重陽の節句に…。

サムエル・ウルマンの『青春』をコピって、NPO会員のみなさんに発送した。

青春とは人生の一時期をいうのではなく、心のあり方をいうのだ。

人は、希望と自信と信念とともに若く、失望と恐怖と疑念とともに老いる。

若さとは、心と身体から発散するパワー。
生きていくためのエネルギー。
好奇心を持ち、冒険心を秘め、未知の明日に向かって歩き出そうとする力。

来年の今日。
生涯青春真っ只中のみなさんと、また楽しいひと時を過ごせますように…。

社会人の心構え③

某企業の新入社員に対して行った講演の内容をご紹介してきました。
テーマは、学生と社会人のちがいにフォーカスしながら、『もう許されない学生時代の3つの習慣』について。

今回は最終回。『自己啓発 ~天は自ら助くる者を助く~』です。


学業の目的はインプットでした。それはわかればいい世界です。知識を増やしたり深めたりすることが学生の本分です。しかし、仕事はアウトプットです。わかっただけではダメで、できなければダメな世界です。社会人の本分は、仕事を通じて、他者に製品やサービスをはじめとする付加価値を提供することです。

学生時代は、受身の姿勢で、みなが一律に同じテキストを眺め、同じ教授の講義を聴いていれば問題ありませんでした。しかし社会人となれば、自分が密接に関わる業務については、会社が一律に用意してくれる研修のみならず、アウトプットの質を高めるために自発的に学び取ろうという向上心が求められます。

なぜか。そうしなければ、みなさんが一本立ちしたとき、社内の同僚のみならず、競合他社にも負けてしまうからです。負け続ければ評価は下がる。評価が下がればお金も減る。それが社会人というものです。

お待たせしました。ザキヤマさん(架空の新入社員)です。
配属先では、新入社員を一日も早く戦力にすべく、先輩たちがさまざまな勉強会をセットしてくれるはずです。そんな時、先輩のプレゼンテーションやスピーチの後、必ずコメントを求められます。

気をつけましょう。他の話は全部聞いていたのに、たまたまちょっとエアポケットに入ってしまったときに限って指名される。そういうことって本当に多いです。


 「ザキヤマさん、いまの話、どう思った?」

 (げげっ。うむむ・・・)

沈黙すること10病弱。

 「あっ。は、はい。とても大変勉強に(参考に)なりました・・・です・・・はいっ」。

こいつはダメだと烙印を押される瞬間です。
よく耳にする言葉ですが、これ、死んでも吐いてはならない言葉です。なぜだと思いますか?

 「参考になりました」というフレーズ。これは、先輩の話をまったくスルーしていたとしても発言できる内容だからです。

  教訓です。賛成の根拠を言う。できれば、まだ誰も指摘していないことを言いたい。
厳しい言い方をすれば、ビジネスの現場では無意味な話をすることは罪。それこそナンセンスです。何が勉強になったのか。なぜ同感なのか。そこを伝えなければ意味がありません。

あるトピックについてコメントを述べるにはセンスが必要です。それには日ごろからの勉強量が利いてきます。みなさんがどのように球を返すのか。周囲は注目しています。そのときに、「ほう。なかなかわかっているじゃないか」と思われたほうが、思われないよりもやはりベターなのです。

周囲から信頼される言動を積み重ねてチャンスをもらった。円滑な人間関係を心がけたおかげで周囲の貴重なサポートももらえた。しかし、自分自身に然るべき能力が備わっていなかったとすれば、せっかくのチャンスをモノにできる確率がガクンと落ちてしまいますよね。そうならないためにも、成果を形で示すための日常的な自己啓発を心がけるべきだと、私自身の実感も込めてお伝えしておきたいと思います。

なお、ザキヤマさんの場合は、上司から大きく3つの分野を意識的に強化したらいいと勧められました。

ひとつ、業界知識。これは自分が担当するクライアントの業界という意味です。
ふたつ、テクニカル。これは自分の職種に関連する専門知識。例えば、税務、IT、商業英語などです。
そして、みっつ、コミュニケーション。システム関連のトラブルの代表は、クライアントの意向を汲んで作ったはずのプログラムに対して、「こんなはずじゃなかった」となることです。原因はシステム開発やプロジェクト管理といった技術的な話ではなく、ほぼ100%コミュニケーションの問題です。クライアントとのトップや担当者とのコミュニケーション。営業担当者とのコミュニケーション。開発メンバー相互のコミュニケーション。

いかがだったでしょうか。
学生と社会人の3つのちがい。

 学生はお金を払う。社会人はお金をもらう。
 学生は好きな者同士。社会人は誰とでも。
 学生はインプット。社会人はアウトプット。

このあたりを自覚して、日々の言動に注意を払ってみてはどうでしょうか。

意識して態度を変えることで行動が変わります。
行動が変われば習慣が変わります。
習慣が変われば生活が変わります。
生活が変われば人生が変わります。
人生が変われば運命が変わります。

みなさんのご活躍を願い信じて、本日のお話『社会人の心構え ~もう許されない学生時代3つの習慣~』を終わります。

社会人の心構え②

前回から、某企業の新入社員に対して行った講演の内容をご紹介しています。
学生と社会人のちがいにフォーカスしながら、『もう許されない学生時代の3つの習慣』について話しています。

今回のテーマは、『人間関係 ~組織人はひとりでは何もできない~』。


学生時代は、大学・学部・専攻・サークルのどれをとっても大体似たような人たちが周りに集っていました。 たまに波長が合わない人がいれば無視してもいいし、無理してつきあう必要はありませんでした。

しかし社会人となったら違います。ビジネスの現場には多種多様の人がいます。人種のるつぼです。出身・年齢や価値観も千差万別。最近では国籍も多種多様になってきました。今後、この傾向はますます強まっていきます。流行の言葉ではダイバーシティと言います。
上司や先輩とウマがあわないからといって、つきあわないわけにはいきません。

とくに日本の会社は集団主義。よほどのことがない限り、例えどんなに有能な人であっても、いかなる仕事であっても、周囲の協力なしにやり遂げることは不可能です。会社組織というのはそんな体制・システムになっているものです。

前回お話したように、みなさんが信頼される言動を積み重ねていったとしましょう。そしてその結果、何かの仕事を任せられたとします。せっかくのチャンスをもらったそのときに、上司や先輩や同僚、さらには他部門のサポートが得られなかったら困りますよねぇ。

みなさんが困るだけでなく、会社としての組織力を発揮できなければ、結果的にお客様に迷惑をかけてしまう。いや、それどころかビジネス機会そのものを逸してしまうかもしれません。つまり、みなさんのみならず、会社の損失となるわけです。

みなさんも私もきっと大好きな福澤諭吉(1万円札の顔だから)。
彼はかつて、英語のSocietyを「人間交際」(じんかんこうさい)と翻訳しました。また、明治時代の辞書にも、社会とは「個々人のつきあい」と表現されています。社会人である私たちは、人間関係を築き、継続して深めていくことの大切さを絶えず意識していたいものです。

さて、ザキヤマさん(架空の新入社員)です。
上司から与えられた課題と悪戦苦闘していると、ひとりの先輩がやってきました。

 「おっ、ザキヤマさん、がんばってるね」

 「・・・」

 「ザキヤマさん、何か問題はないかい?」

 「・・・」

 「遠慮しないで、わからないこととかあったら言ってくれていいよ」

ここでついにザキヤマさんが口を開きます。

 「あっ、特に。ちょっと今テンパってるんで」。
これ、非常によくあるパターンです。
作業に没頭するザキヤマさんが咄嗟に口走ってしまった言葉です。あちらにも決して悪気はないのだけれど、こちらが何かに集中しているときに限って話しかけてくる。そんな間が悪い先輩とか、結構いるものです。

でも、そんなときこそ重要です。先輩の方から何か気にかけてくれたときに、例えその時点では特に困ったことがなかったとしても、タイミング悪いなぁと思ったとしても、感謝の気持ちを表現する必要があります。そこで返す言葉は後々の人間関係の浮沈を握っています。でないと、みなさんが本当に相談に乗ってほしいときに受けとめてもらえなくなる危険性を孕んでいます。 

教訓です。真実が常に正義とは限らない。
仮に申し出を断る場合にでも、いかに「なかなか可愛い後輩だな」と思われるような返事を返せるかどうか。
ザキヤマさん曰く、予めいくつかのパターンを用意しておいてもいいくらいだ・・・ということです。

(続く)

社会人としての心構え①

今回から3回にわたって、ある企業の新入社員に対して行った講演の内容をご紹介していきます。
学生と社会人のちがいにフォーカスしながら、『もう許されない学生時代の3つの習慣』について話していきます。

まずひとつめ。テーマは「行動責任~信頼される言動がチャンスを呼ぶ~』です。

結論から言いましょう。
ビジネスシーンにおいては、話すべきことを決めてから話そうということです。

学生時代は学校にお金を払ってました。だから授業中寝ていようが、授業をさぼろうが、自己都合自己責任。さして問題にはなりませんでした。


しかしこれからは、会社からお金をもらいます。どういう事かと言うと、会社とみなさんおひとりおひとりとの間には契約関係があるということです。だから会社が企業として目指す方向性に協調することが義務づけられます。組織の一員として信頼される、然るべき行動が求められます。そして会社の存続発展に貢献することの対価として、給与や賞与を受け取るわけです。

この研修にしても、お金の出所は会社の経費。みなさんの将来に期待しての先行投資です。このことを理解すれば、例え退屈な研修であろうと、目的意識を持って、会社が負担してくれた金額以上の何かを吸収しなくては、という気持ちにならなければ嘘なわけです。

ですから、みなさんが真っ先に実践すべきことは、「私はこの構図をきちんと理解していますよ」ということを知らしめること。要は、信頼を得るための言動を徹底することです。学生時代のように、わかっただけではダメで、周囲がそうだとわかるよう具体的な言動に表すことが求められるのです。この積み重ねが活躍のチャンスを運んできます。

これがないとどうなるか。時間の経過とともに少しずつわかってくるはずです。チャンスが与えられなくなっていきます。さらに、コンプライアンス違反など、企業の社会的責任を著しく逸脱した場合、社会的制裁を受けることだってあります。この危機意識は絶対に持っておく必要があります。これが社会人としての大前提です。

それでは、「信頼される言動」って具体的にはどんなこと?となるわけですが、
ここでザキヤマさん(架空の新入社員)に登場してもらいましょう。入社して間もなくGWというある時、先輩社員がトッププレゼンテーションのリハーサルを土曜日に行うことになりました。

営業所長曰く、「新入社員も積極的に参加して勉強したらいいんじゃないかな」。

その時、ザキヤマさんが一瞬表情を曇らせます。

 「ザキヤマ、どうかしたか」

しかめっ面をしながら沈黙すること10秒弱。ザキヤマさんの口から出た言葉は・・・。


 「いゃあ、申し訳ありません。そこはちょっと旅行の計画が入ってまして・・・」。
次の瞬間、その場の空気が止まり、画像はセピアカラーに変わりました。あの時の白い目線の集中砲火を、ザキヤマさんはいまだに忘れることができません。

教訓です。社会には建前と本音がある。
入社間もない時期、配属先のムードを把握するまでの期間、一定レベルの信頼を得るまでの期間は、スタンダードな言動を心がけましょう。学生気分が抜けないヤツだなどという印象を持たれて得することはありません。

ちなみに、私の経験則から申し上げると、なぜかプライベートの予定が入っているときに限って、間近になって休日出勤や残業の案件が出てくるんですよねぇ。

感じて、考えて、それから話すということです。
「たちつてと」(短絡的に、中枢神経で、つまらないこと、テキトーなこと、突拍子もないこと)で話してはダメよ、ということです。

(続く)

社会人1年生の人たちに

先月末に、ある企業の新入社員の方々にお話しする機会を戴いた。
4月に社会人デビューしてちょうど4ヶ月。全社合同の入社時研修を終えて、現在はそれぞれの配属部署でOJTの真っ最中といった時期である。

講演のテーマは、『社会人としての心構え』。
なんとも堅苦しいタイトルだ。それだけに内容を工夫する必要を感じ、サブタイトルとして、『もう許されない学生時代の3つの習慣』という一行を加えさせて戴いた。

話し終えた後で、人事部長から大変高い評価を戴いた(社交辞令かなぁ?)ので、このぶろぐでも紹介しようと思う。話の展開としては、「学生のころは~だったけれど、社会人だったら~しなくちゃね」というネタを3本、である。

とは言え、私の社会人デビューは28年も昔のこと。ネタが老朽化していたらヤバいので、冒頭で受講者に訊いてみた。

①みなさんが今、日々感じている不安や戸惑いは何でしょうか?
②みなさんが今、日々ワクワクしていることは何でしょうか?

で、①の回答としては以下が抽出された。

   
   『はっきり言って、毎日暗いんだけどぉ』
   『もう死ぬまで、長期連休がないなんてぇ』
   『死ぬまで早起きを続けなきゃならないんだぁ』
   『毎日毎日、朝から晩まで仕事なんて耐えられないよぉ』
   『上司や先輩と性が合わなそうでヤバいかもぉ』
   『これで親から離れて自由になれる』

そして②のほうは・・・。

   『社会人の合コンって、ちょっといいかもぉ』
   『ついにクレジットカードが持てたじぇい』
   『早速すばらしい出会いがあったぜいっ』
   『さぁ、とにかく稼ぐぞぉっ』
   『新しい世界で新しい自分になるんだっ』

グループディスカッションを経て出てきたものなので、結構本音かなぁと感じました。
私がかつて感じていたこともかなりありました。

 これは意外と昔の自分とちかいかもぉ・・・

ということで、用意した内容をそのまま話していくことにしたのです。

それを次回からお届けしていきますね。

生前資産継承の実際

かなりキツいことを言ってきたけれども、すへて本音である。

相談者の話を聞けば聞くほどに、人生の終盤で愛する我が子との関係に悩んでいる方が多い。 おそらく子供のほうだって同様のはずだ。長きにわたる親子の愛情や歴史があるからこそ、余計にこじれてしまうことがよくあるものだ。

だから・・・。

そうしないための方策として、元気なうちから資産を子に委ね、それと引き換えに、子どもには親への対応を覚悟させるべきだと思う。

『親の面倒を子が見るのは当たり前』などと本気で考えている人には理解できないかもしれない。 しかし、人生の最後に来て無用な摩擦を起こさないためには、やはりこれしかないのではないか。 本気でそう考えている。

以下、元気なうちから資産を子どもたちに継承するための流れについてまとめておく。

1.目的

①老後の良好な親子関係の維持
②子の役割の明確化と覚悟の促し
③緊急時の子の負担軽減
④有事の無駄な費用や税金の最小化

2.生前資産継承のステップ
①第1ステップ:親50歳(第一子が成人)
●資産の棚卸し(負債も忘れずに)
●資産継承宣言
●併せて子に進言
(死生観、生老病死、結婚のリスク、双方の親の介護、子のリスク、できたら子はひとりがいい、唯ひとりに愛とお金を集中せよ、男のリスク、二枚重ねて外で出せ 等)
●資産継承案の作成開始
●エンディングのデザイン
(認知症発症時の対応、療養場所、死に場所、告知、延命治療、葬儀、遺品処分のスタンス 等)
②第2ステップ:親60歳(第一子がマイホーム購入)
●資産継承手続(同意書取り交わし) *サンプルイメージあり
●漸次資産継承開始
③有事の場合:父母いずれかの死去、要介護など
●子が同意書に則り実行。
3.確保したい相談相手
社会福祉士、行政書士、外資系保険会社のFP *税理士は結局税務署の手先。

(有事に医者や弁護士が必要になった場合には、彼らから紹介してもらう)

なお、資産継承合意書のサンプルをご希望の方は、お気軽にご一報ください。

以上

勝手に作った子なら、目の黒いうちに資産継承するのが親の使命!

人生は紙オムツから紙オムツ。子の立場からすれば、親が自分に何かを遺してくれるのか、どれくらいのものを遺してくれるのか。それが不透明なまま介護などの作業負担だけを求められてもやりきれないものがある。ではどうするか。

 いわゆる老老地獄に陥らないためには戦略が必要だ。それも若くて元気なうちから。概ね50歳くらい。第一子が成人するタイミングが妥当だと思う。子が一人前になった時点から、親子の主従関係を漸次逆転していくべし。老後のライフケアを託すことと引き換えに、生前から親の資産を子に継承していくのだ。親が心身ともに自立しているうちに、子に与えるお金と委託する役割について明確にしてくれれば、子にも親への感謝と覚悟が芽生えるものなのだ。親がいつまでも資産状況や遺産分割の方向性を示さないでいるから、示さぬままに心身がボケてしまうから、世の中に老老問題(介護虐待、介護心中、介護殺人、相続争い、相続殺人など)と揶揄される厄介な問題が起きてしまうのだ。

 生前の資産継承は、結果的に親子間の信頼と絆を強めるものである。多くの高齢者が望む良好な親子関係を維持するための唯一の方法と言えるかもしれない。これによって、『子に媚びず気を遣わず、誰に負い目も引け目もない』。そんなクールな老後を実現できる。

 悲しいかな、もはや国も子どもも当てにはできない時代である。経済的裏付けなしに子に面倒をみてもらうなど砂の城にすぎない。そんな当たり前のことはちょっと考えただけでわかろうというものだ。

老老地獄の根底にある老親の驕りと勘違い

 過去5年間に5000件。世の高齢者からの相談を受けてみてわかったことがある。それは、人間誰しも歳を重ねれば様々な問題を抱えるものだが、彼らの苦悩の根本にあるのは親子関係の悪化だということだ。高齢者が死を自分の問題として意識するようになったときに、7割の人がもっとも懇願するのは、「いま一度、昔のようにわが子との良好な関係を取り戻したい」ということ。逆にいうと、歳を重ねるに連れ、親子関係が悪化してしまうケースが殆どということだ。印象として、特に(富裕層でなく)一般大衆層でこの傾向が顕著。

 で、親子(身内)間トラブルの元凶は、突き詰めれば多かれ少なかれお金の問題である。親は老いて尚お金に執着して手放さず、一方で介護など親の面倒を子に期待する。子にしてみればたまったもんではない。負担だけが上乗せされ身動きがとれなくなってしまう。私どもの会員にも、『子が親の面倒をみるのは当然』などと平然と言い放つ輩もいる。そんなのは100年古い。もはや時代が違うのだ。現代を生きる子どもたちは忙しいのだ。

 はっきり言おう。現在の老親世代が若かった頃。あの戦後経済の高度成長時代。兵隊から企業戦士に衣替えしたサラリーマンは、政官業の壮大なる癒着の恩恵を受けて、組織の歯車となって機械的に時間を過ごしてさえいれば、誰でもそこそこのお金を手にして蓄えることもできた。そういう時代だったのだ。老親世代が取り立てて有能だったからということではない。この点を勘違いしている高齢者が多すぎる。

 しかし現代のこの国では、有能な人でさえ、日々食べていくので精一杯。そんな過酷な毎日を生きている子どもたちに、金銭的な裏付けも示さずに『親の面倒を子が見るのは当たり前』などと言っているから、老老地獄に落ちるのだ。高齢者はもっと謙虚になる必要がある。でないと、決して穏やかな最期を迎えることはできないだろう。老後を子に依存する一方で、金銭への執着はとどまることを知らない。身勝手なことをほざく前に、親の都合で勝手に産み落とした子どもたちに対して、親が果たすべき責任と義務があるはずだ。

続く

賢い老後には戦略がいる!


長生きしなければいけない時代である。
だからこそ、いま求められる親子関係のパラダイムシフトについて書いてみたい。


否応なしに100歳まで生きなければならない時代である。
現代を生きる私たちは、長生きと引き換えに、対処しなければならない試練を与えられた。

長生きしなければいけない時代の老老地獄である。
戦国時代さながらに、親子間の哀しい事件が止まらない。


老老介護や老老相続の問題は、介護殺人や介護心中、子ども同士の遺産争いなど、悲惨で哀しい事件の火種を孕んでいる。誰もが通る道だ。社会保障をはじめとする国家インフラが未整備のまま世界に稀な長寿高齢王国となったニッポン。そこにあるのは長寿どころか長生き地獄だ。

20世紀最大の海難事件タイタニック沈没からちょうど100年。
こんど沈むのは戦略なきニッポン丸かもしれない。

続く

男と女・・・

男と女ってのは陰と陽。
お互いが何か足りない部分を持っていて、自分じゃどうにもできない。

だからこそ男と女は惹かれあい結ばれ完全な形になろうとする。
これが陰陽和合という考え方だ。

だが実際の世の中は陰陽不和。
例え自分に足りないものを持っていたとしても、結局は自分とは違う別人。
自分と同じでない人間が、いつまでも一緒でいられるはずがない。

男女がくっつくだけで満足していられるのは結婚前に限られたこと。
一旦夫婦になってしまえば、男は女から離れなきゃ落ちつかないし、女は男から離れなきゃ窮屈になる。

結局、男は男同士、女は女同士が気が楽ってこと。

つまり人間には、陰陽不和を知るために陰陽和合という入口が用意されているわけだ。

これが真理というものじゃないか。
つくづく・・・。

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