根拠より治ったという事実

  ところで、NPOの彼のお父さんは認知症で要介護5だそうです。長生きしなければならない時代の最大の課題であるアルツハイマー病と診断されて5年が経ちました。主治医がたまたま謙虚で正直な人だったそうで、こんな説明をしてくれたと言っていました。


  「アルツハイマー病には多様な症状があり様々な原因が考えられるのですが、いかなる生活習慣が脳にダメージを与えるのか、実際のところはわかっていません。つまり、お父さんがこうなった原因というのは医師にもわからないのです。現在の西洋医学にできることといえば、せいぜい認知症の進行を鈍化させるためにアリセプトを処方するということぐらいです。」

この話を聞いた彼が偉かったのは、アリセプトについていろいろと調べた結果、「認知症といっても、人によってその症状や原因が異なるはずなのに、なんでもかんでも一律にアリセプトを処方するだけというのは、本来は無理な話ではないか」という疑問を持ったところです。飲み始めてすぐ吐き気を催すひとも多いということを知って、お父さんには服薬量と頻度を彼が調整しながら飲ませていたそうです。


  先の主治医から、「
歳を取ると肝臓や腎臓の機能が落ちるため薬を分解したり排泄したりするのに時間がかかる。前に飲んだ薬が体内に残っているのにまた飲むというようなことをすると身体に良くない」と聞いていたからだと言っていました。この主治医の謙虚さと正直なところ。彼のお父さんを思う熱心さ。そこには非常に良い人間関係が出来上がっていたのだろうなぁと想像できます。


  ところで認知症には、多くの医師たちは根拠がないと言って嫌うものの、有効と思われるケアが多数存在することも事実です。介護の現場では、食事(食餌療法)、音楽療法、学習療法、園芸療法、アロマセラピーやマッサージなどによって、問題行動が緩和されるなど改善傾向を示す認知症患者がかなりいます。これはもう結果がすべてであって、データがどうだの再現性がどうだのということを持ち出しても意味がありません。少なくとも患者本人や家族にとって、科学的根拠など関係のないことでしょう。


  まず患者さんたちに知っておいて欲しいのは、世の中に医師の知らない治療法が存在していても何ら不思議ではないということです。医療は絶対的なものではありません。人間の持つ自然治癒力とか回復力というものについては、まだまだ科学ではわからないことが多いのです。ただ、自分が知らないからと言って、結果が出ている治療法を拒否しているだけというのでは医療のプロとしてはどうでしょうか。


  医師のミッションは、まずは目の前の患者さんを治すことに他なりません。そういう意味では、科学的に実証されていないから東洋医学はダメだと固執する医師は、マスターベーションのようなもので、患者さんやご家族の満足や納得ということをないがしろにしています。医師としての本来のミッションを理解していないと思われても仕方ないのじゃないですかね。

西洋医学の驕り

    先述のように、西洋医学の一番良いところは、早期発見早期治療を実現するための方策が豊富であることです。非常にハイテク化された医療機器が数多く開発され、抗生物質も大変威力があり、救命や延命に多大な貢献をしています。輸液や輸血についても非常に役立っています。でも一方で、抗生物質について言えば、それによって耐性菌による新たな感染を引き起こしてしまうといった問題もあるわけです。つまり、西洋医学にも得意な部分とそうでない部分があるということです。

    かくいうこの私も、そもそもはがんだったら手術するというような典型的西洋医学の流儀でがん治療の臨床に携わってきたのです。しかしながら臨床現場に出てまもなく、抱いていた夢と希望と情熱があっさりと打ち砕かれてしまった。西洋医学で使われている抗がん剤が効かないのです。今日でも日本人に増えている、肺、胃、乳腺、前立腺等の進行したがんにはなす術がなかった。一生懸命に治療すればするほど、患者さんがどんどん亡くなっていくわけです。それまでに学んできた治療法では何もできないということが、日の目を見るより明らかだったのです。西洋医学の無力さに失望せざるを得ませんでした。

    たしかに抗がん剤はがんを壊してくれますが、同時に骨髄の造血細胞等、正常な細胞も壊してしまいます。がんをやっつけたとしても、患者さんの身体がダメージを受けてしまうのです。亡くなられた患者さんたちが治療過程で見せた本当につらそうな様子。あれを思い出すと、もっと他の方法はなかったのか。がんと折り合いをつけながら生きながらえてもらうような方法はなかったのかと悔やまれてなりません。

   結局、西洋医学には限界があったということです。にもかかわらず、全てを西洋医学でカバーしようとしていた驕りに問題があったのだと思います。医師であれば、例えば進行したがんとか難治性の慢性炎症性の病気というのは、従来の西洋医学的アプローチで治療しても副作用が強く完治できないことをいまや誰もが知っているはずです。仮に病気が治ったとしても、肉体的あるいは精神的なダメージが大きく、その後の生活が大変つらいことも明らかです。医師は治療が済めば終わりですが、患者さんは治療後も人生が続いていくのです。新しい戦いが始まるのです。この点に鈍感な医療者たちが実に多いことが、私には残念でなりません。


    ならば西洋医学が及ばない部分を東洋医学で補えばいいじゃないかとなるわけですが、なかなか東洋医学の可能性というものに目を向ける医師は稀少です。今日現在、西洋医学にはまだまだ傲慢さが残っていると言わざるを得ません。それは自分たちが長らく貫いてきたことへの信念なのか執着なのか、あるいは面子なのかはわかりません。ただひとつまちがいなく言えるのは、決して患者さんを思ってのことではないということです。患者さんを苦痛から解放して差し上げるという問題解決を放棄しているわけですからね。

東洋医学のメリット

  最近出てきた言葉に「統合医療」というのがあります。私のクリニックで行っているのも統合医療ということになります。統合医療とは、従来の西洋医学に東洋医学を上手く取り入れた相互補完的な医療と考えればいいと思います。日本でもここ数年でようやくその概念が確立されつつあります。もちろん、まだまだ限られた医師の間でのことではありますが…。この章ではまず、東洋医学というものの特徴について、西洋医学との比較しながらわかりやすくお話したいと思います。


    NPO
の知人から受けた相談にこんなものがありました。あるご婦人が漢方薬について主治医に聞いたところ、「ああいう科学的根拠のないものはやめた方がいい。いまの薬で問題ない」と言われたというのです。約1年前に脳梗塞となって以来、ずっと降圧剤を飲み続けているそうで、最近、めまいや動悸が頻発するようになった。もしや薬の副作用かと思い、身体にやさしいとされる漢方薬についてちょっと質問してみた…というのが経緯のようです。


  主治医の回答部分だけを聞くと、私としては実にお座なりな印象を受けました。もうちょっと言うと、おそらく主治医は漢方薬について知識や情報を持ち合わせていなかったのではないか。そんな気がしますだとすれば、患者が意を決して発した質問に対する答え方としては納得がいきません。昨今は、西洋医学と東洋医学の良いところを組み合わせて最善の結果を出そうとする統合医療という考え方がかなり話題にあがるようになってきています。そういう風潮を考慮すれば、科学的根拠がないと一方的に決めつけて、自分の処方に従えばいいという言動はプロらしくないと思います。西洋医学にしたって、根拠のない治療などたくさんあるのですからね。


  漢方薬の大きなメリットとして、患者さんの複数の症状に対してひとつの薬で対応できるという点があります。病気のデパートと称される高齢者の場合には、このことの意味は大きいと思います。例えば、糖尿病、腰痛、高血圧、腎炎などを併発している患者さんがいるとします。おそらく今の日本の西洋医学ならば、それぞれの症状ごとに薬が処方され、さらに胃薬やビタミン剤や抗生物質までだされてしまう可能性が高いのではないでしょうか。ところが生薬を煎じて処方する漢方であれば、たったひとつの薬で済んでしまうというようなことが多々あるわけです。患者さん個々の体質や症状に合わせて処方するオーダーメイドの治療が漢方の最大の魅力と言えるかもしれません。西洋医学で問題視されている薬漬けですが、漢方であればまったく無用の心配です。また、漢方を含めた東洋医学には、西洋医学にはない「未病」という考え方があります。病気を未然に防いだり、生活習慣病の進展を抑制したりできるといった点でも、患者さんにやさしい治療法と言えるかと思います。


  患者さんにとっての東洋医学の一般的なメリットを整理しておくと、①予防と治療を同時に行うことが可能 ②副作用が少なく身体に負担をかけない ③西洋医学よりも優れた効果をあげることも少なくない。この3点でしょうか。もちろん東洋医学も万能ではありませんから、西洋医学と東洋医学のどちらを使うかは状況次第であって、患者さんを治すという目的の下に、両者の優れたところを取り入れていくのが理想だと思います。

日米の医療システムのちがい

    さて、米国で東洋医学が普及したもうひとつの要因が、日本とはまったく異なる医療システムです。いったい日本の病院と米国の病院はどこが違うのでしょうか。まず、米国では患者がどのような治療を受けるか、その選択権は基本的に患者側にあります。医師は治療法について幾つかの選択肢を患者に提示し、各々の選択肢のメリットとデメリットを説明します。その中からどの治療法を選択するのか、両者間で時間をかけて話し合うのです。もちろん複数の治療法を組み合わせることもあります。特に東洋医学の場合は、今まで通りの生活を自宅で続けられることや、他の治療法と並行して行える治療が多いため、選択肢の中で何かしらの形で取り上げられる場合が多いのです。

    また、米国の医療保険システムは日本と違って、中産階級以上の人々は、健康保険を各個人または企業単位・組合単位で民間保険会社から購入しています(障害者や老人を対象とした「メディケア」、低所得者を対象にした「メディケイド」は政府系公的保険として別に存在する)。そこでは、日本のように政府が決めた治療手段にしか健康保険が適用されないなどという制約がありません。多くの民間保険会社は東洋医学をも保険の給付対象に盛り込んでいますから、患者側にしてみると、病院で東洋医学を受けやすい環境があるわけです。

    とは言え、
NCCAMが立ち上がった当初においては、やはり西洋医学の側も難色を示したそうです。しかし、ここらあたりが市場原理の国らしいところです。権利意識の高い患者さんたちはサプリメントや他の治療法についてかかりつけの医師に盛んに質問したり、アドバイスを求めたりするようになってくる。そうなると、当初は無視していた医師も、求めが増えるにつれて次第に東洋医学について勉強せざるを得なくなったのです。やがて東洋医学についての科学的な研究報告や有効例を見たり聞いたりする機会も増えるようになりました。

    こうして現在では、一般開業医ばかりでなく大病院や大学病院までが「統合医療」を標榜し、カイロプラクティクス・鍼灸・ヨガ・マッサージ・瞑想など、東洋医学の専門家を抱えるようになってきました。ネガティブに捉えるのではなく、むしろ東洋医学を積極的に自分の診療の一部に取り入れてしまう姿勢からは、「当院では患者さんが望むどんな医療でも提供します」という、米国の医師たちの貪欲で逞しいビジネス気質が伝わってきますね。

   米国で東洋医学が浸透していった流れを考えると、最終的に西洋医学と東洋医学を使い分けたり、両者を効果的に統合したりするためには、やはり医療を利用する人たちひとりひとりが真実を学んでいかねばならないということです。そのためには、まずは真実の情報が伝えられなければなりません。

   科学技術が飛躍的に発達し、いまや私たちは、自室の机でコンピューターを使ってタダ同然で全世界の人と通信できるようになりました。携帯電話で写真を撮ったり、音楽を聞いたり、買物までできる世の中なのです。しかしその一方で、アルツハイマー病やがんや膠原病に有効な薬はまだ存在しません。世の中には、原因もわからなければ特効薬もない病気が数え切れないほど存在している。これが現実なのです。

   東洋医学には科学的な証明(エビデンス)がないと一刀両断にする医師たちには、自分の価値観に固執するばかりでなく、患者にとって本当に望ましい治療法を真剣に考える姿勢が求められてしかるべきでしょう。これからの医療は、提供者側の論理ではなく利用者主体の参加型医療へと変えていかねばなりません。そして患者さんには、医師に盲従あるいは全面的に頼るのではなく、自分で守るべきものは守っていくという自立した姿勢が必要とされているのです。
 
    とは言え、患者さん側の意識改革だけに頼るのは筋違いかもしれません。米国のように国民が適切な医療を確保できるような環境を国として整備していくことも忘れてはなりません。民主党政権も自民党時代の名残である医療改革(ムダの排除と品質向上)を踏襲するとのことですが、診療報酬の調整という経済的な誘導のみならず、明確な青写真を示してもらいたいものです。既存医療の何がムダなのか。なぜムダなのか。そのムダを排除して資源をどこにシフトしていくのか。まずはこの点を国民にわかりやすく説明していくことが、結局は医療費適正化の近道だと思うですがいかがでしょうか。

米国における東洋医学の台頭

   米国では過去10年以上にわたって、西洋医学に対して支払われた医療費よりも東洋医学(欧米では、西洋医学以外のすべての医療をこう呼んでいる)に係るそれのほうが上まわっています。全世界で見ても、WHO(世界保健機構)のホームページによれば、「全世界における健康維持サービス全体の6割以上を東洋医学が占めている」との報告が掲載されています。

    つい
先日もNYで暮らしている友人と電話で話していたら、向こうのテレビ番組で「米国・英国・カナダではがん患者の8割が、従来の西洋医学のみならず東洋医学をも治療に取り入れている」という報道があったそうです。これは驚くべき数字です。ここまでくると、グローバルな視点に立てば、東洋医学のなかにも十分なエビデンスがあるものや、私たちの健康的な生活に寄与するものも少なくないと考えたほうが自然なのではないでしょうか。

    一般的に西洋医学でのがん治療は大きく分けて
3種類です。ます第1は摘出手術です。2番目は抗がん剤による治療、3番目は放射線治療ということになります。米国では、これら以外の治療法を東洋医学と言っています。例えば、日本でよく使われる「漢方薬」も、米国では、薬ではなく東洋医学として扱われます。また、各種のマッサージや、ヨガ、気功、食事療法、サプリメント(ハーブ、キノコ類、ビタミンやミネラルによる治療)、コーヒー浣腸など数多くの治療法が、がん治療の一環として広く普及しているのです。それではなぜ、がんの補完代替治療が米国で多く取り入れられているのでしょうか。その理由は大きくふたつあると思います。

    まずは国家全体として西洋医学の限界を真摯に受け止め、国家レベルで国民にとって最善の治療環境を作ろうとする意思が伝わってきます。国民のための健康戦略と言ってもいいでしょう。行政的には、
10年以上も前にNCCAM(国立東洋医学センター)という研究機関を作って国立医療センターの一角を占めるポジションを与え、東洋医学の研究を推進しています。

    当初は約
2億円の予算という控えめなものでしたが、年を追って拡大の一途をたどり今や年間予算も130億円超。豊富な研究費を活用して、ビタミン・ハーブ・その他のサプリメントや鍼灸・磁気療法のような各種治療法に至るまで様々な東洋医学の研究を重ねながら科学的な根拠を提供し続けています。

    政治家たちもすぐに動きました。米国議会は
1994年にDSHEA(ダイエタリー・サプリメント健康教育法)という法案を成立させ、食品の中にダイエタリー・サプリメントという新たなカテゴリーを設けました。これは例えばサプリメント製品のパッケージに、「カルシウムは骨の形成維持に役立ち、骨粗しょう症のリスクを減らすことがあります」などの効果効能を表示することを認め、それによって栄養と健康について国民の健康意識を高め教育します。結果として生活習慣病などを未然に予防できれば、国の医療費増大を抑制できる、という法案なのです。こうして法的な環境が整ったことで、医薬品産業や食品産業はこの分野に積極参入し、サプリメント製品が爆発的に市場に出回るようになったのです。

    また、教育機関である大学も東洋医学のニーズに柔軟かつ迅速に対応しました。米国医科大学協会の
125大学のうち82大学が東洋医学についての授業や卒後教育コースを設けていますし、ハーバード大学・スタンフォード大学・コロンビア大学などの超一流大学では相次いで東洋医学研究センターを設立しました。

西洋医学と東洋医学の決定的なちがい


   西洋医学の最大の欠点は、何と言っても、専門が細分化されすぎてしまったことでしょう。多くの医師たちは、ごくごく狭い自分の専門分野だけを扱うだけで、患者の身体全体を診ることができないのです。あるひとつの部位を調べ、それに対処するだけで原因を探ろうとしないから、原因が複雑に絡みあう生活習慣病には対応できないのです。こうやって、多くの病気が見落とされ、放置され、見つかった時には手遅れ、ということも多々あるのではないかと思っています。

   西洋医学というのは、体を組織や臓器の集まりとして、それぞれをバラバラに見るのです。部品を詳しく診て、そこに何か異常な点があればそれを治すという修理屋的な発想ですね。血糖値が上がれば下げる。血圧が高ければ下げる。頭痛がするなら痛み止めを処方する。そういった対症療法でしかないわけです。
しかし、人間は機械のように無機的な部品の集まりではありません。組織や臓器が密接に連携しあった有機的存在なのです。結果を見てそれに対処するだけで、その原因を見ようとしなければ慢性の生活習慣病には歯が立たないのは当然です。

  一方、東洋医学では、人間の体内の臓器にはそれぞれ相関関係があって、その調和が崩れた状態が病気だという考え方をします。「陰極めれば陽、陽極めれば陰」といって、ちょうど振り子のように陰と陽のあいだでバランスを保つような能力が人間の生理として備わっているということを前提に治療していくわけです。東洋医学のこういった考え方を学んでしまった立場からすると、臓器別に物事を考える西洋医学というのは問題があると思います。西洋医学すなわち臓器別対症療法というものが今日の医療の代表になっている現状に危機感すら持っています。

   悪い部分を手当てするだけで、他との関係やバランスを一切考慮しないというのは、東洋医学を学んだものからすると信じられない。本当の意味で病人を治し、健康を取り戻せるものなのか疑問なのです。その最たるものが臓器移植で、パーツ交換の発想です。もともとその人間とまったく関係のないものを組み込むというのは、どうにも生命というものに対して短絡的だと思います。臓器相互の相性みたいなものを無視していいものなのかどうか。そんなに単純なものではないような気がします。

   もちろん、西洋医学が全面的にダメだといっているのではないですよ。
早期発見・早期治療という点については、西洋医学最大の強みです。医療機器は日進月歩で非常にハイテク化され、抗生物質も大変な威力を発揮して救命や延命に貢献しています。しかしながら、西洋医学にも得意な部分とそうでない部分があるのです。ですから、全てを西洋医学で解決しようとするスタンスには問題があると思います。

    例えば、進行性のあるがんとかリウマチとか根治するのが難しい生活習慣病というのは、薬の処方を中心とした西洋医学的アプローチでは無理があることがわかってきています。また、問題となった病気自体が治ったとしても、副作用が出るなど肉体的あるいは精神的なダメージが大きく、
QOL、つまりその後の生活に支障が出てしまうことが指摘されています。にもかかわらず、西洋医学だけですべてを解決できるのだという思い上がりは、結局は患者さんを不幸にしてしまうと思います。

    いまだに東洋医学にはエビデンス(科学的な根拠)がないとして否定する医師がたくさんいます。患者さんたちの尊い生命を守る医師たるもの、科学的裏づけに基づいて行動するのが原則であることはまちがいありません。しかし、目の前にいる患者さんが苦しんでいて、それを緩和できるかもしれない治療法があるのに、科学的に
100%解明されていないからといってトライしないというのはどうでしょうか。

    極端な話、科学的根拠が結論に達していないとしても、従来の西洋医学的治療法では明らかに大きな副作用があるとわかっている場合には、東洋医学的治療法を選択する道もあるということを患者さんに説明する義務があるはずです。逆に言えば、治療法の選択は患者さん側の当然の権利でなければなりません。私は、ひとえに患者さんの苦痛を軽減して差し上げるという唯一点において、西洋医学か東洋医学かの二者択一というのではなく、適材適所に相互補完しあえるよう上手く使い分けることが重要だと思います。

典型的な西洋医学の落とし穴

  日本ではいつから「医療=西洋医学」となったのでしょうか。もちろん、西洋医学というひとつの枠に収まることなく、眼の前の患者さんを苦痛から救うということを唯一の目的として、情熱を注いで東洋医学をも勉強し、その治療法を駆使しているお医師さんたちもいます。しかし、私たちが普通に病医院で診察してもらう場合、99%は西洋医学の範疇での診断と治療になります。それも細かい専門分野ごとに診療体制が分かれていて、患者さんにしてみると使い勝手の悪いこと甚だしいですよね。肩が痛ければ整形外科、胃が痛ければ内科、頭が痛ければ脳神経外科…と、患者さんは苦痛に堪えながらいくつもの診療科に出向かねばならないのです。


  例えばこんな例があります。左肩の痛みが久しく取れず近所の医師のところへ行ったら、「レントゲンでは異常はありませんねぇ。気になるでしょうから、痛み止めを飲んでしばらく様子をみましょうか」で済まされ、ご丁寧にも3種類もの薬を処方されて終ってしまったそうです。


  読者のみなさんは、患者であるご自分が体調に違和感を覚えているにもかかわらず、データ的に問題がないからといって医師から気休めを言われた経験はありませんか?


  あるいは、まったく逆のケースも最近では増えているようです。本人は痛くも痒くもないのに腹に腫瘍があると言われる。いまなら100%根治できるから早々に手術をと勧められる。その結果として、それまでは日常生活に何の支障もなかった人が、リハビリをしながら生活していかなければならなくなった…。「早期発見・早期治療」が喧伝される昨今、こんな話をよく聞くようになりました。


  話を戻すと、先程の例は、最近の医師のデータ偏重傾向をよく表していますね。実は、肩の痛みが心臓病の予兆であることもあり得ます。たまたま出会った医師が整形外科であったとしても、「肩のその辺りが痛いというのはひっかかりますねぇ。一度循環器科にも行かれてみては?知っているところをご紹介しましょうか?」などと言ってくれればいいのですが、実際には「とりあえず痛み止めを出しておきましょう」で終ってしまう。これが現代の医療、つまり西洋医学というものです。


  もうひとつのケースもよくありがちです。現在は病医院にもいろいろと事情があって検査に熱心です。医師がそこまで言うのならと半日ドックに入ったら胃にポリープがあると。良性であっても、今後のことも考えて、今のうちに取れるものは取

  西洋医学の現場では、「木を見て森を見ず」ということがよくあります。患者さんの話に耳を傾けながら聴診器を当てる。そんな光景が診察室から消えつつあるのは大きな問題です。

西洋医学の限界

    先日、シニア向けに困りごと相談のNPOをやっている知人と話していたときのことです。彼が言うにはこうです。「5年近くもいろいろな相談を受けてきたなかで、ずっと考えていたことがあるのですが…。
西洋医学では、傷は治せても生活習慣病は治せないのではないでしょうか。よくよく考えてみたら、かつての皇后妃殿下にしても“ミスタープロ野球”こと長嶋茂雄さんにしても、あるいは大物政治家たちもそうです。いつの時代でも、VIPと称される人たちの治療には、西洋医学の権威たちによる医師団とは別に、必ず漢方医など、東洋医学の医師がついていますよね…。」 
間髪いれずに、「♪ピンポ~ン♪」と、私は言ってあげました。

    基本的なお話をしますが、そもそも西洋医学とは、戦争の絶えなかった
20世紀に主流となった学問なのです。その時代の医療に求められたのは、病気の根源的な治療ではなく、ケガやそれに伴う感染症に対処することでした。傷への外科的処置と菌に対する抗生剤。この2点によってのみ、西洋医学は今日の医療の花形になったわけです。

    ところが、現在の病気というのは当時とはまったく異なるものです。当時の病気のほとんどが「外からの病気」であったのに対して、がんや心疾患や脳梗塞といった生活習慣病は「内なる病気」です。要は、私たちが長い時間をかけて積み重ねてきた生活習慣が原因となって症状に表れた現象なのです。原因が私たちの生活のなかにあるわけですから、がんの病巣だけを摘出しても、退院して元の生活に戻っただけではがんが再発してしまうのも当然のことです。根本原因を潰してないわけですからね。つまり時代とともに病気の質も変わったのです。ならば治療法も変えていかないと、いつまで経ってもわたしたちが健康を取り戻すのは難しいということになってしまいます。

わが国の医療が向かうところ

★これからの超高齢社会の地域医療インフラを支える3本柱。それは、「在宅医療を担う医師、在宅医療基地となる地域の中小病院、医療・介護の出前機能が付いた賃貸形式の終の棲家」である。これを地域単位で整備することが目指すべきゴールである。目標は、団塊世代のすべてが65歳以上となる2015年。それは国民の4人にひとりが高齢者となる時代でもある。2015年を迎えるまでに、いま無駄に存在している医師たちはシャッフルされなければならない。彼らは地域ニーズに合致した勤務場所に再配置され、然るべきミッションに立ち返ることになるだろう。
★この6年間で、メディアは真実を伝え、国民に無駄な医療と距離を置くための判断材料を提供していかねばならない。それは『健康革命』と言い換えてもいいだろう。国民が真剣にならない限り、これまでいい加減な医療を提供してきた病医院経営者や医師が襟を正すことはないし、真の医療制度改革も見通しが立たない。
★念には念を入れておこう。医療界には自浄作用が期待できそうにないという前提で、厚生労働省は2012年のダブルインパクト(診療報酬および介護報酬のダブルマイナス改定)のシナリオ作りを急いだ方がいい。いや、もう取りかかっているという話も聞こえてくる。となれば、ここ数年で、病医院業界は「血の海、焼け野原」という公算大である。しかししながら、これは医療再生へのステップだ。破壊なくして創造なし、である。2015年に地域医療のあるべき姿を実現させるために非常に重要な6年がいま始まったのだ。

わたしたちがとるべき行動

★政治に行政に医療経営者。こんなことを彼らに説いてまわっても時間の無駄。真実であればあるほど、ドラスティックな変革を彼らの多くは望まないからだ。国民のひとりひとりが変わっていくしかない。わたしたちが健康な生活を取り戻すためには、とにもかくにも真実を知ることだ。(つまり、この本を最後まで読んでください)
★真実を知ったら、まずは患者側が無意味な治療を徹底拒否すること。明日から無駄な病医院通いをやめるのだ。患者が来なくなり診療行為が激減すれば、減収減益となり医療経営は覚束なくなる。経営的に追い詰めることで副業なり転職をせざるを得なくするのだ。
★患者側の強権発動によって炙りだされた余剰マンパワーは、真の救急医療、小児医療、周産期医療、在宅医療等に振り分ける。つまり、患者にとって何の役にも立たない医療行為を繰り返している医師たちを、その地域で本当に必要な診療分野に最適再配置するのである。
★並行して、いまの医療の何が無駄なのか、国民に真実を伝えていく。中学生以上に対しては、真の健康教育を義務づけるべきだ。どうも永田町や霞ヶ関界隈ではそんな動きが出てきた気配があって楽しみだ。国民が真実を理解し、それを実践することでしかわが国の医療崩壊を食い止めることはできない。

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