患者の心得
さて、さまざまな局面あるいはテーマで、「良い医者・悪い医者・普通の医者」の基準を書いてきたが、いかがだろうか。読者のみなさんの周辺で、果たして「良い医者」とはどれくらい存在するものだろうか。1割程度? それとも100人にひとり? 私の感覚からすると、後者かな。しかもそれは、あるひとつの場面や状況に限った場合のことで、全テーマにおいて「良い医者」に該当する医者など、まずいるわけがないと確信している。その理由を解き明かしながら、結論として、今日から実践すべき患者の心得についてまとめてみたい。
★患者の心得 ~病気になるのは自己責任、健康を取り戻すのも自己責任~
賢明な読者のみなさんは、おそらく裏A面の『医者のための、患者の品定め ~良い患者・悪い患者・普通の患者~』も読まれたことと思う。医者が患者をどう見ているかを知ることはとても重要なことである。健康になりたければ、まず敵を知れ、ということだ。で、出てきたのは、患者と医者が相手に対して描いている理想はまったくの正反対という空しい結論。医者が食べていくことを考えたら、生命の危険にまでは至らない程度に患者の症状を持続させるのがいちばん。つまり、「治さず殺さず」だ。患者は病気を治したいと一生懸命医者に通うが、医者は完治されてしまってはお手上げなのである。だから病気の根本原因を放置して、薬で目先の症状を緩和することを繰り返せるだけ繰り返す。まず患者は、このことをしっかりと心に刻んで医者と向かい合わないといけない。
患者は、病気を治したい、健康を取り戻したいと思って医者に通う。
医者は、経営の安定、すなわち儲けるために患者を診る。
医者がいちばん儲かるためには、患者を「治さず殺さず」の状態に上手くコントロールし続けることだ。患者にはそうと気づかれずに…。
両者の利害が見事なまでに一致しないのが理解できるだろう。
繰り返すが、医者は患者の病気が治ってしまったら儲からない。困るのである。
「そんなバカな!」と、患者側であるあなたは怒るだろうか。そんなあなたには、はっきり言おう。「あなたこそバカだ」と。
本ブログの冒頭で、この本でいう「患者」の定義を書いた。患者の悩みの種は、生活習慣病なのである。糖尿であれ、血圧であれ、コレステロールであれ、さらにはがんであれ、具体的な症状や病気はなんでもいい。生活習慣病というぐらいだから、これらの不健康な状況をもたらしたものは、他でもないあなた自身の生活習慣に他ならない。欲望のままに、あるいは流されるままに、何も考えずに生きてきたその積み重ねの上に、生活習慣病が表面化しただけのことだ。
そしてある日、何かのきっかけで「ヤバい!」と思って医者のところへ行くわけだ。何年も医者に通いつめても、なかなか症状に改善が見られないと悩んだり不思議がったりしている患者が多いが、そんなのは当たり前だ。患者を治したら医者は儲からないと言ったが、もっと本質的なこと、というか真実を言ってしまえば、医者は病気なんて治せないのだ。
聞いたことがあるかも知れないが、医者がやっているのは「対症療法」といって、目の前にある症状を潰すことだけ。薬も手術も延命治療も、言ってみればみな対症療法なのである。だから、医者にもらった薬を飲んで高かった血圧が安定したといって喜んでいるあなたは大バカ者ということになる。目先の不具合を急場しのぎさせるために、医者は薬を出しただけのことだ。これでは何の問題も解決しない。高血圧になった原因を改めていないからだ。
しつこいようだが、あなたの病気の原因は何だった? そう、自分自身の不適切な生活習慣である。患者が、病気を治そうとか健康になりたいとか真剣に思うのであれば、医者に行くのは無意味なことだ。いや、逆効果と言ってもいい。医者は患者を健康にすることなど夢にも考えていないから、来たら来ただけ薬を出す。ときに効果測定のためだとか言っていろいろな検査を挟んだりしながらね。
こうして日常的に医者通いをしていると、確実に人間に元来備わっている免疫力が落ちていく。免疫力とは、人間の体内に健康を害する外的が侵入したときに、それを退治してくれる用心棒である。自然治癒力とも言うことができる。そして、この免疫力とか自然治癒力は、薬という化学物質を飲む頻度や量によって、次第にパワーダウンしてしまうことが既に検証されているのである。
薬には副作用があることはご存知だと思う。これは、目先の不具合を緩和してくれるのと同時に、正常に働いている他の機能を弱めてしまうということだ。俗にいう「薬慣れ(薬漬け)」というやつで、はじめは効いた薬も飲み続けるほどに身体が麻痺してしまい効き目が落ちてくる。すると医者は、必然的に薬の量を増やすか、もっとパワフルな薬に変えてくる。この繰り返しによって、患者の自然治癒力はどんどん落ちていき、やがて別の病気になって永遠に健康を取り戻せなくなってしまうということだ。
その結果、高齢者が「病気のデパート」と呼ばれるように、いくつもの症状や病気を抱え込んで、それぞれを緩和するための薬まで抱え込んで、本人はどんどん不健康になり、医者はどんどん売上を増やし、結果として国民医療費がうなぎ登りという迷宮に嵌っていくわけだ。
日常的に医者に通っている人は改めて胸に手を当てて考えてみて欲しい。月に2度3度と通院し、何種類もの薬をもらったり、いろいろな検査を繰り返したり…。そうすることで、あなたは本当に病気を改善することができたのか。総合的にみて、初めてその医者のもとに出向いたときと比べて、健康を取り戻すことができたのか。
もしかしたら、ほとんど症状に改善が見られないどころか、かえって不具合が出てきてしまったということがないだろうか? もし思い当たるようなことがあれば、それは薬漬け・検査漬けによるものかも知れない。医者に言われるがままに、盲従的に、あるいは惰性的に医者通いを繰り返していたら、逆にあなたは、どんどん本来の健康から遠ざかっていくのだという真実に、そろそろ気づいてもいい頃ではないか。
そもそも医者の役割は、事故やけが、予期せぬ感染症など、手当てしなければ一刻を争うような人体の危機を救うことにある。今の時代においても、こうした理由で医者に行くのは至極当然のことだ。他にも、出産に係る母子医療や小児科、不妊治療、救急医療、通院困難なレベルまで状態が悪化した人たちを手助けする在宅医療か緩和ケア等々。こうした分野では医者にはどんどん活躍してもらい、長生きしなければならない時代のセイフティーネットになってもらいたいものである。
ところが、こうした本来医者が必要な分野で活動している医者は、全国30万人の医者のうち、ほんのひと握りでしかない。大多数の医者は、緊急性の低い生活習慣病の患者たちを相手に、それなりの診療を反復することで生業を立てている。本当におかしい。本当であれば、こんな医師たちを全国的に不足していると言われる救急医療や母子医療や在宅医療にシフトさせればいいのだが、国も医者にはあまりズケズケと物を言えない。30万人が集まれば、選挙への影響力は測り知れないものがあるからだ。で、2年に一回、チマチマと診療点数を下げていっているわけだが、あまり意味がない。
国民医療費は毎年1兆円ずつ膨れている。にもかかわらず、またまた医学部の定員を増やしたりしている。バカな話だ。医者が増えればどうなるか? 医者は食べていくために必死で患者をつくる。それでさらに国民医療費が増えるだけのことだ。いや、それだけじゃなかった! 国民医療費が増えるということは、国民がふんだくられる税金や保険料がアップすることを意味しているのだ。
おそらくこれを読んでくれている「患者」のみなさんも、もはや政治や行政になんか期待はしていないと思う。そして、ついでに医者に期待するのもやめるべきだと断言したい。患者のみなさんにとっての「良い医者」とは、「死ぬまでの長い期間にわたって健康や幸福に貢献してくれる医者」。そして、「健康・幸福」とは、「然るべき範囲内で、好きに飲食し好きに活動できること」。つまり「良い医者」とは、患者がこれを実現できるよう応援してくれる医者である…と定義したのを思い出していただきたい。
ここで定義した健康や幸福を実現するために医者に求めるべきことは、実は患者の病気を治してくれることではない。そもそも医者には糖尿病も高血圧症も高脂血症も治せやしないのだから。医者にできるのは、血圧や尿酸値やコレステロール等を薬でコントロールするといった場当たり的な対症療法で、症状が改善したかのように錯覚させることだけである。