NPO法人 二十四の瞳
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老人と罪

  「トロい、ウザい、クサい」。

 これを三大老罪というらしい。

 
 真実とはいつも残酷で容赦のないものだ。周囲は年寄りをこう見ている。
周囲から忌み嫌われるという意味で、老いるとは悪である。世のため人のためにならないものに価値はない。その年寄り自身の人格がどうあれ、だ。むしろ迷惑をかけているとすれば有害ですらある。悲しいけれど、これが現実だ。みんな思っていることだ。下手をすれば、実の子どもや孫ですら、である。
 
 思い当たることがあるのではないだろうか。でも、心優しいものたち、賢いものたちは決して口には出さない。やがて自分たちも、トロい、ウザい、クサい存在になることを知っているからだ。

 
 人間を長くやっていれば、そりゃあ誰だってそうなる。反応は鈍くなるし、動作ものろくなる。人ごみにいるだけで邪魔になる。話は長くなるし、ループする。喋ってるうちに、何を言いたいのかわからなくなる。本人でさえも。
 
 身体じゅうが錆びついてくるから、血液も唾液も汚いし、悪臭を放つ。加齢臭を撒き散らしながら電車に乗ってくる年寄りにはかなわない。トロく、ウザく、クサいこと自体が悪なのではない。誰しもいつかはそうなるのだから。
 
 問題は自覚がないことだ。周囲に迷惑をかけていることに気づかないことだ。
 
 「いまの平和で豊かな日本を作ったのは自分たちだ!」
 
 そんなことを言って、なかにはわがもの顔で権利を主張する年寄りがいる。とんでもない話だ。そんなたわごとは100年遅い。昔は昔、今は今だ。ほとんどの年寄りに、もはや価値はない。と言うより有害だ。若い世代に、国に、世間に迷惑をかけながら生きていることを自覚すべきだ。
 
 いったい何歳までそうやって恥知らずな人生を送る気か。年寄りは、もっと謙虚におとなしく残りの人生を生きなければならない。せめてお金でも持っていればまだ価値はある。人脈もまた然り。それを一日も早く、子どもや孫たちにあげるべきだ。年寄りが一日生き延びるにごとに、彼らの負担が増すことは疑いがないのだから
 
 でも、分け与えるお金すら持っていない年寄りは救いようがない。自らの人畜有害ぶりを認識し、徹底的に謙虚になるしかない。医療や介護もタダ同然だからといって貪るのはやめてくれ。年金もらって真昼間からパチンコなんてしてる場合か。そんなお金があるなら、ちょっとでも子どもや孫たちに差し出しなさい。結局は彼らのお世話になるしかないのだから。親の面倒を見るのは当然だ、などと言うのは盗人猛々しいというもの。

 子どもたちには子どもたちの生活がある。この不況下で、仕事と家庭を抱えながら死ぬ思いでがんばっているのだ。育ててやったんだから今度は面倒を見ろ、というのは筋違いだ。親が子どもを育てるのは当然の義務だ。偉くもなんともない。あんたらが勝手に作ったんだから。

 
 年寄りは他の誰でもない、自分自身で人生の幕引きをするべきだ。が、そうできる年寄りは一割もいないだろう。ほとんどは子どもや孫たちに迷惑をかけながら死んでいく。そして多くの場合、その迷惑は死んでからも続く。葬儀に相続に家財道具の後始末。ぜぇんぶ、お金と手間のかかることばかりだ。だったら、せめて老後や死後の迷惑を少しでも減らせるよう、今から準備して欲しい。

 人間70歳も過ぎたら、謙虚にひっそりと死んでいく死をデザインしておきなさい。   
 そうでなきゃ、悲惨な最期が待ってるぞ。愛する子どもや孫たちに迷惑と負担をかけながら、そして憎まれながら死んでいきますか?

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