医療崩壊は医師を野放しにしたツケ
2007年暮れあたりから、救急車たらい回し事故が盛んに紙面を賑わせました。高齢者に端を発して小児、妊産婦へと波及。結果として行き着いたのが、そもそもわが国の医師の絶対数が足らないのだという“医師不足説”です。
少子化対策が叫ばれているにもかかわらず,医療現場では産科医や小児科医が不足しており,子どもを産むこと自体がリスクとまで言われるようになってしまいました。また,麻酔科医の不足により,地域の中核病院でさえ緊急手術ができなくなりつつあります。救急医療や精神科領域においても同様です。
プライマリーケアを必修化した「新医師臨床研修制度」が地方の医師不足を加速する結果となったのは皮肉ですが、医師不足や医師偏在はわが国の理念なき医療政策の結果としか言いようがありません。地域ごとに、いかなる診療科の医師を、どれくらい配置していくのか。いかなる機能の病床や病医院をどれくらい配置していくのか。つまり、『真の地域医療計画』がなかったがゆえに、医師たちは好き勝手に活動することができたわけです。
いくら高尚な志を持って医学の道に進んだとしても、悪貨は良貨を駆逐してしまうものです。ましてや医師という商売は、いくらでも楽な道を選ぶことができる。患者の身体に触れることもなく機械的に適当な処方をしている医師であっても、高度な手術を年間何百回とこなしたり、救急医療の現場で全身全霊身を粉にして働いたりしている医師たちと評価基準が一緒という矛盾が、患者にとって好ましくない医師たちを蔓延らせる要因になっているのではないでしょうか。
とくに、国公立大学の医学部出身者たちは国や自治体の税金で医師になれたということを思い出して欲しいものです。医師という職業は国や地域にとっての貴重な社会資源です。であるならば、例えば卒後5年くらいは、医師不足の地域で活動することを義務化して国民に報いるべきだと思います。
社会資源たる医師を国がコントロールせずにきたがために、巷には必ずしも患者のためにならない医療を提供して生業を立てている医師がたくさん蔓延ってしまいました。それらを放置したまま、わが国はまたまた場当たり的な愚策『医学部定員増』を決定しました。
現状でも毎年8千名が医師免許を取得し、4千名の医師が新たに市場参戦してきます。デビューした医師には何が必要かと言えば、答えは患者に他なりません。食べていくためにはどうしたって患者が必要ですから、あの手この手を使って患者を作るわけです。目の前に座っている患者の病気を治さなくても、とりあえず治療していればいい。そんな医師もかなり存在するのではないでしょうか。
この問題を解決せずに医師の数だけを増やすというのでは片手落ちと言わざるを得ません。これでは病気の根本原因を無視して目に見える患部だけを切り取っているどこかの西洋医学と同じです。しかし、それをわかっていながら誰も手をつけないできたのが日本という国なのです。私たちは、本当に場当たり的で戦略のない国で暮らしているのです。