紹介(セカンドオピニオン)
いわゆる町医者に通っていたとする。通院の過程で、より高度な医療や専門的な医療を受けるために、町医者よりも規模の大きい病院で診てもらってきてくれと言われることがある。これが「紹介」だ。この逆もある。大学病院など比較的大規模な病院に通院していたら、「症状も安定してきたことだし、日常的にいろいろ気軽に相談できる近所の先生を紹介しましょう」などと言われる場合もある。これが「逆紹介」である。患者側からすると、ひとりの医者がスーパーマンであるはずもないのだから、いろいろな専門分野の医者とネットワークを持っている医者は「良い医者」の条件の一つと言えるだろう。
さてもうひとつ、「セカンドオピニオン」というのを聞いたことがあると思う。セカンドオピニオンとは、直訳すれば「第二の意見」となり、具体的には「診断や治療方針に関する主治医以外の医師の意見」をいう。「手術を勧められたけどどうしよう。」そんな重大な決断をしなければならないとき、他の専門医に相談したいと思うのは当然のことだ。この思いを患者側から医者に伝える手続が「セカンドオピニオン」だ。ここで大切なのは、患者のほうで誰の意見を聞きたいのかを明確にしておくこと。
つまり、どこの病院のどの医者のところへ出向きたいのかを決めた上で申し出ないと、主治医と仲のいい医者を紹介されて終わってしまうということだって実際にはあり得るのだ。患者自ら「セカンドオピニオン外来」を受け付けている病医院を探したり、テレビや本で知った「これは!」と思える医者との道筋をつけたり、それなりの努力が必要となることは知っておきたい。セカンドオピニオンは、日本ではなかなか普及していない。「主治医に失礼になるのでは」と思う患者が多いからだ。
●普通の医者 患者によほどの危険がないかぎり、自分の範疇で何とかしようと試行錯誤を繰り返す。患者から求められれば、「じゃあ一度専門の先生に診てもらいましょうかぁ」などと言って、自分が懇意にしている(ツーカーの仲の)医者を紹介する。患者が具体的な病医院名を挙げた場合には、相手の医者名のない意味のない紹介状を書いて渡したりもする(「紹介」を求める場合には、患者側が「どこの病医院のどの医者に診て欲しいのか」を特定しないと無意味な結果に終わってしまう)。
●良い医者 自分の専門外である場合には、患者にその旨を告げた上で、然るべき医者を紹介してくれる。患者が希望する病医院があれば、その病医院のどの医者に診てもらうのが有効かをスタッフに調べさせた上で紹介状を書いてくれる。また、紹介状を書いて封印する前に、写しを取って渡してくれる。
●悪い医者 死んでも患者を放さない。患者が何度も紹介を求めると不機嫌になる。ひどいのに至っては、「私が信用できないんですか?」などと脅しが入ってくる。ちょっと信じられない話だが、これは人格障害ではないかと疑いたくなるような医者が本当にいるのである…。
人気アナウンサーだった逸見政孝さん(故人)ががんで亡くなられた後、奥様の出された本や講演等により、「セカンドオピニオン」という言葉がかなり定着したように思う。逸見さんは1993年12月25日に癌との激しい闘病生活に幕を閉じた。同年1月の健康診断にて発見されたとき、がんは初期のもので、摘出手術を行なえばすぐに復帰できると説明を受けた。だが、開腹してみると悪性のスキルスがんで胃を3/4摘出する大規模な手術となった。具体的な手術の内容などの事前説明も少なかったそうだ。妻の晴恵さんは、夫に対して他の医者にも診てもらい最善の方法を選ぶように訴えかけてきた。しかし実直な逸見さんは「主治医を疑うような真似はしたくない」と頑なに拒んだ。
逸見さんの死後、がんの専門医などの間で、逸見さんの治療をめぐって手術はすべきでなかったという議論などが捲き起こり、テレビやメディアでも多く取り上げられた。晴恵さんはその議論を地団太を踏みたい気持ちで見ていたという。「主人の場合は納得して亡くなったと思いたいし、あれこれほじくりかえすのも主人の本意ではないと思う。ただ、もし私ががんになったら、いろんな情報の中から納得できる選択をしたいとつくづく思った」と、晴恵さんは語っている。
実際問題として、医者から説明を受けても、情報も知識もない患者や家族にとっては、治療法の決定をできないのはもちろん、恐怖や不安を覚える場合もある。だからこそ、知識を持っている人=専門医に相談し、意見を聞くなかで意思決定したいと思うのは当然のことである。そう考えると、インフォームド・コンセントとセカンドオピニオンは車の「両輪」であって、「良い医者」であれば患者や家族とのコミュニケーションを通じ、この両輪を円滑に回していくことの大切さを心得ていて然るべきである。
*なお、逸見晴恵さんは、昨年(2010年)10月21日に、みずからもがんのため他界された。