母倒れる ~患者を罵倒する白衣の悪魔~
2005年6月、出張先の仙台でお客様と商談中に携帯が鳴った。老親ふたりが暮らしている東京郊外の救命救急センターからだった。
母が倒れた。
必死に冷静を装いながら会話する。相手は看護師か。救急車で運ばれたものの検査の結果、異常が認められない。従って早々にお引取りを、というのが相手の言い分のようだ。
とにかく母に代わってくれるよう頼んだ。母の生気のない弱々しい声が聞こえた。あの気丈な母からは想像もつかなかった。検査結果どうこうではなく、頭がくらくらして立ち上がることができない。このまま家に戻されても、父とふたりでは休むこともできないし、別の意味で大変だ。だから、しばらくベッドで休ませて欲しい。これが母の言い分だ。
父も傍にいるようだが、役には立たないだろう。前年の秋くらいから、父には呆けの兆候が現れていた。後でわかったのだが、倒れた母を目の前にして119番すらボタンを押せなかった。その代わりに外に飛び出して近所の家に何かを訴えて廻ったようだ。隣の家の旦那さんが察知してくれて、救急車を呼んでくれたのだ。
再び、看護師とのやりとり。母の所持品のなかに手帳があり、私の名刺と携帯番号が書かれたメモがあった。看護師は、だれが何時に母を引き取りに来るのか、その答えだけを求めてきた。そりゃあ忙しいのはわかるよ。でも、白衣の天使としてはあまりにも事務的で杓子定規じゃない?
そんなことを考えながら、私が仙台にいることを伝えると、奥さんは?ときた。家内も仕事を持っており、飛んでいくことは困難だろう。が、実際問題として家内に動いてもらうしかなさそうだし、こんな看護師のいる場所に母を置いておくことは逆に危険というものだ。患者を人と思っていない。この看護師にとって、母は救急用ベッドを占拠している単なるモノ。それも邪魔モノのようだった。
3時間後、家内が引き取る形で母と父は家に戻った。翌日以降、安心のできる医療機関で母を診てもらうために、カルテと検査データを提供してもらう段取りを家内に予め伝えておいた。多少のギクシャクはあったが、どうにか最悪の事態を乗り切った。結果的に、母は父の介護からくる過労とストレスと判断される。そしてこれが、母にとっての地獄の始まりであった・・・。
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