視診・問診・触診を忘れた医者たち
さて、問診の話に戻すと、私は、医療の質とは、突き詰めていけば『診療(診察と治療)の確かさ』と『患者満足度』だと考えています。そして多くの場合、前者は診立てと治療方針(自院で対応するか、然るべき連携先に振るかも含めての意味)、後者は根拠の提示とわかりやすい説明となると思っています。実はここで、医師と患者とのコミュニケーションという問題がクローズアップされてくるのです。
かつて、母校の云十周年記念行事の講師として聖路加国際病院の名誉院長である日野原重明さんの話を聞く機会がありました。彼は、「医療とは患者と医師の両者で作り上げるもの。そこには必然的に信頼関係が不可欠であるが、そのためにはまず、医師は聞き上手に、患者は話し上手になるべし。」というくだりがあった。にもかかわらず、「最近の医師は、医療の基本である視診・問診・触診がお座なりだ。データ偏重の悪しき産物だ」と嘆いていらっしゃいました。
私なりに噛み砕けば、患者さんがリラックスして、うまく話せるように効果的な質問をしながら診立てと治療方針を提示する。かつ、その根拠をわかりやすく説明して理解させる作業が医師には求められるのだと思います。
考えてみれば遠いギリシャ時代、医学の始祖ヒポクラテスも言っていました。「医術とは、患者の本性をよく考察した上で、今後の処置についてその根拠を示し、説明するプロセスである」と。こうしてみたときに、いま私たちのまわりに溢れている医師たちたるや、果たしてそれを実践していると評価できるものかどうか、甚だ疑問に思う次第です。
視診・問診・触診とは人と人との「触れ愛」です。患者さんを見るあたたかい眼差し、不安を受け止めてあげる優しく穏やかな語りかけ、手指の温もりを伝えるスキンシップ。この視診・問診・触診の過程で、アナタの人となりが患者さんに伝わるのです。両者間に信頼関係が芽吹く重要不可欠なプロセスということになります。
極論すれば、不慣れなうちは演技でもいいかもしれません。眼の前に座っている患者さんを身内の誰かだと思って、心の底から「どうしたのですか?大丈夫、いまキチンと調べて最善の方法を見つけますからね。心配しなくていいですよ。肩の力を抜いて、ラクにして。お辛かったでしょうねぇ。もうちょっとの辛抱ですよ」等と囁きながら視診・問診・触診をするのです。3分も続ければ、患者さんの、少なくとも心は救われるはずです。ちなみに日野原重明さんは、冬場は白衣のポケットにホッカイロを入れています。触診するときに、患者さんに温かな温もりを注ぎ込むためだそうです。