真のマイドクターとは

私たちの目指すところについては前回も述べましたが、大事なところなのでもう一度繰り返します。
私たちが目指しているのは、寝たきりであったり、通院が困難であったり、あるいは、その他の事情で定期的な往診を求めている高齢者と、訪問診療を提供できるドクターとを互いに紹介しあい、更には、緊急時の受け皿となる支援病院などまでを含めた新しい地域医療ネットワークを作ることです。
そして、このネットワークの中心的役割を担うのが、あなたにとっての本当のかかりつけ医です。
この本当の意味でのかかりつけ医のことを「マイドクター」と呼ぶことにします。
 
マイドクターは、常日頃からあなたの健康維持・管理や病気の予防に努めます。
つまり、現時点で顕著な症状が出ていなくても、予め約束した日にあなたのご自宅を訪ね、診察します。
しかし、不幸にもあなたの体調に異変が起きて専門的な治療が必要となったとしたら、マイドクターは、直ちにあなたの状態から判断してもっとも有効と思われる医療機関を見つけ出し、あなたの受入れについて調整します。
 
また、必要があれば、あなたの普段の状況について、受入先の担当医に説明もします。

みなさんも経験あるかと思いますが、かかりつけの医者から別の病院を紹介されたときに、最初にご自身の病状について説明することに不便な思いをされたことがあるでしょう。
増してや緊急時に救急車まで呼んで、気が動転していればなおさらのことです。
私たちの考えでは、これはもう高齢で、かつ病弱な立場にあるあなたがご自分で説明するよりも、日頃からあなたの身体について熟知しているマイドクターが説明すべきだと確信しています。
あなたは、そんなストレスの溜まることに悩むことなく、すべてをマイドクターに任せていればよいのです。

 
人間は年齢とともに複数の疾病を患うことが当たり前になっていきます。
私の父なんて、以前は内科だけでも循環器に消化器、整形外科に眼科と4つの診療所を頻繁に行き来していました。
これは、父にとっての「かかりつけ医」が4人いることを意味します。
他にも大学病院にも月に一度は顔を出すといいますから、厳密には5人?
いやいや、大学病院では毎回医者が異なるとのことですから、5人以上は確実です。
そして、それぞれのかかりつけ医がかなりの種類・分量の薬を処方して下さいます。

でも、父はほとんど飲まない。どうして飲まないのかとたずねると、

 「薬が多すぎて、どれがどれだかわかんなくなってしまった」
 「あちこちで同じような薬をくれるから、飲みすぎが心配で・・・」
 しまいには、「人間、自然がいちばん」 等と言い出す始末です。
 
知り合いの医師に聞いてみると、医者の世界ほど横のつながりがない世界もない、ということです。
まず間違いなく、他の医療機関がどんな薬を処方しているかなど確認してもいないのでしょう。
となると、薬というのは飲み合わせによって副作用とかいうことがありますから、逆に、無理強いしてまで飲ませるのも良くないか、などと考えてしまうわけです。
 
思うに、「かかりつけ医」がこんなに大勢存在することは、むしろ悪ではないでしょうか?
それよりも、あなたの病気や健康のことを熟知している医師はただ一人いてくれればいい。
そして、さまざまな疾病ニーズが生じるたびに、適切な通院先に導いてくれる・・・。
これこそ本当に意味のあることだと思いませんか?
 

この、あなたについて熟知しているただひとりの医師こそが、私たちの考える「マイドクター」なのです。
イメージとしては、旅行代理店のJTBといったところでしょうか。
あれのヘルスケア版だと思っていただければいいと思います。
いつもあなたの身近な存在として、身内のように相談に乗ってくれ、必要に応じて適切な専門医を紹介し、円滑な治療や検査を受けていただけるように便宜を図る。

そんなマイドクターあなたにもがいたとしたら…、好都合だと思いませんか?
私たちは、地域生活者のひとりひとりに、このマイドクターを持ってもらうことをひとつのゴールと考えています。

(父の主治医と私)

私たちが目指す地域医療の姿

私は、医療の原点は、まず患者さんの話をよく聴くことから始まると思っています。
都内の某国立病院に勤務する知り合いの医師に聞いてみたのですが、彼も言っていました。

「確かに、診察のときに10分間ほど患者さんの話に耳を傾ければ、大体病気の診断についての方向性は見当がつく。
ところが、そうした悠長なことをしている余裕がないんだよ」。

結論としては、一人の患者さんの話を3分以上聞いてしまうと、決められた時間内に診療は終らない。
さらに、経営的にもまずい・・・ということのようです。

 
こうした話から私たちが理解すべきことは何でしょうか。
私たちが自分のかかりつけのお医者さんだと思い込んでいる医師は、他にも毎日100人以上の患者さんを診ている。
要するに、あなたにとってはただひとりのかかりつけ医であっても、そのお医者さんからすれば、毎日何十人何百人もやってくる大勢の患者さんのうちのひとりに過ぎないということです。
よほどのことがない限り、あなたの顔と名前すら一致しないというのが現実ではないでしょうか。
(あなたにしてみれば)かかりつけのお医者さんに過度の期待をしてしまうと、いざという時に落胆せざるを得ない顛末が待っている。
どうも、そう考えていた方がいいようです。

もちろん、中には高齢者医療を真剣に考え、往診も積極的にやってくれるありがたいお医者さんもいます。
しかし、残念ながらこれは、そのお医者さんの個人的な誠意や良心に基づくものでしかありません。
本当に患者さん思いのお医者さんで、自分の自宅や携帯電話の番号を患者さんに教えている方もいらっしゃいます。

 
では、患者さんが夜中に急な発作が起きて、緊急手術が必要になった場合、このお医者さんはどうするか?
個人的なツテで大学病院や地域の大病院に連絡をしてくれるかもしれません。
しかし、それで話が済むほど今の救急医療は柔軟ではないはずです。
結局はベッドが空いていて、医者と看護婦が空いていないかぎり、何件でも電話をし続けるしかないのです。
そして、初めから119番しておいた方が早かった…、という経験は診療所の医者であれば誰もが経験していることだそうです。
複数の開業医の方にこの手の話を聞いていると、私の両親も含め、高齢者の方、いえいえ、年齢と関係なく誰であっても夜は怖くて怖くて安心して眠ることすらできないということになってしまいます。
家族が同居していれば、多少はまぁマシか、そんな程度のことでしかないのです。
 
長くなりましたが、このような場面にいくつか遭遇してみて、ますます高齢化する地域社会の医療体制を何とかしなければ、と思ったわけです。
そして幸いにも、同じように何とかしなけりゃいけないと感じているお医者さんたちともめぐりあい、一緒に議論し始めたのが2005年の桜の散る頃でした。
あれから7年半。ようやく私の目指すものが形になってきた…、そう感じている今日この頃です。
 
何かのご縁でこのホームページにお立ち寄りいただいたみなさんには、是非とも私たちの考えてきた内容を知っていただき、お感じになられたことを教えて欲しいと願っています。
世界一の長寿国に生きる私たちにとって、万一の場合の医療確保は、まさしく他人事ではありません。
どうか、もし今、かかりつけのお医者さんがいれば、その医師とあなたの関係をイメージしながら、更には、愛するご家族が夜中に急に苦しみ出した時のことを想定しながら(縁起でもないことを申しまして恐縮ですが、今の医療の現実を知れば知るほど、常日頃から考えておくべきことだと、私は思います)次回以降も読んでみてください。

 

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