モチベアップの前提条件2

②夢・希望・目的を具体的に描くこと
 
私たちは、3つの善なる使命・役割を背負って生命を授けられた。家・職場・人生。
生きるとは、この3つの使命を探し、見つけ、それに心血を注ぐ道程に他ならない。
 
日本同様、敗戦国となったドイツ。70年前、ナチス・ヒトラーは、民族浄化なる名目の下、ユダヤ人・障害者・同性愛者を大量虐殺した。その数600万人以上。なかでも悪名高きアウシュビッツ収容所。精神科医Vフランクルは、やはりユダヤの血が流れているという理由で収容される。そこでの生活実態をまとめた『夜と霧』は、凄惨ではあるけれども読んでおきたい一冊だ。地獄のような環境の中、発狂した者、脱走を企てた者。病に倒れた者、監視者たちの気分を損ねた者。多くの人たちがガス室に送られた。しかし、5年に及ぶ収容生活から開放されたとき、フランクルと同室だった者たちは全員生還する。なぜか。 

それは監房の窓。わずか20センチ四方の窓だ。フランクルは仲間たちに説き続けた。あの小窓の向こう側に思いを馳せよう。例え身体を拘束されようと、我らの精神は自由。想像の世界では何でもできると。あの窓からかすかに見える朝日や夕映えの下には、私たちの大切な家族、愛する人たちが待つ故郷がある。決して望みを捨ててはならないと、希望の灯を点しつづけた。そしてみんなで、幼き日に母が歌ってくれた子守唄を、仲のいい友達と歌った思い出の歌を、民族に古くから伝わる懐かしい詩を口ずさみながら心が折れぬように励ましあったというのだ。

印象深い場面がある。「もうたくさんだ。仮に生きて変えることができたとしても、もう自分にはいいことなど何一つない。生きていても仕方ない」と自暴自棄になった仲間にフランクルが言う。「そんなことはない。あの窓の向こうのどこかに、君を必要としている誰かが必ずいる。私たちは、世の中から恩恵を得るために生きているのではない。私たちを必要とする誰かのため、世の中のために、その役割を果たすために生まれてきたのだから。その誰かとめぐりあうために、肝を必要としている誰かのために、簡単に人生を投げてはいけない」と。

食品業界の化学兵器

★化学物質による味の変化が、食べ物の多様性を求める味蕾本来の性質を損ねてしまう。
★リンゴ、トマト、バナナ、アスパラ・・・。
天然の食べ物を摂っていれば、体は自然と異なった種類の食べ物を欲するようにできている。
★コーラ、フライドポテト、ポテトチップス・・・。
こうした加工食品の中には、続けて食べずにはいられなくなるような化学物質がふんだんに詰め込まれている。

ジャンクフードに大量に含まれている化学調味料の恐怖をわかりやすく説明してみたい。

果物や野菜等の天然の食物を二つ三つ食べると、私たちの味蕾(みらい)が感じる喜びは徐々に薄れ、異なる種類の食べ物を欲しがるようになっている。


ところが、フライドポテト、コーラ、ポテトチップス等の多くの加工食品には一口食べたら止まらなくなるのが一般的だ。これは、化学調味料によって、「ひとつきりでは満足できない」ように仕掛けがなされているためである。

この化学物質による味の変化が極端な食べ過ぎにつながり、肥満を促し、食べ物に多様性を求める味蕾本来の性質を損ねているのである。

社会福祉士がもっとも光れる場所


 社会福祉士がもっとも強みを発揮できる可能性が高い場所。それは、ひと言で言えば、アナタ以外に社会福祉士なんぞ存在していない場所である。「掃溜めのツル」ではないけれど、福祉の「フ」の字も知らない集団にあってこそ、初めて周囲に自身をアピールできるというものだ。

 「社会福祉士って何やるんですかぁ?」極端な話、何人かのひとにこう聞かれるだけでいい。そうして少しずつ時間をかけて啓蒙する中で、福祉についての基礎知識が若干でも消化されたタイミングで、実は社会福祉士というのは福祉関係で最高峰の国家資格なんだということを理解してもらえれば十分だ。逆に、福祉関連の事業体に呑み込まれてしまえば、誰も先述の質問すら投げかけてはくれまい。おわかりいただけるだろうか。


 しかし、現実はどうだろうか。先の日本社会福祉士会の調査では、社会福祉士の勤務先についても言及されており、実に8割近くが特定の社会福祉施設や介護サービス事業所に勤務している。私のように民間の一般企業に在籍している人が1割。それ以外は、自ら開業しているか、自治体や社会福祉協議会に勤めている。

 結論から言ってしまえば、要するに特定施設等に勤務してしまうと、待遇的にかなりキツくなるということなのかも知れない。私の仲間にも施設に勤務しながら社会福祉士を取得した人は多い。しかし、後で聞いてみると、社会福祉士という資格が待遇面に反映されたという事実はなく、むしろ、「誰も気づいてくんないし、何も言ってくれない」とか「それはおめでとう。それで?」等が大半の反応であったそうだ。稀にではあるが、この段階でバーンアウトしてしまう人もいる。

 いずれにしても、福祉の世界の中にあってさえも社会福祉士は殆ど評価されていないと言えるだろう。医療界では、例え研修医であってもドクターというだけで看護師には一目置かれるのだから、社会福祉士が愕然とするのも当然である。

相続:小規模宅地特例&特定居住用宅地特例

Q:
父親名義の土地に2世帯住宅を建てる計画あり。建物は息子である私名義(100%)にする予定。この場合この特例は受けられるか。受けられない場合、例えば建物の名義を半々にすることで、その割合に応じて特例が受けられる等の可能性はあるか。

A:
小規模宅地の特例を受けるためには、2世帯住宅であれ何であれ、あなたと父親は生計を同一にしていなければ要件を満たさない。建物の名義を半々にしても、それは建物所有権の問題であり、特例はあくまでも相続した土地に関するもの。よって、前記要件が満たされない場合は、特例の適用からは除外となる。

変わり始めた地域医療機関


さて、東京へ戻ってから・・・。有給休暇を取得した私は、これまで仕事上の付き合いのあった医療機関の中から、高齢者医療では定評のあるA病院を選択。事務部門の責任者に事前相談の電話を入れた。その上で、父母を連れて院長の唯一の外来診察日である日曜日にA病院を訪れた。巷で人気の高い院長唯一の外来日である。予想以上の混雑であったが、受付に保険証を差し出してから起こったことを書き上げてみよう。

患者でごった返す待合室に、かろうじて父母が腰を下ろすスペースを見つけてまもなく、社会福祉士を名乗る職員が登場。私が事務長に電話で伝えた経緯の確認にやってきたのだ。じっくりとこちらの話を聞き、母が倒れた原因と想定される父の状況を含めて、A病院グループとして対応できることは何か、A病院では対応できないが紹介できる地域のプレイヤーはどこか、これからの流れについて説明をしてくれた。そして、やや離れた場所に居た父母に近づき、気遣いある言葉を投げかけてくれたのだった。そして、看護師は、初診患者用の質問シートを埋めた後、ほぼ15分間隔で待ち時間の目安、その時点で何番目なのかを腰をかがめて伝えに来てくれた。

そして、いよいよ診察室に入る。そこには何年ぶりかに顔合わせをする院長がいたが、こちらに気づくと彼はスッと立ち上がり、「いゃあ、長いことお待たせしました。」と頭を下げた。母には、血液検査とCTスキャンの段取りと、脳神経科の専門医に再診を勧めるとともに、通院困難時の往診を案内してくれた。診察室の片隅で不安そうに佇む父に対しては、両手を握りながら、心配しなくても大丈夫だと勇気づけてくれた。

検査の結果、母の健康状態は医学的には問題がなく、やはり痴呆の出始めた父と四六時中ともに生活していることによる心労が原因と判断するのが妥当ということであった。通院する過程で、父も院長に心を寄せるようになっていくのだが、出てくるスタッフの対応がいずれも心地よい。基本的に、こちら側を労い、受け止めてくれる寛容さが感じられるのだ。今では私が付き添うことなく、父母だけで通院しているのだが、先日はこんなことがあったそうだ。

いつも受けっぱなしの市主催の健診に意味を見出せなくなっていた母が、ふたり揃ってA病院で定期的な健診を受けることを切り出したときのこと。件の院長は、カルテを記載する手を止め、襟を正して立ち上がり、「是非私どもでやらせて下さい。お願いします。」と頭を下げたというのである。母は思いがけない院長の姿勢に感激し、私の携帯にその感動を伝えてきた・・・。

一連の話から、患者側の心理を理解している医療機関もあるにはあるということ。そして、現時点ではほんの一握りしか存在しないが、真に患者視点のオペレーションを実践している医療機関こそが、これからの医療飽和の時代に、「地域になくてはならない医療機関」として勝ち残るためのパスポートを手中にできるということである。 (続く)

モチベーションアップの前提条件1

今回から3回にわたり、モチベーションアップについて考えたことをご紹介しようと思う。
右を向いても左を見ても、ネガティブなことだらけの現代のニッポン社会。
せめて自分自身で心と脳をうまくコントロールしながら、生きていくうえでのひとすじの光を見出したいものだ。

ヤル気ホルモンを湧き出でさせ、モチベーションを維持するための前提条件を3つ挙げる。

①死を自分の問題として認識すること(死生観の確立)
②夢・希望・目的を具体的に描くこと(ゴールの視覚化)
③心の拠り所を持つこと(精神的支柱)
①死を自分の問題として認識すること
生きるとは死ぬこと。私たちは、生まれた瞬間から死につつある。このことを自分の問題として本当の意味で自覚したとき、人は自分の存在意義や果たすべき使命について目覚め、主体的に行動するようになる場合が多い。これは、多くの末期がん患者と接し看取ってきたある医師の言葉だ。
いまから70年前のちょうど今日。1941年10月18日は、東條英機内閣が発足した日。それによって、私たちよりも遥かに若い命たちが、自分の意思とは無関係に散っていった。「特攻こそが我が使命」とばかりに迷いを断ち切って死んでいった人たちも多かった。そんなひとりに、先に紹介した漫画家で詩人のやなせたかし氏の弟さんもいた。やなせ氏は、最愛の弟を失った悲哀と生き残ってしまった自分に対する自責と苦悩のなかから、メッセージ性の高い数々の作品を生み出した。その集大成ともいえるのがアンパンマンだったのだ。

今日でも多くの子どもたちに愛されている主題歌『アンパンマンのマーチ』だが、この背景を知ってしまうと、そこに込められた深い思いに涙なくして口にすることはできない。
幸運にも戦争がない時代に生きる私たち。一方で、二人に一人ががんで死ぬ時代。戦争や殺人や事故や自殺ではなく、生老病死という人間としてあるべきステップを踏んで人生を全うできることの幸せを再認識してもいいのかも知れない。何気なく漫然と生きている私たちの時間が有限であることに気づいたとき、有限であるからこそ、最後の最期の瞬間に、「ああ。私は人生を、本当の意味で生きたんだな」と言えるように、今この時を明確なる目的意識と当事者意識を持って生きていきたいという感覚が芽生えてくるのではないか。

ポテトチップマーケティングの恐怖

食品産業界の罪
同じ製品を売るならば、新規顧客に売るよりも既存顧客に売る方が簡単で、より儲かる
低所得の不健康な過体重の顧客に対し、血も涙もない卑劣な行為を繰返している!(化学物質を用いて、絶対に健康的な量では満足しないよう仕向けている)

各企業は、自社商品の熱烈なファンである10%の顧客を徹底的に研究する。彼らの好き嫌い、夢、願望、趣味、欲求、ヒーロー・ヒロイン像等々。特に消費の多い顧客には「フォーカスグループ」(市場調査の事前テストのため、ターゲット市場から抽出された信者的顧客群)への参加を呼びかけ、新商品の試食や宣伝広告を見せて意見を求めたりしながら洗脳していくのだ。u彼らが特定の歌手や俳優を好めば、すぐにその有名人たちがテレビ・ラジオで当該商品を褒める・・・といった具合に。


食品会社は、所得の低い、不健康な、過体重の顧客を標的にするのみならず、さらに悪質なことを
している。商品を購入した顧客は、食品会社の化学者たちによって、健康的な量では絶対に満足しないようコントロールされてしまうのである。

実は、抑制の効かないイライラや、うつ病、ガン等の感情的問題や医学的難問のなかには、ジャン
クフード会社がもたらしているものがかなりあると言われている。

可能性と限界、それはいつでもアナタ自身が決めてしまうもの

 というわけで、以降、私が社会福祉士を取得してから辿ってきた道を紹介していこうと思う。多分、誰でもマネしようとすればできる程度のことだろう。

 琴線に触れられた方は、騙されたと思って読んでみて下さい。何かのヒントにはなるかも知れません。また、特にこれから受験しようとしている若い人たちには、是非とも実践して欲しい。そして近い将来、様々な成功事例を共に創り上げ、社会福祉士の社会的認知度や評価を高めていこうではありませんか!

 どうか、福祉の資格だから福祉の領域で活動するんだ!等と、ご自身の可能性を自ら狭めることだけは避けて欲しい。レポートを通じて最も伝えたいメッセージがこれだと言っても過言ではない。

相続・資産分割に関して今から検討しておくべきこと

最近急増しているお金がらみの相談。資産承継について気づいたことを整理しておきます。

まずは前提となる問題認識から・・・。
●年間100万人以上が死亡するにも関わらず、税収入に対して相続税の割合が低い(3%)。
●一般家庭の平均的な相続額(3千万円台)ならば、1円すらも相続税を払わなくて済む。
●遺産発生世帯の中で、相続税の申告をしているのは約4%に過ぎない。

●この4%が本当の資産家であり、これら富裕層にはFPなどのプロがついているため、相続対策など
 を講ずる必要はない。むしろ積極的に税金を払ってもらうべき。
●老老相続に係るトラブルや納税リスクに備えるべきは、平均的相続額(3千万円台)レベルの人たち。
●彼らが直面する具体的な課題は、次の3点に集約される。
 (1)限られた相続資産の円滑な分割
 (2)故人の預金口座からの円滑な引き出し
 (3)認知症の親からの資産継承

今から考えておきたいこと
●基本的には、各ケースの手続について理解し、それに則って実行するということ。

 誰しもが必ず通る道ゆえ、どこかのタイミングでしっかりと学んでおかねばならない。

●より円滑でロスの少ないアクションを取ろうと思ったら、親が元気なうちから資産状況を子供たちと共 有し、現金については早期に子供の口座への振替えを開始すること。歳とった親は、早いうちにきちんと資産継承の話をすべき。お金をあの世に持っていくことはできない。いやでも死んだら子供たちの世話にならずにはいられない。そのことを認識して、子供世代にこそ今から預金をシフトしていくべき。

●生前から資産継承する条件として、親の月々の生活費、有事(施設入所、高度な手術等)の場合の 費用充当に係る約束事を文書および録画録音で記録に留めておくこと。

●家族会議の開催に困難がある場合には、遺言状を作成すること。

●日常的に気軽に相談できるプロを確保しておくこと。社会福祉士、行政書士あたりと人間関係を作れ たらベストか。人間づきあい的にもコスト的にもざっくばらんな関係を築ける確率が高い。日常の忙し さにかまけて先送りしていると、いざそのときになって右往左往した結果、無用の出費をしてしまいか ねない。

と、まぁ、こんなところでしょうか。

ある大学病院の風景


2004年の6月25日、仙台に出張していた私の携帯電話に、某N大学附属病院の救命救急センターから連絡が入った。母が救急車で運ばれたというのだ。後頭部を鈍器で殴られたような気がした。実は、遡ること一年前の夏、痴呆の兆候が出始めた父に付き添って、医療機関を巡り歩いた時期があった。介護保険の認定を受けるための手続も含めて三ヶ月以上の時間を費やした。それ以来、父の健康状態には気を配ってきたつもりだった。が、母の方は・・・。

救命救急センターの言い分は、担当医師の診立てでは問題がないから引き取って欲しいというものだった。しかしながら、電話口に呼んでもらった母の感じからすると、明らかにダメ・・・というのが私の感触だった。いつだって私には心配をかけまいとして気丈に振舞うあの母が、頭がぐらついて起き上がれないと言っているのだ。しかも、一緒にいる父は痴呆を患っている。そのことを看護師に伝えても埒が明かなかった。ほとんど怒鳴りあいになった・・・。

「怒鳴りあい」である。看護師側も怒鳴っているのだ。これって、ちょっと信じられない話ですよ、一般のビジネス現場では。母は、医師にCTスキャンを要望したのだけれど、「四肢に麻痺が認められない」から、その必要はないというのが医師側の回答。この一点張り。母としては、問題がないと言われても現実に目の前が真っ暗で普通ではない事態を、身を持って体感しているわけだ。問題がないという裏付けが欲しかったのだ。しばらく会話してみて、こんな看護師や医師のいる病院に母を置いておくのは逆にヤバいと直感した。しかし、いかんせん仙台だ。どうしてもすぐには戻れない状況だった。ここはもう、共働きしている家内に頼むしかなかった。

幸い一時間半後には、家内が両親を引き取りに出向き、自宅に連れ帰ってくれたのだが、引き取る際にまたもめた。家内に念押しして、レントゲンフィルムの貸出しを言伝てたのだが、件の看護師に「必要ない」と言われ押し帰されてしまったのだ。そのことを家内から伝え聞いた私は、また看護師と怒鳴りあいだ。結果的には、翌朝、再び家内が病院に立ち寄りフィルムを入手したのだが、これはひどい話だ。とんでもない看護師である。必要かどうかを決めるのは、そもそも患者でしょ?

医療事故をはじめ、連日のように大学病院の不祥事が報道される昨今ではあるが、現場の職員個々にホスピタリティ・マインドが根づくのは一体いつの日のことだろうか・・・。 (続く)

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