夢破れて山河あり
若き医師は戸惑っていた。医学部の全課程を修了し、颯爽と臨床の現場に赴いた彼は、颯爽と患者の治療にあたるはずであった。しかし、目の前にいる患者を治すことはおろか、症状を改善することすらできなかった。名高い教授連中から学んだことを忠実に行えども行えども、すべてが何の役にも立たなかった。ついこの間まで希望に満ち満ちていた彼は、患者に対する無力に苦悩する。なぜなのだ・・・。
挫折しかけた彼にひと筋の光が差し込む。漢方の権威との出会いである。世間の認知度はもちろん、彼が属する側の世界では亜流も亜流。しかしながら、人体を傷つけることなく内面から人間が本来もつ自然治癒力を高める東洋医学のアプローチは、若き医師の琴線に触れた。それこそ、ビビッときてしまったのだ。
そして・・・。ただ患者を治したいという一念から、彼は信じられない行動に出る。がん、慢性腎炎、リウマチ。勤務していた病院の患者に、こっそりと漢方の権威を紹介したのだ。しかも彼の受け持ち患者のみならず、別の医師の患者までも。
医療界の掟を無視している自覚はあった。だから内々に取り持った、はずだった。彼が予期していたとおり、患者たちには一様に改善が見られた。が、喜んだ患者は内緒だったはずのことを口にしてしまう。無理もない。そうせずにはいられないほど嬉しかったのだ。若き医師は窮地に追い込まれた。上司の、病院の、そして西洋医学の面子を潰してしまったのだから。
東洋医学への思いをさらに募らせた彼を、漢方の権威は諭した。まずは西洋医学のベースを身につけるべき、と。彼は京大大学院へ転じ、肺がんの研究で医学博士号を取得。その後、国立病院でキャリアアップしていく傍らも、漢方と鍼灸を本格的に学び続けた…。
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ちょっぴり恥ずかしいのですが、ここに登場する若き医師が40年前の私です。私にとっては、まさに美しき若葉の頃です(笑)。必死で勉強してきたことをいよいよ臨床の現場で試そうとした矢先に、やることなすことのすべてが効かないという驚愕の連続でした。曲がりなりにも、病気で苦しんでいる患者さんたちを救いたいという夢と理想。当時の私はそんな思いが満ち満ちていました。それがいきなりの挫折です。そして漢方との出会い。人間が持って生まれた、言わば自然のままを追求する中医学(ちゅういがく)の考え方はすっと腹に落ちました。理想(夢)と現実のギャップに落ち込んでいたのが影だとすれば、漢方との出会いは私にとって救いの光だったのです。
西洋医学の無力さを突きつけられ失望していた私は、人の身体の自然な姿を取り戻させる東洋医学によって再び患者さんたちと向かい合う情熱を持つことができたのです。山河を自然の象徴とするならば、当時の私の心境は、まさに『夢やぶれて山河あり』といった感じだったのです。