましょうということになりました。その結果、腫瘍マーカーの値にも改善が見られ、初めてお目にかかったときからは想像もできないくらいに表情も明るくなられました。今では体内に巣喰ったがん細胞とうまくつきあっていくという開き直りみたいな気持ちだと仰っています。

(続)

感動する医者の話19

結果的に彼女は、わたしのもとへ週一回通院しながら治療することを選択されました。活性酸素を除くための点滴、プラセンタ注射、温熱療法を毎週1回受けに来ています。併せて、ペイスト状の玄米を主体とした食事療法も行っています。もともと胃が弱い体質だということで、漢方薬は出していません。これによってがんが退縮するかどうか、近日中に検査を受けてもらおうと計画しています。
 
がん患者さんに対する現代西洋医学の課題を示す例は他にもあります。例えばこんなケースがありました。ご主人(84歳)が、精密検査の結果、末期の大腸がんと診断され、慌てふためいて飛び込んでこられた女性がいました。一年前に自治体で受けた検診では異常なしだったにもかかわらず、です。すぐに摘出すれば成功の確率はほぼ100%だと言われたらしいのですが、当のご主人は手術だけは死んでもイヤだと言う。そこでご主人と会って話してみると、本人は痛くも痒くもないそうです。84歳。日常生活の支障はまったくない。術後の人生のことまで含めて考えたら、どう考えても摘出手術のリスクのほうが高いに決まっています。私は、手術は死んでもイヤというご主人の直感は当っている可能性が高いように感じると伝えました。
 

基本的に外科医というのは、がんにはまず手術という習性があるものです。なぜならば、「身体に悪いところがあれば切り取るのが外科医の仕事。手術はがん治療のプロフェッショナル・スタンダードで、がんと診断しておきながら何もしないというのは外科医の倫理に悖る」という教育を長きに渡り受けてきたからです。だから外科医は“取れるがんは取る”し、何も知らない患者側ももちろん、“がん治療の第一選択肢は手術”と信じて疑うことはありません。しかし、言ってみればこれこそまさしくEBMとは対極の理屈だと思いませんか。

(続)

感動する医者の話18

子宮体部がんの罹患率は、年齢別に見てみると40~50歳代で増え始め、60歳代でピークを迎えますが、年齢層を問わず、増加傾向にあります。とくに閉経後の女性に多くみられますが、発見自体が遅くなることが多く、完全治癒率は比較的低いタイプのがんです。子宮体部がんは、頸部がんに比べて自覚症状が現れにくいため、診断が遅れる傾向があります。そのためにも定期的検診が必要なのですが、Ⅰ期までに治療できれば、比較的治りやすいといわれているがんの部類に入ります。
 
 「わかりましたよ。決して責めてるいのではないですからね。あなたはちっとも悪くないんですよ。泣くことなんかないんですからね。」
 わたしは軽く彼女の方を叩きながら、自分にできる限りのことはするつもりであること、さらには、わたしの治療を受けるのであれば、まずはじめに、わたしの治療法について十分に理解してもらう必要があることを伝えたのでした。
 
彼女が落ち着いてから話を聞くと、わたしの盟友である新潟大の安保教授の本でわたしのことを知ったということがわかりました。その本でも書かれていることだと思いますが、わたしはまず、がんのメカニズムについて説明することにしました。
「ちょっと難しくなるかもしれませんが、まず最初に、がんという病気がどのようなメカニズムで発生するのかということをお話しておきますからねぇ。大切なところなので我慢して聞いてくださいよぉ。」
 
がんとは、異常な遺伝子が際限なく増殖してしまい、過剰に発生した細胞が腫瘍を生み出す病気です。人間には、あるレベルまでは細胞を制御する機能が備わっているから問題ないのですが、その能力を上回るほどの激しい細胞分裂が起きるとコントロールできなくなってしまうのです。この過激な細胞分裂の一因としてフリーラジカルと呼ばれる異常分子があります。フリーラジカルとは、「自由自在に動き回る攻撃分子」という意味で、体内の分子が何らかの刺激を受けて一部分が壊れると、それを補おうとして周辺の正常な分子まで攻撃してしまうのです。このフリーラジカルの攻撃が他の分子に次々と連鎖し、遺伝子まで傷つけてしまうとがんが発生するということになります。
 
「フリー??? ラジカル???」
彼女は必死にメモを取っています。
 
もっとも代表的なのが、酸素分子がラジカル化した活性酸素です。また、脂肪もフリーラジカルになりやすく、体内に大量に存在するため連鎖反応が起きやすいという特徴があります。他にも、フリーラジカルを発生させる刺激物として、紫外線、放射線、X線、さまざまな化学物質や排気ガスなどが挙げられます。こうした原因によって異常な遺伝子が異常に増殖することで、腫瘍というものが出来上がります。そして、ならばその腫瘍を摘出しようじゃないかというのが西洋医学の基本的な考え方なわけです。
 
でも、がんが発生する原因をよぉく考えてみると、そもそもの元凶は私たちの日常生活のなかにあることがおわかりいただけると思います。と言うことは、表面化した腫瘍だけを削ぎ落としたとしても、根本的な私たちの生活を改めなければ、やがてまたがんが復活してしまうのではないかと考えるのが普通ではないでしょうか。ある意味では、だからこそがんの手術が成功したはずの人たちが、術後しばらくするとバタバタと死んでいく。その繰り返しなのだと思います。つまり、悪い病気は「モトから断たなきゃダメ!」ということなのです。
 
1996年には、がんの発症については白血球の自律神経支配が関わっていることが新潟大学大学院の教授である安保徹氏によって発表されました。安保氏は、「がんになる人は人生に無理がたたっていて、そのストレスががん発症のひきがねになる。無理な生き方をしていると、交感神経の緊張が長く続き、活性酸素によって組織が破壊されやすくなるからだ」という安保理論をまとめて旧態依然としていた医学会に衝撃を与えたのです。
 

わたしも安保理論についてはまったくの同意見です。これまでのように、原因不明だからといって「とにかくがんを取ってしまおう」といった対症療法をするのではなく、生き方を見直すことこそが何よりのがんの治療法なのです。いいかげんに、身体を痛めつける治療からは脱却しなければいけない時期にきていると思っています。

(続)

感動する医者の話17

今朝最初の患者さんは、50代半ばの女性です。県立医大で数ヶ月前に子宮がんを告知されていたそうです。診察室へ入るなり、堰を切ったように喋りだしました。
 
「先生にお目にかかれて本当に助かりました。危うく命を落とすところだったんですよ。いえね、それがかかりつけの診療所の検診でひっかかりましてね、県立病院で精密検査を受けたら子宮体部のがんだっていうんですよ。わたしも何となく予感めいたものがありましてねぇ、いろいろ独学ではありますけど情報を集めて勉強はしていたんですよ。それが先生、2週間後に来いって言うからいったらあなた、もう手術のスケジュールが決まっているんですからね。いゃあ、もうびっくりするやら笑っちゃうやらですよ。なんてったって本人の私も知らないうちに手術の日取りまで決められちゃってるってんですからね。わたし、言ってやりましたよ、その仁丹やら龍角散やらみたい気難しそうな顔した年配の医者なんですけどねぇ、わたしはまだひと言もこちらで手術するなんて言った覚えはありませよってね・・・」。
 
本当に威勢のよろしい女性で、とてもがんの告知を受けた患者さんとは思えなかったです。しかし、彼女のようなケースは、決して珍しいことではないのです。私の診療所には西洋医学の世界で見放されてしまったり、術後の生活の苦痛に耐えかねて救いを求めてきたりされるがん患者さんがたくさん来られますが、それと同じくらい相談が多いのが、ほとんど何も説明のないままに、「一刻も早く手術して摘出しましょう」と押し付けられたことへの不満なのです。
 
このことは、現代の西洋医学において、がんの治療法がまだまだ旧態依然とした“手術ありき”であることと、インフォームド・コンセントが徹底されていないことを如実に物語っています。わたしは、勢いよく話し続ける女性をなだめるように、まぁまぁと言って尋ねました。
 
「ところで、がんであることを告げられたときの様子を思い出して聞かせていただけませんかねぇ?」
 「様子もなにも、『あ、やっぱりそうですねぇ。まだステージIですから大丈夫です。とにかく2週間後にもう一度来て下さい』。そんで終わりですよ。病状の説明もなけりゃ、治療法にはどんなのがあるかの説明もない。なんですか、あれは?」
 「はぁ・・・。本当にそれだけで、次に行ったときには手術の日程が決まっていたのですかぁ?」
 「そうなんですよぉ、あんまりにもひどい話じゃないですか、先生・・・」
 と、あんなに威勢のよかった女性が、突然しくしくと泣き始めたではないですか。

(続)

感動する医者の話16

お母さんの顔を覗きこむように声をかけると、心なしか瞳が潤んでいるように見えた。
 
「先生、いいお話をありがとうございました。なんか、私はダメな母親だったかも知れません。この子がハンバーガー食べたいと言えば、こころのどこかで、アッ、それならラクでいいな…って思っていました。家事をしているとき、この子がスナック菓子を食べながらテレビを観ていてくれると、仕事が捗って助かるな…って思っていたのです。」
 
「いやいや、みぃんな、いまのお母さんたちは忙しいですから。僕らの時とは時代がちがうんですから仕方ないんです。でも、その仕方ないというなかにも、ほんの少しでいい、無理はしないで、できる範囲でいいからひとつだけでも工夫をしてみて欲しいと思うのです。レトルトカレーでもいいです。でもちょっとサラダを添えてあげるとかね。」
 
「先生は、よそのお医者さんとはだいぶ違いますね。今日みたいなお話、誰にも教わったことはありませんでした。何か学校で授業を受けているような気がしてきました。」
 
「あっ、ごめんなさいね。ちょっと話が長くなっちゃいましたねぇ。」
 
お母さんはかぶりを振って、少しがんばってみる、と言ってくださった…。
 
医食同源という言葉がある。「食」という字は「人を良くする」と書く。本来は医療も食事も人を健康にするためのものであるはずだ。が、農業の方法が変わり、昔であれば田畑からの収穫物さえ食べていれば摂れていた栄養素が摂れなくなってしまった。おまけに、商業主義の象徴である身体に良くないジャンクフードの氾濫である。私たちは現在、昔は食べることがなかった食品を食べるようになってしまった。
 
ほんの30年前くらいまでは、どこの家庭でも火の通った和食が基本だった。ところが、急激な欧米化が進み、国の指導で今までに食べていなかった食品が主流になってしまった。しかし時が流れ、いまや欧米諸国がかつての日本の食事に学び、肉食中心の食生活を改めることにやっきになっている。それも国全体の取り組みとして、だ。

その結果、この20年、生活習慣病の代表であるがんで亡くなる人の数が減り続けている。人間は牛乳・肉・卵を食べなくとも生きていけるのだ。動物性食品は本来必要ないのだが、食べると身体がどんどん大きくなるので体格は良くなる。しかし、もともと必要がないものなので体質に合わない人もでてくるわけだ。

 
オリンピックのシンボルマーク「五つの輪」。あのマークは、ユーラシア・北アメリカ・南アメリカ・アフリカ・オーストラリアの5大陸を表わす輪が、秩序と調和をもって関係する様子を抽象化したものだ。一方、食の世界では、基本的な4つの味「甘み・酸み・塩み・苦み」があり、それに加えて、わが国に特有の「旨み」(昆布やかつお等から摂るダシの味)を加えて5味という概念がある。
 
私は、いまの子どもたちには、ものを食べたときの美味しさをじっくりと感じ取る努力が欠かせないと考えている。「あぁ、美味しい!」ではなく、「どう美味しいのか」、「この野菜はこんな味がするんだ!」、「化学調味料を一切使わない料理とは、今まで気づかなかった、こんな味がするのか!」…。こんな感じだろうか。こうしたひとつひとつの発見が、子どもたちに「食」の楽しさや、物事の道理を考えようとする思慮深さを与えていくのだと信じている。
 
そして、つぎに大切なのが、どのように食事を摂るのか、「食」とどのように接点を持つのか、ということ。今日では、「何を食べるか」のみならず、「どう食べるか」が置き去りにされています。欠食、早食い、ながら食い、立ち食い・・・。こうした悪習を正すとともに、食物生産のしくみ、流通のしくみ、生命の尊厳、地球環境への配慮、家族や親しい友人との絆…。現代人が忘れかけている大切なことを呼び覚ますことのできるような創意工夫を凝らしていく必要があるだろう。
 
その昔、日本の家庭では、毎日の食生活の中で、親から子へ、食に関わる基本を伝えることが自然にできていた。しかし今日では、核家族化や家族内での生活リズムの不一致から、食の知識・技術が伝承されなくなってきてしまった。
食は、健康、生活、精神にいたるまでの、生きるために必要な基盤である。食が乱れると、生きる力が損なわれてしまう。こうした食の乱れを正し、食の知識を引き継いでいくために必要なのが、ここ数年話題となっている「食育」の本質なのだと思う。
 
食育とは、食を通して生きる力を育むこと。正しい食習慣を身につけることは、単に望ましい食事をとることだけでなく、家族の絆を深め、自立した食生活を営むための基本的な力を育むことにつながるはずだ。
特に「食との関わり方」は、子どもたちの情操教育上、極めて有用だと思う。毎日の献立を決め、食材をそろえ、調理し、片づけを行うまでの一連の作業。こうした作業を行う中で、調理技術や、食に関する知識、マナーが身につき、それが「人が自立して生きていくための力」となるのである。
 
また、食物や食物を作っている人たちへの感謝の気持ちも芽生えるはずだ。子どものときに簡便な食生活しか体験していないと、このような食を通して身につけるべきことが、欠落してしまう恐れがある。それを防ぐには、親がまず、毎日の食生活を大切に思い、適切な食事作りを行うことが必要だろう。そして、食事作りに子どもたちを参加させるようにする。そして、一流ホテルの一流シェフが作ったような料理では決してなく、どこの家庭にも冷蔵庫を開けたら普通にある食材を使って、大切な家族のために、お母さんが真心こめて作る食事。つまり、家計にも優しくて、愛情もたっぷりの食事。
 

 世のお母さん方が忙しいのは百も承知。でも、かけがえのない子どもたちのためである。「忙」とは心を亡くした状態。心ここにあらずで大切なお子さんと接することだけは避けて欲しい。心からそう思っている。

(完)

感動する医者の話15

長年にわたって飢餓に苦しんできた人類は、ある時期、食糧を大量生産するしくみを作り上げた。いわゆる農業革命である。それまでの有機肥料をやめて、化学肥料と農薬を大量に使う無機農法にシフトした。その積み重ねの結果、私たちは、私たちの健康にとってひつようなミネラルなどの栄養素を摂取できなくなってしまったのだろう。
 
有機農法では、緑肥・堆肥・腐葉・動物の糞や死体などの有機物を肥料としていたが、これらのなかには私たちの体内で遺伝子が正常に働くために必要なミネラルがたっぷりと含まれていた。しかし、化学物質で汚染された農作地から取れる穀物や野菜には、有機農法の頃のようなふんだんのミネラルは期待できない。それと同様の土壌になる草木を食べて育った牛や豚も同様である。
 
ミネラルが不足するとどうなるか。がんの遺伝子を多く持った人はがんになり、糖尿病の遺伝子を持った人は糖尿病になる。同じように、アレルギー体質の人は、ミネラルが不足することでダニや花粉に反応して、アトピーになったり、花粉症になったり、喘息になったりするわけだ。健康の源である食べ物の変化は、いつしか成人の6人にひとりが糖尿病、3人にひとりががんで亡くなる世の中を作ってしまったのである。
 
そして今日、私たちの多くはあまりにも忙しすぎて、新鮮な材料のみを探し求めて食事の準備をすることなどできやしない。そこでやむを得ず、一部または完全に調理された食品、つまり、脂肪や砂糖、ナトリウムや中毒性のある化学調味料をたっぷり使って加工された食品を購入しているといった状況なのである。
 
「なんか、もう何を食べても身体に悪そうですよねぇ…」
「時間とお金に余裕があったら、無農薬で天然の食材が望ましいのですけどね…。お母さんたちもみな忙しいという現状があります。従って、ついつい“お袋の味”ならぬ“袋の味”に逃げてしまいがちです。レトルトカレーとかですね。」
 
お母さんが、またクスッと笑ってくれた。食事の話をするときには必ず使うフレーズなのだが、内心気に入っている。気づいてもらえると、なんか嬉しい。
 
「そうしたくなる気持ちやそうせざるを得ない事情はよぉくわかるんですよ。でもですね、そんな忙しいなかにもなにかひとつでいいんです。お子さんへの愛情を注いであげて欲しいのです。ええっと、お食事のなかに。」
 
「食事のなかに…? 愛情を…」
「こういうことです。お母さんの作るオニギリ。君は好きですかぁ?」
「うん! コンビニのも好きだよ。和風シーチキンマヨネーズ。」
ガクッとなりそうなのをこらえて先へ行く。
 
「お母さんが作ってくれるオニギリが何ともいえず美味しいのはですね、手で握る時にね、お母さんの掌から出る愛情エネルギーがオニギリのなかにギュ~ッと注ぎ込まれるからなんですよぉ。あと、お家で作る手打ちうどんや蕎麦も同じ理屈です。食べ物を手で練るとか触るとかいうのは、同じ料理でも一段と美味しく食べるためのコツなのです。インドの人達が箸でなく手で食べるのは、その方が美味しいからかも知れません。だから、お母さんがじっくりとひき肉を捏ねてつくったハンバーグは、最高の愛情料理ということになるのです。」
 
「ハンバーグ、ハンバーグ!」
 
子どもが高らかに声を上げ、お母さんはそれをなだめながら微笑んだ。
 

「こんど、次の日がお休みのときに作ってあげてもらえませんか? ちょっと大変かも知れませんがね。」

(続く)

感動する医者の話14

医者の務めとは、病気を治すこと。しかも、根本原因を潰して、薬の力を借りなくても健康を維持できる身体を取り戻す。そのためのお手伝いをすることだと、私は思っている。天真爛漫な子どもも、大きくなるに従って自分の世界を構築し、さまざまな友だちとのつきあいが増えてくる。ときにジャンクフードを頬張りながら、部活のこと、勉強のこと、恋愛のこと、いろいろな話に花を咲かせるときもある。もしかすると、それは青春時代のいちばん楽しい時間かもしれない。だからこそ、親のコントロール下にある年代には、少しでも健康にとって望ましい食生活をしておいたほうがいい。それが私の考えである。
 
「これが化学調味料の怖さなんですね。テレビ見ながら平気でひと袋平らげてしまう。この化学物質による味の変化が極端な食べ過ぎにつながり、肥満を促し、食べ物に多様性を求める味蕾本来の性質を損ねているのです。味覚が鈍くなると、食べたものの美味しさがわからなくなるでしょう? そうして食品メーカーが戦略的に添加した化学物質にしか反応しなくなってしまうのです。だから、たまぁにならいいけれど、日常的にたくさん食べる習慣をつけてしまうと、これからボクが大きくなっていく過程で、心身にわたるデメリットがいろいろともたらされてしまう危険性があるということです。まさに、味蕾を損なうことで、かけがえのない子どもたちから明るい未来まで奪ってしまうかもしれません。」
 
お母さんがクスッと笑った。
 
「私はね、最近ニュースで子どもたちが関係するいろいろな事故や事件を見ていると、おそらく、望ましくない食習慣を長いあいだ続けてきたことが原因のひとつではないかと感じているのです。キレやすい子…ですね。坊ちゃんをそんな風にしたくはありません。」
 
そう言いながらも、一方で私は、今日の映像文化にあっては、子どもたちに悪影響を与える様々な情報を遮断することは困難であることも十分理解している。
 
 食品メーカーをはじめとする各企業は、自社商品の熱烈なファンである上得意顧客の生活様式を徹底的に研究する。彼らの好き嫌い、夢、願望、趣味、欲求、憧れのヒーロー・ヒロイン像等々。特に消費の多い顧客には、新商品の試食や、宣伝広告を見せて意見を求めたりしながら洗脳していくのである。これをポケトチップマーケティングと称している。彼らが特定の歌手や俳優を好めば、すぐにその有名人たちがテレビやラジオで当該商品を褒めちぎる…といった具合で、なかなかジャンクフードの魔の手から逃げきることは難しい。
 
「人の身体は、13種類の必須ビタミンを毎日摂取する必要があります。それは私たちの体内で毎日行われている、何百万という化学反応を維持するために欠かせないものです。本当はね、一日に数種類の新鮮な野菜や果物を食べれば、こうしたビタミンは必要量摂取できるし、そもそも私たちの身体は、種類の違う天然の食物を欲しがるようにできているものなのです。」
 
がんや糖尿病と同様に、アトピーや花粉症といった現代病は、産業が発展して生活が豊になった国に広く蔓延している。発展途上国には見られない、先進国特有の病気なのだ。その原因はふたつある。ひとつが農業の変化。そしてもうひとつが加工食品の氾濫。いずれも元凶は過度の化学物質にある。

(続く)

感動する医者の話13

 「お母さんは、ジャンクフードって聞いたことありますかぁ?」
 「ああ、なんか聞き覚えがあるような気がします。」
 「さっき私がいろいろな食べ物を挙げましたよね。ああいうのをアメリカではジャンクフードと呼んでいるんですよ。」
 
ジャンクフード = 屑な食べ物。
 
現代に蔓延る抑制の効かないイライラといった感情的問題や、うつ病・がん等の医学的難問のなかには、ジャンクフードがもたらしているものがかなりあると推察されている。ジャンクフードにはおそろしいまでに大量の化学物質が含まれている。
 
「ちょっとボクね、お口をあけてくださぁい。」
「ア~ン」
「では、下をベロ~ンって、出してみてさぁい。」
 
舌の表面にあるツブツブを指しながら、私は続ける。
 
「お母さん、この点々としているのが味蕾(みらい)といいましてね、私たちが様々な味を感知する能力がここに集まっているんです。ところがですね、最近子どもたちや若い人たちの味蕾がですね、正常に機能しなくなってきているのです。」
 
「はぁ…」
 
「ごめんなさいね、こんなお話をして。でもね、これはボクにとってとっても大事なお話なのです。アトピーとも重要な関わりがあるのです。味蕾が正常に機能しない、つまり味覚を麻痺させるということなのですけれど、その最大の原因が、私たちが口にする食べ物に含まれている化学物質なのです。」
 
お母さんの表情がなんとなく晴れてきた感がある。
 
 「気づかれましたか。そう、私たちの味覚を破壊してしまう化学物質が、ジャンクフードには特にたくさん入っているのです。果物や野菜のような天然の食べ物を2つ3つ食べると、味蕾が感じる喜びは徐々に薄れていって、ちがう種類の食べ物を欲しがるようになるのが本来の姿なのです。」
 
お母さんに、何とか食生活の大切さを理解して欲しいという一心で、私はさらに続ける。
 
「でも、フライドポテト、コーラ、ポテトチップスのようなジャンクフードは、おそろしい化学調味料によって、ひとつだけでは満足できないように仕掛けがなされているのです。お母さんだって、ほら、かっぱえびせんを一口食べた途端に、次から次へと口に運ばずにはいられなくなるような感覚を経験したこと、ありませんか?」
 
「ああ、わかります。そういうこと、結構ありますね。」
 
よしよし、噛み合ってきたかな…。
 
「つまり、優秀な頭脳を持つ食品会社の化学者たちによって、健康的な量では絶対に満足しないようコントロールされてしまうわけです。」

(続く)

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