樋口一葉 ~貧しく、せつなく、いじらしく~
いまの5千円札の顔。
樋口一葉(1872.3.25~1896.11.23)。
彼女の肖像は、日本銀行券としては女性で初めて紙幣に採用された。
本名は樋口奈津。創作では「奈津」よりも「夏子」を用いることが多かった。
新聞掲載の小説には「春日野しか子」とあった。
『一葉』は、師事した半井桃水が、インドの達磨大師が揚子江を一葉の芦の葉(一葉舟)に乗って下った故事から取って奨めたらしい。彼女はこの逸話に、人生という波間を漂う自分自身を重ねていたのだろうか。
「自分が見た人間の真実を描きたい。弱者の心の声を伝えたい」。
そんな思いから、1895年、遊郭界隈の子どもたちの世界を『たけくらべ』として「文学界」に連載開始。翌1896年に完結した『たけくらべ』を一括して発表するやいなや、森鴎外に「まことの詩人」と熱賛され、文壇での名声は絶頂を極めた。彼女の家は、上田敏、島崎藤村、斎藤緑雨、泉鏡花、幸田露伴ら様々な文人が集う文学サロンになっていく。
しかし、人の運命のなんたる非情。
苦労づくめだった一葉がやっと文壇に認められた矢先、肺結核が明らかとなる。長年の過労が原因らしい。
苦労づくめだった一葉がやっと文壇に認められた矢先、肺結核が明らかとなる。長年の過労が原因らしい。
そして、同年11月23日。
24歳6ヶ月という若さで夭折。
あまりに早すぎる死ではないか。
病没から16年。一葉が15歳から亡くなるまで9年間に書き溜めた44冊もの日記『一葉日記』が、彼女の妹によって世に出された。そこには、かつての師(半井桃水)への想いが切々と綴られている。
『見苦しく、憎く、辛く、浅ましく、哀しく、淋しく、恨めしき、厭う恋こそ、恋の奥なりけれ』
こっちまで泣けてくる…。
平成24年5月2日(旧暦の3月25日)は、一葉の生誕からちょうど140年だった。
台東区竜泉にある一葉記念館では記念イベントが催された。行ってきた。
吉原の遊郭に程近いこの界隈は、一葉の代表作『たけくらべ』の舞台。
そして、彼女が駄菓子屋&荒物屋で生業を立てていた地でもある。
彼女は肺結核のため24歳6ヶ月という若さで他界したが、明治文学の至宝と称される代表作「たけくらべ」「にごりえ」「十三夜」の他、すべての作品をわずか14ヶ月という短期間に発表している。文学界では、これを「奇蹟の14ヶ月」と呼んでいるそうだ。
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