帯津式統合医療モデル


先述したように、統合医療とは西洋医学と東洋医学とを上手く組み合わせた相互補完的な医療のことを言います。今現在の日本で、この統合医療でもっとも有名なのが、埼玉県川越市にある
帯津三敬病院の理事長の帯津良一氏だと思います。帯津院長は東大医学部を卒業して以来、西洋医学や手術というものに限界を感じていたそうです。

そして、都立駒込病院で外科医長をやっていた時代についに決断して、中国に渡って本格的に中国医学を学び、
1982年、自分の信ずる医療を行うため独立開院したのです。その帯津三敬病院では、西洋医学に中国医学、気功、瞑想、食餌療法、心理療法などを加味した総合的な治療法が実践されており、全国からがん患者さんたちが集まっています。そして、西洋医学で見放された患者さんたちが、免疫力を高めることで自らの自然治癒力を取り戻していかれた数多くの事例を提供しています。

「治療の決め手は患者さん自身のなかにある免疫力を引き出すこと」と、帯津院長はたくさんの著書を通じて発信しています。そして、免疫力を引き出すためにもっとも大切なのは患者さんの心だと言います。病状を改善するには、どんな薬よりも充実した心でいること。そのために病院が提供する気功などの心理療法に参加してもらうようにしているそうです。

心のつぎに大切なのが食事です。病院で出す食事は玄米食が中心といいますが、あくまでも基本は自宅での食生活にあるとして、管理栄養士の指導の下、食事に対する考え方と具体的なレシピについてしっかり身につけてもらうようにしているとのことです。

帯津三敬病院には、初診のがん患者さんだけで、年間に
1000人近くが訪れてきます。帯津院長は、カルテと紹介状に目をやりながら、膝詰めで対話するように統合医療の考え方や、同院の治療方針を説明します。がん治療の基本は免疫力を高めることです。そのために、まずは精神の高揚が大事であること、つぎに免疫力を高める食生活を徹底することなど。

これらひと通りの指導を行った上で、手術したほうがいいのか、それとも化学療法剤や放射線療法を行ったほうがいいのか、漢方・鍼灸・健康食品をどの局面で組み込むようにするのか等々について、患者さんやご家族の希望を聞き入れながら治療方針を決めるそうです。「医師と患者が手のうちを見せ合って一つの結論を出して行く」(帯津院長)手続きがあって初めて患者も納得し安心すると仰っています。帯津院長の考え方に触れて、私がクリニックで行っているやり方とまったく同じなので、非常に嬉しく感じたものでした。


2009
1121日に高野山で行われた『21世紀医療フォーラム』で、帯津院長はさらに興味深いお話を披露してくれました。「開業して以来、これまでにカルテを作った患者の約7割ががん患者。がん患者の改善例を総合的に分析してわかったことは、症状が改善するかどうかは患者の精神状態に依るところが極めて大きいということ。前向きな人ほどNK細胞も活性化しやすいが、マイナス思考の人はどんな治療を施しても良い結果が得られない。当院ではできる限り多種多様の治療を取り入れていて、精神状態が安定し、がん抑制効果が表れる患者さんは、自分はこれだけのことをやっているんだという自信や達成感が裏づけとなっている」ということでした。

医療の原点


さて、いよいよ最後の章になりました。ここまで長いことお付き合いをいただきありがたく思っています。日本における今日の西洋医学についていろいろと書き勝手をお話ししてきましたが、多くの医療者とざっくばらんに話してみると、みな本質的には西洋医学の問題点、東洋医学の問題点に気づいているようなフシがあります。そして、両者が合体することで、患者さんたちの健康というものに大いなる可能性が出てくるだろうという期待感を抱いていることもわかります。

ただ、個人としてはそう思っても、即行動に移せるかということになるといろいろな問題が絡んでくるということなのです。どちらかと言うと古い体質を持った医療の世界には、組織における上下関係とか全体調和みたいなものを無視しづらいところがあるのです。

だから何とか、読者のみなさんたち医療を利用する側からも一石を投じて欲しいと思うのです。風邪をひいて近所の病医院の情報を集めるとき、検査を受けるとき、診察室で医師と向き合ったとき、運悪く入院しなければならなくなったとき、手術を勧められたとき。こうしたさまざまな場面で医療というものとの関わり方を見つめなおして欲しいのです。ご自身と愛するご家族の健康と幸せのためにも。

ここで少し医療の歴史について考えてみます。古代ギリシャの医師ヒポクラテスは、医学の始祖として今も世界中で崇められています。その偉大な業績は、『ヒポクラテス全集』として今日の医師に伝えられています。ヒポクラテス以前の医療は、古代ギリシャの医神アスクレピオスへの信仰を中心とした魔術的なものでした。治療を求める者は、アスクレピオスを祭った神殿に何日もこもって、神官から儀式的な治療を受けていたのです。つまり、医療の原点は極めて非科学的な『祈り』であったのです。

ヒポクラテスはこうした神がかり的な治療を否定。「病気の原因は人間の知恵で理解できるはず」として、病気は体液のバランスが崩れることで起こると説きました。東洋医学の思想に通ずる考え方です。さらに、人間の身体にはそのバランスを回復させる機能が元来備わっており、医師の役目とはそれを手助けすることだとして、医学を自然科学として発展させる礎を築いたのです。

しかし、ヒポクラテス医学には、こうした科学的側面とは別にもうひとつ重要な点があります。それは医療者に求めた高い倫理性です。「医学に求められるものは、科学する心と人間への愛に他ならない」と言い切ったヒポクラテスは、医業への忠誠と献身、有害致死的な医療の禁止、禁欲、守秘義務等の戒律を『ヒポクラテスの誓い』として残しています。そこに記載された内容は現代にあっても不変の真理だと思います。世の医師たちは、改めて自問自答すべきかも知れません。

先日、国立がんセンター中央病院院長を辞任した土屋了介氏がこんなことを仰っていました。「がんセンターの部長クラスのなかにも「ヒポクラテスの誓い」さえ守れない医師がいるのは非常に不愉快。そんな医師を排除できなかったことは、辞任するに当ってもっとも反省すべき点だった」。これを聞いて、もっとも患者さんの心に寄り添って然るべきがん治療の中心にある大病院の医師ですらこういう状況なのかと、ちょっぴり嘆かわしい気持ちになりました。

ヒポクラテスの話を持ち出すと、「彼が病気ではなく病人を見る“全人的医療”で成功を収めたのは、その時代には病気を科学的に分析して診断や治療を導き出せるようなテクノロジーがなかったから」と、時代錯誤とでも言いたげな医師がいます。しかし、
18世紀後半に近代病理学が誕生した以降であっても、科学的データのみならず、ケアマインドとコミュニケーションをもって全人的医療を実践する医師もあったはずです。

病理解剖学の父モルガーニが死んだ
1771年は、わが国の医学の分岐点とも言える年でした。この年に行われた日本初の解剖現場に立ち会った杉田玄白は1773年に解体新書を出版し、日本における近代医学の扉を開きました。彼の功績は、世界初の全身麻酔手術で知られる外科医、華岡青洲に引き継がれました。米国の医学者らより10年も早く偉業を達成した彼の信条がふたつあります。


ひとつは『内外合一』といって、「医術は本来、内科・外科、漢方・蘭方と区別することなく、患者にとって最適な方法を選ぶことが大切である」。もうひとつが『活物窮理』といって、「人の身体はそれぞれ違うため、単に昔からの習わしに従って治療するのではなく、個々の人間にあった治療法を研究するべきだ」というもので、これらはまさしく、患者さん個々の特性に配慮した『統合医療』を医療のあり方として表現したものに他なりません。

医療崩壊は医師を野放しにしたツケ

2007年暮れあたりから、救急車たらい回し事故が盛んに紙面を賑わせました。高齢者に端を発して小児、妊産婦へと波及。結果として行き着いたのが、そもそもわが国の医師の絶対数が足らないのだという“医師不足説”です。

少子化対策が叫ばれているにもかかわらず,医療現場では産科医や小児科医が不足しており,子どもを産むこと自体がリスクとまで言われるようになってしまいました。また,麻酔科医の不足により,地域の中核病院でさえ緊急手術ができなくなりつつあります。救急医療や精神科領域においても同様です。

プライマリーケアを必修化した「新医師臨床研修制度」が地方の医師不足を加速する結果となったのは皮肉ですが、医師不足や医師偏在はわが国の理念なき医療政策の結果としか言いようがありません。地域ごとに、いかなる診療科の医師を、どれくらい配置していくのか。いかなる機能の病床や病医院をどれくらい配置していくのか。つまり、『真の地域医療計画』がなかったがゆえに、医師たちは好き勝手に活動することができたわけです。

いくら高尚な志を持って医学の道に進んだとしても、悪貨は良貨を駆逐してしまうものです。ましてや医師という商売は、いくらでも楽な道を選ぶことができる。患者の身体に触れることもなく機械的に適当な処方をしている医師であっても、高度な手術を年間何百回とこなしたり、救急医療の現場で全身全霊身を粉にして働いたりしている医師たちと評価基準が一緒という矛盾が、患者にとって好ましくない医師たちを蔓延らせる要因になっているのではないでしょうか。

とくに、国公立大学の医学部出身者たちは国や自治体の税金で医師になれたということを思い出して欲しいものです。医師という職業は国や地域にとっての貴重な社会資源です。であるならば、例えば卒後5年くらいは、医師不足の地域で活動することを義務化して国民に報いるべきだと思います。

社会資源たる医師を国がコントロールせずにきたがために、巷には必ずしも患者のためにならない医療を提供して生業を立てている医師がたくさん蔓延ってしまいました。それらを放置したまま、わが国はまたまた場当たり的な愚策『医学部定員増』を決定しました。

現状でも毎年8千名が医師免許を取得し、4千名の医師が新たに市場参戦してきます。デビューした医師には何が必要かと言えば、答えは患者に他なりません。食べていくためにはどうしたって患者が必要ですから、あの手この手を使って患者を作るわけです。目の前に座っている患者の病気を治さなくても、とりあえず治療していればいい。そんな医師もかなり存在するのではないでしょうか。


この問題を解決せずに医師の数だけを増やすというのでは片手落ちと言わざるを得ません。これでは病気の根本原因を無視して目に見える患部だけを切り取っているどこかの西洋医学と同じです。しかし、
それをわかっていながら誰も手をつけないできたのが日本という国なのです。私たちは、本当に場当たり的で戦略のない国で暮らしているのです。

医師不足のウソ


知人がやっているNPOの学習会で、ある参加者から質問が出ました。「テレビの報道などで医師不足とか言われているけれども、自分にはその実感がない。だって、通りを歩けば病医院だらけではないか」というのです。これは鋭い指摘だなぁと思いました。「私の認識では、医師が不足しているという話は、私たちが本当に必要としている分野に医師が足らないという意味で、必ずしも必要ではない分野には医師が余っているかもしれませんねぇ」とお答えさせていただきました。

ちなみに、必要なのに医師がいない分野とは、地域差はあるでしょうが、救急医療、周産期および小児医療、在宅医療などではないでしょうか。逆に、不要なのに医師が余っている分野とは、地方大学の付属病院や自治体病院、全国にある中途半端な規模の総合病院、都市圏に溢れている内科系病医院などでしょうか。まぁ、あくまでも私見ですが。

実はこのあたりのことは霞ヶ関でも勘案済みであるようです。政権が自民党から民主党に移行しても、医療費適正化の方向性は踏襲されるそうで、医療費適正化のための具体的施策としては、毎度お決まりの診療報酬マイナス改定だけではなく、国民に医療との適切な距離感を認識させるためのマル秘プロジェクトも動き出すらしい。そんな噂というか、気配みたいなものが耳に入ってきています。

ひとことで言うならば、必要でない医療を利用している人たちを目覚めさせて、病医院から引き剥がそうという情報戦略みたいなものでしょうか。そして、患者を引き剥がされてしまった病医院のマンパワーを、地域にとって本当に必要な分野へ再配置しようというシナリオが作成されているようです。

生と死をつなぐウェルダイイング


さて、日本の西洋医学の現状は、いまだ最新の知識と技術を前面に出して、自然に反してでも病気を除去しようとする手段を提供しているに過ぎません。同じ西洋医学であっても、欧米の多くの医師たちが、人間にとってもっとも根源的な自然とか生命とかを尊重する方向にシフトしてきたのとは格段の差があります。患者さんを救うべき立場にある医療のプロならば、時代と環境の変化に対してもっと柔軟にならないと患者さんに不利益をもたらしかねません。これは人間の死というものに対するスタンスの問題でもあります。

元・鹿児島大学神経内科の権威で、現在は名古屋学芸大学の学長である井形昭弘氏は、「リビングウィル」でお馴染みの日本尊厳死協会の理事長でもあります。井形氏によれば、「問題は死の瞬間を迎えるまでの苦しみだが、今ではそのうち身体的苦痛についてはモルヒネの経口投与によってほぼ完全に取り除くことができる。こういうところはまさしく西洋医学の優れたところ。ところが精神的苦痛については手つかずの状況」です。

同じ西洋医学でも、欧米ではすでにスピリチュアルケア(死に至る精神的苦痛を緩和させるためのケア)が根づいています。ホスピス病棟では、患者さんをサポートするチームのなかに必ずチャプレインと呼ばれる牧師がいて、患者さんの死に対する恐怖や家族の悲しみを癒す役割を果たしています。米国の病医院では、大規模なところは牧師などのプロフェッショナル配置が義務づけられているし、小規模なところでも患者や家族の求めに応じて牧師は自由に病床へ出入りすることができるそうです。

世界保健機関(
WHO)のホームページには、『健康』を「身体的・精神的・社会的、そしてスピリチュアルな意味で完全に良好な状態」と明確に定義しています。つまり、心とか魂とかいうものが健康にとって非常に大事であるという考え方で、これを実現するためのケアのことをスピリチュアルケアと称しているわけです。しかしながら、またしても「世界の常識は日本の非常識」で、この分野でも日本は大きく遅れを取っていると言わざるを得ません。

栃木県の益子町というところに、私が知る限り日本で唯一、医学博士でお寺の住職という田中雅博さんという方がいます。彼は由緒正しいお寺に生まれながらも医学の道に進みました。お父さまの急死をきっかけに、
1983年、勤務していた国立がんセンターを退職して大正大学に編入。仏教を習得して1990年に、自らが住職を務める西明寺の境内に普門院診療所を開設したのです。

田中氏は、「日本では明治維新の廃仏以来、仏教が疎外された結果、スピリチュアルな部分が欠落した文化が日本に根づいてしまった。日本の病院には、スピリチュアルな部分を担当する人がいない」という思いから、ならば自分がやるしかないと思い立ったといいます。これは素晴らしいことです。

がんに代表されるように、今日の病気は、人間の四苦とされる「生老病死」の『病』の部分が長期化する傾向にあって、患者が年単位で時間をかけながら死に向かっていくという特徴があります。「死」というものに対する恐怖や不安から患者さんたちにはさまざまな葛藤が生じ、場合によっては人格にまで支障を及ぼすこともあるものです。

となると、この死へ向かう過程では然るべきスピリチュアルケアが必要となってくるのは必然でしょう。残された人生の価値や
QOLをいかに高め、いかに穏やかかつ幸せに死へ誘導していくのか。これこそが終末期医療であり、医学の重要な役割のひとつだと思うのです。ですが今日現在、日本ではスピリチュアルケアは医療保険の点数にはならないもの、つまり必要のないものとして括られているのが実情です。

でも、スピリチュアルケアが難しいのは、提供者側がその方法論や技術論を確立実践したとしても、それを受け止める側にも準備を要するという点です。私としては、死を目前に控えた患者の内面的な事柄については、やはり宗教家の出番だと思います。患者さんのベッドの脇でその手をさすりながら時間をかけて傾聴する…。こんなイメージをするとどうしてもついついキリスト教の牧師さんの姿が浮かんでしまうのですが、ここはひとつ田中氏を見習って、仏教関係者にも積極的に取り組んでほしいところです。

明治以降、日常生活から切り離されてしまった感がある仏教ですが、教現在でも日本の葬儀の
9割以上は仏式です。どうも日本の医療現場では、「西洋医学は死ぬまで、死んだらお坊さん」というように生と死が断絶しているような気がします。現に臨終を告げた後の病医院側の対応は実に素っ気なくて事務的です。どことなく、患者さんが生きていたときと比べて温度差があります。

この部分を何とかお坊さんにつないでほしいと思います。日本の医療は、そもそも寺院で行われていたという史実があります。聖徳太子が建てたとされる日本で最初の国立寺院「四天王寺」には、敷地内に病医院、施設、薬局、学校がありました。原点回帰ではないですが、患者さんが生きているうちから、デーケン教授のいう『死の準備教育』を病院に出前してみてはどうでしょうか。あるいは医療も含めた総合寺院を作って、地域コミュニティの磁場になるというのはいかがなものでしょうか。


いずれにせよ、日本の西洋医学の現状は、肉体的・生物学的な身体治療には熱心ですが、精神面での関わりという部分が希薄であることは明らかでしょう。かつて死はある日突然に訪れるものでしたが、多くの死が非常に緩やかなものになってきたこれからの時代の医療は、ただ単に身体の痛みに対応するだけでなく、その人の心や魂や人生といったスピリチュアルなものにどのように貢献できるか。そんな観点から見直されるべき時期に来ていることはまちがいありません。死に向けた生をどうやって生きていくのかという『ウェルダイイング』のためにいかなる支援をしていくのかが、私も含めた医療者たちに与えられた最大の課題だと思っています。

命の値段


あと、ちょっと不謹慎かもしれませんが、患者さん本人にしてみれば本当につらいであろう手術や延命措置は、一方で、経営環境の厳しい病医院にとっては大きな収入源でもあります。これは重要なことです。終末期医療で、ご家族が「一分一秒でも長く」と要望したとしたら、カウンターショック(電気ショック)が
135,000円、24時間対応心電図モニターが11,500円。人工呼吸器装着のために必要な気管内挿管措置は15,000円、人工呼吸器は112,000円。強心剤の点滴は17,000円、心臓マッサージは12,500円…。あっという間に500万円とか1,000万円とかいう金額になってしまいます(ただし、差額ベッド代を除き自己負担額は概ね2割前後)。
 
大切な家族が生きるか死ぬかという状況で動転するのもよくわかります。お金のことなど考えている場合ではないかもしれません。しかしながら、最終的に患者さんが亡くなられた後で、病院からの請求書を見てたじろぐ人たちをたくさん見てきました。誤解を恐れずに言うと、こういう人たちは病院に出入りしている葬儀屋に言われるがままにその後のことを一任してしまい、一ヵ月後にまた云百万円という請求書を見て顔面蒼白になる危険性を孕んでいます。

延命措置に際して、患者さん側が求めない限り見積書は出てきません。ご家族が平常心を失った状態のなかで、日々延命治療に係る費用が膨れ上がっていきます。ホント驚くほどに…。医療と葬儀の世界には、今現在も事前見積りという考え方が定着していないのです。日本人ももう少し、欧米人のようにお金というものにシビアになったほうがいいのではないでしょうか。そして、ほんの数日間命を引き延ばすために、患者さんに苦痛を強いるということの是非について、もっと考えるべきだと思うのです。

患者不在の延命治療


西洋医学は救命と延命を第一の目的とする医療です。従って医師たちは治癒の見込みのない患者を相手にするのが得意ではありません。
1950年代から急増し始めたがんは、症状が厳しく、死に至る病として忌み嫌われてきました。がんの病巣が発見されると、可能な限り広範囲にわたって臓器を摘出し、その後も抗がん剤や放射線でがんを叩き潰そうとしました。しかしその結果、患者さんたちはみな、苦痛と疑念、孤独と絶望の中で死を迎えました。私自身、いま振り返ってみると胸が痛む思いです。

不治または末期で死が目前に迫っている患者さんには、さまざまな精神的苦痛(今日ではスピリチュアルペインと言われています)が襲いかかります。もう何をしてもムダだという絶望感や虚無感、誰もわかってくれないという孤独感、死という未知のものへの不安や恐怖などでしょうか。こうした、死ぬことで自分の存在や意味が消滅することによる苦痛は、多くの患者に共通して現れるものです。

しかし、こういうものに対して今日の西洋医学は配慮しなかったし、手を差し伸べようともしてこなかったのです。それどころか、医療技術の進歩によって死や命を操作することまでしてきました。その際たるものが延命治療です。西洋医学にはこれまで延命を第一の目標として進歩してきた歴史があります。医師たちはもうだめだとわかっていても、自然の摂理に反してでも命を長引かせる努力をすることで明日の医学が生まれると教えられてきたのです。

一方の患者さん側も、患者さん本人が自然に任せて天寿を全うしたいと望んでいても、家族の意向で不必要かつ無意味な延命措置につき合わされてしまうようなところがあると思います。「意識は戻らなくてもいいから一分一秒でも長く生きていて欲しい」というご家族がよくいらっしゃいます。しかし、患者さん本人の苦痛は半端なものではないと思います。人工呼吸器を取り付けるということはどういうことを意味するのか。医師はきちんと説明しなければいけないし、患者さん側も普段から理解しておくようにしたほうがいいと思います。

患者さんが亡くなったとき、「できる限りのことはしました」と、よく医師は言います。ご家族も、「できる限りのことをしてあげてください」と頼みます。しかし、医師やご家族にとってのベストが患者さんにとってのベストとは限らないということを知るべきです。もう元の生活には戻れないということが明らかになったとき、患者さんがどのような最期を望んでいるのか。そこを事前に共有したうえで事に当たって欲しいのです。

ただ、延命治療については、実際に家族がそのような状況になってみると判断が揺らぐものなのだというのも真実かと思います。というのは、昨年、諏訪中央病院院長の鎌田實氏のお話をうかがう機会がありました。鎌田氏といえば当然たくさんの延命治療に携わっているわけですが、講演のなかでもっとも印象に残ったのが、鎌田氏自身がお母さまに延命治療をするかどうかという場面になったときの話でした。

鎌田氏はお父さまに「延命治療をやめよう」と言いました。するとお父さまは、「バカもの。医師の務めは最後まで尽くすことだろう」と一喝されたというのです。それまで一度もお父さまに怒られたことはなかったそうです。で、結局鎌田氏は、意に反して父親の言葉に従ったと述べておられました。正直で誠実な人柄が滲み出るようなお話でした。医療のプロであってもこうなわけです。いくら経験の多い医師であっても答えはひとつではないのです。一般の人たちが思い悩むのは当然のことだと思います。

狐狸庵山人からの宿題

さて、延命治療のことを考えるとき思い出すのが、狐狸庵先生こと遠藤周作さんのことです。彼は、1996年の秋に肺炎による呼吸不全で亡くなられました。それから3年くらいして、奥様である遠藤順子さんの講演を聞く機会がありました。テーマが『心あたたかな医療』ということだったので、何となく聞いてみようかなぁと、そんな軽い気持ちでした。
 
遠藤周作さんは、
1980年代の半ばから『心あたたかな医療運動』というのを提唱して活動していたそうです。ご自身がいくつも大病を経験されていたということもありますが、直接のきっかけは、20歳代半ばにして骨髄がんで逝かれた遠藤家のお手伝いさんの死ということでした。当時、蓄膿症の術後だった遠藤さんは、上顎がんの疑いありということで、彼女と同じ病院に入院していました。敬虔なクリスチャンだった遠藤さんは、余命いくばくもないお手伝いさんのために、せめて安楽に死を迎えられるよう1ヶ月のあいだ祈り続けました。愛煙家であった彼が禁煙までして…。
 
そして彼女の死後、上顎がんの疑いが晴れた遠藤さんは、延命治療のあり方や医師の無神経な言動に疑問を抱き、「心あたたかな医療運動」を思い立ったといいます。お手伝いさんが死にゆく過程、遠藤さんご自身の入院経験(亡くなられる数年前にも腹膜透析の手術で長期入院されていた)などを通じて問題意識があったようです。
遠藤さん亡き後は、奥様がその遺志を継いで活動しているとのことで、私が聞いた講演会もその一環であったことが後でわかりました。

講演のなかで奥様は、「事後承諾で人工呼吸器をつけられ、亡くなる日まで一日に何度も採血をされ、腕は青く腫れ上がりました。さいごは、機械のゴーゴーいう空襲のような騒々しさのなかで、主人とは最後の言葉ひとつも交わせずに逝ってしまいまし。本当にあんな終わり方で良かったのか、今でも心残りでなりません」と訥々と語り、「今、病院で医師の正義に最後まで付き合わされる患者がたくさんいます。しかし、現代の医学が効力を発揮できなくなった時点で、もう医師と患者という関係は切れていて、あとはもう人間と人間の関係だと思うのです。患者と家族が心静かに別れることができる医学的な環境を整えてくださることも、ターミナル医療に携わる医師に課せられた役割とは言えないでしょうか」と結ばれました。

自らのつらい体験から、「心あたたかな医療運動」では、医療者に求めること、患者側も医療について多少なりとも学んでおくことを提唱しておられます。奥様は最初、どうして死の間際に苦しんでいる人から再三血液を採るのかわからなかったといいます。この採血は、血中の酸素濃度を測定し人工呼吸のレベルを加減するため、医学的に必要な処置ではあります。しかし奥様の心情としては、だったらひと言、なぜ「おつらいこととは思いますが、どうしても医学的に必要なことなのでご容赦ください」とでも言ってくれないのか。そんなやるせない気持ちだったのではないでしょうか。「医学的に当然のことをしているまで、みたいな顔をされるとしたら、まったくもって憤りを感じます」とそれはそれは強い口調で仰っておられました。


おそらく医療関係者は、患者さん側の痛みや苦しみに対して鈍感になってしまっているのだと思います。毎日重篤な人たちのなかで仕事をしていて、すべての患者さんひとりひとりにそんな気を配っていられないという部分もあるかもしれません。患者さんやご家族にとって病医院とは非日常的な場所ですが、医師や看護師にしてみれば何の変哲もない「日常」なのです。しかし、私自身が患者になったことを考えると、例え演技でもいいから悲嘆に暮れる人たちに寄り添うような言動を心がけて欲しいものです。患者さんが亡くなることや、家族が悲しむことに慣れっこになってはならないなと、再認識させられました。

死の準備教育


この章では、生きとし生けるもののすべてが迎えねばならない『死』というものについて、西洋医学と東洋医学の捉え方のちがいについて考えてみたいと思います。私も含めて医療に携わる者たちが『死』とどう向き合うべきかを考えるきっかけをもたらしてくれた偉大な人物が
3人います。

英国の内科医で現代ホスピスの創始者であるシシリー・ソンダース博士。彼女は
1967年に自らの病院にホスピス病棟を開設し、その活動は全世界に広がりました。日本では80年代になって、淀川キリスト教病院や聖隷三方原病院などにホスピス病棟が開設されました。

スイス出身の精神科医であったエリザベス・キューブラー・ロス博士は、人間が死を受容するまでの心理状態の推移を
1969年に『死ぬ瞬間』のなかで体系的にまとめました。これは現在でも全世界の終末期医療における指針となっています。

上智大学の名誉教授でアルフォンス・デーケンさんというドイツ人の司祭がいらっしゃいます。
2009年まで、東京と大阪で『生と死を見つめる会』というのをずっと続けてこれらました。彼が1980年代初めに提唱した「死生観・死の準備教育」は、今日の病医院における医療や看護のあり方に変革を求めるものでした。

特にデーケン教授の活動は、彼が日本を活動拠点としていたことで多大な影響を及ぼしました。その最大の功績は死をタブー視する日本社会に大きな風穴をあけたことです。日本では昔から死は穢れの対象とされ、不浄で忌むべきものとされていました。かつてのハンセン病のように、がんと宣告されるとそれは人間社会の外側に放り出されることを意味するようなことがあったのです。いや、場合によっては現在でもそんな部分が残っているかもしれません。デーケン教授は、人間社会の枠の外に置かれていた死というものを、人間社会のど真ん中に引き戻してくれたのです。そして、死とは生を照らし出す鏡であることを私たちに教えてくれたのです。

誰がための外科手術?


世界に目を向ければ、人体にメスを入れることなくがんを治療する東洋医学的治療という選択肢が定着しつつあります。欧米では東洋医学によるがん治療に対しても保険が適用されるなど、西洋医学を偏重することなく、患者さんにとって本当に望ましい医療を提供しようとする国家としての戦略があります。わが国においても、いいかげんに対症療法的な予算編成はやめて、本当の意味で国民にメリットのあるがん対策を講じてもらいたいものです。

この章のさいごに、
新潟大学医学部教授である岡田正彦氏の言葉をご紹介しておきましょう。岡田氏は、2008年に『がん検診の大罪』(新潮選書)という本のなかで、定期的にがん検診を受けた人たちのほうがそうでない人たちよりも、がん発症率および死亡率が高いという衝撃的な事例を取り上げたうえで、以下のように言っています。

「早期発見されたがんはほとんどが手術されることになるが、その手術自体が死亡に何らかの影響を与えていると考えられないか。患者は手術をすれば当然治るだろうと思っているが、かつて手術の有効性を調べた調査はひとつもない。逆に手術をして治ったと思い込んでいるケースでも、そもそも手術をする必要すらなかったという可能性もある。また、手術後に亡くなった患者について、結局手術をしても手遅れだった…と、説明する医師は多いが、実は手術を受けたことで身体にダメージが与えられ、抵抗力が奪われて死んだ可能性も否定できない。」

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