PRMの本質

 PRMはアナタのファンを増やすための方法論である。そして、このPRMという方法論を回すエンジンがアナタのモラル、わかりやすく言えば患者や地域の人々をエンターテインしようとする心「サービスマインド」である。それは、ひとを癒す心、あるいは勇気や希望を与える心と言ってもいいだろう。これを魂の底から理解し、実践してこその「患者様第一」なのだ。
 
 繰り返すが、
医療ネタを取り上げるテレビ番組や患者学関連の書物によって、現代の患者は情報武装化した。消費する側の意識が大きく変貌したにもかかわらず、止まらない医療過誤、医療を扱うお茶の間情報番組、患者学ブーム、全国紙上のさまざまな医療関連の企画、そして、世論および患者側のここまでもの気運に対してさえ鈍感な多くの医療従事者(もちろん筆頭はドクター)たち・・・。
 
 ここ数年、「患者様第一」とか「患者様本位」とか
「患者様視点」といったフレーズを盛り込んだ標語のようなものが掲示されている医療機関をよく見かける。わかってないなぁとつくづく思う。それが証拠に、待合いで見かけるスタッフを呼び止めて尋ねてみればいい。

 
 「こちらの病院でいう患者第一とは、具体的にはどのようなことなのですか?」と。果たして、10人に声をかけたとして何人から然るべき回答が得られるだろうか。ぶっちゃけた話、現時点でも殆どの医療機関が「自分たち(職員)第一」だ。日常のオペレーションは勿論のこと、意識レベルでも患者よりドクター、その次にくるのが自分たち。今日の医療機関においては、やはり患者=ペイシェント(受難者)なのである。

コンサル採用の功罪

 さて、これから経営再建を目指すのであれば、まずはこれほどまでのマイナスからの出発になるということを肝に銘じておく必要がある。このレポートで処方することになるPRM。いきなり結論を言ってしまえば、その本質はアナタの能力や技術の問題ではない。それは、モラルの問題と言っていいだろう。
 
 時々刻々と変化する医療制度をウォッチして診療体制を弄っても、コンサルの口車に乗って
EBMやABCを導入しても、機械屋の接待攻めに陥落して云億の最先端検査機器を入れても、上辺だけの「患者様第一」という貼り紙を院内にベタベタと貼り付けても、そんなことはいまのアナタには意味がないことを知るべきだ。誤解されるといけないので言っておくと、これらはいずれも重要な施策だろう。しかし、優先順位が違うのだ。
 
 
アナタがいま置かれている状況から抜け出すためにまずやるべきことは、そんな杓子定規なことではない。もっと基本的で、しかしながら本質的なことだ。事業体の社会的評価の最たるもの。それが利益だ。一年間の事業活動が地域社会にもたらした付加価値。それが評価されれば利益が出るし、もっとがんばれと叱咤されればそれが損失となって表れる

 
 そして、利益すなわち儲けを捻出するためにもっとも重要で真っ先にやらねばならないこと。繰り返しになるが、儲という文字を分解してみるといい。「儲=信+者」なのだ。アナタの信者、ファンを増やすことこそがアナタの事業成功のカギなのである。ご理解いただけるだろうか?
 
 それでは、
これをご理解いただけたという前提で、コンサルタントに従うことのリスクについて触れてみたい。コンサルタントにいいようにしてやられる医師がなんと多いことか・・・。誠に嘆かわしいことである。
 
 コンサルが得意とするのは「守り」の施策だ。BPR、BSC、ABC、院外処方・・・。どれも現状オペレーションのムダ・ムリ・ムラを見つけて潰し、生産性向上や効率改善を追求するツールである。経営上これらが重要なのは間違いないが、これらを遂行することになる職員の感情が無視される場合が後を絶たない。なぜか。やってて楽しくないからだ。そして、もっと恐ろしいのは、コンサルのように処世術に長けておらず、純粋な職員たちの場合、それが患者と向き合ったときの言動に出てしまうことだ。


 付け加えれば、概してコンサルは頭がいい。職員とはIQレベルも育ってきた文化も違う。コンサルの話は難しいのだ。話が抽象的で具体性に欠けるのだ。何だかよくわからないまま、あれこれ作業を与えられ、ストレスが溜まる。場合によっては、結果的に自分たちの仲間を切ることだってある。こうした消化不良感が、接遇や看護に微妙に、ときにストレートに出てしまうのだ。
 
 一方、多くのコンサルタントが「攻め」の施策に手をつけたがらないのには理由がふたつある。
 まず、自ら商売(医療機関の経営)をしたことがないからわからないのだ。彼らの話がやたら概念的・抽象的に聞こえるのもそのためだ。もうひとつの理由は効果が測定しづらいからだ。彼らの経営指導がダイレクトに効いて売上や顧客数が上がったのかどうか、明確には測定できないからだ。従って、「守り」の世界に走った方が、ビューティフルなエンディングを演出できるというわけだ。
 
 ついでに言っておくと、コンサルにとって美味しいビジネスのひとつにリサーチがある。患者満足度調査というやつである。現状を多角的に分析して限りなくビジュアルに提示。検討課題をズラッと並べるだけ並べる。で、云百万円也。実に後ろ向きだ。問題ばかり並べたてられて喜ぶ職員もいないだろう。
 
 私からすれば、So what ? (それでどうしたの?)である。解決を突然振られた部署や担当者は当然仕事が増える。みんなネガティブになる。最近流行の不満足度調査など最たるものだ。エリート面した若者から患者のクレームをこれでもかと叩きつけられる。やってらんないわ!となっても不思議じゃない。つまり、ヤル気を削いでしまうのだ。
 
 満足度調査はやり方をまちがえると命取りになる。CSとは実に奥が深いが、最も簡易で、最も有効なやり方がある。ハーバートビジネススクールがその有効性を示し、CS経営で有名な欧米のトップ企業群はこれを採用している。それによれば、患者に尋ねる質問はたったひとつ。
 
 「ご家族や知人に健康上の何かが起こったとき、当院をご紹介いただけますか?」
 
 これだけでアナタの病院・診療所の支持率がわかる。現時点でのファンが誰なのかもわかる。
概ねこんな内容だが、患者満足度調査については、別途機会を設けて話すことにしよう。

攻めるか、守るか

 経営を良くする方法はふたつ。キャッシュインを増やすか、キャッシュアウトを減らすか、だ。前者はさらにふたつに分かれる。顧客すなわち患者を増やすか、商品すなわちサービスや事業のメニューを増やすか。
 
 多くの経営者は、やれ介護だの福祉用具だの往診だの専門外来だの、商品を増やすことを考える。これが間違い。まず顧客を増やすこと。そして、既存顧客との関係を深めること。これこそが真っ先に手がけるべきことだ。
 
 なぜか。利益の源泉たる顧客との関係レベルがアップしないかぎり、いくら商品を増やしても売れない。昨今の医療不信がそれに拍車をかける。逆に、ファンとはありがたいもので、信用厚い会社が新商品を出せば、中身がどうあれ、とりあえず買ってくれるのだ。それこそがファンというもの。「儲」という時を分解すれば「信ずる者」となる。アナタの経営に潤いをもたらしてくれるもの。それはアナタのファンに他ならない。新商品を考えるのは、顧客との関係強化、即ちファン作りの施策を考えてからで遅くない。この順番を間違える経営者がなんと多いことか。
 
 一方、キャッシュアウトを減らすという後者のやり方は、大尾にして院内ムードがネガティブになりがち。職員が後ろ向きになり、元気がなくなるリスクがある。患者志向でなくなってしまうのだ。後述するが、例えば、外部からコンサル等のノイズが入った場合、この傾向は顕著に表れる。

信者あってこその開業医

 ここで肝心なのは、こうした世論が主流となりつつある今、「いや、私は違う」とか、「事の真相はこうではないか」等と反論したとしても、そのこと自体に意味がないということを、地域で確固たる成功を手にしようというアナタはしっかりと理解しなければならない。他の産業と同様、消費者擁護が世の中の流れだ。事実よりも、どう見られるか、どう受け止められるかがビジネスの成否を握る時代なのである。無意味な弁解こそがナンセンスと気づくべきだ。
 
 
逆に、テレビや雑誌がなんと言おうが、アナタと確固たる信頼関係が結ばれている患者はアナタを否定しない。例えば、こんなふうに、だ。「世の中には患者を食い物にする悪徳医者がいっぱいいるのねぇ。でも私は大丈夫。だって私には、●●先生が居てくれるのだもの」 

 
 こう言ってくれる患者をアナタが何人持っているか? 
それこそ
が重要なのだ。ここまでくれば、これはもうアナタの立派な信者と言っていい
 
 
極端な話、アナタが実は経営第一主義の医者であったとしても、そんなことはどうだっていいのだ。アナタを信じて慕ってくる患者が何人いるか。もしあまりいないとすれば、どうやって信者を作るか。どうやって患者を信者化していけばいいのかを学ぶことだ。

 これこそが、アナタが真っ先に取り組むべきことであり、ビジネスを継続する限りにおいて絶えず考えていかねばならないことだ。大学でろくに意味もない研究に明け暮れて、非実用的な論文をしこしこと書いている医者たち以上に、とりわけ、市場の最前線で活躍している開業医にとってはもっとも重要なことが、信者を作ることなのである。

ドクターこそ諸悪の根源?

 国民医療費が増え続けている。2000年から介護保険がスタートし、老人医療および介護に係るコストを捻出すべく介護保険という別の財布を作った筈なのに、相も変わらず毎年一兆円ずつ膨らんでいる。現代の複雑な社会だ。心身を病むが増える背景があるのは理解できる。が、しかし、医療や医者の側には問題はないのだろうか。
 
 
現代医学の進歩は目覚しいものがあると、よく専門誌に書かれている。ならば、矛盾があるではないか。医学や医療がそんなに進歩しているのであれば、世の中の患者はどんどん治癒して病院に出入りする必要がなくなり、結果として国民医療費は減って然るべきではないか。


 この質問に対する患者学の答えは興味深い。根っこは、野放しに増え続ける医者の数
だ。ここでは、「欧米諸国と比べて、日本にはまだ医者の数が足らない」という正論には敢えて触れないことにする
 
 毎年8千名が医師免許を取得。4千名の医師が新たに市場参戦。デビューした医師には何が必要か。患者である。食べていくためにはどうしたって患者が必要だから、あの手この手を使って患者を作るというのだ。目の前に座っている患者の病気を治さなくても、とりあえず治療していればいい。そんな医者がうじゃうじゃしていると。    

 不必要な手術に入院、検査漬け、薬漬け。病院通いをやめることが病気を治す最短の道だと言っているゲストの医師さえいる。医学の何が発達したのか知らないが、いくら研究にお金をかけても、所詮は、がんも糖尿も高血圧も治せない。つまり患者の役に立っていないのだと言う医師もいる。「まず経営ありき」の医者が巷には溢れているから用心しなさい。盲目的に信じてはいけませんよ。というのである。

 
 
これには日本の医療制度が出来高制を敷いていることが影響していて、患者をすぐに治してしまうと収益が上がらないしくみになっているのだ。ダラダラと治さずに通院させたり、最初の処置がダメだったからといって別の処置を施したりする方が儲かってしまうのである。  


 
そしてこの説、医療の世界を10年見てきた私からすると大筋当っていて、本人が意図しているかどうかは別にして、世の中には、「とりあえず、●●でもしておきましょうか・・・」的な医者が多過ぎる感ずるのだ。

ドクターにとって限りなく不都合な真実

 さて、ここまで読み進んでいただいたドクターには、やはりまずアナタを取り巻く過酷な現状を知っていただくことから始めてみたい。この世のありとあらゆる事業に利益を運んでくる源泉、「顧客」についてである。つまり、患者や地域の人々の目、彼らがアナタをどう見ているかということである。
 
 
他人にどう見られようが関係ないと言うのであれば、それは経営者失格だ。いくら腕や人格の優れたドクターであろうと、地域のたちからそう評価されない限り経営的には無意味である。極論すれば、どう見られているかが経営のすべてである。

 そして、昨今の風潮をズバリ言えば、世間は医師という職種の人間を嫌っている。人間的にも技術的にも、だ。それは諦めといってもいいレベルまで地に落ちた。なぜかおわかりだろうか。

 
 かつて「あるある大辞典」は納豆でブラウン管から姿を消し
たが、医療や健康ネタを扱った番組は総じて視聴率が良い。都市圏を中心に、こうした番組の視聴者はわが国の医療システムや医師という職業についてかなりの知識と情報を持つようになった。

 
 医師会をはじめとする医療サービスの提供者側としては苦々しいことかも知れないが、赤ひげ先生時代よろしく「知らしむべからず、依らしむべし」モードの医師は化石になる日も近い。もはや戦略的患者たちを相手にするには、それなりの覚悟と対策が必要だ。それでは、ここ数年、数々の高視聴率番組が患者学と称して、いかにアナタたち悪者に仕立ててきたのかを簡単に振り返ってみよう。

こんなアナタを応援したい

  長くなったが、このブログは、民間の医療経営者(開業医を含む)を意識して記している。とくに、昨今の必ずしも芳しくない経営ぶりを真摯に受け止め、地域での再生を真剣に考えようというドクターのために。

 いまさらMBAを取得したり、戦略という名のもとに法外なフィーを請求する現場感のないコンサルに無用のカネを支払ったりすることなく、日常業務をこなしながら取り組める「医療経営変革の最初の一歩」を具体的に提示してみた。

 
 
以下の3項目のすべてに明確にイエスと即答できるドクターは、是非とも本編も熟読してみて欲しい。

 そして、サービスマインドを理解し、実践していくための効果的手法「PRM(パプリック・リレーションシップ・マネジメント)」について、前向きに関心を持っていただきたいものである。さて、その3項目とは・・・、

 
 『本ブログを読んで欲しいドクターの3条件』
  ●医療もサービス業である
  ●一般産業界の良き経営術に学びたい
  ●経営努力の成果として儲けたい

ゆでがえるの行く末は?

 ところで、欧米と比べ、わが国ではいわゆる「医経分離」がまったくもって進んでいない。医師法という法律で「医療経営者=医師免許保有者」と定められているのだから仕方ない。が、はっきり言って殆どのドクターは、能力的にも、意識的にも経営というものとは程遠い存在だ。従来の医局崩壊の流れもあって、勤務医の開業志向は相変わらずであるが、肉体的・時間的・経済的に過酷な勤務医はうんざりだからと開業してみたところで、もはや簡単にはやっていけない時代になったのだ。状況は一変したのだ。
 
 
いくらマイナス改定時代だからと言って、なぜ医療経営がうまくいかないのか。なぜ業界全体で8割もの医療施設が赤字なのか。ここはひとつ経営の原点に戻るべき、いや理解すべき時なのではないか。多くのドクターと接する度に、私は心底そう思うのだ。

 
 医師と患者のあるべき関係といった視点からすると実に遺憾なことではあるが、ここ数年で患者が医師を見る目は本当に懐疑的になった。原因は多々あれど、突き詰めれば医者と患者の信頼関係が断たれたということだ。止まらない医療過誤、公私にわたる医者のスキャンダル、ホスピタリティのかけらもない殿様商法。患者学の普及による患者の情報武装化。それに気づかない鈍感な医者・・・。
 
 これらの結果としての各種メディアによる医療バッシングは、利用者サイドからは何も見えないブラックボックスの中で、何十年も国家から保護されてきたツケと言ってもいいだろう。そんな環境変化にも気づかないで、いくら「俺は医者だ」と威張ってみても、患者に評価されなければ、利益があがらなければ、それでは単なる裸の王様だ。
 
 
そして、さすがにゆでがえるになる直前で遅ればせながら改心したとする。しかしながら、医者の専門的な技術や知識は、経営には何の意味も持たない。何をどうしてよいやら見当がつかない。なぜか。経営とは激動する環境変化に対処する技術だから。時には人の生命までも預かる過酷で繊細な作業の傍らでこなすには、経営とはあまりにも難解至極な分野だからである。

 
 どうやったら医療や看護の質を上げられるか、そのための経営効率をどうするか・・・といったことまで、医者には頭が回らない。だからこそ「医経分離」が必然なのだ。8割が赤字経営などという業界が他にあるか。(福祉があった!)欧米では、医療とマネジメントを司るプロが完全に分かれている。つまり、現場責任は医師、経営責任はきっちりと経営学を学んだその道のプロだ。
 
 
わが国でも、ごく一部の医療機関ではマネジメントの専門組織やスタッフを組織している。そんな医療機関はCS、いわゆる患者満足度が高い。利益率も高い。職員の定着もいい。言わば、医療経営のポジティブループが確立されているのである。

医療経営、冬来たりなば・・・

 7月1日付けの『独断専行』で述べたように、いよいよ患者や地域にとって価値のない医療機関にとっての正念場がやってくる。

 今日からは、医療者の本然をまっとうせんと日々汗を流しているドクター経営者のために、具体的な対応策をご紹介していく。
霞ヶ関の医療再編シナリオ『2015 メディカル・カタストロフィー』に対する唯一のサバイバル・ソリューションである。
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 都市部を中心に医療機関の経営が危うい。二〇〇〇年に第一次小泉内閣が「医療改革」をぶちあげて一〇年超ようやくようやく、本当にようやく医療改編のシナリオが見えてきた。医療財源枯渇の果て、『医療のムダを廃しつつ品質を上げる』という苦し紛れの講釈が続いてきたが、いよいよ対岸の火事を決め込んでいた医療経営者(要するにドクター)にも、経営危機の足音が迫ってきた感がある
 
 
これまでに仕事上の付き合いのあったドクター、わが同窓のドクター、自宅近所のドクター・・・。いずれも苦戦を強いられている。別に10年前と比べて彼らの何が変わったわけでもないし、彼らが何かを変えたわけでもない。要は、同じ数の患者に同じことをしていたのでは経営はジリ貧になる。それが医療改革のもたらすインパクトなのだ。それに追い討ちをかけるように患者側も賢くなった。
 
 医療改革自体に根本的な問題があることは確かだが、
現実問題として、首都圏では毎月件のペースで医療施設が実質的な倒産に追い込まれている。昨年度の病院倒産件数は史上最多だった。まさに医療経営冬の時代の到来である。
 

 が、その一方で、確実に地域での認知度を高め、患者数を堅調に伸ばし、収益を伸ばしている医療施設があることを見逃してはならない。プロ野球ではないが、厳しい戦いにおいてこそ指揮官の能力が勝敗を決するものだ。
 
 確かに医療施設を取り巻く環境は厳しいかも知れない。でも、だからと言ってマイナス経営も致し方なし・・・の言い訳にはならない。もちろん、それで納得して経営難に陥るのは本人の自由ではあるが。
 
 そもそも、好景気のときは放っておいてもビジネスはうまく回るものだ。バブルの時を思い出せばわかる。しかし、経営とは、押し寄せる苦難をかいくぐりながら、創意工夫を凝らして採算を取るものである。それこそが経営トップの存在価値である筈だ。ならば、
医療経営冬の時代」においても、しっかりと成果を上げているごくごく一部の同業者の経営手腕を参考にするくらいの姿勢が欲しいものだ。
 

 
 ひとことで言えば、来年以降に予測される厳しいマイナス改定下においても、患者数も医業収入も伸ばし続けている成功者たちは知っている。そして実践している。「患者の心を掴むのは、医者の腕前や充実した設備なんかじゃなく、患者を励まし、勇気づけること、エンターテインすることなのだ」と。

 

そして彼らの言動の源にあるもの、それがサービスマインドである。しかしながら実際には、日々の診療をこなしながら、増してや医療行政をウォッチしながら、経営という複雑極まりない課題に対峙すること、多くの開業医にとっては困難である。

医療経営者に求められる時代認識

昨年12月、失業中の若者の焼身自殺に端を発したチュニジアの「ジャスミン革命」。市民の反政府運動により、23年以上も続き磐石と見られていたベンアリ政権はあっけなく崩壊。この衝撃はアッと言う間にアラブ諸国に広がった。なかでもエジプトでムバラク政権が転覆した事実は、中東の多くの人々に「われわれの国でもできるかもしれない」という大きな希望を与えた。

    年が変わると、2月22日にはニュージーランドのクライストチャーチでM6.3の大地震が発生。30名近い志高き日本人が犠牲となった。そして、この悲しみが癒える間もない3月11日、東日本大震災は起きたのである。東北地方太平洋沖で起きたM9.0の大地震とその影響による大津波は、沿岸部の多くの町から尊い生命と暮らしを一瞬にして葬り去った。さらに、福島第一原子力発電所の事故による放射能災害というおまけまでつき、まさに日本中が解決への出口を求めてもがき苦しんでいる状況にある。

    これら一連の政変や自然災害の特徴は、フェースブックやツイッターといったソーシャルメディアが大きな影響を及ぼした点だ。政権がいかに言論を統制しようとしても、草の根的なネットの情報網でその壁を突破し得ることが示された。また、携帯電話が機能せず家族らの安否確認がままならなかったり、被災地の実情がなかなか把握できなかったりという非常時にも、ソーシャルメディアが威力を発揮することが明らかになった。これからの時代、民衆がソーシャルメディアを通して積極的に意思表示する流れには逆らえまい。国家には大衆の意を酌んだ政治への脱皮が求められるのだが、長期にわたり迷宮を彷徨うわが国の政治の体たらくを見るにつけ、二大政党の首脳たちの思考と言動には首を傾げざるを得ない。

 もうひとつ大きいのが、極めて近いところで発生した大惨事が国民一人ひとりにもたらした意識変化である。今回の大震災を契機に、私たちの価値観や人生観は確実に変わった。自分にとって本当に大切なものは何なのか。悲しみのどん底にいる人たちのために、自分に何ができるのか。自分はなぜこの時代に生まれ、生かされているのか。そして思い知らされた、人類では到底抗うことのできない大自然への畏怖。そんなことを改めて自問自答した読者も多いのではなかろうか。筆者の周囲でも同様である。

 従来の資本主義のベースにあった価値観が変われば、市場が変わることは十分に予測できる。となれば、経営者の事業観やビジネスモデルも変わらざるを得ないわけで、今年2011年はまさしくパラダイムシフト元年として位置づけられる。幸か不幸か、東日本大震災によって日本という国は全世界の注目の的となった。政治的経済的レベルの話だけではなく、日本人の生き様自体が世界中の人たちの一大関心事となったのだ。大仰に言えば、復興に向けたこれからの日本人の歩みが全世界に大いなる影響を与えていく、そんな歴史的大転換の真っ只中に私たちはいま生かされているということを再認識すべきであろう。
さて、連日報道される被災地の様子には、地元医療機関と協力しながら被災者の健康面をサポートする医療者たちの姿が映し出される。都道府県の災害派遣医療チーム(DMAT)、日本医師会災害医療チーム(JMAT)の他、国境なき医師団(MSF)など医療関連の非政府組織(NGO)から災害医療の経験を持つ医師や看護師が派遣され、地元医療機関と協力して当面の対応に努めている。筆者の知り合いの医師や看護師たちも、それぞれの地元での活動をやりくりしながら、被災地に出向いて自分たちにできることに全力を注いでいる。とくに生活習慣病疾患を多く抱える高齢者にとっては、在宅医療をはじめプライマリーケアを専門とする医療者たちの存在は実に心強いものがある。不運にも窮地に陥った人たちを、少しでも善くしようという気持ちに支えられた彼らの医療活動には頭が下がる思いである。

 一方で、2001年の第一次小泉内閣以降、構造改革の矛先が向けられている医療だが、2015年における地域医療の青写真はすでに概ね固まっていると考えていいだろう。自民党政権時代の経済財政諮問会議、社会保障国民会議等でアウトプットされた方向性は、民主党政権下においても踏襲されたし、今後も菅内閣の顛末如何にかかわらず、わが国の医療財政の窮状からは大きな軌道修正は考えられまい。

 そのなかで特に重要なのは、これまでの審議機関が一貫して言及してきた「現行医療のムダ排除と医療品質の向上」という点である。これ即ち、ムダな医療に投下されている医療資源を本当に必要な医療分野に最適再配置しようということなのだが、問題は『ムダな医療』とは何なのかが曖昧なまま今日まで来てしまったことである。が、実際には曖昧どころか具体的に抽出済みと考えたほうがよさそうだ。どうやら医療提供者サイドへのインパクトを考慮してリリースのタイミングを計っている感がある。しかし、2012年のダブルインパクト(診療報酬と介護報酬の同時マイナス改定)を含め、俎上に挙がった『ムダな医療』を淘汰するシナリオが着実に展開されることは間違いないだろう。

 誤解を恐れずに大胆予測をさせてもらえば、「大規模急性期病院の局所集中化」・「慢性期病医院の絞込み」・「在宅死インフラの整備」の3本柱となる。10年近い論議の過程で、急性期医療における箱物と専門医の分散、慢性期医療における必ずしも有効でない検査・投薬・手術、救急搬送コストの問題が絶えず指摘されてきた。が、医療における秩序の維持は医療提供者側に委ねられ、結果的に今日の医療偏在と国民医療費の膨張を招くこととなった。

 2002年以降、診療報酬の微少なマイナス改定が繰り返されたり、介護保険という高齢者医療向けの別の財布が作られたり、悪評高き特定健診・特定保健指導が導入されたり、さまざまな医療費抑制措置が講ぜられたものの、国民医療費は毎年1兆円ずつ跳ね上がり奏功しなかった経緯がある。そこで団塊世代(昭和22年~昭和24年に生まれた世代)がすべて65歳以上となる2015年に照準を合わせ、形骸化した『健康日本21』に代わる国民啓発運動が準備されているとの噂も聞こえてくる。そこでは、がんをはじめとする生活習慣病を患った場合の、医療との然るべき接し方を国民に諭していくようだ。

 つまり、霞ヶ関や永田町では、35兆円超にも及ぶ国民医療費のうちかなりの金額が、さして意味のない医療に費やされているとの認識を持っている。しかし、これを改めるためには、僅かな診療点数のダウンだけでは状況は変わらない。そこで医療利用者側に情報提供することで、「医師に盲従するのではなく、自分の健康を守るために医療との距離感を勉強せよ」という教育を行っていくのである。具体的な標的となるのが、検査漬け、薬漬け、無駄な手術、延命治療等であろうか。現在の後期高齢者と違い、自分の価値観に拘り、納得いかない限り購買しないという団塊世代の行動気質を見込んだ、いわば病医院からの患者剥がし作戦と言っていいだろう。

 これが現実のものとなれば、従来と同じ医療を提供していたのでは患者単価が落ちるばかりか、患者数そのものが減ってしまうことは明らかだ。規模的あるいは機能的に中途半端な病医院は収益が落ち、職員の雇用を維持するためには何かしらの手を打たねばならなくなる。そこで、夜間救急、在宅医療、母子医療等、当該地域で本当に不足している分野にシフトせざるを得ない状況を作っていく…。これが2015年に向けたわが国医療の再編シナリオである。

 この仮説の下で、地域医療に携わる経営者が真っ先に取り組まなければならないのは、地域の人たちが健やかで幸せに暮らすために、みなさんの病医院が何をすべきかを今一度再定義することである。現在提供している医療サービスは、真に患者のことを考えてのものだろうか。本当に心の底からそう言えるだろうか。血糖値や血圧の検査結果だけを見て、(機械的に)一律な処方を行ってはいないだろうか。目の前の患者に対して、自分自身や家族が同じ症状を発した場合と同じように指導しているだろうか。

 従来通りのやり方だと、全患者数の殆どを高齢者に依存している病医院は、この5年間でかなりの経営的ダメージを受ける可能性が高い。情報武装した団塊世代の高齢者とは、従来の医者と患者の関係は成立しづらい筈だ。上下関係ではなく、ともに症状改善や健康維持を目指すパートナーのような関係が求められる。そこで重要となってくるのが、患者にとって価値ある情報を敏感に察知し、それをわかりやすく、かつ感じよく伝えること。医師をはじめとする全職員がこれを理解し、それぞれの持ち場で実践していく必要がある。

 期せずして、霞ヶ関の医療再編シナリオは、全世界規模での秩序の再構築や自然の摂理に対する畏怖の息吹とシンクロすることになった。そこから汲み取れるあるべき地域医療とは、これまでのような化学的な対症療法ではなく、患者に本来備わっている筈の自然治癒力や免疫力を目覚めさせる、自然に逆らわない医療である。従来型の総花的な医療を提供する病医院は中学校区にひとつかふたつあれば十分という認識が窺える。とくに競合環境の厳しい都市部では、その地域になくてはならない存在として認知されない限り、何かしらの業態転換をせざるを得ない時代がもうそこまで迫っていると考えたほうがいい。


 これからの病医院経営の本質は地域との関係を強化・深化させていくことに他ならない。そのために真っ先に取り組むべきことは、患者や地域とのコミュニケーションのあり方を組織全体で共有・実践し、それを具体的な業績に結びつけていくことである。

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