リーダーはジャッジしなければならない


今年は、20世紀最大の海難事故、タイタニック号事件からちょうど100年。大西洋を航海する大旅客船が氷山にぶつかって沈没した。2,200人の乗客のうち生還者はわずか700人。映画を観ると、1,500人もの人たちが最期をどのように迎えるかが鮮烈に描かれている。そこにとどまり客船と運命を共にするものと、救命船に乗って生き残るものが、沈みゆく船上で選別された。生還できるのは子どもと女性たち。大人の男性はみな船に残る。これが原則だ。父親は船に残り、奥さんと娘は救命船に乗る。永遠の別れ。最終的な人数調整の段階で高齢の女性も死を覚悟する。死に行くものと生き残るものが選り分けられるドラマ。しかし、この選別を受け入れることのできないものが現れる。「俺も乗せてくれ」と言って、救命船に乗り込もうとする男がいるわけだ。救命船の船べりに手を伸ばし、叫ぶ男たち。その手をもぎとって海へ放り捨てる女性たち。オールで腕を断ち切られる者さえいる。そういう悲劇があった・・・。

「乗せてくれ」とすがった人間の手を振り払った人間は、その人間を殺しているに等しい。その殺人の罪の意識からは生涯逃れることはできない。でもそんな罪を犯す可能性は誰にもあって、自分だけは違うなどと言える人間はひとりもいない。危機的状況の中で、一人ひとりが命の問いを突きつけられたのがタイタニック号事件だった。どう選別するのか。それを受け入れるのか。こういったことに顔を背けることなく直面できるのがリーダーというものではないか。どちらを選択するか、非常に困難な状況が次から次へと押し寄せてくる。それに耐えて、選択しなければならない。それがリーダーたる人間の運命だ。

生き残りの戦略。旧約聖書の最初に出てくる「ノアの箱舟」の物語。大昔、この地球上に大洪水が襲ってきた。それによってほとんどの人類が滅亡してしまう。そのとき、神の許しを得てノアという人物の家族だけが生き残る。彼らだけが小さな船を作り、大洪水を乗り切った。それゆえに、今日の我々がこうして生きているわけだ。人間、どうすれば生き残ることができるか。これが生きるうえでの最重要目的となった。ほとんどの人間が死滅しなければならなくなった場合でも、わずかな人間だけを生き残らせる。そうすることで種の絶滅を回避するという考え方。人類の歴史は、創世記から今日までこの考え方を継承している。

さて、日本だ。国家の借金1,000兆円。政治・経済・社会、すべてのインフラが崩壊寸前の今、小手先の改革では何も事態は変わらないことは、永田町&霞ヶ関の住人も百も承知だ。どの政治家も、自分がジャッジすることから逃げているのだ。ジャッジした途端に袋叩きになることがわかっているからだ。政治生命は終わるだろう。しかし、このままでは国民総倒れである。タイタニックではないが、今こそ選別のときだ。この国が生き残るための戦略を毅然と言い放てる革命者が求められる。戦略とは優先順位だ。

ニッポンを滅ぼさないために、断腸の思いでジャッジしなければならない。東日本大震災の被災地。本当に気の毒ではあるが、復旧復興は最低限にすべきだ。被災前に機能していなかったものまで復旧させることの無意味さを真摯に認識すべきだろう。公務員。中央と地方を併せて400万人。人件費は半分まで下げる。高齢者と障害者。申し訳ないが、年金給付は減額せざるを得ない。医療と介護の費用減免はなし。生活保護受給者。これも大幅カット。みんなが苦しいのだ。働いている人たちよりも多くの収入があるなどという話は罷り通らない。受刑者も同様。最低限の生活レベルで我慢してもらうしかない。あえて優先順位をつけなければ、この国全体が沈んでしまうのだからやむを得ない。

八方美人のトップはもう要らない。命を賭して、公務員・高齢者・障害者・生活保護受給者・受刑者らの既得権益を削るべく大号令をかけられる、そんな革命者が今こそ必要だ。


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