社会福祉士の使命

2001年に社会福祉士の資格を取得した私は、丸3年間、コンサルティングファームに勤務しつつ、傍らで百貨店の軒先を借りて『シニアのためのよろず相談サービス』を開始しました。また、同時期に航空自衛隊の定年退職者予備軍の人たちのべ2,500人を対象に、『介護入門講座』をやらせてもらいました。これらはシニアの意識や行動を把握するうえで大いに役立つ機会でした。
 
これらの活動のなかで学んだことが大きくふたつありました。ひとつは「相談しやすい環境の必要性」。もうひとつが「相談を受けるならば医療は外せない」ということでした。前者について補足すれば、各自治体の公民館で毎週末に開設されている『福祉相談室』というのがあります。社会福祉協議会が予算を取って配下の民生委員等に相談を受けさせているのですが、これがまったく機能していないのです。だれも相談になんか行かないのです。それもそのはずで、民生委員は地区割りですから、仮に相談したい悩みごとを抱えていたとしても、近所の顔馴染みにパーソナルなことをあれやこれや胸襟を開くなどということは難しいのです。こんなことに私たちの税金を使われているのだから困ったものです。それに引き換え、百貨店や医療機関等、黙っていても人が集まる場所に相談窓口があれば、相談件数はおのずと増えるものです。老朽化した薄ら寒い公民館の一室で、仁丹や龍角散の匂いがしそうな地域の有識者に相談事を打ち明けたいと思います?
 
また、多くの相談者の話を聞くなかで、高齢者の悩みごととは大体が似たり寄ったりのものだということがわかってきました。ザッと挙げれば、医療・介護・福祉・法律・お金・食事・葬儀。こんだけです。で、各テーマについても概ね5つか6つの質問に集約されることがわかりました。もっと言ってしまえば、貧富の差なく、人間歳をとれば、健康とお金の問題に行き着くということでしょうか。
 
続いて私は、2005年からの3年間、ある病院の一角で『お困りごと相談室』を開かせてもらうようになりました。医療現場の実態を知りたかったのと、医療専門職との人脈を作りたかったというのが理由で、無理やり頼んでやらせてもらいました。超高齢社会を迎えた日本では、もはや医療と福祉の垣根は意味がありません。今思えば、あの時期に3年間、病院を拠点にして相談活動を実践できたことは実に貴重な経験になっています。その成果のひとつとして、2007年8月にNPOの認証を受けることができたと思っています。
 

そして2008年からは、医療専門メディアで記者のまねごとをしながら、厚生労働省や医学界とのチャネル開拓に精力を注ぎました。霞ヶ関や永田町の動向をいちはやく察知することは、高齢者を中心とする相談者に適切なガイドを出せるのみならず、相談者に結びつけるべき病医院や医師とつき合う上でも大いに役立つものなのです。所詮、病医院経営者の多くは、2年毎の診療報酬改定と3年毎の介護報酬改定に一喜一憂している人たちです。医療(介護)行政の方向性をウォッチしておけば重宝がられるのは目に見えていたのです。

続く

老老地獄の根底にある老親の驕りと勘違い

 過去5年間に5000件。世の高齢者からの相談を受けてみてわかったことがある。それは、人間誰しも歳を重ねれば様々な問題を抱えるものだが、彼らの苦悩の根本にあるのは親子関係の悪化だということだ。高齢者が死を自分の問題として意識するようになったときに、7割の人がもっとも懇願するのは、「いま一度、昔のようにわが子との良好な関係を取り戻したい」ということ。逆にいうと、歳を重ねるに連れ、親子関係が悪化してしまうケースが殆どということだ。印象として、特に(富裕層でなく)一般大衆層でこの傾向が顕著。

 で、親子(身内)間トラブルの元凶は、突き詰めれば多かれ少なかれお金の問題である。親は老いて尚お金に執着して手放さず、一方で介護など親の面倒を子に期待する。子にしてみればたまったもんではない。負担だけが上乗せされ身動きがとれなくなってしまう。私どもの会員にも、『子が親の面倒をみるのは当然』などと平然と言い放つ輩もいる。そんなのは100年古い。もはや時代が違うのだ。現代を生きる子どもたちは忙しいのだ。

 はっきり言おう。現在の老親世代が若かった頃。あの戦後経済の高度成長時代。兵隊から企業戦士に衣替えしたサラリーマンは、政官業の壮大なる癒着の恩恵を受けて、組織の歯車となって機械的に時間を過ごしてさえいれば、誰でもそこそこのお金を手にして蓄えることもできた。そういう時代だったのだ。老親世代が取り立てて有能だったからということではない。この点を勘違いしている高齢者が多すぎる。

 しかし現代のこの国では、有能な人でさえ、日々食べていくので精一杯。そんな過酷な毎日を生きている子どもたちに、金銭的な裏付けも示さずに『親の面倒を子が見るのは当たり前』などと言っているから、老老地獄に落ちるのだ。高齢者はもっと謙虚になる必要がある。でないと、決して穏やかな最期を迎えることはできないだろう。老後を子に依存する一方で、金銭への執着はとどまることを知らない。身勝手なことをほざく前に、親の都合で勝手に産み落とした子どもたちに対して、親が果たすべき責任と義務があるはずだ。

続く

賢い老後には戦略がいる!


長生きしなければいけない時代である。
だからこそ、いま求められる親子関係のパラダイムシフトについて書いてみたい。


否応なしに100歳まで生きなければならない時代である。
現代を生きる私たちは、長生きと引き換えに、対処しなければならない試練を与えられた。

長生きしなければいけない時代の老老地獄である。
戦国時代さながらに、親子間の哀しい事件が止まらない。


老老介護や老老相続の問題は、介護殺人や介護心中、子ども同士の遺産争いなど、悲惨で哀しい事件の火種を孕んでいる。誰もが通る道だ。社会保障をはじめとする国家インフラが未整備のまま世界に稀な長寿高齢王国となったニッポン。そこにあるのは長寿どころか長生き地獄だ。

20世紀最大の海難事件タイタニック沈没からちょうど100年。
こんど沈むのは戦略なきニッポン丸かもしれない。

続く

おふくろさん

母子家庭で育った彼は、物心ついたときから、大好きな母に感謝し、その母に決して苦労をかけまいという意識が知らず知らずのうちに染みついていた。

小学校時代のこと。ある日の学校帰り。午後から急に振り出した大雨にも、気を利かせた母が持たせてくれた傘のおかげで、「さっすが、お母さんだ」と家路についた彼。ふと先を見ると、よそ様の家の軒下でずぶ濡れになって泣いている少女。彼はそっと近づいて、ズボンのポケットからハンカチを取り出すと少女に渡してやった。はじめは怪訝そうにしていた少女は、小さな声でボソッとひとこと、「ありがと」。彼が微笑むとちょっと時間をおいて少女も笑顔になった。彼はそのまま自分の傘を少女に与え、自分はずぶ濡れになって母の待つ家まで駆けていったのだった。

「傘を持たせてやったじゃろうに」と事情を尋ねる母に、彼は帰り道であった出来事を話した。母はバスタオルを取ってくると彼を膝に抱え上げ、「いいことしたな。困ってる友達さいたら、助けてやる。母さん、おまえのような優しい子、大好きじゃ。大きくなってもそすっだぞ」と言いながら頭を撫でるのだった。彼は小さいころから母にそうされるのがいちばん好きだった。

くしゃみをしながら母の顔を見ると、母が笑いながら続けてこう言った。「でもな、母さんの大事なおまえが風邪でもひいたらどうする?次はな、女の子の家の場所を聞いてみて、遠いようだったら、一緒にうちまで来るっさ。したら母さんが送っていってやるっさに。もしも近けりゃふたりで一緒に傘に入ってさ、おまえが送っていっておあげ。相合傘じゃ。」俯きながらモジモジする彼に、「男の子じゃろうが」と母の声。「うん!」と元気よく答える彼に母はこう続けた。「お前には、みんなに優しく、みんなを元気に励ましてあげられるような、そんな大人になって欲しいなぁ」と。

それから十数年後。大好きな母を喜ばすために、世の中の人たちに喜んでもらうためにどうすればいいか・・・。考えに考えた末に上京し歌手となった彼は、母とのエピソードを歌詞にした曲で賞を総なめにする。男女の色恋をテーマにした歌謡曲全盛の時代には異例のことだった。森進一さんの『おふくろさん』である。
 
みなさん管理職のミッションは、円滑な組織運営、目標の達成実現、部下の教育育成である。「組織は人なり」と言うように、組織発展の最大のポイントは部下の成長にあると言っても過言ではない。この「部下の成長」に大きな影響をもたらすのが、『ほめ方・叱り方』。

人は感情の生き物。みなさんの指示や指導がいくらもっともであっても、部下を動かすためにはそれだけでは不十分で、本人たちが自ら納得し、自発的に行動させることが必要。
業務の中で、意識して部下の成果や長所をしっかりと評価してほめてやり、失敗や短所を改善していく術を諭してやる。この積み重ねが部下の仕事への取り組みを前向きなものにし、組織力強化に繋がっていくのである。
 
それにしても森進一さんとお母さんの逸話は胸にグッとくるものがある。わが子をほめたり叱ったりする母の言葉には一貫して愛がある。一時の感情で喜んだり怒ったりするのではないのだ。まず熱くほめる。具体的にほめる。そんなあなたが好きだと伝える。抱き寄せて頭を撫でる。次はこうしたらもっと素晴らしいとクールに諭す。こんな人間であって欲しい。こんな生き方をして欲しい。そんな心底からの思いや願いが伝わってくる。

みなさんにも、後々まで部下の記憶に残るような言葉の吐ける管理職になってほしい。部下の成長を思う心で、若い世代にプラスの影響をもたらして欲しい。ほめるのも叱るのも、根底に愛あってこそ部下の心に響くものではないか。

小さなお皿でおかわり禁止

Food-Revolution その5 をお届けします。

料理が盛られた量が多ければ多いだけ、人間は余分に食べてしまうものです。
加工食品メーカーがビッグサイズを出すのは、そのことをよぉくわかっているからです。
で、ついつい私たちはカゴに入れてしまうんですね。

でも家庭でそんなことをしてはいけません。
直径20センチのお皿を15センチのお皿に変えてみてください。
それだけで食物摂取量は20%減るはずです。

それから、せっかくお皿を小さくしても、おかわりをしてしまったら意味はありませんよ。
管理栄養士の立場から言わせていただくと、おかわりをされてしまうと摂取量が厳密に管理できなくなってしまうのです。
どうしてもおかわりしたいときは、ちょっとだけ時間を置いてみましょう。
すると、「やっぱりもう要らないやとなったり、「ほんのちょっとでいいな」となったりするものです。

こんな言葉があります。

「自分のこぶしより大きな動物性たんぱく質は食べない」
「食べていいのは、お椀状にした両手のひらに入る分量まで」

そのとおりです。

★今日のルール 『ちっちゃなお皿でおかわりNO!』

【華野小町プロフィール
宮崎出身の料理研究家。管理栄養士。
卒業後、大手給食会社や医療機関勤務を経て2000年よりフリー。
NPO二十四の瞳では、会員向けに個別食事指導や講演を行っており、『食の女神』として大人気! (by ジャム)

社会福祉士が活躍すべきポジション

話が逸れましたが、合格した私は、夢と希望に満ち満ちてライセンスを定期入れに入れて街を颯爽と歩きました。ところが、いざフタを開けてみると、いい意味でも悪い意味でも、世間の注目を集めたのは介護支援専門員(通称、ケアマネジャー)なる都道府県の認定資格者たちでした。社会福祉士はと言えば、特定の医療機関や福祉施設で黙々とルーティンワークを続けているか、自治体職員の天下り先である社会福祉協議会で、ひたすら杓子定規なオペレーションを几帳面に反復しているかで、地域高齢社会の救世主になり損ねた感がありました。スクーリングで出会った仲間が勤務する病院を訪ねたとき、合格して社会福祉士となった彼が、中年の看護師にギャアギャア言われながらあごで使われているのを見たときのショックは、いまも忘れることができません。“福祉界の最高峰”を舐めてんのか!と思ったものです(笑)。
 
私は、社会福祉士がなかなか日の目を見ない理由を考えるようになりました。おそらく、その最大の理由は、前述の医師・弁護士・教師などと違ってサービス対象が見えづらいことではないでしょうか。医師には患者が、弁護士には依頼人が、教師には生徒がいますが、社会福祉士には何がいるのだろうかと考え込んでしまいます。福祉の世界を見れば、要介護者にはケアマネジャーがいます。障害者には自治体の障害福祉課の職員が、生活保護者には民生委員がいます。しかし社会福祉士のカウンターパートは実に曖昧なのです。社会福祉士のなかには、ホームレスなどの路上生活者や親から虐待を受けた児童を対象にさまざまな支援活動を行っている方もいます。ですが、一方では地域の介護職や医療職等からの相談を受けるなど多岐に渡っているため、逆に世間からは認知されにくいということはないでしょうか。要はそのサービスモデルが、B to C と言い切れないところがあるのです。
 
それでは、ここでちょっと思い出してもらいたいことがあります。みなさんは、社会福祉士を目指したとき、何をしたくてあの難解な国家試験をクリアせんと多大な時間と労力と情熱を注いできたのでしょうか。ちょっと照れくさいですが、私の場合は、運悪く社会的弱者となってしまった人たちが、少しでも健やかで幸せな日々を過ごしてもらえるように、必要な社会資源を確保して提供してあげたいという理想を掲げていたものです。縦割り行政のわが国では、とくに高齢者が保健・医療・福祉等のサービスを必要時に必要なだけ確保することが困難であることを、自分の両親のケースで痛いほどよく知っていたからです。
 
役所の各窓口はバラバラだし、医師も弁護士も自分の専門外についてはコーディネートなんてしてくれやしません。要するに、問題を抱えている利用者側があちこち回って個別折衝をしなければならないのが日本という国なのです。だから、これを変えたいと思ったのです。社会福祉士になって、自分が窓口となって、相談者に必要な社会資源またはサービスを取り揃えて差し上げようと思ったのです。ひとことで言うならば、高齢者等が穏やかな毎日を過ごすために必要なモノをオーダーする「ワンストップショッピングカウンター」になろうと考えたのです。

続く

人生・・・。

我々の生涯とは結局、己の死に場所を見つけること。

そこで倒れて悔いない場所を探してさまよっていく。

これが人生。

男と女・・・

男と女ってのは陰と陽。
お互いが何か足りない部分を持っていて、自分じゃどうにもできない。

だからこそ男と女は惹かれあい結ばれ完全な形になろうとする。
これが陰陽和合という考え方だ。

だが実際の世の中は陰陽不和。
例え自分に足りないものを持っていたとしても、結局は自分とは違う別人。
自分と同じでない人間が、いつまでも一緒でいられるはずがない。

男女がくっつくだけで満足していられるのは結婚前に限られたこと。
一旦夫婦になってしまえば、男は女から離れなきゃ落ちつかないし、女は男から離れなきゃ窮屈になる。

結局、男は男同士、女は女同士が気が楽ってこと。

つまり人間には、陰陽不和を知るために陰陽和合という入口が用意されているわけだ。

これが真理というものじゃないか。
つくづく・・・。

結婚について


結婚。それは、いかなる羅針盤もかつて航路を発見したことがない荒海。結婚とは二人のエゴイストの共同生活に他ならない。これをかろうじて相互に妥協させ許し合わせるものが、当初にあったところの愛着である。愛する者同士の結婚ならば、結婚後に露出されるエゴやわがままを我慢するだけの愛着がしばらくは維持される。愛情とは結婚生活において育まれるものではなく、愛情が両方にある場合だけ、お互いの醜さを耐えるだけの我慢を持つことができるのだ。

要するに、愛の貯金を食い潰していくプロセスなんだよな。だから当事者のうちの一方が相手に対する憐憫の気持ちからする気になった結婚は不幸なもの。そもそもが愛してない相手の、日ごと表れる醜い部分を消化しきれない。結婚の課題は、何よりも生活していくこでと、実はこれには必ずしも愛を必要とはしない。 

愛の死滅後に始まる共同生活に必要となるのは、一に生活力。二に人間としての聡明さ。三に妥協の技術。そして生活力とは、間違っても愛の果実などでは決してない。価値観の相違からくる二人の間の溝を、愛の寛容で忍耐を重ね、長い年月をかけて埋めていくのが結婚という作業である。人格も性格も異なる二人が、どこまで相手に順応できるか、歩み寄れるか、努力するのが夫婦の共同生活だ。自分からは相手に順応しようとせず、なにがなんでも相手にこちらへ来いと歩み寄りを強要する夫が悪夫であり、妻が悪妻と呼ばれる。

夫婦は独立した個人と個人の共同体。互いに別の世界を持っていて当然だ。相手の世界を認め、いかなる事態になっても立ち入ってはならないと心に決めておけば、そこが時として生じる摩擦や衝突の緩衝地帯の役割を果たしてくれるだろう。そうした人間関係を成立させるためには、お互いに対等な人間として認めあい尊敬しあわなければならない。生まれた場所も育った環境もまるでちがう男女間に、完全なる価値観の一致を期待するほうがそもそも無理。これを一致させようなどと考えると、ひずみが生まれ次第に大きくなり、やがて埋めがたい亀裂となる。

愛が消失した夫婦が営む冷えきった家庭に育つ子どもほど不幸なものはない。いかに心の離れた夫婦でも、子どもを育てるためだけに一緒に暮らすべきだという意見には賛成できない。愛なき夫婦間に育つ子どもの不幸を少しでも早く、少しでも多く償うために離婚すべきではないか。夫と妻の心身のつながりがなくなり、それを再び求めることが不可能になったとき、一緒に生活する苦痛ほど人間を傷つけるものはない。その苦しみから一組の男女を救うのが離婚である。果たしてどちらに離婚の責任があったのか。どちらにもあったのだ。


男は女によって生きてくる。女は男によって生きてくる。女を女らしくできないような男は男じゃない。男を男らしくできないような女は女じゃない。

ご馳走は最初の一口

Food-Revolution その4 をお届けします。

本当に美味しいと感じるのは、はじめのひとくち。
この感覚、わかっていただける方も多いのではないかしら。
先日もジャムおじさんが言ってたっけ。

「ビールっちゅうのも、心底うまいって感じるのは最初の2,3口なんだよねぇ~」

逆に、いくら大好物だからってとことん食べてしまうと、しばらくその食べ物を見たくもない・・・。
そういうこともあるでしょお?

ちょっと前まで、ジャムおじさんも言ってたものです。

「いゃあ、もう焼肉は一ヶ月は食べなくていい」。

つまり、それだけ大量にお肉を食べていたってこと。
これは最悪です。

★今日のルール 『ご馳走は最初の一口』。

これを覚えていれば、食事をゆっくり味わいながら食べることができるでしょう。
どんな食べ物も、本当の美味しさが最大限味わえるのは一口目。
二口目からは、満足感が少しずつ薄れていきます。
最初の何口かを楽しんで、満腹になる前にお箸やフォークを置くようにしましょう。

食べれば食べるほどに摂取カロリーは高まります。
でも、美味しさはそれと反比例するものなのです。

【華野小町プロフィール
宮崎出身の料理研究家。管理栄養士。
卒業後、大手給食会社や医療機関勤務を経て2000年よりフリー。
NPO二十四の瞳では、会員向けに個別食事指導や講演を行っており、『食の女神』として大人気! (by ジャム)

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NPO法人 二十四の瞳
医療、介護、福祉のことを社会福祉士に相談できるNPO「二十四の瞳」
(正式名称:市民のための医療と福祉の情報公開を推進する会)
お問い合わせ 042-338-1882