検査を勧められたら・・・? 【検査を受ける際のチェックポイント】

こんにちは。ジャムおじさんです。
 
ここ数年、各病医院は積極的に検査を励行しています。
経営環境が厳しくなり、医業収入を維持するため…といった側面も否定できません。
ちょっと規模の大きな病院にもなると、痛みを訴えている患者さんを入院させたはいいけれど、肝心の治療に入る前に、検査検査の連続で数ヶ月が過ぎてしまうことすらあるくらいです。
 
逆に言えば、医者の診立て技術がレベルダウンしたのかなぁなどと勘繰りたくなるケースも多々あります。データ偏重というかなんというか…。
で、今回からは検査についての基礎知識をご紹介しようかと思います。お付き合いください。
 
さて、治療方針をしっかりと立てるためにも検査は必要です。体のどの部位がどうなっているのかを見極めることは当然といえば当然です。しかし、患者側が知っておかねばならないのは、検査そのものにもリスクがあるということです。例えば、治療前の検査段階でミスがあったら何にもなりませんよねぇ。でもあるんです。そういうことが。
 
私が検査のリスクについてつくづく考えさせられたきっかけは、1999年の4月に大阪で起きた医療ミスでした。どんな状況だったかというと…。
 
54歳の男性が食欲不振を気にしていました。時折、みぞおち当たりに痛みも覚え、市販の胃薬を飲みましたが効き目がありません。家族の奨めもあって、大阪市内の胃腸科を標榜している医院にかかることになりました。医者は、問診・診察の後、胃のレントゲン撮影、血液検査、腹部エコー検査を指示。検査の結果、慢性胃炎と診断され、胃薬等をもらって服用するも、症状に改善が見られませんでした。
 
医者の態度がはっきりしなかったため、一ヵ月後に思い切って大阪府立病院を受診。検査の結果、進行性の胃がんとわかり緊急入院となりましたが、既に手遅れ状態で、同年6月には還らぬ人となりました。
 
今日の医療では、通常、自覚症状がある場合にはレントゲン検査だけでは不十分で、内視鏡検査(胃カメラ)が必要というのが常識です。それを怠ったがために、患者を苦しめていた真の原因である『がん』を見落とされてしまったというケースでした。
 
この医療ミスで検査のリスクというものに関心を持った私は、いろいろと調べてみました。すると、胃カメラや大腸内視鏡検査は小規模の医療機関でも日常的に行われていますが、重大な事故が一定の割合で起こっているという事実に突き当たったのです。
 
日本消化器学会医療事故対策委員会の調査では、過去10年間で、医療機関に責任があり、保険金が支払われた消化器疾患関連の事故例541件のうち、内視鏡に関わる事故は197件。
うち、大腸内視鏡検査に係る事故が144件(73%)もありました。その殆どが、医師が内視鏡の操作を誤って大腸等を突き破ってしまったものだったのです。他にも、検査時に投与する薬が原因で不慮の事態に陥ってしまったケースも散見されました。
 
つまり、患者側としては、検査というものにはリスクがつきまとうものだという認識を持って、もしも検査を勧められた場合には当該検査の内容やリスクについて事前に確認しておく必要があるということになります。
 
で、相談者に私がお伝えしていることを整理すると以下のようになります。
1.検査をしますと言われたら、3つの質問をしよう *後述
2.過去の検査データを持参しよう
3.その検査経験がもっとも多い医師をリクエストしよう
4.検査方法を具体的にたずねよう
5.検査前の投薬による副作用を確認しよう
6.心臓病を患っている人や高齢者は、チーム医療ができる医療機関で検査を受けよう
7.検査結果は自分の目で確認しよう
8.危険度3の検査は、年間100例以上の実績がある医療機関で受けよう
 
<検査を受ける際の基本3質問>
1.いますぐ必要な検査なのですか?
2.この検査で何がわかるのですか?
3.後日でも構わないのであれば、いつまでに実施すればいいのですか?
 
<検査を受ける上での要望事項>
1.検査内容の事前確認(目的、方法、リスク)
2.検査結果の確認
3.検査所見の入手(どんな検査をして、どんな結果が得られて、担当医はどう判断したのか)
 
自身の病気を正しく理解して適切な治療を受けるためには、検査を受ける際に、医師が何を知りたいと考えているのかを理解しておくことが重要です。巷には、ろくに診察もせずにすぐ検査!という医師も少なからず存在します。経済的な目的や、新しい検査機器を購入したから使ってみたい…等という不謹慎な医師さえいるのです。レントゲン検査ひとつとっても、やり方によっては身体に害をもたらします。検査とは、あくまでも必要に応じてするものだという常識を理解して下さい。
 

ではまた。

笑う門には福来たる

こんにちは。
ジャムおじさんこと、二十四の瞳のヤマザキです。
さて今日は、勉強熱心な会員の方からのリクエストで、『笑い療法』について私の知るところを書いてみます。

一般に、笑ったり、感動の涙を流したり、適度にハラハラドキドキしたりすることは、免疫力を高めたり、脳を活性化させたりするため、明るく前向きに生活するためには極めて効果的だとされています。とくに生活習慣病と言われる高血圧や糖尿病などの症状には、下手に薬を服用するよりもずっといいと言われ始めています。もちろん私も同感です。

笑い療法については、高柳和江(日本医大助教授・病院管理学)さんという方が有名です。彼女は、「癒しの環境研究会」の世話人をされていますが、この研究会では「笑い療法士」という資格を認定するなどして、笑いで患者の自己治癒力を高め、健康な人の発病予防をサポートすることを推進しています。

 
同研究会のホームページでは、笑い療法士は「そばにいても安全で安心」と相手の方に思っていただくことが、まず大切で、病院、福祉施設、学校、普段の生活の場などで患者さんやそばにいる人に受け入れてもらうことが大事なことだ、周囲の雰囲気を明るく、楽しくする人たちに与えられる資格なのだとアピールしています。単に、病院や施設といったところばかりでなく、町々に、世の中に広く笑いの花を咲かせたいというのがその趣旨のようです。

高柳氏によれば、「10分間の大笑いで2時間は痛みが取れる。幸せホルモンであるエンドルフィンやセロトニンが出る。NK細胞活性も高まり、免疫もあがる。笑いが一番、薬は二番」だそうで、「1日5回笑って、1日5回感動することを心がけましょう」とのことです。

かつて日本心身医学会が、癌患者が大阪の吉本新喜劇を見て大笑いしたところ免疫力が活性化したと発表し、それが新聞に掲載されたことがありました。米国でも笑いの効果が実証されています。米国の研究論文から引用すると・・・、
 
(1)ユーモアや笑いは、ナーシングホームの人々の健康づくりに大いに貢献する作用がある。
(2)大笑いは内臓のジョギングともいわれ、適度な運動に匹敵する効果がある。大笑いでリラックスすると自律神経の働きが安定。適度な運動をした時と同様、血中酸素濃度も増加するため、ストレスを大幅に減少させることができる。
(3)脳内モルヒネと、以前日本でも話題になったエンドルフィンという強力な鎮痛作用を持つ神経伝達物質が増加し、痛みを忘れてしまう。
(4)脳波では、情緒を司る右脳の活性化が見られ、ストレスで左脳を使う人にとってリラックス効果があると考えられる。
 
調べてみると、笑い療法の源流は、強直性脊椎炎という膠原病の一つを同療法で治した米国のジャーナリスト、ノーマン・カズンズ氏に行き着きます。諏訪中央病院名誉院長の鎌田實氏は、カズンズ氏の養女となった原爆被爆者の女性にインタビューしたことがあるそうで、彼女が笑いによって勇気づけられていった過程を自著に紹介しています。
 
約10年前に、ロビン・ウィリアムス主演の映画『パッチ・アダムス』という映画がありました。実在のモデルで医師のパッチ・アダムス氏が笑い療法を実践して奇跡を起こしていくストーリーですが、機会があればDVDを借りて観てみたらどうでしょうか。

いずれにせよ2010年は、年明けから「笑う門には福来たる」といきたいものですよね。

 
 「災い転じて福となす」べく、苦境も笑い飛ばしたいので、このようなお笑いネタを提供する次第です。

あまりに悲しい某医科歯科大学付属病院の患者対応

こんにちは、ジャムおじさんです。
今日はいつも以上に怒っています。

わがNPOの会員を襲った悲劇をご紹介します・・・。

相談者は60代女性。現在は都内で娘さんご夫婦と一緒に暮らしています。
昨年夏以降、歯科矯正→インプラントを経て、慢性顎骨骨髄炎に陥っています。そもそもの歯科医とは実質ケンカ別れ。抵抗する歯科医と彼の勤務先病院と折衝し、今夏どうにか診療録(カルテ)を取り寄せました。その後、今日まで3~4ヶ所の歯科&口腔外科を転々とするも、いずれも『このカルテでは最初の処置がわからず手がつけられない』、『状況の詳細がわからず手に負えない』とサジを投げられる始末です。
 
本人は顔全体に痛みを覚え、顔つきも別人のように変形してしまっています。当座の痛みを緩和するための鎮痛剤はすぐに効かなくなり、精神的にも限界に来ているようです。それに加え、私が心配していたのは、各ドクターが処方した抗生物質、精神安定剤、睡眠薬、鎮痛剤の種類と量です。身体に良いわけがありません。
 
そしてつい先日、激しい痙攣を起こし救急搬送されましたが、受入れ先の某医科歯科大付属病院では、点滴を打っただけ、『もう落ち着いたでしょう。今回の痙攣は歯の方とは関係がない。おそらく精神のほうの問題ではないか』と、家の近くの心療内科を探すよう言ったそうです。で、早くお引取りをと・・・。ところが、肝心の患者本人がめまいがして歩けないと言う。娘さんも、帰宅後の地獄のような日々(ここ数ヶ月、患者は顔全体の痛みに苦しみ夜も落ち着いて眠れない日々が続いている)が続くことを考えると、もうどうしていいかわからず、死んでしまいたい・・・とおっしゃる程の不安感に襲われています。

相談を受けた私は、同病院内で地域連携室を探して受入先または同院が連携している歯科または口腔外科を紹介してもらうようガイドしました。不安がる娘さんに具体的な台詞までお教えして、母親のためにもがんばってトライして欲しいと伝えました。ここまで檄を飛ばしたのは、これまでいくつもの医者と接触するなかで、患者本人も娘さんも、すっかり医療者不信に陥ってしまっていたからです。『話をしっかりと聞いてくれない』、『精神的なもので歯のほうは関係がない』・・・、こんな感じだったそうです。口の中を見もしないで。

それから15分後、娘さんから電話が入りました。地域連携室とのやりとりの結果連絡です。『ダメでした。こちらでは対応できないの一点張りで埒が明きませんでした・・・』。

私は、声を大にして聞きたい。
この医科歯科大の地域連携室は、どこのだれと連携しているのかと!
腐っても医科歯科大が、歯科医や口腔外科の専門医または開業医とパイプがないのかと!
目の前で「歯&あご&顔じゅうが痛い」と苦しんでる患者に、精神的なものだろうと決めつけて口内のひとつも診ないとはどういうことか!
心療内科を探せ? なぜ医科歯科大が候補を教えてくれないのか!
医者がなにもしてくれないなら、連携室のスタッフにはプロ意識というもののかけらもないのか!

こういうのをドクハラ(ドクター・ハラスメント)というのである。
患者の痛みや不安を低減するどころか追い討ちをかける。診たくない患者は放っぽり出す。転院先を探してもくれない。
どう考えても大学病院が歯科や口腔外科とチャネルがないはずはない。要するに見切ったのである。

こういった場合、どうしても患者側は弱い立場になってしまう。医療とはそういうものだ。医師という、本来は病めるものたちに寄り添い、励まし、希望を与えなければならない社会的上位にある人種たちが、患者の弱みにつけこむ強者となってしまうのである。こういうことは、自分や家族になにかが起きないとなかなか気づかないものだ。しかし、いつ何時、みなさんが当事者とならないとも限らない。

だから、いざ医者と向かい合ったときに不当に不利益を被らずに済むように、最低限の情報武装をしておかねばならない。これをひとりでも多くの人に理解してもらうために、今日もジャムおじさんは走り続ける・・・。

なお、ご紹介した患者さんは、現在然るべきに入院していただき、然るべき治療を受けられることになりました。
探せば存在するものです、患者中心の医療を実践している医者や病医院が。
でも、一刻を争っている状況でこれを探し出す作業は、なかなかできるもんじゃないんですよねぇ、これが・・・。

あなたにとっての“良いお医者さん”とは・・・?

先日、突飛な電話を受け取った。いや、突飛とは書いたが、よくある相談だ。
「多摩市の●●に住んでいる。この近くで良い医者はどこか?」という質問である。

これに対して、まず私が確認するは、「医者は腐るほどいますが、ところで、あなたがおっしゃる“良いお医者さん”とは、具体的にどのようなお医者さんですか?」

わかっていただけますか?
ではもうひとつ。

「数ヶ月前に引っ越してきた。子どもが高熱で苦しんでいる。近所では●●先生の評判がいいのだが、本当に良いお医者さんですか?」

で、私は聞き返す。「ところで、お母さんにとって“良いお医者さん”とは、具体的にどのようなお医者さんなのでしょうか?」

もうおわかりですよね。

医者もいろいろ。患者もいろいろ。ひとの好みもいろいろなのです。

ある人にとっての“良い医者”が、あなたにとっても“良い医者”かどうかはわかりません。価値観がみな違うのですから。

懇切丁寧に徹底的に検査してくれる医者がいいという人がいれば、四の五の言わずに薬を出してくれる医者がいいという人もいます。
診察しながらいろいろと話しかけてくれる医者がいいという人がいれば、余計なお喋りはせず早く結論を出してくれる医者がいいという人もいます。

つまり、あなたが、あなたにとってどのような医者が良い医者なのか。具体的にどのような医者を見つけ出したいのかが明確でない限り、世間の口コミや市販のランキング本は役に立たないということです。

ちなみに、私にとっての“良い医者”の定義を書いておきましょう。

①社会人として常識的な医者 ⇒ 挨拶、言葉づかい、身だしなみ
②医者としての常識的な対応 ⇒ 視診・問診・触診をキチンと行い、わかったことや想定されることをキチンと説明してくれる
③医者としての診療スタイル ⇒ やたら薬を出さない、わからないことはわからないと言う、抱え込まない(紹介先としていろいろな診療科とパイプがある)

ただし、ここでいう“良い医者”とは地域の開業医(中規模以下の病院や診療所)のことです。つまり、私たちが体に変調を感じたときに最初に診てもらうお医者さんです。

手術に執刀してもらう場合など、専門性が求められる場合の“良い医者”の定義はまた異なります。
私が考える“良い専門医”とは、以下を満たしてくれるお医者さんになります。

①当該疾病について診療経験が豊富(例えば手術なら、月間●●例以上など)
②高齢でない(せいぜい50代半ばまででしょうか)
③事前説明、事後説明の時間を納得いくまで取ってくれる(治療法の選択肢、患者や家族の意向確認、術後の生活イメージなど)

さて、あなたの“良い医者”の判断基準は一体なんなのでしょうか?
まずは、あなたにとっての“良い医者”の定義からしてみてください。

Winter has come ! ~寒い間だけでも入院しませんか?~

今年も年の瀬がやってきた。
師走・・・。医師も走る12月である。
この季節になると必ず耳にする話が、今年も早速耳に入ってきた。

まずは一昨日、中学以来の親友から持ちかけられた話。
彼の父上(80歳)は、夏場に肺炎で10日ほど入院し、現在は自宅療養中である。
先日、入院していた病院から電話があり、「また何かあってはいけないので、寒い冬場だけでも入院されてはいかがか」というのだそうだ。本人は嫌がっているが、母上は乗り気だという。

で、次は昨日。以前コンサルで入ったことのある都内中規模病院(ケアミックス)の事務長と会食したときのこと。そこで聞いた話をまとめると以下のようになる。

ここ十数年、百貨店関係者が歳暮シーズン到来を待ちわびるように、巷の病医院経営者たちは喜色満面で冬を迎える。寒さで体調を崩しがちな高齢者たちがどっと押し寄せるからだ。

まさしく At last である。
Winter has come ! なのである。

高齢者患者のみならず、その家族たちもちょっとしたことで彼らに病医院通いを奨励する。下手に家で倒れ、そのまま寝たきりにでもなられた日には、生活や人生そのものが変わってしまうからだ。

ちょっと咳ばらいでもしようものなら、医者と家族が示し合わせたように、当の本人がいくら大丈夫だと言おうが、『冬場は家だと冷えるから病院で過ごしたほうがいいわよ』・『万一のことがあってからでは遅いから…』などという光景は全国で日常茶飯事である。

厄介者を体よく追い出して、忙しくも賑わいのある年の瀬の準備に専念できるというものだ。で、入院させられたほうは、本当に身体を壊してしまったりする。なぜなら、病医院の中ほど病気になりやすい場所はないからだ。

ただでさえちょっとした環境変化で体調を崩しやすい高齢者を病原菌の宝庫放り込むのだ。感染確率はかなり高いはずだ。家族は一瞬ギョッとするが、病医院側にしてみればまさに思う壺。その患者が死ぬまで貴重な収益源になる。国家的には国民医療費が膨れあがる…。

いかがですか?
こんな会話を、病院の管理職が、外部の人間である私と一献傾けながらするのですよ!

さて、高齢者患者の家族や病医院を侮辱するにも程があると不快感を露にする人もいるかも知れない。が、これが真実だ。ここまで露骨に言動に表すかどうかは別にして、本質は一緒である。

年末に向けて、病医院の事務長は空きベッドを埋めることに躍起になる。誤解を恐れずに言ってしまえば、無理やりでも埋める。それが彼の仕事なのだ。経営とはそういうものなだから仕方ない。

よって、病医院側を過度に責めようとは思わない。むしろ責められるべきは患者側である。病医院の利用の仕方、医者という人種との接し方を間違えているのだ。

そして、それをきちんと教えてこなかった行政も悪い。さらには、病医院経営者や医師会が自由奔放に好き勝手できるような法制度を立法し放置してきた政治。これこそが悪の元凶だ。

戦略なきわが国(自民党)は、票集めのために医療提供者側の機嫌を取ってきた。世論が厳しくなったら、ちょっとだけ制御の舵を取ってその場しのぎをやる(診療報酬のマイナス改定というやつだ)。その繰り返し。

何十年もの長きに渡って医者たちの自由に任せたその結果、わが国の医療はどうなったか。どこを見ても、本当に必要なものが足りず、不要なものが溢れてしまった。それでもやっと、その不要なものが洗い出された。

そして、不要な分野に携わっている医者たちを、本当に必要な分野にシフトさせていくシナリオができあがった。これまでの提供者本位の医療を利用者中心の医療に正すための対策が遅ればせながら始まることになったのだ。

しかし、である。ここで成否の鍵を握るのが患者側の態度である。もうそろそろ、自分や家族の健康を代償にしてまで病医院の儲けに加担する愚に気づくときではないか。自分の身体をいちばんわかっていれのは、たまたま出会ってあなたの前にふんぞりかえっている医者はなくあなた自身なのだ。

質問です・・・。生まれてからずっとあなたの身体とつきあってきたのは一体誰ですか?

あなたの健康に何ら責任を持たない周囲の声に惑わされて病医院のドアを叩いてはいけません。自分自身がみずからの身体から変調のサインを受け取った場合のみ、検査を受けるために病医院を利用しましょう。そして、検査結果に異常がなければ、それっきり病医院とは距離を置きましょう。

あなたを引き留めるために、医者は『薬を出しておきましょう』・『しばらく様子を見ましょう』・『来週また来てください』などと言うでしょう。しかし、もうおわかりですね。医者の関心はあなたの健康ではなくあなたが運んでくれるお金(診療の対価としてもたらされる医業収益)なのですから。

みなさん、そろそろ気づいてもいい頃なのでは???

なにかと心細いシニアには相談しやすい環境が必要だ

11月末の土曜日。深夜2時半頃、70代女性(一人暮らし)から電話を戴きました。「高血糖で3年以上通院しているが、他の病院に変えようと思うがどうか」というもの。 

今回は、この質問の内容ではなく、彼女が土曜深夜に電話してきたことを2つの視点から考えてみます。 

まず、質問内容自体は週明けまで待ってからでも支障はなさそうです。にも関わらず、土曜深夜に行動したのは、高齢者の場合、ほんの些細な不安でも、気にしだしたら夜も眠れないといった方が多いからです。市の相談窓口は平日の9時~17時まで。そんな時、悶々としたまま月曜の朝を待つことなく、気軽に相談できる環境が整っていれば安心に違いありません。 

次に、行動を起こす決断をしたのが仮に平日であったら、果たして彼女は自治体や病院に電話をしただろうかという点。世の中の相談機関は、概して相談しづらいものです。例えばあなたなら、ちょっと気になることがあるからといって、医師・弁護士等の専門家や、公民館で土日に開かれている福祉相談室に行くことを選択するでしょうか。

「相談して小難しい説明をされたり、たらい回しにされたりしないだろうか。まぁいい、面倒だから我慢しよう」──そんなためらいが、取り返しのつかない結果を招く危険をはらんでいるのです。思い立った時に気軽に相談できる環境が必要なのです。そんな思いからNPO「二十四の瞳」は、24時間体制で対応しています。

チャラ医の見分け方

今回は、80代の女性会員Bさんからの話を題材に、最近巷で話題になっているチャラ医(チャランポランな診療行為で生業を立てている医者)の見分け方をご紹介します。 

Aさんは先日、同年代女性の通院に付き合ったそうです。難聴の友達に付き添って診察室に入った時のこと。耳鳴りと偏頭痛を訴える友達に対して医師が発した言葉は、「もう年齢が年齢だからねぇ。データ的には問題はないんだよねぇ。ちょっと薬を変えてみようかねぇ。」 

チャラ医に多いのが、高齢の患者には『年齢』を、それ以外の患者には『ストレス』を持ち出してアッという間に診療を打ち切ってしまうタイプです。説明時間を短縮したいのでしょうが、患者として最も迷惑なのは、原因が判らないのに判ったフリをしてこうした常套句を濫用され、結果、診立て違いを引き起こされることです。確固たる診断ができない時、『判らない』と率直に言える医師こそが名医と言えるのです。 

もうひとつが、『とりあえず~でもしておきますか?』

この「とりあえず」を発する医師は実に多いです。何かあった時の責任すら患者任せのような感じがし、手抜きされている印象がしますよね。良い医者であれば、「それでは、~のために…をしておきましょう」ではないでしょうか。患者はお金を払って医療というサービスを買っています。

こんなチャラ医には緊張感を持たせる意味でも、どんどんメモを取りましょう。もしそれを嫌がるようならば、よほど自分に自信がない医者ということ。そんな病院や医師とは即刻関係を絶ちましょう。

患者の顔を見ようとしない医者

今回は、70歳代の男性会員Aさんから聞いた、「患者の顔を見ようとしない医者」の話を取り上げてみたいと思います。

かわいい孫たちと公園で遊んだあくる日から寒気を覚えていたIさんは、奥さんの奨めもあって数年ぶりに近所の診療所に出向きました。診察前に看護師の問診を受け、一時間近く待ってようやく診察室へ。医師はパソコンに向かったままの姿勢で、「今日はどうしましたぁ?」。

Aさんが体調不良を告げると、相変わらずパソコンの方を向いたまま、「風邪かなぁ? 流行のインフルエンザの可能性もあるかなぁ? ちょっと先に検査行ってもらおうかなぁ?」ってな具合で、尿検査に血液検査に心電図…。さらに待つこと一時間後。検査データを眺めながら、「風邪ですかねぇ? お薬出しておくんで、様子見ますかぁ? 再来週また来てくれますかぁ?」。 

Aさんいわく、その医師は結局一度もさんの顔を見ることも、身体に触れることもなかったそうです。不運にも、最近流行り(?)の典型的なチャラ医(チャランポランな医師の略で、医師不足が叫ばれる一方で、こうしたチャラ医が全国各地に蔓延っていると言われ始めた)に当たってしまったということでしょう。 

久留米大学の名誉教授で、世界的な神経免疫学の権威・横山光男氏は言っています。「臨床の場で、その人の体調を全て表現し得るデータなど存在しない。最も的確に健康度合いを見分ける方法。それは人相を見ることだ」と。医療の基本は視診・触診・問診です。データ偏重のチャラ医にはくれぐれもご用心を!

またまた悲惨なケース ~歯医者に顔面と生活を破壊されて・・・~

私どもNPOの活動についてちょっとだけお話させてください。私どもに持ちかけられる相談のトップ3は、左記のとおりです。

 ①カルテや検査データ等を入手したい(カルテ等の開示請求手続き)             
 ②突然の退院勧告に困っている(転院先確保に係る病医院との折衝)       
 ③別の病医院の診断を受けたい(セカンドオピニオンの手続き)

まずは具体的なハウツーをお話しして、相談者ご自身で相手の医者にかけあってもらいます。医者の世界でも、最近では積極的な情報開示の風潮が浸透してきていますが、それでも半分の確率で相談者は玉砕してうなだれて戻ってきます。
 
そこで私どもが、相談者に代わってカルテや検査データを入手したり、相談者の都合を説明して退院時期を延ばしてもらったり、転院先の病医院を探してくれるよう頼んだり。そんなことをして差し上げているわけです。
 
つい先だっても、あるシニア女性から電話がかかってきました。私どもの会員ではありませんでしたが、地元の情報誌で私どもの活動を知ったのだとおっしゃるので受けることにしたのですが・・・。

『インプラント治療を受けようとある国立病院の歯科に行ったら矯正を勧められ、その結果、下の歯茎が陥没してしまった。その後半年にわたり処置を重ねるうちに、顎はカクカクと音を立て始め、痛みは顔全体に広がってモノを噛むこともできない。いまでは顔つきまで変わってしまった。精神的にもまいってしまい、夜も眠れない。別の歯医者にかかりたいのですが問題ないでしょうか?』 
 

ちょっと聞いただけで尋常でないことがわかりました。相談者の苦痛は相当なものだったはずです。にもかかわらず、この期に及んでもまだ主治医に対して遠慮している様子に、私は腹が立ちました。相談者に対してではありません。その主治医である歯科医に対してです。
 
おそらくこの半年間、通院するたびに彼女は不安や辛さをわかってもらおうと、例え言葉は足りなかったにしても、その歯科医に伝えてきたはずです。少なくとも伝えようと努めたに違いありません。だって、日常生活に支障が出るほどに苦しんでいたのですからね。そのSOSのサインに気づかなかったのか、気づいていながら無視したのかはわかりませんが、断言できるのは、この歯科医は医者失格というか、人間失格だということです。
 
私はその場で彼女にこれからの流れを伝えました。そのような医者に時間とお金を割くのはナンセンスであること。転院先の候補として想定しているところがなければ、少なくとも患者の痛みに寄り添って対処してくれる歯科医を紹介すること。転院先の歯科医が効果的に治療するために、この半年間の経緯がわかるようカルテや検査データ等を入手する必要があること。病院側との折衝にストレスを感ずるようであれば、私が代行することも可能であること。今後のために、通院前と現在の顔つきの変化がわかるような写真を用意しておくこと・・・等々。
 
そして、彼女の最初の電話から2ヶ月。私のもとにようやく送られてきたカルテを見て愕然としました。何十枚とあるカルテのどのページをとっても、ミミズのような判別不能な文字がちょこちょこっと書いてあるだけで、早い話が何も書かれていないのと同じレベルだったのです。 
 

つまり、この人間失格の歯科医は、そもそも誰かに見られることを想定してカルテを記載しているわけではないのです。この2ヶ月に費やした時間とお金はほとんど無駄だったことになります。
 
その後、彼女は3つの病医院を経て、現在は住み慣れた宮崎の地を離れ、東京に転居。首都圏にある大学病院の歯科と口腔外科で治療中です。どうにか日常生活に耐えられるレベルまで痛みを緩和できたようですが、戦いは続きます。彼女は、医者とはすがるべき存在ではなく、闘う相手だと知ったのです。決意と覚悟に敬服します。
 
と同時に、ここに至るまで5人の歯科医と接触しながら何も進展がなかったという事実、医者によってはカルテに落書き程度しかしていないという事実。こうしたことは決して珍しいことではないと、みなさんには知っておいてほしいのです。
 
私どものNPO『二十四の瞳』では、患者側である私たちが知っておいたほうがいいこと、知っていなければならないことについて、さまざまな切り口からわかりやすく情報提供しています。
 
NPOの認証を取得する前の準備期間から数えると、活動を始めてもうじき5年になります。いまでは、医者や各界の専門家たちが賛同して輪の中に加わってくれています。
 
私たちひとりひとりが真実を知り、さまざまなリスクを回避する手立てを学び、無駄な医療と距離を置いたとき、健やかで幸せな暮らしへの扉が開くと信じています。

診察時のあるべき症状の伝え方

こんにちは、"ジャムおじさん" ことヤマザキです。

さて、今日の相談は・・・。

Q/以前『ドクター名鑑』で、「自分の症状を的確に伝えられる患者が望ましい」と言っていたドクターがいましたが、自身のことを振り返ってみると、医師から「今日はどうしましたか?」と聞かれて、どう説明したらよいものか迷ってしまうことが多い気がします。説明上手な患者になるための心得のようなものがあれば教えて下さい。(60代・女性)   

A/相談者は、非常に向上心のある方ですね。医師や看護師に対する不平不満を一方的に繰り返す患者が多い中で、自分も変わる努力をしようとする姿勢はすばらしいと思います。 医者と患者の両方が変わらない限り、ハッピーな関係は築けないんですよねぇ・・・。       

さて、症状を伝える時には、以下の5つについて予め整理しておくことをお薦めします。場合によっては、メモしていくのもいいでしょう。 

【症状の上手な伝え方】 
①いつから?    例: 夕べ十時頃、食後1時間くらいして。   
②どこが?     例: お腹、特に下腹部。  
③どんなふうに? 例: 差し込むような痛み。 
④処置は?    例:胃腸薬をのんだ     
⑤経過は?    例:夕べの痛みを「10」とすると、今朝は「7~8」      

なお、再診の場合には、前回の受診から今日までの間に、症状がどう変わったかを話します。最初に処方された薬が合わずに不快感がある場合は必ず伝えましょう。

患者側が自分の症状を整理して伝えることが、よい医療を受けるための第一歩と言えるでしょう。

« 前へ | 次へ »


NPO法人 二十四の瞳
医療、介護、福祉のことを社会福祉士に相談できるNPO「二十四の瞳」
(正式名称:市民のための医療と福祉の情報公開を推進する会)
お問い合わせ 042-338-1882