紹介(セカンドオピニオン)

いわゆる町医者に通っていたとする。通院の過程で、より高度な医療や専門的な医療を受けるために、町医者よりも規模の大きい病院で診てもらってきてくれと言われることがある。これが「紹介」だ。この逆もある。大学病院など比較的大規模な病院に通院していたら、「症状も安定してきたことだし、日常的にいろいろ気軽に相談できる近所の先生を紹介しましょう」などと言われる場合もある。これが「逆紹介」である。患者側からすると、ひとりの医者がスーパーマンであるはずもないのだから、いろいろな専門分野の医者とネットワークを持っている医者は「良い医者」の条件の一つと言えるだろう。
さてもうひとつ、「セカンドオピニオン」というのを聞いたことがあると思う。セカンドオピニオンとは、直訳すれば「第二の意見」となり、具体的には「診断や治療方針に関する主治医以外の医師の意見」をいう。「手術を勧められたけどどうしよう。」そんな重大な決断をしなければならないとき、他の専門医に相談したいと思うのは当然のことだ。この思いを患者側から医者に伝える手続が「セカンドオピニオン」だ。ここで大切なのは、患者のほうで誰の意見を聞きたいのかを明確にしておくこと。

つまり、どこの病院のどの医者のところへ出向きたいのかを決めた上で申し出ないと、主治医と仲のいい医者を紹介されて終わってしまうということだって実際にはあり得るのだ。患者自ら「セカンドオピニオン外来」を受け付けている病医院を探したり、テレビや本で知った「これは!」と思える医者との道筋をつけたり、それなりの努力が必要となることは知っておきたい。セカンドオピニオンは、日本ではなかなか普及していない。「主治医に失礼になるのでは」と思う患者が多いからだ。

 
●普通の医者 患者によほどの危険がないかぎり、自分の範疇で何とかしようと試行錯誤を繰り返す。患者から求められれば、「じゃあ一度専門の先生に診てもらいましょうかぁ」などと言って、自分が懇意にしている(ツーカーの仲の)医者を紹介する。患者が具体的な病医院名を挙げた場合には、相手の医者名のない意味のない紹介状を書いて渡したりもする(「紹介」を求める場合には、患者側が「どこの病医院のどの医者に診て欲しいのか」を特定しないと無意味な結果に終わってしまう)。
●良い医者 自分の専門外である場合には、患者にその旨を告げた上で、然るべき医者を紹介してくれる。患者が希望する病医院があれば、その病医院のどの医者に診てもらうのが有効かをスタッフに調べさせた上で紹介状を書いてくれる。また、紹介状を書いて封印する前に、写しを取って渡してくれる。
●悪い医者 死んでも患者を放さない。患者が何度も紹介を求めると不機嫌になる。ひどいのに至っては、「私が信用できないんですか?」などと脅しが入ってくる。ちょっと信じられない話だが、これは人格障害ではないかと疑いたくなるような医者が本当にいるのである…。
 
人気アナウンサーだった逸見政孝さん(故人)ががんで亡くなられた後、奥様の出された本や講演等により、「セカンドオピニオン」という言葉がかなり定着したように思う。逸見さんは1993年12月25日に癌との激しい闘病生活に幕を閉じた。同年1月の健康診断にて発見されたとき、がんは初期のもので、摘出手術を行なえばすぐに復帰できると説明を受けた。だが、開腹してみると悪性のスキルスがんで胃を3/4摘出する大規模な手術となった。具体的な手術の内容などの事前説明も少なかったそうだ。妻の晴恵さんは、夫に対して他の医者にも診てもらい最善の方法を選ぶように訴えかけてきた。しかし実直な逸見さんは「主治医を疑うような真似はしたくない」と頑なに拒んだ。

逸見さんの死後、がんの専門医などの間で、逸見さんの治療をめぐって手術はすべきでなかったという議論などが捲き起こり、テレビやメディアでも多く取り上げられた。晴恵さんはその議論を地団太を踏みたい気持ちで見ていたという。「主人の場合は納得して亡くなったと思いたいし、あれこれほじくりかえすのも主人の本意ではないと思う。ただ、もし私ががんになったら、いろんな情報の中から納得できる選択をしたいとつくづく思った」と、晴恵さんは語っている。

実際問題として、医者から説明を受けても、情報も知識もない患者や家族にとっては、治療法の決定をできないのはもちろん、恐怖や不安を覚える場合もある。だからこそ、知識を持っている人=専門医に相談し、意見を聞くなかで意思決定したいと思うのは当然のことである。そう考えると、インフォームド・コンセントとセカンドオピニオンは車の「両輪」であって、「良い医者」であれば患者や家族とのコミュニケーションを通じ、この両輪を円滑に回していくことの大切さを心得ていて然るべきである。

*なお、逸見晴恵さんは、昨年(2010年)10月21日に、みずからもがんのため他界された。

薬の処方

欧米では薬の処方を3剤までに抑えるのが原則だ。このことは医学生向けの教科書にも明記されているらしい。つまり、医者にとっては基本中の基本ルールと言ってもいいだろう。とくに高齢者の場合、体内での薬の分解や排泄に時間を要するため、何種類もの薬を一日に2回3回と飲めば、薬同士の相乗作用が生じ非常に危険である。しかも高齢者の多くは、糖尿病、高血圧、コレステロール過多等、「病気のデパート」と揶揄されるだけに多種多様の薬を処方してもらっている可能性が高い。年齢がいけばいくほど薬を常用するには注意が必要だということを肝に銘じておきたいものだ。

しかしながら巷の医者の多くは、そんなことお構いなしで薬を処方しまくっているのではないか。本当に患者を健康にしてあげたいと思う医者ならば、基本的に薬は服用しないほうがいいことを正直に伝えて欲しいものだ。やむなく薬を出す場合には、その必要性や飲み方やリスクについて、医者はキッチリと説明すべきである。不必要な薬を出すだけならまだしも、その薬の副作用で本当に深刻な状況を作り出してしまうことだってあるのだから。知り合いの医者仲間にも高血圧だったり糖尿だったりする人はかなりいる。でも彼らは、患者には薬を出しても、自分では薬を飲まず、食事や運動で少しずつ改善していると口を揃える。真実というのは、いつの時代もこういうものなのかもしれない。知らぬは善人(国民?)ばかりなり、である。

●普通の医者 患者には「一応、お薬出しておきますね」程度のことしか言わない。患者が会計時に処方箋をみると、最低でも2~3種類程度の薬品名が書かれている。院外処方の場合、いちばん近くにある薬局は医者の親族が経営していることが多かったりする。
●良い医者 基本的に薬は出さない。人間の持つ自然治癒力や免疫力を回復させることの重要性を説明してくれる。やむを得ず応急措置的に薬を出す場合は、薬個々にその効用とリスクについてきちんと説明し、「万一異常があれば、いつでも連絡をしてください」と添えてくれる。
●悪い医者 訳もからないままに、4種類以上の薬が処方されている。7~8種類はザラ。相談者事例でもっとも多かったケースは11種類。「良い医者」に調べてもらったら、なんと2種類に減ってしまった!「悪い医者」も、ここまでいくと尊敬したくなる?
 
<ワンポイントアドバイス:よくある診察風景>
患者 喉が痛くて、熱もあるんですが・・・。
医師 熱はいつからですか?
患者 昨日の夕方からです。38度近くありました。
医師 口を開けて下さい。あっ、もう少し大きく。
患者 あ~ん
医師 喉の奥が赤いですねぇ。咳は出ませんかぁ?
患者 とくに・・・
医師 風邪でしょうねぇ。お薬を出しておきましょう。抗生物質と喉の痛み止め。
あと頓服薬も出しておきますから、熱が上がって辛いようであれば飲んで下さい。
水分と栄養をよく摂って、安静にしていれば心配ないでしょう。
患者 あのぉ、実は胃があまり丈夫ではないのですが・・・。
医師 そうですか。では、胃薬も一緒に出しておきますね。
患者 ありがとうございました。


よくありがちな診察風景ではある。が、これではどこをどう判断して風邪と診断されたのかがまったくわからない。当の医者も「当たるも八卦、当たらぬも八卦」といった感じなのだろう。まぁ、この程度の稚拙な診察であっても、9割の患者は数日寝ていれば治るだろう。怖いのは、実は単なる風邪ではなかった…という場合である。また、患者が訴えるすべての症状ごとに対応して薬を出す医者は要注意だ。決して、「まぁ、なんて親切な」などと勘違いしないように。

薬というのはそれ自体が毒性を持っているものだし、薬相互の相性によって思わぬ副作用(死に至る場合さえある)をもたらすこともある。だから、良い医者というのは、患者と話し合いながら、いちばんつらい症状に配慮しながら優先順位をつけていくものなのだ。それと抗生物質。何かというとすぐに「抗生物質も出しておきますから」という医者がいまだに多い。抗生物質が風邪のウィルスに効かないという事実は周知の事実である。にもかかわらず抗生物質を出すのであれば、「ウィルス自体には有効性はありませんが、患者さんが高熱の場合に限って、感染症予防のために抗生物質を出すようにしています」などと、明確な説明が求められる。

説明(インフォームド・コンセント)

患者と医者の間には、診療契約という契約関係が成り立っている。とくに契約書を交わすことはないが、そんなこととは無関係に『診療契約』という概念が存在していることを理解しておきたい。その契約内容とは、ズバリ、医者が医療を施すことによって患者の健康を回復することである。が、医療行為には少なからず身体や生命の危険が生じる可能性も否定できないし、治療法が複数ある場合も多々あるものだ。そこで患者側には、いかなる治療を受けるべきか、自分自身で決定する権利が認められていて、これを自己決定権という。でも、通常、患者は医療についての専門知識を持っていないので、診療に当たる医者には、専門家として患者の診療状況を説明する義務が課せられている。これが説明義務だ。最近では、かっこよく「インフォームド・コンセント」と言われている。

この言葉は「説明を受けたうえの同意」と訳されるが、患者側の言い分としてはネガティブな声が大勢を占めている。私どもの調査結果で上位にくるのは、次の3点だ。①言葉が難しくてわからない。また、質問しても理解できない。結果として、頷いているしかない。②杓子定規な説明の仕方が多いように感じる。③選択肢を与えてくれない。結局は医者のやりたいように任せるしかない。

●普通の医者 患者の現在状態および見通しについて一応は何かしらの説明はする。「わかりましたか?」、「いいですか?」と杓子定規に尋ねはするが、腹の中では既に治療方針は決めてある。患者が求めれば、紙に書いて渡してくれる場合もある。
●良い医者 患者の現在状態および見通しについて、きちんとわかりやすく説明してくれる。とくに治療法については複数の選択肢を示し、それぞれの長所短所を説明し、その医者自身であればいかなる理由でどの治療法を選択するかを真摯に話してくれる。補足すれば、複数の治療法を挙げられるということは、然るべき勉強をしているということを意味する。また、患者が家に戻ってから検討できるように紙に書いてくれることもある。インフォームド・コンセントとは「説明と同意」という意味だが、良い医者はプラス「患者の選択(インフォームド・チョイス)」を尊重してくれる。
●悪い医者 患者には一切説明しない。患者が質問しても無視するか、脈絡もなく「問題ない」、「大丈夫です」と繰り返す。あるいは、「(病名)かも知れないなぁ」、「これでちょっと様子を見ましょう」などとひとりごとを呟きながら、ひとりで納得して「薬ぃ、出し説きましょうか」でジ・エンド。患者はキツネに摘まれたような感じがして、状況を紙か何かに書いて渡して欲しいと求めようものならば、「何のために?」、「いや、その必要はありません」と、まるで地球は自分が回しているとでも言いたげに突き放す。
 
医者たちの間では、患者への説明や関係そのものに対するネガティブな意見さえ聞かれてくる。しかし、考えてみれば遠いギリシャ時代、医学の始祖ヒポクラテスも言っていたではないか。「医術とは、患者の本性をよく考察した上で、今後の処置についてその根拠を示し、説明するプロセスである」と。こうしてみたときに、いま私たちのまわりに溢れている医者たちたるや、果たしてそれを実践していると評価できるものかどうか、甚だ疑問である。

検査

病医院の昨今の経営環境は非常に厳しいため、予防だの早期発見だの言って、ことあるごとに検査を勧めてくるはずだ。ろくに診察もせずに、とりあえず検査という医者が少なからずいるだろう。今日では、いまや人間ドックをふくめ検診業務は医者にとって貴重な収入源。とくに日帰り診断・治療が可能な内視鏡は稼ぎ頭だ。そこには、検診自体による収入があるばかりでなく、検診で発見した病気を治す過程でまた儲かるという一石二鳥の構造がある。
●普通の医者 「とりあえず検査しておきましょう」と言って、患者に同意を求める。コスト削減のため、たまに無資格者にレントゲンを撮らせていたりする。検査スタッフに疑問を抱いたら、「失礼ですが、あなたはレントゲン技士さんですか?」と尋ねてみること。検査結果については、一般の標準値と比べるだけで、患者個々の遺伝体質・生活歴・病歴までを考慮することはない。少しでも標準域を外れると、薬でコントロールすることを勧め、そそくさと処方箋を書き始める。
●良い医者 本当に必要な最低限の検査しかやらない。検査を勧める場合には、いまその検査を受ける必要性や目的、検査の具体的なやり方、検査前投薬の有無と副作用リスク、検査後の注意事項についてきちんと説明してくれる。検査結果についてもきちんと説明の時間を取ってくれ、生活指導を行ってくれる。過去の検査データ等を持参すれば、患者個々の遺伝体質・生活歴・病歴等を考慮して結果を判読してくれ、一般の標準域を外れたからといってすぐに薬を勧めたりはしない。検査所見を紙に書いてくれることもある。
●悪い医者 とにかく検査を執拗に勧める。健康オタクだとわかれば嬉々として高額な宿泊滞在型人間ドックのパンフレットを取り出してくる。数値データを取ること(あるいは、収益を上げること)だけが目的であり、特に説明や解説はしない。異常値やグレー値に対して可能な限りの薬を処方する。もちろん、継続して定期的にさまざまな検査を受けるよう勧めることも決して忘れない。こういう医者に限って、もっともポピュラーな胃の検査では、胃カメラの消毒を怠っていることもあるから要注意。
 
病医院を経営する医者の立場になってみれば、病人や病気が減っては都合が悪いのは当然だと理解できるだろう。そうかと思えば、PET検診を目玉にしたリゾートツアー等の高額な旅行商品が流行ったりもしている。こうしたものに投資する人たちを否定する気はないが、検査を受ける側には絶えずリスクがついてまわるのだという認識だけは持っておいて欲しい。自分の病気を正しく理解し適切な治療を受けるためにも、医者がその検査で何を知りたがっているのかを明確に聞きだす必要がある。
 
<ワンポイント・アドバイス:知らなきゃ怖い検査のリスク>
検査といっても幅広いが、検査前の投与薬には副作用、造影剤にはアレルギーやショック反応、内視鏡等による穿刺には血管・臓器・神経等の損傷リスクが想定される。また、検査に用いる器具の消毒不備による感染症リスクも侮れない。これら危険因子が二つ以上あるものをリスク大、ひとつのものをリスク中として分類すると以下のようになる。
<検査別のリスク分類>
リスク小:血圧測定、心電図、尿検査、視力検査、眼圧検査、眼底検査、肺機能検査、X線検査(造影剤なし)、CT検査(造影剤なし)、MRI検査(造影剤なし)、腹部超音波(エコー)、血液検査、生化学検査、血清学的検査、胸部・腹部等の単純レントゲン検査
リスク中:X線検査(造影剤使用)、CT検査(造影剤使用)、MRI検査(造影剤使用)、注腸造影検査(下部消化管X線検査)、関節造影検査、負荷心電図、腎盂造影検査、胆嚢造影検査、脊髄穿刺
リスク大:胃透視造影検査(上部消化管X線検査)、胃内視鏡検査(胃カメラ)、大腸ファイバー検査(下部消化管検査)、膀胱鏡検査、関節鏡検査、気管支造影検査、肝・膵・腎の生体検査、ERCP(内視鏡的逆行性胆管膵管造影検査)、羊水穿刺、脊髄造影検査、脳血管造影検査、心臓カテーテル検査、冠状動脈血管造影検査

日常的な相談

困ったことというのは、大尾にして夜間や休日に起こるもの。が、ほとんどの医者は週休2.5日だし、救急車を呼んだところでタライ回しにされるご時勢である。従って、休日夜間を問わず連絡が取れるように配慮してくれる医者というのは素晴らしいと思う。とくにお子さん世帯と離れて暮らしている高齢者のみ世帯にとって、何か不安なことがあったときにいつでも気軽に相談できる窓口はありがたいものだ。その場で即解決に至らなかったとしても、誰かに話を聞いてもらうだけで睡眠の質がちがってくるものなのだ。でも、市役所をはじめ世の中の相談機関というのは得てして相談しづらいものだ。縦割りで杓子定規。相談に行くとかえってストレスが溜まってしまう感がある。
●普通の医者 診察時間内であれば一応は話を聞いてくれ、それなりに問題解決の方向性やヒントを与えてくれる。時間外は留守電になってしまうが、場合によっては自宅や携帯の番号を教えてくれる。
●良い医者 24時間365日、いつでも相談に対応できる体制を用意していてくれる。診察を終えた別れ際には、「何かあったら休日夜間でも気にせず連絡してください」と言葉を添えてくれる。さらに、健康上の相談以外にも対応すべく専門スタッフや窓口を設けている。いくら身体の不具合だけが改善されても、他に不安や心配事を抱えていたのでは本当の健康にはなれないということをよく理解している。
●悪い医者 ルーチンワークのように機械的に、次から次へとデータを見ながら薬を処方したり、検査を指示したりしているだけ。そもそも話や質問ができる雰囲気がない。双方向のコミユニケーションを避けている、またはできないとしか思えない。
 
韓国ではダイヤル129番というのがあって、いつどこから電話してもあらゆる相談に乗ってくれるという、高齢者のみ世帯や母子家庭等には心強いサービスだ。正真正銘の国家プロジェクトである。日本にもこんなサービスがあったらいいと思う。でも、ないものねだりをしていても始まらないと思って、私は5年前から24時間365日対応のお困りごと相談をスタートした。

こうした体制を病医院が作ったっていいのだ。いつも通いなれている病医院が健康上の問題以外についても相談に乗ってくれて、然るべき問題解決のヒントや方向性を教えてくれる。こんな医者がいれば一躍地域のヒーローになれるはずだ。なぜならば、病医院、自治体、法律事務所、税理士事務所のなかで、シニアがもっとも気軽に出入りできる場所は病医院だからである。NPOで行ったアンケート結果である。本当に困ったことを相談しやすくするためには、敷居が低くなければならないのだ。

風邪の診察

風邪は万病の元。でも、この風邪の診察ほど難しいものはないそうだ。患者が「風邪だと思う」というのを真に受けるような医者には気をつけないといけない。<ワンポイントアドバイス>にある10項目についてきっちりと確認しなければ、風邪だと診断することはできないはずだ。

●普通の医者 10項目のうち3~4項目を確認し、風邪だと判断すれば数種類の薬を出して1~2週間したらまた来るよう勧める。
●良い医者 6~7項目についてじっくりと時間をかけた後、風邪だと判断した場合には「帰って温かくして寝ていなさい」とだけ伝え、とくに薬は処方しない。
●悪い医者 問診もそこそこに可能な限りの検査をして、可能な限り多くの薬を出す。もちろん、次回の来院指示も忘れない。こんな医者に当たったら、検査に向かうふりをして、そのまま帰ってしまって構わない。
 
<ワンポイントアドバイス:風邪と診断するために必要な作業項目>
①患者の訴えを注意深く聴き、患者の目を見ながら話す。
②熱や咳など、どのような症状がいつ頃から出てきたのかを確認する。
③食欲の有無や尿・お通じの状態を確認する。
④痛みのある場所を確認する。
⑤胸と背中に聴診器をしっかり当てて呼吸音を確認する。
⑥喉の奥、リンパ節の腫れや痛みを確認する。
⑦患者を横にして腹部の痛みを確認し、聴診器で腸の動きを確認する。
⑧本来薬は要らないものと断った上で患者と協議し、必要ならば最小限の薬を処方し、服用の仕方や副作用のリスク等をきちんと説明する。
⑨2~3日しても改善がなかったり、悪化したりした場合には再受診するよう伝える。
⑩再受診時には、他の病気の可能性を説明した上で、必要な検査や専門医の紹介を行う。

診立て

診立て(みたて)とは、医者が診察(視診・触診・打診・問診)やさまざまな検査結果に基いて診断を下すことである。しかしながら検査偏重の嫌いがあり、数値だけを見て患者自体を見もしない医者が増えてきている感がある。データ的に異常はないのに何かおかしいとか、逆に体調的に何の違和感もないのに「要精検」(要精密検査)となったり。そんな経験をしたことのある患者がほとんどではないか。まず顔色や表情を見ろや、と言いたくなる。
●普通の医者 確定診断がつかないと、「とりあえず」と、毒にも薬にもならない(つまり生命に支障のない)薬を何種類か出して「様子をみましょう。また2週間後に来てください」と言う。自分の腕に自信のない医者は、悪気はないのだろうが、患者が食い下がると「気のせい」「歳のせい」「陽気のせい」にして一刻も早く会話を打ち切ろうとする。
●良い医者 わからないことを「わからない」と言える。確定診断がつかない場合には、可能性として考えられることを説明し、その症状を引き起こした原因に心当たりがないか患者に話を聞く。そして、根本原因を改めるよう生活指導をしてくれる。
●悪い医者 確定診断がつかなくても知ったかぶりをする。「私に任せていればいい」といったふうにあれこれ検査をしたり薬を出したりして、しばらくして改善が見られないと、「あれぇ~っ」とか言いながら、「こりゃ、あれかも知れないぞ」などと言いながら、またまた検査や別の薬に持っていく。死んでも「自分には判断がつかない」とは言わない。言いたくない。絶対に。
 
聖路加の日野原重明さんの言葉を借りると、「例えば心臓の病気というのは、問診だけで6割わかる。聴診器を使えば7割はわかる。なぜかと言うと、最新鋭の検査機器で病気を診断するのではなく、対面する患者さんの顔を診ているからだ。聴診器といえば、かつては医者の代名詞のようなものだったが、いまでは聴診器で病気を発見する技術はすっかり失われてしまった」となる。つまり、の医者は聴診器が使えないのだ。だから検査データを必死に読もうとする。というか、データがないと病気の見当がつかないから無駄な検査を増やしてしまうのだろう。そうすりゃ経営的にも儲かるし、まさに一石二鳥というわけだ。

問診

“超100歳の現役ドクター聖路加国際病院の名誉院長である日野原重明さんは、「医療とは患者と医者の両者で作り上げるもの。そこには必然的に信頼関係が不可欠であるが、そのためにはまず、医者はもっと聞き上手に、患者はもっと話し上手にならないと」と言っている。

にもかかわらず、最近の医者は「医療の基本である視診・問診・触診がお座なり」だとも。患者がリラックスしてうまく話せるように、効果的な質問をしながら診立てと治療方針をわかりやすく説明して理解させるのも医者本来の役割であるはずだ。なぜならば、患者から正確な情報を聞き出すことが適切な治療につながっていくからだ。


●普通の医者 一応聴診器は当てる。患者の話には「うん、うん」と機械的に頷く。頭のなかでは、問題となっている症状に対応する薬や検査について考えている。
●良い医者 患者ときちんと向き合って視診、触診、打診、問診に時間をかける。症状の原因となったであろう問題行動、その行動を取らざるを得なくさせた生活背景までじっくりと探ろうとする。そしてその根本原因を潰すよう指導してくれる。
●悪い医者 基本的に患者を見ない。顔はパソコンやシャーカステン(レントゲン写真を貼り付ける白い電灯付きの器具。診察室に入ると医者のデスクの正面にあって、撮影したフィルム写真をスパッと挟んで、裏から光を当てて見る大きな白板のようなアレですね)のほうを向いている。ろくに患者の顔色も見なけりゃ話も聞かない。まずは検査だ、となるか、いきなり薬を処方する。
 
医者からよく聞く話は、「患者の症状の説明が支離滅裂でよくわからない。だったらまず、必要と思われる検査を受けてもらったほうが手っ取り早いかなと…」ということ。繁盛している医者ほどゆっくりと患者の話を聞いていられない状況がある。医者も改めるべきところは多々あるが、医者と良好な関係を築こうと思ったら、患者も努力する必要はある。

<ワンポイントアドバイス:上手な症状の伝え方
①いつから? 例:夕べ十時頃、食後一時間くらいして。
②どこが? 例:お腹、特に下腹部。
③どんなふうに? 例:差し込むような痛み。
④処置は? 例:市販の胃腸薬を飲んだ。
⑤経過は? 例:夕べの痛みを「10」とすると、今朝は「7~8」。
なお、再診の場合には、前回の受診から今日までの間に、症状がどう変わったかを話す。最初に処方された薬が合わずに不快感がある場合は必ず伝えること。患者側が自分の症状を整理して伝えることが、よい医療を受けるための第一歩と言えるだろう。

患者の識別

シニアの8割が「主治医やかかりつけ医がいる」と言う。しかし、そのうちの8割が、「主治医・かかりつけ医は私の顔と名前が一致していないと思う」と言っている。本来は、こういうのは主治医とかかかりつけ医とか言わない。患者の顔と名前の一致度は、初診時の問診の長さと質に依存すると言われている。

ちなみに主治医とは、読んで字のごとし。「主に治療に当たる医者」である。決して「主に治す医者」ではないからご注意を。これに対してかかりつけ医とは、患者側からみた呼称である。自分が「かかりつけている医者」のことだ。
米国ではこれらに相当する概念はなく、ホームドクターというのが一般的だろう。ホームドクターが患者の顔と名前が一致しないということは当然ない。それこそ昔の八百屋さん、魚屋さん、お米屋さんのように患者の家のことをよぉく知っている。冷蔵庫のなかまでは知らないかもしれないが…。

●普通の医者 患者の顔と名前が一致しない。何年も通い続けている医者のことを自慢話のように大声で喋っている患者がいるが、医者からすると、一日に100人以上来る患者のひとりでしかない。大尾にして患者の片思いである場合が多い。
●良い医者 患者の顔と名前が一致している。病医院の外で偶然出会ったときにも挨拶を交わしてくれる。診察室でも、会話のなかに患者の名前が自然と出てくる。「●●さん、今日はだいぶ顔色がいいですねぇ~」という感じ。
●悪い医者 患者を人として見ていない。モノとしてしか見ないため、あいさつする必要がないわけだ。当然、診察時もきちんと向き合って目を見て話すことがない、気遣いの言葉も出てこない。患者のことを思っているという演技すらしない。その意味も理解できない。こういう医者は、職員の顔と名前も一致しないことがある。こんな医者に出会ったら、そっと退席することだ。あなたがいなくなったのも気づかずに、パソコンを見ながら喋っているかもしれない。
 

人間が相手の顔と名前を識別できる数というのがあって、だいたい120人から150人だそうだ。お正月の年賀状の枚数や結婚披露宴の招待状の数も、平均するとこの間になるという。で、医者にも当然、顔と名前を覚えてもらうのが得策だ。そのほうがメリットは多いし、リスクは低くなる。毎日100人を超える患者と接すれば、すべて一律にきめこまやかに対応できるということはまずあり得ない。わかりやすく言ってしまえば、親しい相手ほど親身に接するようになるということだ。医者だって患者同様、人間なのである。だから、身内を診るのと他人を診るのとでは違いが出るのも当然だ。

となると、その医師自身または家族が患者のような症状になったらどうするか。これを聞き出せれば、患者にしてみたら実に価値のある情報ということになる。頃合を見て医者に尋ねてみよう。「あっ、先生、ちょっと、(症状や困りごと等)になっちゃって困ってるんですよぉ。先生だったら、こんなときどうしますぅ?」。こういうことを気軽に尋ねられるような関係が、実はいちばんいい。

出会い

医者との出会いとは、患者がはじめてその医者のもとを訪れたときのことである。医者側が俗に“新患”と呼んでいる患者たちのことだ。また、紛らわしいものとして“初診”というのがある。これは、過去にその医者を訪れたことがあるものの、そのときとは別の疾患を理由に外来受診した場合のことを指す。まぁ、2~3ヶ月以上の間隔が空いた場合には大体こう呼ばれることになる。なお、ある病医院に複数の診療科がある場合には、例えば、内科にかかったことがあったとしても、皮膚科にはじめて出向く場合には、皮膚科の医者から見て“新患”ということになる。

はじめての医者に会うとき、私はいつもワクワクしてそのときを待つ。どんな医者が現れるのか、楽しみで仕方がないのである。だから、自分や家族が医者に出向く必要があれば、意図的にいろいろな病医院を巡るのである。実際に対面してみて予想が当たったとき、ハズレたとき。それなりに楽しい思いができるものなのだ。

いずれにせよ、患者と医者もひとりの人間同士である。最初の出会いというのはその後の関係を決定づけてしまいかねない。しかも多くの場合、患者はなにかしら苦痛があって医者に会いに行くわけだ。そんな迷える子羊に対して医者はどのような登場の仕方をするのか。これは極めて重要であるはずだ。が、このあたりのことに医者側は無頓着である。

●普通の医者 名乗ることは稀だが、杓子定規ながら、挨拶はそれなりにする。
●良い医者 患者の顔をしっかり見て、立ち上がって名乗る、頭を下げる、名刺を出す等、社会人としての然るべき挨拶ができる。さらに、「お待たせしました」等、労いの言葉をかけてくれることもある。
●悪い医者 初対面の挨拶がない。ぶっきらぼうに「どうしましたぁ~」から始まる。そんなときは、「あっ、まちがえました」と言って部屋を出よう。
 
残念なことに、診察室で患者に名乗らない医者は本当に多い。仕事上の面談であっても、半分の医者は名刺も出さない。欧米では、いや韓国であっても、これはあり得ない、信じられないことだ。日本の医者の挨拶レベルは、おそらく小学生の子どもよりも低い。そんなふうに医者を人間観察する習慣をつけてほしいものである。

« 前へ | 次へ »


NPO法人 二十四の瞳
医療、介護、福祉のことを社会福祉士に相談できるNPO「二十四の瞳」
(正式名称:市民のための医療と福祉の情報公開を推進する会)
お問い合わせ 042-338-1882