健康観…持ってますか?

こんにちは。ジャムおじさんです。
 
年度替わり一発目のテーマとしては、『健康観』を取り上げてみたいと思います。
 
私は最近、西洋医学の限界とか、代替医療の可能性とかを調べていく過程で、いわゆる“不治の病”から生還した人たちの話を貪欲に聞き漁っています。そのなかから見えてきたのは、みなさん共通して自分なりの健康観を確立されているということです。食生活、睡眠法、入浴法、スポーツや軽体操、リラックス法、呼吸法、人づきあい、仕事や趣味のこなし方、医者との接し方、等々。自分の人生や生活のさまざまな領域について、それはもう驚くほど明確に、です。
 
ご自身や家族の病気をきっかけにいろいろな本を読まれて会得した人、偶然出会った人格者に影響を受けた人、先祖代々継承されてきた家訓に則って養生している人…。きっかけはまちまちですが、いずれも自分の健康には自分で責任を持つという明確なスタンスを持っているのです。彼らにしてみれば、医者でさえ単なるひとつの道具でしかありません。例えばこんな感じです。本当は薬は一切飲まない主義だけれど、2週間の海外旅行を控えている。旅先で厄介なことがあるといけないから、万一のために薬だけもらっておこう…。またある方は、「自分の身体は自分がいちばんよく知っている。昨日今日知り合った医者に自分の健康を委ねるなんてバカはしない」と真顔で言っていました。

みなさんはいかがですか?
健やかで幸せに生きていくためのポリシーのようなもの・・・。
何かお持ちですか???

医療と宗教の連携

こんにちは、アンクルジャムです。

今日は、陰暦の2月15日に当たります。平安時代末期の歌人西行の命日です。たしか・・・。
『願わくは花の下にて春死なん その如月の暁のころ』
こんな気持ち、私も最近はよぉくわかるようになりました。
とくに散り際の桜吹雪なんて泣けてきちゃいますね・・・。しみじみ(笑)。いや、笑えないか・・・。

さて、最近はちょっと事情があって『生と死』についていろいろと調べています。で、4月以降の活動テーマを見つけました。寺社会の復活です・・・。

がんに代表されるように、現代の病気においては、人間の四苦とされる「生老病死」の『病』の部分が長期化する傾向にあります。要は、患者が何年もかけて死に向かっていくという特徴があるわけです。病床であれこれと考える時間があると、「死」というものに対する恐怖や不安から患者さんたちにはさまざまな葛藤が生じ、場合によっては人格にまで支障を及ぼすこともままあります。

となると、この死へ向かう過程での然るべきケアが必要となってくるはずです。残された人生の価値やQOLをいかに高め、いかに穏やかかつ幸せに死へ誘っていくのか。これもターミナルケアの一環であり、医学の務めなのではないかと、はじめは考えました。

でも、いろいろと調べるうちに、ここはひとつ宗教家の人たちに期待してみたくなってきました。日本の医療はそもそもが寺院で行われていたという史実があります。日本で最初の国立寺院「四天王寺」には、敷地内に病医院、施設、薬局、学校があったことを改めて思い出しました。

人間が死と向き合いそれを受容していくことは、かなり精神性の高い作業だと思います。近代西洋医学の産物である医学の世界の人だけでは、どうも心もとなく思えるのです。アメリカの病院では牧師さんが余命少ない患者さんやご家族のためにスピリチュアルケアを提供しているそうです。

日本で言うならば、お坊さんたちが思い浮かんできます。明治以降、日常生活から切り離されてしまった感がある仏教ですが、今日でも日本の葬儀の9割以上は仏式なのです。死を目前に控えた患者の内面的な事柄については、やはり宗教家の出番だと思います。

もしかすると、もっと日常的にお坊さんたちに死生観のようなものを説いてもらったらいいのではないでしょうか。地域の人たちが、元気なうちから『生と死』について考える機会をお坊さんたちに提供してもらうのです。

病医院は患者さんが死んだ瞬間から商売にはなりません。お坊さんは、人が生きていたら商売になりません。どうも、「西洋医学は生きてる間だけ、お坊さんは死んでからだけ」というのは、死の準備期間が長い今日においては駄目だと思います。それでは生と死が断絶してしまうのです。実際には、両者はつながったものであるはずです。ここをお坊さんにつないでほしいのです。

原点回帰ではありませんが、お坊さんたちはもっと外に出ていって、『死の教育』を病院や地域に出前してみてはどうでしょうか。あるいは、医療も含めた総合寺院を作って、地域コミュニティの磁場になるというのはどうでしょうか。

こんなことを考えるようになった私は、来月からお寺の住職さんたちと話してみることにしたのです。

良いかかりつけ医の条件とは

こんにちは。ジャムおじさんです。

先日、鎌田寶先生の講演を聴く機会がありました。そのなかで、私たちが好ましい医師を探すときに参考になりそうな部分がありましたのでご紹介しますね。
 
「重篤な病気をした時は専門医ですが、専門医はひとつの限られた知識だけに精通している医師のこと。まずは、日頃から気軽に相談のできる『かかりつけ医』を持つことが自分の健康と命を守ることにつながるのだと思います」という内容でした。
 
続けて、『良いかかりつけ医』の条件として以下の10項目を挙げ、これらのうち3つ以上該当すれば及第点と考えていい…と話していました。
①話をよく聞いてくれる
②わかりやすく説明してくれる
③薬をすぐに出さず、生活の注意をしてくれる
④必要があれば専門医を紹介してくれる
⑤家族の気持ちまで考えてくれる
⑥地域の医療、福祉を熟知していて必要な時は何時でも繋いでくれる
⑦医療の限界を知っている
⑧患者の悲しみ、痛みを理解してくれる
⑨他の医師(セカンドオピニオン)を快く受け入れてくれる
⑩本当のことをショツクなく伝えてくれる
 
3つでいいんですよ、3つ。ずいぶんとハードルが低いと思ってしまうわけですが、それほど世の中には『良い医師』というのが数少ないのだなぁと改めて認識した次第です。
さて、みなさんのご感想は???

真のマイドクターとは

私たちの目指すところについては前回も述べましたが、大事なところなのでもう一度繰り返します。
私たちが目指しているのは、寝たきりであったり、通院が困難であったり、あるいは、その他の事情で定期的な往診を求めている高齢者と、訪問診療を提供できるドクターとを互いに紹介しあい、更には、緊急時の受け皿となる支援病院などまでを含めた新しい地域医療ネットワークを作ることです。
そして、このネットワークの中心的役割を担うのが、あなたにとっての本当のかかりつけ医です。
この本当の意味でのかかりつけ医のことを「マイドクター」と呼ぶことにします。
 
マイドクターは、常日頃からあなたの健康維持・管理や病気の予防に努めます。
つまり、現時点で顕著な症状が出ていなくても、予め約束した日にあなたのご自宅を訪ね、診察します。
しかし、不幸にもあなたの体調に異変が起きて専門的な治療が必要となったとしたら、マイドクターは、直ちにあなたの状態から判断してもっとも有効と思われる医療機関を見つけ出し、あなたの受入れについて調整します。
 
また、必要があれば、あなたの普段の状況について、受入先の担当医に説明もします。

みなさんも経験あるかと思いますが、かかりつけの医者から別の病院を紹介されたときに、最初にご自身の病状について説明することに不便な思いをされたことがあるでしょう。
増してや緊急時に救急車まで呼んで、気が動転していればなおさらのことです。
私たちの考えでは、これはもう高齢で、かつ病弱な立場にあるあなたがご自分で説明するよりも、日頃からあなたの身体について熟知しているマイドクターが説明すべきだと確信しています。
あなたは、そんなストレスの溜まることに悩むことなく、すべてをマイドクターに任せていればよいのです。

 
人間は年齢とともに複数の疾病を患うことが当たり前になっていきます。
私の父なんて、以前は内科だけでも循環器に消化器、整形外科に眼科と4つの診療所を頻繁に行き来していました。
これは、父にとっての「かかりつけ医」が4人いることを意味します。
他にも大学病院にも月に一度は顔を出すといいますから、厳密には5人?
いやいや、大学病院では毎回医者が異なるとのことですから、5人以上は確実です。
そして、それぞれのかかりつけ医がかなりの種類・分量の薬を処方して下さいます。

でも、父はほとんど飲まない。どうして飲まないのかとたずねると、

 「薬が多すぎて、どれがどれだかわかんなくなってしまった」
 「あちこちで同じような薬をくれるから、飲みすぎが心配で・・・」
 しまいには、「人間、自然がいちばん」 等と言い出す始末です。
 
知り合いの医師に聞いてみると、医者の世界ほど横のつながりがない世界もない、ということです。
まず間違いなく、他の医療機関がどんな薬を処方しているかなど確認してもいないのでしょう。
となると、薬というのは飲み合わせによって副作用とかいうことがありますから、逆に、無理強いしてまで飲ませるのも良くないか、などと考えてしまうわけです。
 
思うに、「かかりつけ医」がこんなに大勢存在することは、むしろ悪ではないでしょうか?
それよりも、あなたの病気や健康のことを熟知している医師はただ一人いてくれればいい。
そして、さまざまな疾病ニーズが生じるたびに、適切な通院先に導いてくれる・・・。
これこそ本当に意味のあることだと思いませんか?
 

この、あなたについて熟知しているただひとりの医師こそが、私たちの考える「マイドクター」なのです。
イメージとしては、旅行代理店のJTBといったところでしょうか。
あれのヘルスケア版だと思っていただければいいと思います。
いつもあなたの身近な存在として、身内のように相談に乗ってくれ、必要に応じて適切な専門医を紹介し、円滑な治療や検査を受けていただけるように便宜を図る。

そんなマイドクターあなたにもがいたとしたら…、好都合だと思いませんか?
私たちは、地域生活者のひとりひとりに、このマイドクターを持ってもらうことをひとつのゴールと考えています。

(父の主治医と私)

私たちが目指す地域医療の姿

私は、医療の原点は、まず患者さんの話をよく聴くことから始まると思っています。
都内の某国立病院に勤務する知り合いの医師に聞いてみたのですが、彼も言っていました。

「確かに、診察のときに10分間ほど患者さんの話に耳を傾ければ、大体病気の診断についての方向性は見当がつく。
ところが、そうした悠長なことをしている余裕がないんだよ」。

結論としては、一人の患者さんの話を3分以上聞いてしまうと、決められた時間内に診療は終らない。
さらに、経営的にもまずい・・・ということのようです。

 
こうした話から私たちが理解すべきことは何でしょうか。
私たちが自分のかかりつけのお医者さんだと思い込んでいる医師は、他にも毎日100人以上の患者さんを診ている。
要するに、あなたにとってはただひとりのかかりつけ医であっても、そのお医者さんからすれば、毎日何十人何百人もやってくる大勢の患者さんのうちのひとりに過ぎないということです。
よほどのことがない限り、あなたの顔と名前すら一致しないというのが現実ではないでしょうか。
(あなたにしてみれば)かかりつけのお医者さんに過度の期待をしてしまうと、いざという時に落胆せざるを得ない顛末が待っている。
どうも、そう考えていた方がいいようです。

もちろん、中には高齢者医療を真剣に考え、往診も積極的にやってくれるありがたいお医者さんもいます。
しかし、残念ながらこれは、そのお医者さんの個人的な誠意や良心に基づくものでしかありません。
本当に患者さん思いのお医者さんで、自分の自宅や携帯電話の番号を患者さんに教えている方もいらっしゃいます。

 
では、患者さんが夜中に急な発作が起きて、緊急手術が必要になった場合、このお医者さんはどうするか?
個人的なツテで大学病院や地域の大病院に連絡をしてくれるかもしれません。
しかし、それで話が済むほど今の救急医療は柔軟ではないはずです。
結局はベッドが空いていて、医者と看護婦が空いていないかぎり、何件でも電話をし続けるしかないのです。
そして、初めから119番しておいた方が早かった…、という経験は診療所の医者であれば誰もが経験していることだそうです。
複数の開業医の方にこの手の話を聞いていると、私の両親も含め、高齢者の方、いえいえ、年齢と関係なく誰であっても夜は怖くて怖くて安心して眠ることすらできないということになってしまいます。
家族が同居していれば、多少はまぁマシか、そんな程度のことでしかないのです。
 
長くなりましたが、このような場面にいくつか遭遇してみて、ますます高齢化する地域社会の医療体制を何とかしなければ、と思ったわけです。
そして幸いにも、同じように何とかしなけりゃいけないと感じているお医者さんたちともめぐりあい、一緒に議論し始めたのが2005年の桜の散る頃でした。
あれから7年半。ようやく私の目指すものが形になってきた…、そう感じている今日この頃です。
 
何かのご縁でこのホームページにお立ち寄りいただいたみなさんには、是非とも私たちの考えてきた内容を知っていただき、お感じになられたことを教えて欲しいと願っています。
世界一の長寿国に生きる私たちにとって、万一の場合の医療確保は、まさしく他人事ではありません。
どうか、もし今、かかりつけのお医者さんがいれば、その医師とあなたの関係をイメージしながら、更には、愛するご家族が夜中に急に苦しみ出した時のことを想定しながら(縁起でもないことを申しまして恐縮ですが、今の医療の現実を知れば知るほど、常日頃から考えておくべきことだと、私は思います)次回以降も読んでみてください。

 

医療の世界でぶつかった最初の壁・・・

こんなことを考えるようになったきっかけは、私事で恐縮ですが、私の老親から聞いたこんな話でした。
私の両親は当時、父80歳、母72歳。子供たちが巣立った今、ふたりっきりで東京郊外の住宅地に暮らしていました。
今日では社会問題化しつつある『高齢夫婦のみ世帯』です。
 
ある日、母がたちの悪い風邪をこじらせました。いつもであれば父が老体に鞭打って車を運転して最寄の診療所へ連れて行くところですが、生憎、当時の父は膝関節をわずらっていたためそれが叶いません。そこで父は考えた挙句、「そうだ。往診してもらおう!」ということで心当たりの診療所に電話したところが、返ってきた答えはつれないものばかり。
「うちは往診やってないのよ。ごめんね、おじいちゃん」
「前はやってたんだけどねぇ。他に聞いてみて下さい」
「なに?往診?うちはできないんですよ。ガチャン!」
 
ここらへんまでくると、加齢とともに一層気の短くなった父は、半ば意地になって、なんと最初に断られた診療所にもう一度電話をかけるや、
 
「こっちは病人がヒーコラ言って困って電話してるんだ。病気で唸ってる年寄りに、こっちまで来なきゃ診てやんないとは何事かっ!」
そして、相手の女性が、「そう言われてもねぇ、おじいちゃん・・・」と話を続けると、
 
「おじいちゃん、おじいちゃんって、失礼な!こっちはまだまだ若いものにゃあ負けないぞっ!ガッチャン!」
 
その後の父の行動を後で聞いてみると、市役所へ電話しても、医師会へ電話してもダメで、結局、保健所へ電話して、往診してくれそうな診療所を2件教えてもらったとのこと。ですが、な、な、なんとその2件のうち1件は、ついさっき直接電話して断られた診療所だったそうな。
 
残った1件も、休診日だったのかどうかはわかりませんが、電話が通じず、最終的に、父は私の携帯に電話をかけてきたのでした。
父と話していると横から風邪でダウンしているはずの母が割り込んできて、「大丈夫よ。お父さん、大袈裟なんだから。寝てれば大丈夫なんだから。お母さんなら心配要らないから、仕事がんばってね!」。
 
翌朝、私は会社を午前中だけ休み、母を近くの大学病院へ連れて行き事無きを得ました。
が、しかし…です。私の場合、当時は実家から車で20分足らずの場所に住んでいたからいいものの、一人暮しや、身内が近くにいない高齢夫婦世帯の場合だったとしたら、このケース、一体どうなっていたのでしょうか。これは、ちょっと笑い話で済む話ではありません。
たかが風邪、されど風邪です。現に、私の祖父母は、最終的に風邪をこじらせて他界しています。
 
なのに、例えば、一人暮しの高齢者が風邪で倒れ、往診してもらいたくても、どこも願いを聞いてくれない。
というか、それ以前の問題として、往診してくれる診療所と往診してくれない診療所があって、どこに問い合わせれば往診してくれる診療所を即座に教えてくれるのかすら判らないのが現実なのです。

恐らく、体調を崩した高齢者が、あの見づらい電話帳を調べながら、初めての診療所や市役所、増してや地域の医師会に電話をすること自体、かなりの重労働だと思います。病気で気弱になっていないとしても、こんな大変な作業はストレスのもとでしょう。
私と比べれば視力だって衰えているだろうし、指先だってうまく動かなくなっている可能性も高い。そんな状態で果たして必要な医療にたどりつけるものでしょうか?

 
何か日本の医療は腑に落ちないことが多いのです。私の父が言うように、なぜ風邪をひいて寝込んでいる患者の方が、わざわざ大変な苦労と危険を負って医者のところまで行かなければ診てもらえないのでしょうか?なぜ、緊急時にはここに電話をすれば大丈夫という体制を、行政なり医師会なり保健所なりが作って、広く地域の住民に知らしめないのでしょうか?

ある時期、この答えを見つけようとあれこれ調べたのですが、結局、自分自身や大切な家族を守るのは自分しかないということ。
私たちは、せめて日頃から、何かがあった時にすぐ往診してくれる医者を見つけて確保しておくことしかできないのです。
高齢者世帯が休日や夜間の緊急時にも安心して暮らせるような地域医療体制を、国や自治体や医師会に任せておいたのでは何年かかるかわかりません。そのことはよぉくわかりました。ここはもう、自分のことは自分で何とかするしかないのです。

長生き時代の『転ばぬ先の杖』を作りたい!

日本の健康保険制度は、その浸透度において特に優秀であり、世界の模範になっているとまで言われています。

それでは、あなたは現在の日本の医療システムに満足してらっしゃいますか?

私のまわりを見渡すと、むしろ不満の方が多いようです。高齢者だけの世帯では、夜間に自分や家族に何かあった場合にどうすればいいのか、という不安を絶えず抱きながら生活していると言っても過言ではありません。

 
私たちNPOの会員さんのなかからも、実際にそのような事態に遭遇して大変な目に合ったという声が数多く聞こえてきます。
「自分ではかかりつけのお医者さんだと思っていた医師が、残念ながら、いざという時に助けてくれなかった」等という声を耳にするたびに、日本の地域医療のあり方はどこか間違っているのではないか・・・、そんな疑問を持ち続けてきました。
 
社会福祉士となった私が、当初目指していたもの。それは、寝たきり、通院困難、あるいは、その他の事情で定期的な往診を求めている高齢者と、訪問診療を提供できるドクターとをマツチングして、更には緊急時の受け皿となる支援病院などまでを含めた新しい地域医療ネットワークを作ることでした。これは、地域高齢者(生活者)のみなさんが、24時間365日年中無休、住み慣れた環境で、安心で快適な生活を過ごせるような医療・福祉の体制を実現することを意味します。
 
しかし、いまや2015年には「団塊の世代」と呼ばれた方々の殆どがシニアに突入する時代です。
となれば、もう一歩踏み込んで、健康な時から万一の場合に備えておくことが必要な時代に入ったと言えるのではないでしょうか。
折りしも、いつ何が起ころうとおかしくない物騒な世の中です。ご自身はもちろん、愛するご家族を守ることができるのは、最後は身内のものしかないのです。
 
ですから、今現在の私は、運悪くも既に病気を患ったり、寝たきりの生活を余儀なくされている方々だけでなく、今現在元気で健康なみなさんに対しても、いざという時の医療や福祉に関するセイフティーネットを提供したいと考えています。

ひと言で言えば、「毎日が安心、万一も安心」。
そんな地域社会をひとつでも多く実現させるために、このNPO『二十四の瞳』を拠点に社会福祉士としての本分を全うしていきたいと思っています。

 

転職活動と受験勉強

1999年12月から翌年2月までの3ヶ月間は、転職活動および社会福祉士養成校の入学試験が重なり、実に充実した時間を過ごしました。介護保険ブームの中で福祉系の資格も大人気となり、何と通信教育を受講するために論文による足切りがあったのです。私が通った学校もその年から定員を倍の600名にしたにも関わらず、500名余りのひとが論文審査で門前払いとなったほどでした。
 
2年間で約70万円の学費を納め、50本のレポート提出、2ヶ月間の夏期スクーリング、1ヶ月間の現場実習を経て、国家試験に至ります。社会福祉士の国家試験は例年1月の最終日曜に行われるのですが、私の場合は、年明け元旦から25日間、がむしゃらに暗記の鬼と化して、なんとかボーダーラインの90問(全150問)をクリアすることができました。記憶カード(昔でいう単語帳)による短期集中学習法で、満点ではなく6割を獲りにいったのです。もちろん、通常の勤務を続けながら。
 
因みにIBMの次の職場は、NTT系列のコンサルティング会社。介護保険スタートに合わせて医療福祉分野の専門チームをちょうど立ち上げた時期に私が応募した感じでした。当時の転職活動を振り返ると、「ヘルスケア分野のコンサルティングを手がけたい」という主旨で、シンクタンクやコンサルティングファーム等25社に企画提案書を一方的に送りつけました。今でいう潜在需要アプローチ型の就職活動でしょうか。結果的に、面接のチャンスをもらったのが8社。最終的に残ったのが3社でした。ただし、うち1社は保険的意味合いのIT系企業であり、福祉とはまるで関係なし。スミマセン。
 
その中からNTTの孫会社を選んだのはラッキーだったと思います。その後いろいろな地域の高齢者と接することになるのですが、NTTという文字の入った名刺は信用度が高いのです。特に地方へ行けば行くほどに・・・。初対面の人たちに話を聞いてもらいやすいという意味でNTTという暖簾は絶大なものなのだなぁと感じたことが多々ありました。

あと、脱線しますが、あのとき企画提案書作成のために読み漁った医療福祉マネジメント系の文献は、後の国家試験対策にも、今日の私の仕事にも実に有用でした。今にして思えば、転職活動と入学試験のタイミングが重なったの一石二鳥。決して冗談ではなく、このふたつがズレていたとしたら、おそらく現在の自分はなかった・・・。人生って、ホントどこでどうなるかわからないものです。

私が社会福祉士を目指した極めて不純な動機

私が医療と福祉の世界に入って12年が過ぎました。
私が福祉の世界に関心を持ったのはまさに20世紀末。
ちょうど介護保険制度がスタートする直前のことでした。
私はこの年限りで、社会人になって最初に勤務したIBMという外資系コンピューターメーカーを辞めようと決めていました。
そして、次の進路をどうすべきかを考え、様々な業界の動向を自分なりに調べることに時間を割いていました。
 
当時は既にバブルも弾け、景気は安定的に(?)停滞していた時代。
失われた20年・・・なんて言葉が生まれる予兆のような時期でした。
そんな中、日経の業界動向予測における数少ない成長分野が「IT・環境・福祉」でした。
それから1年余りでITバブルも弾けてしまうので、実際には環境ビジネスか介護ビジネスしかなかったと言えるでしょう。
で、私はハードルが低そうな福祉を選ぶことにしたのです。
福祉にも、大きく「高齢者」と「障害者」があったのですが、市場の大きさから前者に決めました。
同時に、各業界のトップ企業のホームページを徹底的に読み漁ってみると・・・。
そこには、宝の山を探し当てんとする鼻息の荒いフレーズが賑わっていました。
「少子高齢化による市場構造の変化」とか「地域高齢社会への貢献」とか・・・。
大手総合商社までもが医療福祉分野に戦略投資をするようなことが記されているのを見て、『進むべきはヘルスケア』という基本方針を固めたのを覚えています。
 
幸い学生時代の仲間に医者がかなりいたので、何人かに会って話してみると、話題は専ら「介護保険」のこと。
彼らも医療保険に続いて約40年ぶりに創設される国民皆保険制度について情報武装しなければならないことが判りました。
当時38歳であった私は、医者になるために必要なコスト・時間・労力を知るに及び、あっさりと断念。
ならば福祉は?ということで早速本屋で立ち読みしてみると、『社会福祉士』という、当時の私には得体の知れない資格に出くわしたというわけです。

「医療界のトップが医師ならば、福祉界のトップは社会福祉士」と、ある参考書には記載されていました。
そこには、医師が実際には一職人であるのに対して、社会福祉士は、「わが国の縦割り行政の結果もたらされた、利用者にとって使い勝手の悪い保健・医療・福祉を有機的に結びつけて・・・」等というきわめて次元の高い資格であるようなことも書かれていたのです。

その物凄い国家資格を、大学時代に福祉の「ふ」の字も学んでいない私であっても通信教育で2年もあれば取得できると知りました。
仮に医学部に入っても最低でも6年間は拘束されるわけですし、医者という職業がこの先ジリ貧になっていくことも予見されました。
そして、その時点ではまだ介護保険なるものを熟知できていない医者たちに対して、うまくすれば指導する側に立てるかもしれないという願望が芽生えていったのです。

こんな経緯で、当時は一大ブームであった介護保険で一攫千金を夢見た私は、実に不純な動機で社会福祉士の国家試験を受験するための準備に取りかかったのです。

改めて自己紹介

 昨日、とある新年会で隣同士になった方から尋ねられました。
私が社会福祉士であり、医療・福祉関連のNPOを運営しているとわかっての質問です。

「ジャッキーさん(私の通称)ってどんな方なのですか?」

なんでも、お友達が葬儀の生前予約を検討中とのこと。
で、私をお友達に紹介するとして、事前にプロフィールを知っておきたい・・・というのが主旨でした。

考えてみれば、NPOの活動を始めてから7年。
このサイトを立ち上げてから3年。
なにかのご縁で立ち寄られた方にとってみても、私の素性を明らかにしておいたほうがベターなのは言うまでもありません。

ですので、年が改まって間もないことでもありますし、改めて私のことについてお話していきたいと思います・・・。


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NPO法人 二十四の瞳
医療、介護、福祉のことを社会福祉士に相談できるNPO「二十四の瞳」
(正式名称:市民のための医療と福祉の情報公開を推進する会)
お問い合わせ 042-338-1882