その5 医者との訣別が幸せの入口

 健康で長生きしたいと思ったら、まずは医者との距離感を見直すべきだ。

 はっきり言おう。

 医者に行って意味があるのは、事故・怪我・感染症などの急性期疾患の場合のみ。がんをはじめとする生活習慣病の前では無力である。端的に言ってしまえば、医者には行くな。血圧が高かろうが、血糖値が高かろうが、骨密度が低かろうが、そんなもんは病気ではない。加齢からくる障害だから完治することはない。医者の言いなりになって良い患者になるのは即刻やめろ。薬なんて無駄かつ有害以外の何物でもない。食事や運動など、生活を見直すことで調整すれば十分。これ以上、国民医療費をあげないでくれ。

 
 あと、早期発見・早期治療なんて言葉に騙されて検査なんて受けるべからず。自分の身体は自分がいちばんよくわかるだろうが。70歳を過ぎてがんが見つかったからといって手術なんかしたら勿体ない。抗がん剤で寿命を縮めるだけである。どうせ医者にがんは治せないんだから。年寄りは検査も手術も不要。そうしたお金を誰が負担することになるのか、よぉく考えてみて欲しい。
 
 繰り返すが、体調がちょっとおかしいくらいで医者に行ってはならない。痛みを自覚してからで十分だ。ちょっと変だなっていうレベルの人が医者に行ったり人間ドックにかかると、多くの場合、かなり悪くなって帰ってくる。何をされるんだろうという不安と、どう診断されるのだろうというダブルのストレスから、大抵の人は体調を崩してしまうわけだ。
 
 なお、医者とのつきあい方については、これだけで一冊の本が書けてしまう。私たちNPOの啓発講座もたくさん開催しているし、『西洋医学の真実』という小冊子も発行している。関心のある方は、お気軽にコンタクトしてほしい。

その4 色恋に勝る良薬なし

 枯れて、萎んで、ひとり哀しく死んでゆく・・・。そんな孤独な最期がイヤならば、積極的に社会との関わりを持とう。ただし、経済力がないのであれば、若い世代との交流は控えたほうがいい。所詮は傷つくだけだから。自分の歳相応の人たちとの関係づくりに努めることだ。老人クラブでも趣味のサークルでも何でもいい。すべてはアナタの心の持ち方次第である。もっとも理想的なのは、老いらくの恋の相手を見つけることだ。
 
 人間には108つの煩悩があるとされているが、食欲にもまして異性に対する関心や興味は生涯なかなかつきないものだ。そうでなければ人類は絶えてしまうわけで、当然といえば当然なのかもしれないが。
 
 数多くのシニアと話していて理解したのは、『死ぬまでに恋がしたい』と語る70歳から80歳代の人たちがすごく多いということだ。長年連れそった配偶者と死別したことで孤独感が強まったり、家庭に自分を理解してくれる人がいないことへ不満を募らせたり、きっかけはそのようなことだろう。しかし、『恋愛とははしたないこと』という価値観の時代に青春を過ごした人たちが、人前で『恋がしたい』と口に出すってぇことは、その言葉はある意味、SOSを含んだメッセージなのかもしれない。
 
 介護施設等での催しでも、いちばん盛り上がるのはフォークダンスもどきや集団お見合いのような男女がペアになる場面のあるものである。また、重度の介護状態にある者同士が特別の思い入れを抱くような関係になって、心身の状態が快方に向かうということもままあるものだ。杖なしでは歩行できないはずの人同士が廊下の隅で抱擁していたりするのが恋の力である。
 
 性欲を伴おうがそうでなかろうが、恋愛ほど生きていくための意欲やエネルギーを呼び覚ますものはないのではないか。そこには、燃え尽きる前にもうひと燃えするような線香花火の最後のような妖艶な美しさがある。まさしく色恋とは健康の良薬と言えやしないだろうか。

その3 転ばず喰いすぎず風邪ひかず

 人間歳をとったら、
 
 ●転ばないこと
 ●食べ過ぎないこと
 ●風邪をひかないこと
 
 これだけで十年は寿命が延びる。
 
 老人が転ぶと骨折しやすい。いわゆる骨密度がスカスカになっているためだ。しかし、骨粗しょう症は病気ではない。加齢による障害の一種だから仕方ない。誰でもそうなるものなのだ。だから治らない。転ばないように注意するしかない。階段やエスカレーター、坂道やぬかるみ、冬場の凍った道、お風呂場やトイレ等は十分注意が必要だ。自分の足にフィットした靴を選びたい。

 あと、消防庁のデータによれば、老人が骨折する場所は意外にも自宅の居室である。電化製品のコードみたいなちょっとしたものに足を取られて骨折。そのまま入院。寝たきり状態が続いて筋力が落ち、そのまま車椅子生活を余儀なくされる・・・。ほかにも、衣替えの季節などに椅子や梯子のから落っこちてポッキンというケースも多々ある。

 
 食べることは人間誰しも大きな楽しみだ。本屋に行けば長寿食の本が腐るほどに並んでいる。しかも著者のお奨めがみな微妙に異なるものだから、どれを信じていいか迷ってストレスになっちゃう。ここは私の顧問管理栄養士のアドバイスを紹介しておこう。
 

 私が食事全般の指導を仰いでいる料理研究家の先生は、古今東西の食事療法を勉強かつ実践した結果、健康的な食のあり方について明快な哲学を構築した。5年ほど前に、私自身がメタボリックを緩和するために相談に乗ってもらった際に、なまけものでも実行できる食改善プランを立てていただいた。肝心なのは、あまりストイックになりすぎないことだという。
 
 食事というのは元来、人間の最大の楽しみのひとつである。にもかかわらず、健康や美容のためだからって節制に走りすぎたら、逆に精神衛生上よろしくない。だから、彼女から、「ビールもお肉もやめなくていい。でも食べすぎだけはダメですよ」と指導していただいたときはホッとしたのを覚えている。
 
 以下、お薦めする食の鉄則である。
 
 ●暴飲暴食が死を招く。1汁3菜の小食に徹せよ。小職とは腹七分のことなり。
 ●できるかぎり有機(オーガニック)食材を摂るべし。
 ●できるかぎり旬の食材を摂るべし。
 ●規則正しい食習慣にこだわるべからず。自らの食欲に従うべし。
 ●週に1度は自分の好きなものを適量食べるべし。
 
 いかがだろうか。意外と緩やかなルールでしょ? 

 農薬や化学肥料を使用していない野菜が良いとはわかっていても、現実問題として入手する手間やコストは負担になる。だから可能な範囲でいいとのこと。

 また、決まった時間に3度3度の食事を取る必要もないし、食欲がなければ無理して食べる必要もない。驚いたのは、「寝る直前はもとより、夜6時以降はモノを食べちゃダメ」なぁんて俗説は気にするなということ。

 空腹で悶々していたら深い眠りが取れないからというのがその理由だそうだ。何かと忙しい現代人であれば、ついつい夕食を摂りっぱぐれることもある。そんな時は、食べ過ぎさえしなければ夜食をいただくのもやぶさかではない。そして、週に1度のご褒美があることが何とも嬉しいではないか。

その2 加齢臭対策はエチケットの基本

 今回は少し辛らつなことを告げねばならない。
 が、きわめて重要なことだ。
 シニアのみなさんから嫌われるのを覚悟の上、あえて書くことにする・・・。

 自分が「トロく、ウザく、クサい」存在で、もはや社会悪であることをまずは自覚せよ。
 
 特に自分が放つにおいを自覚せよ。

 加齢臭はタバコの煙と並ぶ凶器である。

 若い人たちがいちばん気にしているのが老人特有の匂いなのだ。

 香水、芳香剤、口臭除去剤・・・。

 これらを常用し、外出時も手放してはならない。
 これは人間関係における最低限のエチケットだ。

 こんなことは身内も言ってくれない。自覚のなかった人には感謝してもらいたいくらいだ。
 

 この問題は、クサい同士でいたら気づかないから厄介だ。

 ドラッグストアに行けばいくらでも商品が並んでいる。

 たかだか数百円のことで、孫たちに毛嫌いされないようにご用心!

クールな老後を手にするための10の知恵【その1】

 

クールな老後 10の掟
 
 今こうしている瞬間にも、日本じゅう至るところでシニアの身にさまざまな哀しい状況が起こっている。つぎはアナタの番かも知れない。本当に複雑でわかりづらいこの国で、一〇〇歳まで円滑に暮らしていけるよう、面倒なことは一切合財、私たちが引き受けて差し上げたい。そう思っている。そうなればもう、忙しいお子さんたちに気を遣いながら助けを求める必要はない・・・。

 この章では、クールな老後を送るための最重要ポイントを再確認してみよう。思うに、「歳をとったら、あんな老人になりたいなぁ」と若い人たちから憧れられてこそ、真のクールな老人ではないか。そんな潔い老後と最期を目指すあなたには、私ども『二十四の瞳』が信頼のパートナーとなることをお約束します。どうかくれぐれも、「あんな老人にだけはなりたくない」と言われないように。
 
 私たちは、クールな老後の味方です。

 

その1 アンタはどこの誰なのか、常にハッキリさせておけ
 

 まず、クールな老後を送る上での基本中の基本中の基本。それは、「一体アンタはどこのだぁれ」ということだ。クールな老人は、とにもかくにも他人様に迷惑をかけてはならない。はっきり言って、人間いつどこでどうなるかはわからない。高齢になればそれだけリスクも高くなる。外出時に万一のことがあったとき、運よく善意の道行く人が助けてくれたとする。その時、アンタが誰なのかがわからなかったら、彼らに大変な面倒をかけることになってしまう。

 だから、クールなアナタなら、以下について紙に書いてまとめ、お財布にでも入れておくように。これは今すぐ実行して欲しい。口を酸っぱくしてこう言っても、なんだかんだ忙しさにかまけて実行する人は1割もいないからイヤになってしまう。ったく、もう!

 

【常に携帯しておきたいアナタの情報】
 ●氏名、フリガナ
 ●住所、電話、生年月日●緊急連絡先(氏名、続柄、電話番号)
 ●かかりつけ医(医療機関名、医師名、電話)
 ●マイ救急病院(医療機関名、かかったことのある診療科、医師名、電話)
 ●既往症

 マイ救急病院とは、何かあった場合に運んでもらいたい救急病院のことである。家系的に罹患する可能性が高い診療科あれば、その科目が充実している大規模病院を予め決めておこう。あなたの親が脳梗塞になっているのであれば、あなたも脳梗塞を患う可能性が高い。ならば元気なうちから脳外科を擁する病院をチェックしておきたいものである。
 
 で、何でもいいから一度外来で診療を受けておきたい。そうすることでアナタのデータが残り、救急搬送の受け入れを拒否される確率が大幅に減るからだ。あと、医療機関名だけでは意味がない。自分が診てもらった医者の名前は必須である。

結局最後は自己責任

 日本の健康保険制度は、その浸透度において特に優秀であり、世界の模範になっているとまで言われている。それでは、あなたは現在の医療と福祉のあり方に満足しているだろうか? 私のまわりを見渡すと、むしろ不満の方が圧倒的に多い。特に超高齢社会となった今、高齢者だけの世帯では、夜間に自分や家族に何かあった場合にはどうすればいいのかという不安を絶えず抱きながら生活していると言ってもいい。
 
 私は、こうした不安の原因の最たるものが、わが国における『医療と福祉の情報公開のあり方』だと思っている。適切な医療を受けたい、腕のいい医師にかかりたい。そう思っても、私たちが事前に情報入手する術はない。通常の買い物と同様に、予め下調べをした上で、自ら納得して医療を受けられるようにしたいものだ。
 
 また、超高齢社会に突入した今、人生の最期を過ごす場所が絶対的に不足している。必然的に老人ホーム等の建設ラッシュとなっているものの、儲け至上主義で、かなり稚拙なサー
ビス体制を敷いている、「看板に偽りあり」の施設がかなりある。

 
 要するに、行ってみなければわからない、入ってみなければわからない。これが現在の医療と福祉の実態だ。複雑怪奇極まりない現代を長く生きていかなければならないシニアたちは、まずはこうした現実を知る必要があるだろう。悲しいことに、いつの世でもあらゆる不利益は、何も知らない(学ぼうとしない)者たちに降りかかってくるからだ。
 
 医療や福祉をはじめ、老後に関わるさまざまなテーマについて、その真実を知り、自分自身や大切な家族たちがいかに不利益を被らないようにすればいいか。こうした情報や知識が医療や福祉を利用する側に浸透していかない限り、世の中は何も変わらないという現実を改めて見据えて欲しい。私は心底そう思っている。
 
 2015年には、団塊の世代と呼ばれるみなさんがすべて65歳以上になります。約800万人もいるこの世代は、これまでの人生でいろいろなムープメントを起こしてきたパワフルな人たちです。ならば是非とも、今度は新しい老後のあり方を作り上げていただきたい。
 
 国はもとより、お子さんたちを当てにするようなこともなく、老後と最期に必要なことは自分たちで学び計画し実践する。縁あってこの冊子を手にしていただいたみなさんには、そんなクールな老後に取り組んでいただきたいものです。
 
 子に媚びず気を遣わず、
 誰になんの負い目も引け目もなく、
 自分らしく人生をまっとうする・・・。
 
 私たちは、そんなクールな老後を応援します。
 だから・・・。
 もう心配は無用です。
 
 クールなシニアのサバイバルを、『二十四の瞳』が全面的に支援して参ります。
 

NPO二十四の瞳

 クールな老後を目指すシニアたちが、医療・福祉の現場や日々の暮らしの折々に、さまざまな不利益を被ることがないように、私たちは以下の活動を行っていく。 
 
 1.地域の病医院や施設のサービス実態情報の提供
 
 病医院や施設の現場のナマ情報を収集し、市民に広く配信する。高齢者クラブや民生委員の方々の協力を得ながら、市民が本当に知りたい情報や知っておくべき情報をアンケート抽出し、質問票を作成。これに基づいてインタビューに応じてくれる事業者を募り、聞き取り調査を展開する。収集した情報は、会報誌、市役所等の広報物、ホームページ、各種市民団体を通じての回覧等により、広く配信していく。

 
<福祉施設への質問項目>                             
施設の運営体制、施設長のプロフィール、施設運営のコンセプト、入居一時金の取扱い、夜間の介護体制、緊急時の連絡体制、提携医療機関との具体的な連携方法、外出や知人訪問時の制約、主な職員のプロフィール、認知症や寝たきり等、重篤な状態になったときの制約、契約書の内容と説明の方法、死亡時の各種規程 等

<医師への質問項目>                               顔写真、医師の資格取得年月日、生年月日、出身地、家族構成、趣味、卒業大学、専門科、医師になった動機、将来ビジョン、往診の可否、連携医療機関、看取りの経験、応援したくなる患者像、医療に対する考え方(カルテの開示、在宅医療、告知、リビングウィル(延命治療)、在宅ホスピス等) 等
 
 2.長生き時代ゆえのリスクに係る学びの提供
 月1回程度のペースで、シニアであれば誰もがいつかは直面するであろう諸問題について、わかりやすく退屈せずに学べる講座(生涯青春アカデミー)を開設する。医師をはじめ、福祉・法律・お金等、さまざまな分野の専門家と交流していただきながら、具体的な相談案件が生じた場合には、無料にて初回の相談をセッティング。講座を通して、日頃から「人となり」をある程度わかった専門家に相談に乗ってもらえることで、従来の敷居の高さを解消することが目的である。
 
 3.24時間対応の何でも相談ホットラインの提供
 私がここ数年かけて行ってきた、年中無休体制での困りごと相談を横展開する。24時間体制を敷く理由は、何かしらの不安を抱えたまま朝を迎えなくていいようにして差し上げたいということ。問題解決の方向性が見えた、どこに聞けば詳細がわかるのかがわかった、 まず最初に処理すべきものが明確になった・・・。
 例え、問題そのものが即解決しなかったとしても、誰かに話を聞いてもらえたというだけで、人間は安堵感を得られるものなのだ。中期的には、会員世帯に緊急連絡用の専用電話を貸し出し、とっさの場合のアクセスの簡便さを追求していきたいと考えている。
 
 ただし、ひとつだけお断りしておかねばならないのが、私どもは消防署ではないし、病院そのものでもないということ。従って、救急車の利用法や医療機関との折衝の仕方についての知恵や情報はお応えできるが、救急車そのものを持って来いとか、満床の病院のベッドを何とか空けさせろとか言われても対応することは不可能である。このあたりを十分にご理解いただきながら、同志の輪を広げていきたい。

長生き時代の老い先案内人

 いつしか日本は世界最長寿の国になった。平均して90歳くらいまで長生きしなければならない時代になったのだ。しかしながら、長寿高齢社会とは、なにも不老長寿を意味するのではない。だから、長生きすればするほどに、長生きゆえのリスクが待ち受けている。子どもたちも巣立って遠方にいるなら尚のこと、転ばぬ先の杖を用意しておいた方がいい。無用な不利益を被らないためにも。
 
 具体的な杖として、
 
 1.医療・福祉等について最低限の情報と知識を蓄えること
 
 2.いざ決断する時に、具体的アドバイスをくれる専門家を確保すること
 
 このふたつを、私は常々挙げてきた。しかしながら現実は、65歳になったら高齢者と社会学的に定義されているだけで、当人たちは至って元気だし忙しい。万一の場合に備える前に、毎日の日課や活動をこなしていかなければならないのだ。
 
 この10年間、実際にシニアと接してきてよぉくわかった。つまり、いろいろな情報や知識を習得したり、各分野の専門家と交流できる場や機会そのものを誰かが提供してあげないかぎり、自分たちが手間隙かけて段取りできる筈もないのである。あたかもコンビニエンスストアのように、キチンとお膳立てをしてあげなければ非現実的な話なのだと。
 
 こんな話を繰り返し述べてきた私のまわりに、いつしか、アナタの考えはもっともだ、そのとおりだ、と賛同して下さる方々が現れてきた。その数いつしか10数名にまで及び、シニアたちが安心して暮らせるように何でも相談に乗って上げられるようなサービスを私たちで実現できないものかしらぁ・・・と、妙な流れになってきたのが2006年の夏のことだ。

 
 思い立った私は、馴染みのある市議会議員やら社会福祉協議会やら高齢者クラブやらに働きかけ感触を確かめた。そしてついぞ、NPO(特定非営利活動法人)設立を目指し、活動することを決めたのだった。その名も「市民のための医療と福祉の情報公開を推進する会」。ちょっと長いので、愛称として『二十四の瞳』。

 これには三つの意味がある。

 ●発起人が十二人。この十二人の瞳で見守って差し上げよう
 ●二十四時間、いつでも相談に乗って差し上げよう
 ●高峰秀子さんが主演した名作映画「二十四の瞳」のイメージから(発起人は全員淑女)
 
 コンセプトは、『子にも国にも頼らないクールな老後を応援しよう』。
 そして、医療・福祉・法律・お金等の専門家と連携しながら、原則、高齢者のみ世帯を対象に、円滑な暮らしをトータルに支援していこう、というのが活動趣旨である。

敷居が高い既存の相談窓口

 私は2001年春から、社会福祉士として地方自治体、医療機関、福祉事務所等で各地域の方々の相談業務に当ってきた。私流に「お困りごと何でも相談」と称してきたが、まさしく何でもあり、であった。
 
 その範囲たるや、医療、福祉、介護、生活費、遺産相続、遺言、葬儀、成年後見、悪徳商法、転職、起業、金銭トラブル、話し相手、離婚、家庭内暴力、各種手続き代行、等々・・・。

 
 ところで、社会福祉士という国家資格は、世間的には一部のひとを除いて認知度は低いが、以下のように定義される、一応はプロフェッショナルである。
 
 「社会福祉士とは、専門的知識及び技術をもって、身体上もしくは精神上の障害があること、または環境上の理由により日常生活を営むのに支障がある者の福祉に関する相談に応じ、助言、指導その他の援助を行うことを業とする者」(社会福祉士及び介護福祉士法)
 
 私は、福祉という領域を学び、知れば知る程に、高齢者や障害者の相談に乗って差し上げるためには、医療を中心とする福祉の周辺分野についても見識を深めねば価値がないことに気づいた。

 そして、ある相談内容に対して、そのものズバリの問題解決を提示できなかったとしても、問題解決の糸口や手順、さらには効果的なコンタクト先を提示して差し上げるだけでも、相談者の不安は低減できるのではないかと考え、実践してきた。結論的には、この仮説で(感覚的に)九割の相談には対処できる。


 で、もうひとつ重要なことが、相談を受ける前提条件として、相談者が相談しやすい環境を整備することだ。これは極めて重要なことだから、しつこく言っておく。
 
 相談者が相談しやすい環境を整備すること。
 相談者が相談しやすい環境を整備すること。
 相談者が相談しやすい環境を整備すること。 
 
 世の中にある相談機関は、概して相談しづらいものだ。例えば、具体的な問題が表面化する前の段階で、法律事務所や会計事務所に、わざわざ高い相談料を払ってまで相談に出向いた経験があるだろうか。行政の各種専門相談に行った経験のあるひとはいるだろうか。地域の公民館で毎週開かれている民生委員が行う福祉相談所のドアを叩いた経験があるだろうか。
 
 私は行ったことがないし、行った経験のある知人も見当たらない。行政の施策については、そんなのあったんだ、という反応が殆どである。モノは試しで、近所の公民館に行ってみた。地元の民生委員の方々は、第一線の頃、教育や福祉の分野で功労のあったひとたちらしく、厳格そうで、とっつきにくい印象がある。何かを相談したらお説教されそうなムードがあった。ひとことで言うなら、仁丹とか龍角散みたいな雰囲気がある。もともと顔なじみだったり、同窓生だったりしないかぎり、それまでにまったく接点のなかったひとたちが気軽に相談できる感じがしないのだ。
 
 2004年に、首都圏の老舗百貨店の催しで「シニアのための医療福祉相談会」というのをやったところ、4日間で138名の相談者が訪れた。私はそのとき思った。専門性の高い分野こそ、デパートのような誰でもが立ち寄れる場所に相談窓口をいつか常設できれば便利だろうなぁと。
 
 では実際のところ、高齢者だけの世帯でなにか不安なことや困ったことがあったら、みんなどうしているのだろうか。市役所に尋ねるのも億劫だし、電話帳を開いても面倒だし、結局仲のいい友人にグチってみると、その友人もよくわからないから、関係ない世間話をして電話を切っちゃう。

 で、まぁ、まだそんな緊急のことでもないしと、タカをくくって不安に蓋をして束の間忘れてしまうのだ。そして、いざ、本当に困った時に、たまたま擦り寄ってきた専門家もどきにいいように丸め込まれてしまう。五年間に及ぶ相談業務をこなしてきた今の私には、そんな流れが手に取るようにわかってしまう。

罪と罰

 さぁ、困った! どうしよう! 

 
 私たちの毎日はこうしたことの連続だ。増して高齢者だけの世帯では、なおさらである。波のごとく押し寄せるさまざまな不安や心配に、夜も眠れない・・・。そんな人も多いのではないか。それが複雑に混迷する現代ニッポンである。
 
 子どもたちと離れて暮らしている高齢者世帯にありがちな風景。それは、心配や不安が生じてもついつい我慢してしまい、結果的に大きな問題になってしまうことである。
 
 「ああ困った。どこに連絡すればいいのか、誰に相談すればいいのかわからない。どのように説明すればいいのかもわからない。相談したところで、小難しい説明をされたり、あちこちたらい回しにされたりするのではないかしら。まぁいい。面倒だから、我慢しよう」。 
 
 こんな姿勢が取り返しのつかない結果を招いてしまうのだ。世界の最長寿国になったわが国ではあるが、逆に長生きしなければならない時代ゆえのさまざまなリスクがあることを忘れてはならない。

 
 例えば、医療・介護・お金・葬儀等の問題。これらは、命あるものであれば誰しもが必ず通る道でありながら、そもそも積極的には考えたくないテーマであることに加え、専門性が高くとっつきにくい分野である。
 
 だから、ついつい先送りにしてしまった(罪)結果、いざその時になって思わぬ不利益(罰)を被ってしまう・・・。そんな危険を孕んでいるのだ。そして、多くの場合、分かれ目はきわめてシンプルだ。
 
 ちょっとした情報や知識を持っているか持っていないか。
 危険を回避する術を知っているか知らないか。
 
 たったこれだけの違いで運不運が分かれてしまうといった現実がある。
 
 戦略なき国家、ニッポン。もはや、この国の政治や経済に期待する人はいない。この国の年寄りたちは、国家にも子どもにも頼れない時代を長く生きていかなければならないのだ。
 
 そんなこと、別になんてことないじゃないか!
 自分の幕引きは自分でやるさ。自分らしく、ね。
 もちろん子どもや孫たちにゃあ、やることはやってやる。
 その上で、自分の老後と最期は、きっちりと自分でケリをつける。
 だれにも迷惑はかけないよ。
 だから子どもに媚びもしなければ気も遣わない。
 だれに何の負い目も引け目もない。
 
 これが混迷するニッポンで長生きしなきゃならない時代のクールなエンディング。
 そう。クールなシニアは、元気なうちから準備をしっかりとやっておくんだ。
 
 そんなクールな老後を応援するために、NPO『二十四の瞳』は発足した・・・。

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NPO法人 二十四の瞳
医療、介護、福祉のことを社会福祉士に相談できるNPO「二十四の瞳」
(正式名称:市民のための医療と福祉の情報公開を推進する会)
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