スカッと本音! 患者対医者

今回から、『患者のための医者の品定め ~良い医者 悪い医者 普通の医者~』をお届けする。
 
まずは、前提条件を明確にしておきたい。『患者ための、医者の品定め ~良い医者 悪い医者 普通の医者~』では、患者側から見た「最大多数の最大幸福」を考えることにする。5年間にわたるNPOでの相談活動のなかで、世の中でもっともありがちな患者像を捉えた感がある。そんな最大多数の一般的な患者にとって、理想的な医者とはどのような医者なのか。これについて考えてまとめたのが本ブログである。
 
読者のみなさんは、ご自身の医者に対する価値観と比べながら、肩の力を抜いて読んでみていただきたい。そして、実際に病医院で医者と対峙したときに、ちょっぴりクールな視線で目の前の医者を品定めして欲しいと思う。その結果をご近所のお友だちたちと意見交換しながら、100パーセント患者視点に立った、地域の良い医者ランキングなどを作ってみていただけたら本望である。
 
さて、現代に生きる私たちの死因の殆どは生活習慣病と称されるものである。この世に生を受けて長いこと人間稼業を営むうちに、私たちの身体には少しずつガタがくる。中年と言われる年代にさしかかると、糖尿、高血圧、高脂血症、骨粗鬆症等の症状が出始める。そしてその延長線上には、日本人の3大死因であるがん・脳梗塞・心筋梗塞といった影がちらついてくるのである。逆に、予期せぬ感染症や事故・ケガ・自殺で死ぬのは、現代社会においては少数派である。
 
よって、本書でいう最大多数の患者とは「生活習慣病の症状を既に持っている人および予備軍」と定義させていただく。また、そんな患者たちの品定めの対象となる医者であるが、「生活習慣病の患者が全診療の8割以上を占める医者」のことである。つまり、テレビ番組でよくある、救命救急病棟とかで天才的な技術で高度な難手術に敢然と挑んでいくような、ブラックジャックのような医者は品定めの対象としない。言い換えれば、地域の第一線でプライマリーケアに従事する医者ということになる。昔風に言えば“町医者”である。
 
つぎに、本書でいう患者像をもう少し明確に定義しておこう。できることなら、読者のみなさんが、「あっ、私もそうだ」と賛同して、頷きながら読み進めていただきたいものである。そこで、私が数えきれないほどの相談者と接してきた経験から、彼らがこれからの人生に対して抱いている希望や願望の最大公約数を設定してみた。それは、「50歳過ぎくらいから何かしら生活習慣病の症状が目立ちはじめたものの、日常の活動に支障がない程度に症状をコントロールしながら、100歳まで人生を全うしたい」ということである。たぶん、読者のみなさんの7割以上は該当するのではないかと思っている。
 
日本が世界でいちばん長生きの国となって久しい。100歳以上の人が3万人を超え、国民の4人にひとりは高齢者(65歳以上)なのだ。感染症や戦争であっと言う間に命を落としてしまうことも少なくなかった時代と比べ、現代人の「死」とは極めて緩やかなものになった。何かしらの症状を発症したからといってもすぐに人生の終わりとはならない。その後何年もの長い時間をかけて、ゆっくり死んでゆくという特徴がある。死に対する準備期間があると言い換えることもできるだろう。
 
このことから、先述の患者の願いをもう一度見てみよう。「50歳過ぎくらいから何かしら生活習慣病の症状が目立ちはじめたものの、日常の活動に支障がない程度に症状をコントロールしながら、100歳まで人生を全うしたい」。これを具体的な日常生活の過ごし方に書き換えるとどうなるか。
 
そう。患者にとって幸せな人生とは、「その患者自身が決めた寿命までの長い歳月を、然るべき範囲内で、好きに食べたり飲んだりできて、好きに活動できる人生」ではないか。健康上あるいは身体上多少の不具合があったとしても、明るく楽しく前向きに毎日を送っていける。これが長生きしなければならない時代の幸せな生き方なのではないだろうか。
 
例え寿命だけを無理して延ばしたところで、自分の好きな食べ物を自分の口で食べられない、美味しいお酒も嗜めないというのでは人生を堪能しているとは言いがたい。自分の足で散歩したり、お風呂に入ったり、友だちとお喋りしたり、映画や芝居を観たり、旅行にいったり…。若い頃と同等とはいかないまでも、心身ともに愉しく潤いのある日々を過ごすことができる。それが健やかで幸せな熟年ライフというものではないだろうか。そう考えると、最大多数の患者にとって理想的な医者とは、こうした患者の幸せを実現できるように応援してくれる医者ということになる。
 
こんな視点から、読者のみなさんのまわりを見渡してみていただきたい。果たして、これから先の長い長い期間にわたって、みなさんの健康や幸福に貢献してくれそうな医者がどれくらい存在するものなのか。そして、みなさんが100歳まで健やかで幸せな日々を送っていくためのパートナーとなり得る医者を、なんとか探し当てていただきたいと心から願っている。

理性こそが人間の存在理由

デカルトの『方法序説』を読んだ。もちろん、飛ばし読み…。

明るく無邪気な赤ちゃんが、生まれ育つ環境によって歪んでしまう。家庭内のごたごた、両親の夫婦喧嘩、兄弟親族間のののしりあい。母親のヒステリー、父親の背信、友人の裏切り。家庭や隣近所の無神経さ。メディアから垂れ流される暗くて残忍なニュース、低俗で俗悪なテレビ番組の数々。

こうしたネガティブの嵐が無垢な私たちの心をを容赦なく突き刺す。素直な人ほど悪影響をダイレクトに受け、スポンジのように吸収してしまう。こうして、本来はまっすぐだった性格がいつの間にかひねくれ、悲観的で疑り深く、不安で憂鬱で破滅的な性格に毒されてしまう。ネガティブな感情には理性で対応する。

理性とは、直面した悲劇を分析して割り切るための能力なのだ。

独立と成功の条件

福沢諭吉の基本思想第2弾。

人間が持つ5つの基本要素は、身体・知恵(思考)・情欲・良心(理性)・意志(決断力)。
この5つを自在に扱うことが独立と成功の秘訣。

理想と能力のバランス。
高い理想を描くには常に能力を磨く努力が必要。

人生の棚卸し→能力点検→自己管理能力と計画性の向上
能力向上には見識を高めよ。観察(Observation )推論(Reasoning )読書議論(Discussion)


演説(Speech)→判断力が高まり、氾濫する情報の取捨選択ができるようになる。
人は判断力に欠けると他人の考えに流されやすくなる。

うわべだけを整えようとしても、不足している本人の能力は埋まらない。妬み羨みなどの怨望に支配されちゃう。品格の欠如だ。
自分自身の品格を高め、真の独立者となるために、しっかりとした見識を持ち、判断力を養おう。現状に満足することなく、より高い精神レベルを目指して前進しよう。

人望。大切なのは明るい態度とハキハキした挨拶。人の信用を得るには、コミュニケーションの清潔さが大事なのだ。旧友を忘れず新しい友を求め、豊富な人脈で新たな知識と交わり、心の働きを活発にしよう。品格と人望あればこそ、人から信頼され期待されるもの。社会における独立者のあるべき姿である。

社会での活動には、大きく「個人」と「団体」の2つがある。
一個人として安定した生活を求めたり、団体として利益を追求したりすることは独立者の務めではない。
独立者は社会全体の利益のために働くことが大切。社会貢献こそが独立者の義務だ。

そして…。
現代社会に我々の活動の跡を生き生きと遺し、人類の財産として後世に伝えること。
そう。未来に向けて種をまくのだ。
 

天は人の上に・・・

慶應義塾大学出身の社会福祉士たちと一緒に、今春、『社会福祉士三田会』を立ち上げた。それを機に、福沢諭吉の『学問のすすめ』を再読した。飛ばし読みだけど…。やっぱ、すばらしい学びがあった。

人はみな平等で自由である。
自由であることは、すべての人間の権利である。

しかし、責任を忘れた自由はただのわがまま。
自他の生命・財産・人格・名誉を尊重して、初めて自由である権利が与えられる。

自由とは『独立できるということ』。
独立とは、他から干渉を受けずに活動できること。
そのためには、他者を頼らず自分の身は自分で始末をつけようとする独立心が必要だ。

人は真に自由であるために独立心を持たねばならない。
独立者とは、他人の考えに影響されず、自分で事態の正否を見分け、自分の行動に間違いを起こさない人のことを言う。

では、どうすればそうなれるのか?
ここで「学問」が登場する。
自己の独立のためには学問が必要。それも実学でなければならない。

実学とは、実生活に役立つ知識を学問する手段。
そう。学問とは単に教科書を読むことではなく、身につけた知識を実際の現場で使いながら経験していくことなのだ。知識の応用と経験こそが学問の本質であり、社会に出てからが本当の学問の始まりとも言える。

すっごいよなぁ~、福沢諭吉は…。
さっすが一万円札の顔だけのことはある。
そうそう。吉田松蔭やデカルトも似たような思想を持っていたっけ。
こちらも時間を捻出して再読してみよう。

社会人の心構え③

某企業の新入社員に対して行った講演の内容をご紹介してきました。
テーマは、学生と社会人のちがいにフォーカスしながら、『もう許されない学生時代の3つの習慣』について。

今回は最終回。『自己啓発 ~天は自ら助くる者を助く~』です。


学業の目的はインプットでした。それはわかればいい世界です。知識を増やしたり深めたりすることが学生の本分です。しかし、仕事はアウトプットです。わかっただけではダメで、できなければダメな世界です。社会人の本分は、仕事を通じて、他者に製品やサービスをはじめとする付加価値を提供することです。

学生時代は、受身の姿勢で、みなが一律に同じテキストを眺め、同じ教授の講義を聴いていれば問題ありませんでした。しかし社会人となれば、自分が密接に関わる業務については、会社が一律に用意してくれる研修のみならず、アウトプットの質を高めるために自発的に学び取ろうという向上心が求められます。

なぜか。そうしなければ、みなさんが一本立ちしたとき、社内の同僚のみならず、競合他社にも負けてしまうからです。負け続ければ評価は下がる。評価が下がればお金も減る。それが社会人というものです。

お待たせしました。ザキヤマさん(架空の新入社員)です。
配属先では、新入社員を一日も早く戦力にすべく、先輩たちがさまざまな勉強会をセットしてくれるはずです。そんな時、先輩のプレゼンテーションやスピーチの後、必ずコメントを求められます。

気をつけましょう。他の話は全部聞いていたのに、たまたまちょっとエアポケットに入ってしまったときに限って指名される。そういうことって本当に多いです。


 「ザキヤマさん、いまの話、どう思った?」

 (げげっ。うむむ・・・)

沈黙すること10病弱。

 「あっ。は、はい。とても大変勉強に(参考に)なりました・・・です・・・はいっ」。

こいつはダメだと烙印を押される瞬間です。
よく耳にする言葉ですが、これ、死んでも吐いてはならない言葉です。なぜだと思いますか?

 「参考になりました」というフレーズ。これは、先輩の話をまったくスルーしていたとしても発言できる内容だからです。

  教訓です。賛成の根拠を言う。できれば、まだ誰も指摘していないことを言いたい。
厳しい言い方をすれば、ビジネスの現場では無意味な話をすることは罪。それこそナンセンスです。何が勉強になったのか。なぜ同感なのか。そこを伝えなければ意味がありません。

あるトピックについてコメントを述べるにはセンスが必要です。それには日ごろからの勉強量が利いてきます。みなさんがどのように球を返すのか。周囲は注目しています。そのときに、「ほう。なかなかわかっているじゃないか」と思われたほうが、思われないよりもやはりベターなのです。

周囲から信頼される言動を積み重ねてチャンスをもらった。円滑な人間関係を心がけたおかげで周囲の貴重なサポートももらえた。しかし、自分自身に然るべき能力が備わっていなかったとすれば、せっかくのチャンスをモノにできる確率がガクンと落ちてしまいますよね。そうならないためにも、成果を形で示すための日常的な自己啓発を心がけるべきだと、私自身の実感も込めてお伝えしておきたいと思います。

なお、ザキヤマさんの場合は、上司から大きく3つの分野を意識的に強化したらいいと勧められました。

ひとつ、業界知識。これは自分が担当するクライアントの業界という意味です。
ふたつ、テクニカル。これは自分の職種に関連する専門知識。例えば、税務、IT、商業英語などです。
そして、みっつ、コミュニケーション。システム関連のトラブルの代表は、クライアントの意向を汲んで作ったはずのプログラムに対して、「こんなはずじゃなかった」となることです。原因はシステム開発やプロジェクト管理といった技術的な話ではなく、ほぼ100%コミュニケーションの問題です。クライアントとのトップや担当者とのコミュニケーション。営業担当者とのコミュニケーション。開発メンバー相互のコミュニケーション。

いかがだったでしょうか。
学生と社会人の3つのちがい。

 学生はお金を払う。社会人はお金をもらう。
 学生は好きな者同士。社会人は誰とでも。
 学生はインプット。社会人はアウトプット。

このあたりを自覚して、日々の言動に注意を払ってみてはどうでしょうか。

意識して態度を変えることで行動が変わります。
行動が変われば習慣が変わります。
習慣が変われば生活が変わります。
生活が変われば人生が変わります。
人生が変われば運命が変わります。

みなさんのご活躍を願い信じて、本日のお話『社会人の心構え ~もう許されない学生時代3つの習慣~』を終わります。

知行合一

知行合一。
明治維新の精神的指導者、吉田松陰(1830年~1859年)が愛した言葉のひとつだ。

1854年、米国のペリー艦隊の船への密航を企てた罪で投獄されるも1855年に出獄。
蟄居中に故郷・山口県の萩で子弟を集めて松下村塾を開いた。
塾での教育には、吉田松陰の全身からあふれる人間愛と祖国愛、時代の流れに対する的確な洞察があった。
山県有朋、伊藤博文、久坂玄瑞、高杉晋作など、明治維新の中心的役割を担う人材を輩出した。

ある時、松陰が塾生に「君は何のために学問をするのかね」と尋ねた。
塾生は「どうも本が読めませんので、よく読めるようになりたいのです」と答えた。
すると松陰は、「学者になるのではないのだよ。人は学んだことをどう実行するかが大切なんだよ」と諭した。
ただ物事を知ったり、理屈を言ったりするだけでなく、何事も実行していくことこそが大事なのだと説いた。

1858年、吉田松陰は「安政の大獄」で再び投獄され、翌1859年斬首された。
若干26歳。
その短くも熱き人生に触れるとき、私は自身の人生を恥ずかしく思わずにはいられない。

志定まれば、気盛んなり。

吉田松陰のように、決して揺らぐことのない軸足というものが、どうにも私には持てないからだ。
にもかかわらず、なんやかんやで、松陰の倍近くも、ただのほほんと生きている。
情けないじゃないか。

草莽崛起
そうもうくっき

吉田松陰が日本の変革のために、在野の人間に対して決起を促した言葉である。
現状に甘んじて、怠惰と惰性の時間を過ごすとき、私は必ず同じ夢を見る。

夢の中に、学生時代の教科書で見た吉田松陰が現れて、『草莽崛起、草莽崛起』と訴えかけてくるのである・・・。

« 前へ


NPO法人 二十四の瞳
医療、介護、福祉のことを社会福祉士に相談できるNPO「二十四の瞳」
(正式名称:市民のための医療と福祉の情報公開を推進する会)
お問い合わせ 042-338-1882