医療の原点


さて、いよいよ最後の章になりました。ここまで長いことお付き合いをいただきありがたく思っています。日本における今日の西洋医学についていろいろと書き勝手をお話ししてきましたが、多くの医療者とざっくばらんに話してみると、みな本質的には西洋医学の問題点、東洋医学の問題点に気づいているようなフシがあります。そして、両者が合体することで、患者さんたちの健康というものに大いなる可能性が出てくるだろうという期待感を抱いていることもわかります。

ただ、個人としてはそう思っても、即行動に移せるかということになるといろいろな問題が絡んでくるということなのです。どちらかと言うと古い体質を持った医療の世界には、組織における上下関係とか全体調和みたいなものを無視しづらいところがあるのです。

だから何とか、読者のみなさんたち医療を利用する側からも一石を投じて欲しいと思うのです。風邪をひいて近所の病医院の情報を集めるとき、検査を受けるとき、診察室で医師と向き合ったとき、運悪く入院しなければならなくなったとき、手術を勧められたとき。こうしたさまざまな場面で医療というものとの関わり方を見つめなおして欲しいのです。ご自身と愛するご家族の健康と幸せのためにも。

ここで少し医療の歴史について考えてみます。古代ギリシャの医師ヒポクラテスは、医学の始祖として今も世界中で崇められています。その偉大な業績は、『ヒポクラテス全集』として今日の医師に伝えられています。ヒポクラテス以前の医療は、古代ギリシャの医神アスクレピオスへの信仰を中心とした魔術的なものでした。治療を求める者は、アスクレピオスを祭った神殿に何日もこもって、神官から儀式的な治療を受けていたのです。つまり、医療の原点は極めて非科学的な『祈り』であったのです。

ヒポクラテスはこうした神がかり的な治療を否定。「病気の原因は人間の知恵で理解できるはず」として、病気は体液のバランスが崩れることで起こると説きました。東洋医学の思想に通ずる考え方です。さらに、人間の身体にはそのバランスを回復させる機能が元来備わっており、医師の役目とはそれを手助けすることだとして、医学を自然科学として発展させる礎を築いたのです。

しかし、ヒポクラテス医学には、こうした科学的側面とは別にもうひとつ重要な点があります。それは医療者に求めた高い倫理性です。「医学に求められるものは、科学する心と人間への愛に他ならない」と言い切ったヒポクラテスは、医業への忠誠と献身、有害致死的な医療の禁止、禁欲、守秘義務等の戒律を『ヒポクラテスの誓い』として残しています。そこに記載された内容は現代にあっても不変の真理だと思います。世の医師たちは、改めて自問自答すべきかも知れません。

先日、国立がんセンター中央病院院長を辞任した土屋了介氏がこんなことを仰っていました。「がんセンターの部長クラスのなかにも「ヒポクラテスの誓い」さえ守れない医師がいるのは非常に不愉快。そんな医師を排除できなかったことは、辞任するに当ってもっとも反省すべき点だった」。これを聞いて、もっとも患者さんの心に寄り添って然るべきがん治療の中心にある大病院の医師ですらこういう状況なのかと、ちょっぴり嘆かわしい気持ちになりました。

ヒポクラテスの話を持ち出すと、「彼が病気ではなく病人を見る“全人的医療”で成功を収めたのは、その時代には病気を科学的に分析して診断や治療を導き出せるようなテクノロジーがなかったから」と、時代錯誤とでも言いたげな医師がいます。しかし、
18世紀後半に近代病理学が誕生した以降であっても、科学的データのみならず、ケアマインドとコミュニケーションをもって全人的医療を実践する医師もあったはずです。

病理解剖学の父モルガーニが死んだ
1771年は、わが国の医学の分岐点とも言える年でした。この年に行われた日本初の解剖現場に立ち会った杉田玄白は1773年に解体新書を出版し、日本における近代医学の扉を開きました。彼の功績は、世界初の全身麻酔手術で知られる外科医、華岡青洲に引き継がれました。米国の医学者らより10年も早く偉業を達成した彼の信条がふたつあります。


ひとつは『内外合一』といって、「医術は本来、内科・外科、漢方・蘭方と区別することなく、患者にとって最適な方法を選ぶことが大切である」。もうひとつが『活物窮理』といって、「人の身体はそれぞれ違うため、単に昔からの習わしに従って治療するのではなく、個々の人間にあった治療法を研究するべきだ」というもので、これらはまさしく、患者さん個々の特性に配慮した『統合医療』を医療のあり方として表現したものに他なりません。


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