私が社会福祉士になった極めて不純な動機
さて、私自身のことを書いてみる。私が福祉の世界に関心を持ったのが1999年の夏頃で、ちょうど介護保険前夜のことだった。この年を以って最初に勤務していた外資系コンピューターメーカーを退社しようと決めていた私は、次の進路をどうすべきかを考え、様々な業界のスタディに時間を割いていた。当時は既にバブルも弾け、景気は安定的に(?)停滞していた時代であり、日経のトレンドウォッチャーでも数少ない成長分野が、「IT、環境、福祉」であった。それから1年余りでITバブルも弾けてしまうから、実際には環境ビジネスか介護ビジネスしかなかったと言えるだろう。
で、私はハードルが低そうな福祉を選ぶ。福祉にも、「高齢者」と「育児」があったのだが、パイの大きさから前者に絞る。同時に、各業界のトップ企業のホームページを徹底的になぞると、かなりの企業が「少子高齢化による市場構造の変化」とか「地域高齢社会への貢献」とかを謳っており、特に大手総合商社が医療福祉分野に戦略投資をするようなことが記されているのを見て、私の心の中で、進むべきはヘルスケアという基本方針が固まったのだった。
幸い学生時代の仲間に医者がかなりいたので、何人かに会って話してみると、話題は専ら「介護保険」であり、彼らも医療保険に続いて約40年ぶりに創設されることになった国民皆保険制度について、情報武装しなければならない時期だった。38歳であった私は、医師になるために必要なコスト・時間・労力を聞くに及び、あっさりと断念。ならば福祉はということで、本屋で立ち読みしてみると、社会福祉士という、当時の私には得体の知れない資格に出くわしたというわけだ。
「医療界のトップが医師ならば、福祉界のトップは社会福祉士」とある参考書には記載されていた。医師が実際には一職人であるのに対して、社会福祉士は、わが国の縦割り行政の結果もたらされた、利用者にとって使い勝手の悪い保健・医療・福祉を有機的に結びつけて・・・等という高邁な機能をも求められるハイグレードな資格なのだ。そのすっごい資格を、大学時代に福祉系を出ていない私でも、通信教育で最長でも2年あれば取得できる可能性がある。
医学部に入ったとしても6年を拘束されるわけだし、さらには、医者の中で「俺は医者だ」と言っても価値は低いという点を考えれば、社会福祉士って結構魅力的だなぁ等と考えたのである。少なくとも、医者連中もその時点では知らない介護保険なんぞを指導してやる側に回れるチャンスはあると感じたのである。そして、当時は大ブームだった介護保険で「宝の山」を夢見た私は、実に不純な動機で、社会福祉士の国家試験を受験するための通信教育課程に進むことになった・・・。
1999年12月から翌年2月までの3ヶ月間は、転職活動および社会福祉士養成校の入学試験が重なり、実に充実した時間を過ごした。介護保険ブームの中で福祉系の資格も大人気となり、何と通信教育を受講するために論文による足切りがあったのだ。私が通った学校もその年から定員を倍の600名にしたにも関わらず、500名余りのひとが論文審査で門前払いとなっている。
2年間で約70万円の学費を納め、50本のレポート提出、2ヶ月間の夏期スクーリング、1ヶ月間の現場実習を経て、国家試験に至る。社会福祉士の国家試験は例年1月の最終日曜に行われるが、私の場合は、年明け元旦からの25日間でボーダーラインの90問(全150問)をクリアした。記憶カードによる短期集中学習法で、満点ではなく6割を獲りにいった。もちろん、通常の勤務を続けながら。
因みに転職先は、知る人ぞ知る医療福祉特化型の独立系コンサルティングファーム。医療福祉ビジネスのコンサルティングを手がけたいという主旨で、シンクタンクやコンサルファーム等、25社に企画提案書を一方的に送付した。今でいう潜在需要アプローチ型の就職活動である。なお、ここで作成した企画提案書を作成するために読み漁った医療福祉系の文献は、後の国家試験対策には有用だった。結果的に、面接のチャンスをもらったのが8社。最終的に残ったのが3社であった。(ただし、うち1社は保険的位置づけのマイクロソフト社であり、福祉とはまるで関係なし。スミマセン。)
今にして思えば、就職活動と入学試験(論文)のタイミングが重なったのは一石二鳥であり、決して冗談ではなく、このふたつが連動していなかったら多分現在の自分はないだろう。(笑)
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