西洋医学と東洋医学の決定的なちがい
西洋医学の最大の欠点は、何と言っても、専門が細分化されすぎてしまったことでしょう。多くの医師たちは、ごくごく狭い自分の専門分野だけを扱うだけで、患者の身体全体を診ることができないのです。あるひとつの部位を調べ、それに対処するだけで原因を探ろうとしないから、原因が複雑に絡みあう生活習慣病には対応できないのです。こうやって、多くの病気が見落とされ、放置され、見つかった時には手遅れ、ということも多々あるのではないかと思っています。
西洋医学というのは、体を組織や臓器の集まりとして、それぞれをバラバラに見るのです。部品を詳しく診て、そこに何か異常な点があればそれを治すという修理屋的な発想ですね。血糖値が上がれば下げる。血圧が高ければ下げる。頭痛がするなら痛み止めを処方する。そういった対症療法でしかないわけです。しかし、人間は機械のように無機的な部品の集まりではありません。組織や臓器が密接に連携しあった有機的存在なのです。結果を見てそれに対処するだけで、その原因を見ようとしなければ慢性の生活習慣病には歯が立たないのは当然です。
一方、東洋医学では、人間の体内の臓器にはそれぞれ相関関係があって、その調和が崩れた状態が病気だという考え方をします。「陰極めれば陽、陽極めれば陰」といって、ちょうど振り子のように陰と陽のあいだでバランスを保つような能力が人間の生理として備わっているということを前提に治療していくわけです。東洋医学のこういった考え方を学んでしまった立場からすると、臓器別に物事を考える西洋医学というのは問題があると思います。西洋医学すなわち臓器別対症療法というものが今日の医療の代表になっている現状に危機感すら持っています。
悪い部分を手当てするだけで、他との関係やバランスを一切考慮しないというのは、東洋医学を学んだものからすると信じられない。本当の意味で病人を治し、健康を取り戻せるものなのか疑問なのです。その最たるものが臓器移植で、パーツ交換の発想です。もともとその人間とまったく関係のないものを組み込むというのは、どうにも生命というものに対して短絡的だと思います。臓器相互の相性みたいなものを無視していいものなのかどうか。そんなに単純なものではないような気がします。
もちろん、西洋医学が全面的にダメだといっているのではないですよ。早期発見・早期治療という点については、西洋医学最大の強みです。医療機器は日進月歩で非常にハイテク化され、抗生物質も大変な威力を発揮して救命や延命に貢献しています。しかしながら、西洋医学にも得意な部分とそうでない部分があるのです。ですから、全てを西洋医学で解決しようとするスタンスには問題があると思います。
例えば、進行性のあるがんとかリウマチとか根治するのが難しい生活習慣病というのは、薬の処方を中心とした西洋医学的アプローチでは無理があることがわかってきています。また、問題となった病気自体が治ったとしても、副作用が出るなど肉体的あるいは精神的なダメージが大きく、QOL、つまりその後の生活に支障が出てしまうことが指摘されています。にもかかわらず、西洋医学だけですべてを解決できるのだという思い上がりは、結局は患者さんを不幸にしてしまうと思います。
いまだに東洋医学にはエビデンス(科学的な根拠)がないとして否定する医師がたくさんいます。患者さんたちの尊い生命を守る医師たるもの、科学的裏づけに基づいて行動するのが原則であることはまちがいありません。しかし、目の前にいる患者さんが苦しんでいて、それを緩和できるかもしれない治療法があるのに、科学的に100%解明されていないからといってトライしないというのはどうでしょうか。
極端な話、科学的根拠が結論に達していないとしても、従来の西洋医学的治療法では明らかに大きな副作用があるとわかっている場合には、東洋医学的治療法を選択する道もあるということを患者さんに説明する義務があるはずです。逆に言えば、治療法の選択は患者さん側の当然の権利でなければなりません。私は、ひとえに患者さんの苦痛を軽減して差し上げるという唯一点において、西洋医学か東洋医学かの二者択一というのではなく、適材適所に相互補完しあえるよう上手く使い分けることが重要だと思います。