言葉が持つ力
このすべてのプロセスを、私たちは言葉で行っている。
自問自答するのも、自分を励ますのも、覚悟・決断するのにも、言葉がなくてはならない。
私たちは、この48文字を紡ぐことでありとあらゆる感情や理屈を話している。これは凄いこと。私に言わせれば、この文字たちは無限の可能性を秘めた48色の魔法のクレパス。
(*「いろ」は色。人間模様の儚さを象徴する最たるもの、それが「愛」であると解釈した)
そう。話すという行為の原点は愛。愛が “Ⅰ” ならば、話すとは自分自身の映し鏡。愛をeye、心眼とみれば、話すとは心の目で見たものを伝えること。洞察力。洞察力とは、普通の人には見えないものを感じる力、気づく力、見抜く力。
つまり、話すということは、相手のために良かれと思って発信する魂のメッセージ。自分の話を聞いてどう感じてほしいのか。どう行動につなげてほしいのか。こうしてほしいから、だからあえて今ここでこの話をしているんだよという明確な意思を持って、考え抜かれた自分自身の言葉で相手の精神に影響を与えること。
だから、原稿を読むなんていうのは、私にすれば論外の外。米国の歴代大統領と比べて日本の総理の演説が無機質で心に響かないのは、どうもここらへんに原因があるように感じられてならない。