社会福祉士のポテンシャル!

長くなりましたが、今回新たに社会福祉士国家試験に合格されたみなさんに、是非ともご関心を持っていただきたくてこれを書きました。もしも主旨にご賛同いただけたとしたら
私ども『NPO二十四の瞳』(http://24eyes.wilbo.jp/)の輪に加わっていただき、ともに安心・安全・快適な地域社会づくりに取り組んでいけたとしたら非常に嬉しく思います。
 
さて、社会福祉士(Certified Social Worker)とは、ソーシャルワーカーの国家資格であり、福祉に関わる公的資格(社会福祉主事任用資格や介護支援専門員など)および民間資格(福祉住環境コーディネーターなど)を含めた全資格の中で最上位の資格です。みなさんは、まさに福祉の世界では最高峰のプロフェッショナルなのです。それに相応しい国家試験だったでしょう?よくもまぁ、あんなに幅広い分野を勉強して、あんなにも難しくてたちの悪い試験で65%も得点したものです(笑)。みなさんは、本当に凄いです。でも、既に感づいてらっしゃるかも知れませんが、わが国では“福祉界の最高峰”の扱いが著しく低い。福祉や医療の分野でさえもその認知度が哀しくなるほどに低いのです。これは、私も含め、みなさんの先輩たちの罪でもあります。世間に認知されるようなことをやってこなかったのだと痛惜の念を禁じ得ません。
 
欧米ではちがいます。彼らの国では、私たち人間の幸福に関わるプロフェッショナルとして4つの専門家が必要という認識が子どもの頃から定着しています。まず、私たちの身体的幸福をサポートするのが医師です。また、精神的幸福をサポートするのは牧師や教師などの聖職者とされています。同様に、弁護士がサポートするのは私たちの社会関係的幸福です。そしてもうひとつ、私たちの日常生活上の幸福をサポートしてくれる重要な国家資格。それがCertified Social Worker。サーティファイド・ソーシャルワーカーと称されるプロフェッショナル、つまり日本でいう社会福祉士なのです。
 
日本では、医師30万人に対して、この社会福祉士が10万人います。しかしながら、医療の世界における最上位資格者である医師と比べ、福祉の世界の最上位資格である社会福祉士は、いかんせん目立ちません。世界に類を見ない長寿王国ニッポンでありながら、いったいこの認知度の低さは何なのでしょうか。社会福祉士よ、どこでなにをしているのだと叫びたいくらいです。
 
2000年に介護保険がスタートすると決まったとき、いよいよ社会福祉士の時代が来ると先読みして、私は会社勤務をこなしながら2年間の通信教育(2ヶ月間の現場実習を含む)を経て、みなさん同様、あの超難しい国家試験に臨みました。そして合格の報に歓喜の涙を流した日が懐かしく思い出されてきます。改めて言うまでもなく、社会福祉士の国家試験は凄まじく難しいのです。まず試験範囲が尋常ではありません。
 
●人体の構造と機能及び疾病 ●心理学理論と心理的支援 ●社会理論と社会システム
●現代社会と福祉 ●地域福祉の理論と方法 ●福祉行財政と福祉計画 ●社会保障 ●
低所得者に対する支援と生活保護制度 ●保健医療サービス ●権利擁護と成年後見制度
●社会調査の基礎 ●相談援助の基盤と専門職 ●相談援助の理論と方法 ●福祉サービスの組織と経営 ●高齢者に対する支援と介護保険制度 ●障害者に対する支援と障害者自立支援制度 ●児童や家庭に対する支援と児童・家庭福祉制度 ●就労支援サービス
●更生保護制度
 
なんですか、これは!科目数の多さ(19科目)もありますが、何よりも厳しいのは、福祉の分野のみならず、医学、法律、経済学、統計学、心理学という範囲の広さです。社会人に求められる見識のほぼすべての範囲から150問が出題されています。そして、100問を正解できれば合格と言われていて、例年3~4万人の受験者に対して合格者は1万人前後。合格率は30%を切っています。例えば医師の国家試験の合格率が90%超であることを考えると、国家資格の中でも極めて狭き門なのです。社会福祉士の国家試験に比べたら、医師のそれなんぞ「バカでもウカる」・「ウケればウカる」ってなもんではないでしょうか。

続く

男と女

男は女によって生きてくる。

女は男によって生きてくる。

女を女らしくできないような男は男じゃない。

男を男らしくできないような女は女じゃない。

宮沢賢治

広く老若男女に愛され読まれ続けている作家の一人、宮沢賢治。『雨ニモマケズ、風ニモマケズ』は、東日本大震災の被災者にも勇気と希望を与えてくれた。しかし生前、宮沢賢治はまったくといっていいほど評価されなかったという。皮肉な話である。
 
1896(明治29)年、岩手県の花巻で生まれた賢治は、高校・大学時代を盛岡で過ごし、農業・地学・地質学・化学・天文学などを幅広く学んだ。25歳のとき、身につけたことを地元に還元すべく花巻に戻り花巻農学校の教師となる。大学の研究室に残ることを奨められながらもふるさとに戻ってきたのは、習得した科学技術を応用して、日照りや冷害で被害を受けていた地元の農業を救おうと考えたからだ。

が、そんな彼に故郷は冷たかった。教壇に立つ傍ら、農村の青年たちを指導し、詩や小説を書き、万物が救われることを寒行で祈る賢治だったが、完全に拒否され、無視され、冷笑される。「きちがい賢治」などと罵られながら。故郷とは、残酷な側面を持っている。高い志を持って何かをやろうとする人や、人と違うことをやって抜き出ようという人の足を引っ張る。

そんな孤独な賢治の唯一の理解者が妹のトシだった。しかし、賢治26歳のときに彼女は結核で他界。最愛のトシを看取った賢治は3日3晩、押入れで号泣したという。その絶望感を抱き、賢治は函館から樺太をさまよい歩く。そこからだ。後世に残る数々の作品が生まれるのは。

やがて賢治も結核を発症。死が近いことを悟る中、恐怖におののきながら助けを求めるように書かれたのが『雨ニモマケズ、風ニモマケズ』だ。本編の前後には、賢治が信仰した日蓮宗のお題目「南無妙法蓮華経」が繰り返し記載されている。「デクノボウニナリタイ」と人間界を否定し、忍び寄る死への恐怖にもがきながら生み出された『雨ニモマケズ、風ニモマケズ』、である。それがいま、生前の賢治をバカにし続けた東北に光を投げかけているとは・・・。不思議なものである。

1896年。賢治が生まれる約2ヶ月前の6月15日に「三陸地震津波」が発生し、岩手県に多くの災害をもたらした。また誕生から5日目の8月31日には秋田県東部を震源とする「陸羽地震」が発生。秋田県及び岩手県に多大な被害があった。賢治が死んだ1933年。この年3月3日に「三陸沖地震」が発生。賢治は、故郷を襲った大災害を病床で憂いたという。誕生の年と最期の年に大きな災害があったことは、地学・地質学・天文学に通じ異常気象を憂慮していた賢治の生涯と、因縁めいた何かを感ぜずにはいられない。

噛んでる間はお箸をおく

Food-Revolution その3 をお届けします。

食べ物はじっくりと飲み物のように味わい、飲み物は食べ物のように食べよう

これ、
私の好きなインドの格言です。
味わいながらゆっくり食べれば、少しの量で満腹感が得られます。
食事を単なるエネルギー補給と考えずに、満足感を得るイベントと位置づけるのです。
そうすれば、時間をかければかけるほど、食事の時間が豊かになります。

ヤマザキさんに指摘されました。
「理屈はわかる」と。
「でもそんな悠長なことは言ってらんない」と。

で、具体的な方法論を出せと言われました。
たしかにそうですよね。
考えた挙句、こうしました。
口にモノを入れて味わっているあいだは、お箸やフォークは手から離そうと。

食べ物はしっかり噛んで液状になるくらいまで咀嚼する。
飲み物は一気に飲まずに、口の中で転がすようにじっくり楽しむ。
その間、両手はフリーにしてジェスチャーを交えておしゃべりしましょうって。

これ、忘れ去られたテーブルマナーでもあるんですよね。

★今日のルール
 『噛んでる間はお箸をおく』

【華野小町プロフィール
宮崎出身の料理研究家。管理栄養士。
卒業後、大手給食会社や医療機関勤務を経て2000年よりフリー。
NPO二十四の瞳では、会員向けに個別食事指導や講演を行っており、『食の女神』として大人気! (by ジャム)

日本の医療制度の3原則

日本の医療制度には、の大きな特徴が3つあります。

1 国民皆保険制度
諸外国で保険制度が整備されていない国、貧富の差によって補助や補償の違いなど差が出る国とは違い、わが国の保険制度は国民が平等に医療が受けられる世界に誇れる社会保障制度です。

2 現物給付方式
医療保険に加入していれば病気などの時、医療という現物を受ける事が出来ます。安い費用で受けれるので国民に安心感を与える事ができます。

3 フリーアクセス制
健康保健証をみせれば、いつでも、だれでも、何処でも受診する事が出来る制度です。諸外国では、まず家庭医にかかり、専門医の診察が必要なら紹介状をもらって予約をとりないと駄目なので、手術も順番待ちというイギリスなんてのもあります。
 
この3点は日本が世界に誇れるものです。しかしながら、この3点に甘えている「医者」と「患者」がうじゃうじゃいます。

薬はもらった方がいい、
大学病院の専門医やエライ先生に観てもらいたい。家族用にもに湿布薬をもらっておこう、生活を変えななくても薬をもらっていれば大丈夫・・・。ってな患者がたくさんいます。

薬をたくさん出した方が儲かる、患者指導なんてしている時間はもったない、その時間に一人でも多く診よう、治してしまったら来なくなっちゃう・・・。なぁんて医者がたくさんいるのです。


こういった、親方日の丸的な思想の人たちが、この日本の医療保険を崩壊させてしまったのです。

無自覚・無責任・人任せ・考えなし。

日本をこんな国にすることが、GHQおよびマッカーサーのミッションだったのかも・・・知れませんねぇ・・・。

福祉界の最高峰「社会福祉士」の地位向上のために

今春、社会福祉士の国家試験に合格されたみなさん。
心から祝福させていただきます。

今回より、志高く若くて有能なみなさんに、社会福祉士が『お金をかけずに短期間で地域の救世主となる方法』をお届けします・・・。

日本の全世帯数約5,000万のうち、「高齢者のみ世帯」(世帯主年齢が65歳以上の世帯でかつ「単独または夫婦のみの世帯」)は1,000万。割合にして20%です。この割合はどんどん増え続け、20年後の2030年には30%にもおよぶ勢いです。(『日本の世帯数の将来推計』(国立社会保障・人口問題研究所、2009年12月推計)の数字)。興味深いのは、2030年には全ての都道府県で20%を超えるという点です。東京も含めて、20年後には4世帯に1世帯、多いところでは3世帯に1世帯が「高齢者のみ世帯」になるというわけです。
 
私の両親も「高齢者のみ世帯」ですが、「高齢者のみ世帯」の暮らしには、浜辺に寄せる波のごとく、日々さまざまな問題が生じるものです。今日でも既に社会問題化している老老介護、熟年心中、孤独死などはその象徴的な問題と言えます。また、介護施設への入所を考えてみても、そもそも施設数が絶対的に不足していて3年以上待たされるのが当たり前。かと言って一般の有料老人ホームは高額で、ごくわずかな富裕層でなければ費用が払えないというのが現実です。

数年前までは病院に社会的入院と呼ばれる患者さんがいっぱいいました。もう医学的処置は必要なくなったにもかかわらず、諸々の事情で退院しても行き場がない高齢者たちがそのまま長期間入院生活を続けていたのです。しかしながら、病院を取り巻く経営環境が変わり、病院は極力短期間で高齢者を退院させなくては経営的に覚束なくなりました。ベッドを回転させることが病院の重要な経営指標となったからです。

 
「高齢者のみ世帯」が安心・安全・快適に暮らしていくための最重要インフラは、①在宅医療(定期的な往診)②在宅医療の後方支援基地(休日夜間および緊急時の受入れ病院)③24時間医療介護付きの賃貸集合住宅 だと言われています。政治と行政がやることなので遅々として進まないもどかしさはありますが、方向性はまちがっていません。

ですが、この3つよりも前に、もっと必要なことがあります。それは、「高齢者のみ世帯」が何かしら不安を感じたときに、気軽に相談できる窓口または相手です。残念なことですが、いまの地域社会にはこれが決定的に欠けているのです。自治体の窓口は、平日の9時5時しか対応してくれないだけでなく、お役所の悪しき慣習である縦割り行政の結果、高齢者が相談に出向いてもあちこちの窓口で個別折衝しなければなりません。50歳の私でさえもイライラすることがあります。また、担当者によっては、まだまだ相手の立場を尊重する姿勢が不足していることも問題でしょう。要介護の認定を受ければケアマネジャーという福祉専門職が相談相手になってくれるかも知れません。一人暮らしで障害を抱えている人や生活保護を受けている人などには、民生委員と呼ばれる福祉相談員や自治体の職員が定期的に安否確認などに出向いてくれます。緊急連絡用の電話を貸し出してくれる地域もあります。

しかし、もっとも数の多い“ふつうの高齢者のみ世帯”は、万一のときに頼れる存在がいないのです。お子さん世帯が近くにあれば別ですが、そうでない限り、何かあったときにコンタクトできるのが110番と119番だけというのは心もとない気がします。お隣の韓国では『ダイヤル129』というインフラがあって、いつでもなんでも話を聞いてもらえるシステムが機能しています。その電話だけで問題解決に至るかどうかは別にして、不安が頭をよぎったときに24時間相談ができて、解決の糸口や然るべきコンタクト先を教えてもらうだけでも、落ち着いた気分でその夜を過ごすことができるはずです。これがいまの日本の地域高齢社会にもっとも欠けている機能だと思います。

そこで、高齢者たちのナマの声を聞きながらスタートしたのが『NPO二十四の瞳』(http://24eyes.wilbo.jp/)なのです。私たちは、会員世帯に対して、①24時間365日のお困りごと相談 ②医療や福祉等をテーマとする啓発講座 ③地域の医療・福祉サービスの実態情報 を提供しています。そして、全国各地の若くて有能な社会福祉士のみなさんに働きかけて、この活動をすこしずつ横展開していきたいと考えています。私は、すべての国家資格のなかで、超高齢社会には不可欠なこの意義あるミッションを遂行できるのは社会福祉士だけだと思っています。

続く

限度額適用・標準負担額減額認定証

質問:
市民税非課税世帯である国民健康保険の被保険者が入院した場合の、医療費や標準負担額(入院時食事代)の減額認定について知りたい。
回答:
市民税非課税世帯は「限度額適用・標準負担額減額認定証」の交付申請をすることができます。この証を医療機関に提示すると、入院の医療費にかかる一部負担金と標準負担額(入院時食事代)を以下のように抑えることができます。
なお、市民税非課税の判定は、8月から3月までの入院についてはその年度の課税状況で判定し、4月から7月までの入院については前年度の課税状況で判定します。
 
入院時の一部負担金(保険適用の医療費のみ)
・70歳未満の市民税非課税世帯  35,400円
・70歳以上の市民税非課税世帯  24,600円
・70歳以上で、世帯主と加入者全員が市民税非課税&所得が一定基準以下  15 ,000円

標準負担額(入院時食事代。1食260円が通常)
市民税非課税世帯で90日までの入院  1食あたり210円
市民税非課税世帯で90日以上の入院  1食あたり160円
70歳以上で、世帯主と加入者全員が市民税非課税&所得が一定基準以下 1食あたり100円
 
手続き
申請期間:随時
申請窓口:国民健康保険課
申請者:世帯主
申請方法:窓口にて直接
受付時間:月曜日から金曜日まで(午前8時30分から午後5時まで)
必要なもの:保険証
90日以上入院している場合は、そのことが確認できる入院費の領収書の写し等
 
注意事項
認定日は原則、申請した月の1日から。国民健康保険税に未納がある場合は認定できない場合あり。また、やむをえず「限度額適用・標準負担額減額認定証」を提示できずに通常の食事代を支払ったときは、標準負担額減額差額申請すれば、実際の負担額と減額された場合の差額が払戻しとなる。

迫りくる老老地獄の時代 ~ 目を覚ませ社会福祉士!

福祉専門職の最高峰、社会福祉士。
その国家試験は超難関とされ、合格率は3割に満たない。
が、多大な時間とお金をかけて合格を勝ち取った彼らは、同資格の認知度と賃金の低さに愕然とし、ヤル気をなくし、やがて病医院や介護施設のなかで他の専門職に埋もれていく・・・。


しかし、だ。
最難関といわれる国家試験を乗り切った彼らには、豊富な見識と人間的なバランスがある。

国が高齢者をはじめとする社会的弱者の切り捨てに舵を切った今、地域で救世主となれる可能性をもっとも秘めている存在。それが社会福祉士だ。 


超高齢社会となったニッポンで、社会福祉士がいかに付加価値を提供し、いかに使命を果たし、いかにステータスを上げていくか。

これを具体化するために、母校・慶應義塾大学を拠点に『社会福祉士三田会』が発足した。

若くて有能な世代に社会福祉士を目指してもらうために。
こんなはずじゃあなかった・・・と肩を落としている社会福祉士たちのために。

2015年には、団塊世代がすべて65歳以上となる。
老老介護・老老相続は当たり前となり、老老虐待・老老殺人・老老心中が日常茶飯事となる。それでも社会保障の予算は増えない。だって、医療や福祉は票にならないから。

その結果、介護施設もマンパワーも永久に足らず、高齢者世帯は地獄と化す。
子ども世帯と離れて暮らす高齢者にとって、国も自治体も医者もケアマネも頼れない世の中で暮らしを維持していくためにも、老後生活のゲートキーパーたり得る社会福祉士を確保しておく意味は大きい。


社会福祉士は全国に14万人。
まずは彼らが目覚め、真に自律した社会福祉士になることだ。
誇りと自信と野心を持って、医療福祉界のリーダーとなるために、はじめの一歩を踏み出してほしい。そう願っている。

『社会福祉士三田会』にご興味ある方。どうぞ下記宛て、お気軽にご一報ください。次回定例会(平成24年7月21日(土)午後4時から@慶應義塾大学三田校舎)に、是非ともご参加いただきたいと思います。

問合せ先アドレス:
npo24no1103cool765@yahoo.co.jp または npo24no1103@dream.jp

ネバー・ギブアップ

リーダーの条件は、プランし、実践し、継続することだ。
 
今から10年前。あるコネクターメーカーの営業マン300人を対象に、営業活動の分析をしたことがある。何を調べたかというと、見込客にどれくらいの回数訪問すると新規の取引が発生するか、である。

まず、見込客から相応の相手をしてもらえるまでが平均13.5回。そして、初めての受注に至るのが、通い始めてから21.8回だった。要するに、週一で通って半年経つと新規取引が生まれるという計算になる。

 
興味深いのは、営業マンがギブアップする訪問回数である。それは11.8回。つまり、脈が見える直前でギブアップしてしまうケースがいちばん多いということだ。あと2回通っていれば良い展開になったのに、である。
 
もちろん、ギブアップした営業マンはこんなことを知る術はない。しかし、もし神様がいて天上から人間界を眺めていたとすれば、「ああ、惜しかったなぁ。もうちょっとの辛抱だったのに・・・」ということになる。

 
途中で下りてしまえば、それまでの努力や成果はゼロになってしまう。そして、またスタートラインに立たねばならない。こり無駄は取り返しがつかない。

リーダーはジャッジしなければならない


今年は、20世紀最大の海難事故、タイタニック号事件からちょうど100年。大西洋を航海する大旅客船が氷山にぶつかって沈没した。2,200人の乗客のうち生還者はわずか700人。映画を観ると、1,500人もの人たちが最期をどのように迎えるかが鮮烈に描かれている。そこにとどまり客船と運命を共にするものと、救命船に乗って生き残るものが、沈みゆく船上で選別された。生還できるのは子どもと女性たち。大人の男性はみな船に残る。これが原則だ。父親は船に残り、奥さんと娘は救命船に乗る。永遠の別れ。最終的な人数調整の段階で高齢の女性も死を覚悟する。死に行くものと生き残るものが選り分けられるドラマ。しかし、この選別を受け入れることのできないものが現れる。「俺も乗せてくれ」と言って、救命船に乗り込もうとする男がいるわけだ。救命船の船べりに手を伸ばし、叫ぶ男たち。その手をもぎとって海へ放り捨てる女性たち。オールで腕を断ち切られる者さえいる。そういう悲劇があった・・・。

「乗せてくれ」とすがった人間の手を振り払った人間は、その人間を殺しているに等しい。その殺人の罪の意識からは生涯逃れることはできない。でもそんな罪を犯す可能性は誰にもあって、自分だけは違うなどと言える人間はひとりもいない。危機的状況の中で、一人ひとりが命の問いを突きつけられたのがタイタニック号事件だった。どう選別するのか。それを受け入れるのか。こういったことに顔を背けることなく直面できるのがリーダーというものではないか。どちらを選択するか、非常に困難な状況が次から次へと押し寄せてくる。それに耐えて、選択しなければならない。それがリーダーたる人間の運命だ。

生き残りの戦略。旧約聖書の最初に出てくる「ノアの箱舟」の物語。大昔、この地球上に大洪水が襲ってきた。それによってほとんどの人類が滅亡してしまう。そのとき、神の許しを得てノアという人物の家族だけが生き残る。彼らだけが小さな船を作り、大洪水を乗り切った。それゆえに、今日の我々がこうして生きているわけだ。人間、どうすれば生き残ることができるか。これが生きるうえでの最重要目的となった。ほとんどの人間が死滅しなければならなくなった場合でも、わずかな人間だけを生き残らせる。そうすることで種の絶滅を回避するという考え方。人類の歴史は、創世記から今日までこの考え方を継承している。

さて、日本だ。国家の借金1,000兆円。政治・経済・社会、すべてのインフラが崩壊寸前の今、小手先の改革では何も事態は変わらないことは、永田町&霞ヶ関の住人も百も承知だ。どの政治家も、自分がジャッジすることから逃げているのだ。ジャッジした途端に袋叩きになることがわかっているからだ。政治生命は終わるだろう。しかし、このままでは国民総倒れである。タイタニックではないが、今こそ選別のときだ。この国が生き残るための戦略を毅然と言い放てる革命者が求められる。戦略とは優先順位だ。

ニッポンを滅ぼさないために、断腸の思いでジャッジしなければならない。東日本大震災の被災地。本当に気の毒ではあるが、復旧復興は最低限にすべきだ。被災前に機能していなかったものまで復旧させることの無意味さを真摯に認識すべきだろう。公務員。中央と地方を併せて400万人。人件費は半分まで下げる。高齢者と障害者。申し訳ないが、年金給付は減額せざるを得ない。医療と介護の費用減免はなし。生活保護受給者。これも大幅カット。みんなが苦しいのだ。働いている人たちよりも多くの収入があるなどという話は罷り通らない。受刑者も同様。最低限の生活レベルで我慢してもらうしかない。あえて優先順位をつけなければ、この国全体が沈んでしまうのだからやむを得ない。

八方美人のトップはもう要らない。命を賭して、公務員・高齢者・障害者・生活保護受給者・受刑者らの既得権益を削るべく大号令をかけられる、そんな革命者が今こそ必要だ。

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