説明(インフォームド・コンセント)
この言葉は「説明を受けたうえの同意」と訳されるが、患者側の言い分としてはネガティブな声が大勢を占めている。私どもの調査結果で上位にくるのは、次の3点だ。①言葉が難しくてわからない。また、質問しても理解できない。結果として、頷いているしかない。②杓子定規な説明の仕方が多いように感じる。③選択肢を与えてくれない。結局は医者のやりたいように任せるしかない。
この言葉は「説明を受けたうえの同意」と訳されるが、患者側の言い分としてはネガティブな声が大勢を占めている。私どもの調査結果で上位にくるのは、次の3点だ。①言葉が難しくてわからない。また、質問しても理解できない。結果として、頷いているしかない。②杓子定規な説明の仕方が多いように感じる。③選択肢を与えてくれない。結局は医者のやりたいように任せるしかない。
こうした体制を病医院が作ったっていいのだ。いつも通いなれている病医院が健康上の問題以外についても相談に乗ってくれて、然るべき問題解決のヒントや方向性を教えてくれる。こんな医者がいれば一躍地域のヒーローになれるはずだ。なぜならば、病医院、自治体、法律事務所、税理士事務所のなかで、シニアがもっとも気軽に出入りできる場所は病医院だからである。NPOで行ったアンケート結果である。本当に困ったことを相談しやすくするためには、敷居が低くなければならないのだ。
にもかかわらず、
最近の医者は「医療の基本である視診・問診・触診がお座なり」だとも。患者がリラックスしてうまく話せるように、効果的な質問をしながら診立てと治療方針をわかりやすく説明して理解させるのも医者本来の役割であるはずだ。なぜならば、患者から正確な情報を聞き出すことが適切な治療につながっていくからだ。人間が相手の顔と名前を識別できる数というのがあって、だいたい120人から150人だそうだ。お正月の年賀状の枚数や結婚披露宴の招待状の数も、平均するとこの間になるという。で、医者にも当然、顔と名前を覚えてもらうのが得策だ。そのほうがメリットは多いし、リスクは低くなる。毎日100人を超える患者と接すれば、すべて一律にきめこまやかに対応できるということはまずあり得ない。わかりやすく言ってしまえば、親しい相手ほど親身に接するようになるということだ。医者だって患者同様、人間なのである。だから、身内を診るのと他人を診るのとでは違いが出るのも当然だ。
となると、その医師自身または家族が患者のような症状になったらどうするか。これを聞き出せれば、患者にしてみたら実に価値のある情報ということになる。頃合を見て医者に尋ねてみよう。「あっ、先生、ちょっと、(症状や困りごと等)になっちゃって困ってるんですよぉ。先生だったら、こんなときどうしますぅ?」。こういうことを気軽に尋ねられるような関係が、実はいちばんいい。
次回の通院時に早速練習してみよう。受付職員でも通りすがりの看護師でも構わない。聞きやすそうな誰かをつかまえて、「あの、こちらの先生、本当のご専門は何なのでしょうか?」と。実は、職員でさえよくわかっていない場合があってなかなか面白い。また、診察室に、これ見よがしに専門医や認定医の認定書などを貼付してある医者を見かけるが、この専門医というやつはあまり当てにならない。日本の場合、お金を払って学会に出てスタンプを貯めこめば誰でも専門医になれるからだ。まぁ、昔懐かしい小学校時代の夏休みのラジオ体操みたいなものだと思っていい。こうしていろいろと医者の世界の実情を知っていくと、なかなか興味深いものだ。私など、いつしか遊び心が芽生え、今ではすっかり好奇の花が満開状態だ。この先、ページをめくるごとにいろいろな場面が出てくる。参考にしながら、できれば実際に通院したときに、積極的に情報収集するクセをつけていただきたい。自分がつきあっている医者の実体を知ることが、結果的には患者の健康や幸福に近づくための第一歩となるからだ。
サムエル・ウルマンの『青春』をコピって、NPO会員のみなさんに発送した。
青春とは人生の一時期をいうのではなく、心のあり方をいうのだ。
人は、希望と自信と信念とともに若く、失望と恐怖と疑念とともに老いる。
若さとは、心と身体から発散するパワー。
生きていくためのエネルギー。
好奇心を持ち、冒険心を秘め、未知の明日に向かって歩き出そうとする力。
来年の今日。
生涯青春真っ只中のみなさんと、また楽しいひと時を過ごせますように…。