診立て
診立て(みたて)とは、医者が診察(視診・触診・打診・問診)やさまざまな検査結果に基いて診断を下すことである。しかしながら検査偏重の嫌いがあり、数値だけを見て患者自体を見もしない医者が増えてきている感がある。データ的に異常はないのに何かおかしいとか、逆に体調的に何の違和感もないのに「要精検」(要精密検査)となったり。そんな経験をしたことのある患者がほとんどではないか。まず顔色や表情を見ろや、と言いたくなる。
●普通の医者 確定診断がつかないと、「とりあえず」と、毒にも薬にもならない(つまり生命に支障のない)薬を何種類か出して「様子をみましょう。また2週間後に来てください」と言う。自分の腕に自信のない医者は、悪気はないのだろうが、患者が食い下がると「気のせい」「歳のせい」「陽気のせい」にして一刻も早く会話を打ち切ろうとする。
●良い医者 わからないことを「わからない」と言える。確定診断がつかない場合には、可能性として考えられることを説明し、その症状を引き起こした原因に心当たりがないか患者に話を聞く。そして、根本原因を改めるよう生活指導をしてくれる。
●悪い医者 確定診断がつかなくても知ったかぶりをする。「私に任せていればいい」といったふうにあれこれ検査をしたり薬を出したりして、しばらくして改善が見られないと、「あれぇ~っ」とか言いながら、「こりゃ、あれかも知れないぞ」などと言いながら、またまた検査や別の薬に持っていく。死んでも「自分には判断がつかない」とは言わない。言いたくない。絶対に。
聖路加の日野原重明さんの言葉を借りると、「例えば心臓の病気というのは、問診だけで6割わかる。聴診器を使えば7割はわかる。なぜかと言うと、最新鋭の検査機器で病気を診断するのではなく、対面する患者さんの顔を診ているからだ。聴診器といえば、かつては医者の代名詞のようなものだったが、いまでは聴診器で病気を発見する技術はすっかり失われてしまった」となる。つまり、の医者は聴診器が使えないのだ。だから検査データを必死に読もうとする。というか、データがないと病気の見当がつかないから無駄な検査を増やしてしまうのだろう。そうすりゃ経営的にも儲かるし、まさに一石二鳥というわけだ。
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