さいごに

★あなたの目標実現のために即刻やるべきこと
①惰性的に薬をもらったり検査を繰り返したり…。そんな日常的な医者通いをやめる。
②生活習慣を改善する(例えば以下のような項目についてルールを作る)。
・食生活(飲食の中身や量:腹七部、玄米菜食、アルコールは適量)
・運動(適度な体操や散歩:無理のない範囲で、愉しみながら)
・ストレス緩和(イライラしない、クヨクヨしない、メソメソしない 他)
・適温(身体を冷やさず温める:ぬるめのお風呂、冬場は足元を温める、生姜紅茶 他)
・学び(認知症予防:音読、パズルやクイズ、川柳、写経、音楽(カラオケも可) 他)
・感動(音楽・演劇・芸術鑑賞、旅行、趣味、おとなの恋愛 他)
・社交(人づきあい、ボランティア他)
③②のような情報を提供してくれたり、気軽に相談に乗ってくれるような医者を探す努力をする(まずは、保健所・市役所・医師会・インターネット等からの情報収集や、近所の知人との情報交換などが想定される)。
 
さて最後に、大切なことなので、いちばん初めに書いたことを繰り返します。このブログは、「50過ぎくらいから何かしら生活習慣病の症状が目立ちはじめるも、それを日常の活動に支障がない程度にコントロールしながら、100歳まで人生を全うしたいと願う人たち」のために書きました。
 
もしもあなたが、「そうだ、私もそうありたい」と賛同してくれるのであれば、この目標を実現するために真っ先にすべきこと。それは、即刻、医者との距離を置くことです。場当たり的な対症療法は、あなたの身体本来の機能を損ない、目標実現を妨げます。医者との接触は必要最低限、どうにもこうにも応急処置が必要なときだけ利用するようにすべきです。
 
そして、そんな“たまに”のことではあっても、できれば「良い医者」に診てもらうために、この本を片手にご家族やお友達と「医者の品定め談義」に花を咲かせて欲しいと思います。いまの身体の不具合は誤った生活の積み重ねが原因であることを改めて自覚し、ご自身の生活や生き方を見つめ直してみてください。そしてみんなで、明るく楽しく元気よく100歳まで人生を謳歌しようではありませんか

こんな医者を探せ

医者に求めるのは病気の治療ではなく健康への心構えに他ならない。あなたが100歳まで元気に人生を満喫するためには、生活習慣病の取り扱いが実に重要な課題である。そして、この課題を解決するために医者に行くというのは大きなまちがいだ。医者には生活習慣病は治せないのだから。となれば、患者が医者に求めるべきことは2つ。
 
まずは、治せないのならせめて、気持ちよく接してくれということだ。病医院に入ったら受付職員が爽やかな笑顔で迎えてくれる。待ち時間が長ければ、近くを通った事務職員が気にかけて声をかけてくれる。体温や血圧を測るときは看護師がにこやかに接してくれる。診察室に入ったら、医者がある程度話を聞いてくれて、医者の家族が病気になったときと同じように、親切・丁寧・正直・謙虚に診察してくれる。帰り際には励ましの言葉を添えてくれる。薬を受け取るときは、薬剤師や調剤士がわかりやすく注意事項を説明してくれる。会計が済んで帰るときには、受付が「お大事になさってください。気をつけて」と真心のこもった見送りをしてくれる…。
 
こんなふうにされるだけで、「ああ、ちょっとしんどかったけど、時間をかけて来てかったなぁ」と思えるものではないだろうか。例え病気を根本から治してくれはしなくても、これだけ気持ちよく接してもらえたら、不思議なもので人間は元気になれるものなのだ。病は気から、とはこういうことを言うのである。
 
だから、もしも医者に通うたびに元気で明るい気分になれるとしたら、その医者はまちがいなく良い医者と言っていい。患者の気持ちが晴れやかで前向きになるということは、医者がこころを健康にしてくれているのだ。病気を根本から治すことができなくとも、患者を励まし勇気づけてくれるということは良い医者の証である。
 
さらにもうひとつ期待したいのが、患者のこころのみならず、身体も健康に近づくよう応援してほしいということ。患者の健康にとって有益な知恵や情報を開陳してくれということである。医者が自分自身や家族にそうするように、患者にも健康を回復するための真実をさらけ出してほしいのだ。薬は極力出さない。検査も必要最小限。人間の持つ自然治癒力や免疫力の大切さを教えてくれる。それを高めるために有効な生活のあり方について意見交換ができる。食事や運動やストレス解消の工夫については、専門のスタッフが相談に乗ってくれる…。
 
仮に危険度の高い検査や手術、それに伴う入院等が必要になったら、患者の不安がなくなるまで懇切丁寧に教えてくれる。納得ができない場合には何度でも説明してくれる。自分の手には負えず、より専門的な医者に診てもらう必要があれば、速やかに然るべき病医院の情報と必要な資料を用意してくれる…。こんな医者がいたらいいと思わないだろうか。
 
こういう姿勢をひっくるめて、「患者をエンタテインする」というのだ。エンタテインとは、「もてなす、癒す、労う、励ます」という意味で、これを支えるのがサービスマインド(患者に寄り添う心持ち)とコミュニケーション能力(患者との意思疎通)である。
 
つまり、良い医者とは、薬や検査や手術等で目先の症状をごまかそうとする医者ではなく、患者を快適な気分にできる医者、そして患者が快適な生活を送るのに役立つ知識や情報を気軽に提供してくれる医者のことをいうのである。明日からは、この視点に立ってあなたをエンタテインしてくれる“町医者”を探すことを心がけてみよう。
 
もしも、「私の行きつけの医者は、まさにそんな医者だ!」と言えるようであれば、宝くじに当たったようなものだから決していまの医者を手放してはいけない。徹底的に良好な関係を維持して、人生の続くかぎり「良い医者」活用することだ。
 

患者の心得

さて、さまざまな局面あるいはテーマで、「良い医者・悪い医者・普通の医者」の基準を書いてきたが、いかがだろうか。読者のみなさんの周辺で、果たして「良い医者」とはどれくらい存在するものだろうか。1割程度? それとも100人にひとり? 私の感覚からすると、後者かな。しかもそれは、あるひとつの場面や状況に限った場合のことで、全テーマにおいて「良い医者」に該当する医者など、まずいるわけがないと確信している。その理由を解き明かしながら、結論として、今日から実践すべき患者の心得についてまとめてみたい。
 
★患者の心得 ~病気になるのは自己責任、健康を取り戻すのも自己責任~
賢明な読者のみなさんは、おそらく裏A面の『医者のための、患者の品定め ~良い患者・悪い患者・普通の患者~』も読まれたことと思う。医者が患者をどう見ているかを知ることはとても重要なことである。健康になりたければ、まず敵を知れ、ということだ。で、出てきたのは、患者と医者が相手に対して描いている理想はまったくの正反対という空しい結論。医者が食べていくことを考えたら、生命の危険にまでは至らない程度に患者の症状を持続させるのがいちばん。つまり、「治さず殺さず」だ。患者は病気を治したいと一生懸命医者に通うが、医者は完治されてしまってはお手上げなのである。だから病気の根本原因を放置して、薬で目先の症状を緩和することを繰り返せるだけ繰り返す。まず患者は、このことをしっかりと心に刻んで医者と向かい合わないといけない。
 
患者は、病気を治したい、健康を取り戻したいと思って医者に通う。
医者は、経営の安定、すなわち儲けるために患者を診る。
医者がいちばん儲かるためには、患者を「治さず殺さず」の状態に上手くコントロールし続けることだ。患者にはそうと気づかれずに…。
 
両者の利害が見事なまでに一致しないのが理解できるだろう。
繰り返すが、医者は患者の病気が治ってしまったら儲からない。困るのである。
「そんなバカな!」と、患者側であるあなたは怒るだろうか。そんなあなたには、はっきり言おう。「あなたこそバカだ」と。
 
本ブログの冒頭で、この本でいう「患者」の定義を書いた。患者の悩みの種は、生活習慣病なのである。糖尿であれ、血圧であれ、コレステロールであれ、さらにはがんであれ、具体的な症状や病気はなんでもいい。生活習慣病というぐらいだから、これらの不健康な状況をもたらしたものは、他でもないあなた自身の生活習慣に他ならない。欲望のままに、あるいは流されるままに、何も考えずに生きてきたその積み重ねの上に、生活習慣病が表面化しただけのことだ。
 
そしてある日、何かのきっかけで「ヤバい!」と思って医者のところへ行くわけだ。何年も医者に通いつめても、なかなか症状に改善が見られないと悩んだり不思議がったりしている患者が多いが、そんなのは当たり前だ。患者を治したら医者は儲からないと言ったが、もっと本質的なこと、というか真実を言ってしまえば、医者は病気なんて治せないのだ。
 
聞いたことがあるかも知れないが、医者がやっているのは「対症療法」といって、目の前にある症状を潰すことだけ。薬も手術も延命治療も、言ってみればみな対症療法なのである。だから、医者にもらった薬を飲んで高かった血圧が安定したといって喜んでいるあなたは大バカ者ということになる。目先の不具合を急場しのぎさせるために、医者は薬を出しただけのことだ。これでは何の問題も解決しない。高血圧になった原因を改めていないからだ。
 
しつこいようだが、あなたの病気の原因は何だった? そう、自分自身の不適切な生活習慣である。患者が、病気を治そうとか健康になりたいとか真剣に思うのであれば、医者に行くのは無意味なことだ。いや、逆効果と言ってもいい。医者は患者を健康にすることなど夢にも考えていないから、来たら来ただけ薬を出す。ときに効果測定のためだとか言っていろいろな検査を挟んだりしながらね。
 
こうして日常的に医者通いをしていると、確実に人間に元来備わっている免疫力が落ちていく。免疫力とは、人間の体内に健康を害する外的が侵入したときに、それを退治してくれる用心棒である。自然治癒力とも言うことができる。そして、この免疫力とか自然治癒力は、薬という化学物質を飲む頻度や量によって、次第にパワーダウンしてしまうことが既に検証されているのである。
 
薬には副作用があることはご存知だと思う。これは、目先の不具合を緩和してくれるのと同時に、正常に働いている他の機能を弱めてしまうということだ。俗にいう「薬慣れ(薬漬け)」というやつで、はじめは効いた薬も飲み続けるほどに身体が麻痺してしまい効き目が落ちてくる。すると医者は、必然的に薬の量を増やすか、もっとパワフルな薬に変えてくる。この繰り返しによって、患者の自然治癒力はどんどん落ちていき、やがて別の病気になって永遠に健康を取り戻せなくなってしまうということだ。
 
その結果、高齢者が「病気のデパート」と呼ばれるように、いくつもの症状や病気を抱え込んで、それぞれを緩和するための薬まで抱え込んで、本人はどんどん不健康になり、医者はどんどん売上を増やし、結果として国民医療費がうなぎ登りという迷宮に嵌っていくわけだ。
 
日常的に医者に通っている人は改めて胸に手を当てて考えてみて欲しい。月に2度3度と通院し、何種類もの薬をもらったり、いろいろな検査を繰り返したり…。そうすることで、あなたは本当に病気を改善することができたのか。総合的にみて、初めてその医者のもとに出向いたときと比べて、健康を取り戻すことができたのか。
 
もしかしたら、ほとんど症状に改善が見られないどころか、かえって不具合が出てきてしまったということがないだろうか? もし思い当たるようなことがあれば、それは薬漬け・検査漬けによるものかも知れない。医者に言われるがままに、盲従的に、あるいは惰性的に医者通いを繰り返していたら、逆にあなたは、どんどん本来の健康から遠ざかっていくのだという真実に、そろそろ気づいてもいい頃ではないか。
 
そもそも医者の役割は、事故やけが、予期せぬ感染症など、手当てしなければ一刻を争うような人体の危機を救うことにある。今の時代においても、こうした理由で医者に行くのは至極当然のことだ。他にも、出産に係る母子医療や小児科、不妊治療、救急医療、通院困難なレベルまで状態が悪化した人たちを手助けする在宅医療か緩和ケア等々。こうした分野では医者にはどんどん活躍してもらい、長生きしなければならない時代のセイフティーネットになってもらいたいものである。
 
ところが、こうした本来医者が必要な分野で活動している医者は、全国30万人の医者のうち、ほんのひと握りでしかない。大多数の医者は、緊急性の低い生活習慣病の患者たちを相手に、それなりの診療を反復することで生業を立てている。本当におかしい。本当であれば、こんな医師たちを全国的に不足していると言われる救急医療や母子医療や在宅医療にシフトさせればいいのだが、国も医者にはあまりズケズケと物を言えない。30万人が集まれば、選挙への影響力は測り知れないものがあるからだ。で、2年に一回、チマチマと診療点数を下げていっているわけだが、あまり意味がない。
 
国民医療費は毎年1兆円ずつ膨れている。にもかかわらず、またまた医学部の定員を増やしたりしている。バカな話だ。医者が増えればどうなるか? 医者は食べていくために必死で患者をつくる。それでさらに国民医療費が増えるだけのことだ。いや、それだけじゃなかった! 国民医療費が増えるということは、国民がふんだくられる税金や保険料がアップすることを意味しているのだ。
 
おそらくこれを読んでくれている「患者」のみなさんも、もはや政治や行政になんか期待はしていないと思う。そして、ついでに医者に期待するのもやめるべきだと断言したい。患者のみなさんにとっての「良い医者」とは、「死ぬまでの長い期間にわたって健康や幸福に貢献してくれる医者」。そして、「健康・幸福」とは、「然るべき範囲内で、好きに飲食し好きに活動できること」。つまり「良い医者」とは、患者がこれを実現できるよう応援してくれる医者である…と定義したのを思い出していただきたい。
 

ここで定義した健康や幸福を実現するために医者に求めるべきことは、実は患者の病気を治してくれることではない。そもそも医者には糖尿病も高血圧症も高脂血症も治せやしないのだから。医者にできるのは、血圧や尿酸値やコレステロール等を薬でコントロールするといった場当たり的な対症療法で、症状が改善したかのように錯覚させることだけである。

延命治療

延命治療とは、疾病の根治ではなく延命を目的とした治療のことである。現場復帰や正常な意識の回復が見込めない患者に対し、人工呼吸や輸血、輸液などによって延命を図ることを目的とする。かつては広く行われてきていたが、尊厳死や医療費削減などの問題から見直される傾向にある。忘れてならないのは、延命治療を行えば、患者がその間余計に苦しむことになるということ。また、当然ながら延命治療であっても医療費は必要であるため、延命すればするほど医療費が嵩んでくる。もっとも問題になるのが、患者本人や家族の意思にかかわらず、医者が当然のごとく延命治療を進めてしまうケースである。
●普通の医者 「正直に申し上げて、もう社会復帰は難しいでしょう。これ以上できることは何もありません」と沈痛な表情で語り、家族が「何とか助けてください」と発するのを待つ。「お願いします。生きていてくれるだけでいい」と言われるに至り、「わかりました。できる限りのことはやってみましょう」などと言って1ヶ月程度は延命治療を行う。さすがに良心が咎め、然るべきタイミングで治療を終えるため、家族を諭しにかかる。
●良い医者 「延命治療」についてきちんと説明してくれる。延命治療とは病気の根治ではなく、単に延命を目的とした対症療法であること。社会復帰が見込めない患者に対し、人工呼吸や輸血、輸液などによって延命を図るというやり方は、かつては広く行われてきたが、尊厳死や医療費削減などの問題から見直される傾向にあること。延命治療を行った場合、患者はその間余計に苦しむこととなるし、意識がない状態でただ延命されている患者を見て家族や友人などが苦痛を感じることにもなる。また、当然ながら延命治療であっても医療費は必要であるため、延命すればするほど医療費が嵩んでくる…。こうした説明をきちんと行った上で、家族の選択を尊重してくれる。
●悪い医者 家族の嘆き悲しむのに乗じて、「できる限りのことをしてみます」と言う。「よろしくお願いします」などと言われた日には、心の中で舌を出している場合すらある。その後、家族から申し出のないかぎり、延々と延命治療で収入を増やす。
 
この話になると、作家・遠藤周作さん(故人)の奥様、順子さんの話を思い出さずにはいられない。
「人工呼吸器の音がゴオゴオいっていて、言葉を交わすことも何もできずに亡くなりました。それが今でも心残りだし、残念です。」
「事後承諾で人工呼吸器をつけられ、亡くなる日まで採血をされました。」
「今でも、病院で医者の正義に最後まで付き合わされる患者がたくさんいます。」
「現代の医学が効力を発揮できなくなった時点で、もう医者と患者という関係は切れていて、あとはもう人間と人間の関係です。患者と家族が心静かに別れることができる医学的な環境を整えることこそ、ターミナル医療に携わる医者に課せられた義務ではでいでしょうか。」
これからの時代、患者側は入院時に延命治療に関する要望を明確にしておくべきだろう。延命治療の是非は複雑な問題ではあるが、誰もが通る可能性が高い道。自分自身の問題として日頃から考えておくべきテーマである。ちなみに、患者本人が延命を希望しない場合、予め文書として示すことで医療機関に対し延命治療の中止を要求することができる(リビングウィル)。
 
<ワンポイントアドバイス:延命治療の値段>

終末期医療で、家族が「一分一秒でも長く」と要望したとしたら、カウンターショック(電気ショック)が1回35,000円、24時間対応心電図モニターが1日1,500円。人工呼吸器装着のために必要な気管内挿管措置は1日5,000円、人工呼吸器は1日12,000円。強心剤の点滴は1本7,000円、心臓マッサージは1回2,500円…(いずれも2010年現在)。差額ベッド代を除き、自己負担額は概ね2割前後ではあるが、平常心を失った状態のなかで、延命治療に係る費用が日々膨れ上がっていく。ホント驚くほどに…。500万円とか1,000万円とかいう金額もあっという間だ。また、延命措置に際して、患者側が求めない限り見積書は出てこない。医者の世界には事前見積りという考え方が定着していない。日本人はもう少し、欧米人のようにお金というものにシビアになったほうがいいのではないか。そして、ほんの数日間命を引き延ばすために患者に苦痛を強いるということの是非について、もっと考えるべきだと思う。

手術

私も含め、自分の身体にメスを入れるということが、生理的にどうしても受け入れられないという人がいる。だが世の中の医者は、いとも簡単に「切りましょう」と言う。俗に「外科医の切りたがり、内科医の飲ませたがり」というが、例えばがんの場合、外科医には、がんにはまず手術という習性がある。なぜならば、「身体に悪いところがあれば切り取るのが外科医の仕事。手術はがん治療のプロフェッショナル・スタンダードで、がんと診断しておきながら何もしないというのは外科医の倫理に悖る」という教育を、長きに渡り受けてきたからだ。だから外科医は“取れるがんは取る”し、一方で知識や情報を持ち合わせていない患者側も、医者からそう言われたら、“がん治療の第一選択肢は手術”と信じて疑うことがなかったのだ。
3年ほど前、ご主人(84歳)が末期の大腸がんと診断され、慌てふためいて飛び込んでこられた女性がいた。すぐに摘出すれば成功の確率はほぼ100%だと言われたらしいのだが、当のご主人が死んでも手術だけはイヤだと言う。そこでご主人と会って話してみると、本人は痛くも痒くもないそうだ。84歳。日常生活の支障はまったくない。術後の人生のことまで含めて考えたら、どう考えても摘出手術のリスクのほうが高いに決まっている。私は、手術は死んでもイヤという直感は当たっている可能性が高いように感じると伝えた。

もうひとつ。77歳の女性が肝臓がんと宣告された。転移もひどく末期とのこと。しかしながら本人には何の自覚症状もなく、1年前の検査では異常なしだったという。相談していただいた時点で一切苦痛がないということなので、ちょっとじっくりと考えましょうということにした。そして、まずはセカンドオピニオン。これだけの重篤な診断結果だ。複数の専門医の見解を聞かずして手術するなどはもってのほかである。セカンドオピニオンの結果、末期がんであることが確定したが、次は治療法の選択である。これが相談者の今後の人生にとっての分岐点になる。結果的に、手術を勧めた医者が3人、手術反対が2人。最終的に彼女が選択したのは、こう伝えた医者の意見であった。「年齢的なことや広範囲への転移を考えると、まず摘出手術は絶対に避けるべきかと思う。例え手術が成功しても後々の生活がキツい筈。術後の放射線照射や抗がん剤投与は、いずれも非常につらい副作用の覚悟が必要になる。何より気分が悪くてどうしようもない場合が多い。現時点で痛みがないのであれば、そんなリスクを犯す必要もない。私のお袋であったらそう言います」。

基本的な考え方として、そもそもがんは生活習慣病。つまり、糖尿病や高血圧と同様、現代の西洋医学では根治できない病気である。がんのような内なる病気に対しては、根本原因を取り除かない限り、むしろ治療すればするほどがんの患者さんが死んでいくという傾向すらある。さて、結果的にこのケースは療法とも、患者さんが高齢という点を考慮して、食事、運動、適温維持等の生活改善で免疫力を高める工夫をしていくことになった。その結果、腫瘍マーカーの値にも改善が見られ、今でもにこやかに暮らしている。
●普通の医者 とにかく手術をする、という前提に立っている。後述の<ワンポイント・アドバイス>にある10項目について、患者や家族が求めれば一応説明はしてくれる。ただし、患者が納得できるまで相手をしてくれるかどうかは別問題。手術説明書は、強硬に求めれば何かしらは書いてくれる可能性が高い。
●良い医者 まずは現状を説明してくれた上で、手術しない場合はどうなるかも含めて治療法の選択肢を挙げてくれる。手術を勧める場合には、その必要性と有効性についてきちんと説明し患者と家族の理解を得る。納得が得られたら、10項目について、患者が納得するまで時間をかけて説明してくれる。適宜、紙に書いて渡してくれる。費用概算についても見積もってくれる。手術当日のビデオ説明も了承してくれる。
●悪い医者 医者から自発的に改めて詳細な説明をすることははない。あっても「いついつ、何時から手術をします」程度。10項目について患者が質問しても、回答率は2~3割程度。「心配ない」、「大丈夫」と繰り返しながら、万一不慮の事故があっても医者に責任を求めないという誓約書を差し出してくる。
 
<ワンポイントアドバイス:手術のチェックポイント>
医療事故は依然として増え続けている。いくら医者とはいえスーパーマンではない。人間がやる以上、ミスがゼロになることはあり得ない。そして、医療事故が疑われる場合であっても、必ずしも医者の対応というのは、患者からすると納得のいくものではない場合が多い。医者というのは政治家同様で、基本的に自分の非を認めないし、謝罪するということをしないと考えたほうがいい。そういう教育を受けていないのだ。何よりも先に自己保身や正当化に走る習性がある。患者側は、これを認識した上で、自分の命は自分で守るという意思と自覚を持つ必要があるだろう。
【手術前】
①主治医が勧める治療法がその病気の標準的な治療なのかどうか。
②他の手術法の有無。ある場合、各手術法の長所・短所。
③手術以外の方法(手術せずに薬で治す等)の有無
④主治医が勧める手術法の国内症例数と成功率 *「成功」の定義が極めて重要
⑤当該病院および執刀医の症例数と成功率
⑥手術の執刀体制(執刀医のプロフィール、麻酔医の有無、その他スタッフの氏名)
⑦手術が成功した場合の、退院後の生活イメージ
⑧術前・術後の治療計画
⑨手術自体の概要(どのような手術で、どれくらいの時間を要するのか)
⑩仮に主治医や家族が同様の状態に陥った場合、どこのだれに手術を依頼するか。
【手術当日】
①手術部位にはマジックで×印をつけてもらうべし
②かみそり剃毛は拒否せよ
③手術の立会いとビデオ収録を申入れよ
【手術後】
①術後の管理責任者は誰か
②手術所見を書いてもらう
③術後一ヶ月以内に死亡した場合は解剖を受けるべし
 
患者と医者の間で「手術の成功」についてのイメージが乖離しているために起こるトラブルが非常に多い。よって、「手術が成功した場合、術後の生活は具体的にどのようなイメージになるのか教えて欲しい」と尋ねることが重要。医者は問題箇所を摘出しさえすれば「成功」と考える傾向があるが、患者や家族にしてみれば、日々の生活の便宜がどうなるのかをしつこいくらい事前確認すべき。その上で、特に高齢の場合には、「手術しない」という選択肢も含めて比較検討することをお薦めする。

退院

NPOで相談活動をやっていて、毎年トップ3に入るテーマは決まっている。カルテ入手に係る折衝、セカンドオピニオンの段取り、そしてもうひとつが、「突然の退院勧告とそれに伴う転院先確保」の問題である。数日後に退院しろと言われたものの、自宅療養には不安があるので別の入院先を探す必要がある。そういうことだ。
ここで問題になってくるのが、多くの病医院が謳っている「地域連携」というやつである。ちょっと具体的な話をしてみよう。昨年末から年明けにかけて、3つの病院と交渉する機会を持った。相談者の家族が、入院先の病院から退院勧告を受けたものの、本人のみならずご家族も自宅に戻すにはまだ不安が残っていてどうしよう…という相談が3件ほぼ同時に発生したのだ。

交渉相手の内訳は、大学の附属病院、300床程度の民間病院、100床未満の民間病院である。こちらから先方に話した内容はほぼ一緒で、①本人またはご家族が抱いている不安 ②その上で退院時期の再調整依頼 ③転院先医療機関の紹介依頼 の3点。で、驚いたのは、3人の担当者が異口同音に「どうにもならない。また、転院先についても患者さん側で探してほしい」と回答してきたことだった。いゃあ、本当に驚いた。相手をしてくれた職員は、いずれも地域連携部門(正式名称は、地域連携室、医療福祉相談室)のスタッフである。

私は怒りを通りこして呆れながら尋ねた。

「ところで、こちらでいう“連携”って…、具体的な定義は何なのですか???」
回答1. 「私どもスタッフで地域の病医院さんや介護事業者さんをまわり、患者さんに質の高い医療や介護を提供しようとするものです。しかしながら、転院先のご紹介は基本的に主治医が行うもので、私たちが権限を持っているわけではないのです。今回は、申し訳ないですが、こちらで対応することは困難なのです。」
回答2. 「私たちの目指す連携とは、紹介・逆紹介の患者さんをしっかりと相手方にお返しするよう徹底すること…でしょうか。そのための調整や連絡を行っているのが、私どもの部署ということになります。」
回答3. 「介護が必要な患者さんに対して、地域の介護サービス事業者さんをご紹介しています。残念ながら転医については今後の課題ということで、実際の対応はまだできていない状況です。」
これではまったく質問の答えになっていない。まったくもって“患者不在”である。まぁ、患者本人ですら紹介状(患者情報提供書)に自分がどう書かれているのか見ちゃダメッ!という医療界だから、「世間の常識は医者の非常識」ということがあるかも知れないが…。
●普通の医者 ある日突然、回診時に「明後日退院です」などと言われる。直前(2~3日前)に言われた場合は、もっとお金になる別の患者のためにベッドを空ける必要が出たのだと考えればよい。ただし、体調的に不安があるようであれば転院先の確保を依頼すること。そうするとメディカルソーシャルワーカーなる職員が出てきていろいろ話を聞いてくれるが、何日かすると「ちょっとどちらも空きがないんですよねぇ。どうしても自宅では無理ですかぁ?」などと言ってくる。「それでは退院できない」と言うと、医者から首尾よく退院に同意させるように指示されている職員は困り果て、最終的には「いゃあ、うちのほうでは転院先まではご用意できないんですよぉ。何とかよろしくお願いします」などと、何をお願いされているのかわからないようなお願いをされたりする。
●良い医者 計画的に退院スケジュールを組んでくれる。退院当日の2~3日前には、医者と看護師等が患者とその家族に対して経過説明と退院後の生活指導を行ってくれる。また、転院する場合には、転院先を確保した上で、転院先からも看護師や専門スタッフを呼んで、引継ぎを行ってくれる。転院先に見舞いにまで来てくれることもある。
●悪い医者 退院2~3日前に突然、妙に明るく「さっ、退院です」などと言われる。仮に自宅復帰が不安な場合には、その旨告げると「検査結果ではもう大丈夫」と言われ、「でもぉ…」と食い下がると「気のせい」で片付けられる。徐々に不機嫌になる医者に転院先の紹介を求めようものなら、「うちはそんなことまでする義務はない」などと嘘をついて脅しにかかる。こういう医者は銀行の融資と一緒で、必要ないときには入院しろ入院しろと言い、肝心なときには退院しろ退院しろと言ってくる。
 
そもそも全国の病医院で『連携』なる言葉が使われはじめたのは、どういう経緯だったのか。時は2000年の第一次小泉内閣がぶちあげた“医療改革”にまで遡らなければならない。若干難しい話になるが、患者の権利を護るためには重要なのでちょっと我慢して欲しい。そこでは医療改革の基本的な考え方として、国民医療費抑制の手立てとして病医院の機能分化が掲げられた。

わかりやすく言うと、「これからは来た患者さんを何でもかんでも診るのではなく、自分の病医院がもっとも得意とする分野だけに特化しなさい。本来の守備範囲以外の患者さんは、地域の然るべき医療機関に渡しましょう。でもそうすると、これまではひとつの病院内での申し送りで済んでいたものが、別組織とのやりとりが必要になりますね。だから、患者さんに対する医療や介護の質が落ちないように、引渡しを円滑にする役割を担う組織を用意して、退院・転院する患者さんをサポートしてあげてくださいね」ということなのだ。これを受けて、その当時から、病医院のなかに『地域連携室』的な組織が続々と誕生してきて今日に至っているのである。

つまり、病医院側の都合で退院勧告するのであれば、転院先の紹介と申し送りをキチンとやって患者さんやご家族の不安を取り除いてあげるのが本来の連携ということになる。しかしながら、この本質的な部分がすっかり忘れ去られている現状があちらこちらで見られる。正面玄関前の看板で「うちは連携先がたくさんあるから安心ですよ」と言っておきながら、いざとなると「転院先は患者さんのほうで探してもらうことになっていますので」とホカるのであれば、金輪際、“連携”という言葉は使って欲しくない。ちなみに、3つの相談ケースのうち2件は退院時期の先送り、1件は私どもで転院先を確保した…。

入院

百貨店関係者が中元歳暮シーズン到来を待ちわびるように、巷の医者たちは喜色満面で冬を迎える。寒さで体調を崩しがちな高齢者たちがどっと押し寄せるからだ。まさしく At last である。Winter has come ! なのである。

高齢者患者のみならず、その家族たちもちょっとしたことで彼らに医者通いを奨励する。下手に家で倒れ、そのまま寝たきりにでもなられた日には、生活や人生そのものが変わってしまうからだ。冬場にちょっと咳ばらいでもしようものなら、医者と家族が示し合わせたように、当の本人がいくら大丈夫だと言おうが、『家だと冷えるから病院で過ごしたほうがいいわよ』とか、『万一のことがあってからでは遅いから』とか…。

こんな光景は全国で日常茶飯事である。厄介者を体よく追い出して、忙しくも賑わいのある年の瀬の準備に専念できるというものだ。で、入院させられたほうは、本当に身体を壊してしまったりする。なぜなら、病医院の中ほど病気になりやすい場所はないからだ。ただでさえちょっとした環境変化で体調を崩しやすい高齢者を病原菌の宝庫放り込むのだ。感染確率はかなり高いはずだ。家族は一瞬ギョッとするが、医者にしてみればまさに思う壺。その患者が死ぬまで貴重な収益源になる。国家的には国民医療費が膨れあがっていく…。

いかがだろうか? 例えばこんな会話を、医者が外部の人間である私と一献傾けながらするわけだ。高齢者患者の家族や病医院を侮辱するにも程があると不快感を露にする人もいるかも知れない。が、これが真実だ。ここまで露骨に言動に表すかどうかは別にして、本質は一緒である。紅葉が終わりに近づき年の瀬が迫ってくると、医者は空きベッドを埋めることに躍起になる。誤解を恐れずに言ってしまえば、無理やりでも埋める。それが彼らの仕事なのだ。経営とはそういうものなだから仕方ない。

●普通の医者 入院病床の空き状況を見ながら、これはという患者に入院を勧める機会をねらっている。理由として「ちょっと肺炎気味なので安全を見て」とか言ってくる場合が多いが、「寒い時期が過ぎるまで予防のために」などと訳のわからないものまである。とくに秋の終わりから2月くらいまでの期間は、早めにベッドを満床にできるよう計画を練っている。入院自体の説明については事務職任せ。事務員は「入院のしおり」を渡して、「読んでおいてください」で終わり。基本的に差額ベッドを勧めてくる。
●良い医者 本当に入院が必要だと判断したら、入院の目的、治療内容、入院生活、用意すべきもの、入院期間、費用について事前にきちんと説明してくれる。とくに治療内容とそのスケジュールについては紙にしたものを渡してくれる。また、事前に入院病棟を見学させてくれ、要員体制や院内感染対策などについても説明してくれる。
●悪い医者 理由もなしに、「ちょっと来週から入院しましょう」とか「入院です」とか一方的に決めつけてくる。年の瀬が迫ってくると、事務長に命じて直近半年以内に通院した高齢患者の家に電話させる。息子や娘を口説いてでも入院させようとする。こんな医者の口車に乗って入院してしまうと、本当に病気になってしまう場合が多い。衛生面を筆頭に、まったく安全とは程遠い場所なのである。
 
空きベッドを何とか埋めようとする医者側を過度に責めようとは思わない。むしろ責められるべきは患者側だ。病医院の利用の仕方、医者という人種との接し方を間違えているのだ。自分の身体をいちばんわかっているのは、たまたま出会った患者の前でふんぞりかえっている医者ではない。他でもないあなた自身なのだ。自身の健康に何ら責任を持たない周囲の声に惑わされて、いつまでも安直に医者のドアを叩いてはいけない。自らの身体から変調のサインを受け取った場合のみ、検査を受けるために医者を利用すればいい。

そして、検査結果に異常がなければ、それっきり医者とは距離を置くことをお薦めする。あなたを引き留めるために、医者は『薬を出しておきましょう』、『しばらく様子を見ましょう』、『来週また来てください』などと言うだろう。しかし、もうおわかりだろう。医者の関心はあなたの健康ではなく、あなたが運んでくれるお金(診療の対価としてもたらされる医業収益)なのだから。もうそろそろ、自分や家族の健康を代償にしてまで医者の儲けに加担する愚に気づくときではないか。

カルテ

医者は患者に対して、どのような治療を施したのかについて客観的な記録を残しておかねばならないと定められている。この義務を怠ると50万円以下の罰金を科せられることになっている。具体的な内容としては、①診療を受けた者の住所・氏名・年齢・性別 ②病名・主要症状 ③治療方法(処方と処置)④診療年月日 ⑤既往症・原因・経過 ⑥保険者番号 ⑦被保険者証の記号・番号・有効期限 ⑧保険者の名称・所在地 ⑨診療点数 となっているが、重要なのは、これらをただ機械的に書けばいいというものではないということだ。

カルテ(正式には「診療録」)とは、客観的な事柄を記録として残しておくための文書であり、よって、誰が見ても読み取れるよう、記載者にしかわからないような略語や略字は使用できないことになっている。また、責任所在を明らかにするため、記載者と記載年月日&時刻も記載しなければならない。もしもカルテの写しを入手する機会があったら、是非ともこれらの項目が判読しやすく記載されているかどうかをチェックしてみて欲しい。


もうひとつ知っておいて欲しいことがある。それは、患者から請求された場合、医者には、正当な理由がない限り、診断書を作成して交付する義務があるということ。ちなみに、正当な理由とは、患者以外から請求されて患者のプライバシーが侵害される恐れがある場合、未告知のがん患者の場合、保険金詐欺等に悪用されることを医師が知った場合 である。

●普通の医者 必要なことが漏れていたり、どうでもいいことが書かれていたりすることはあるが、まぁ何となく時系列的には記録が残っている。その病医院独特の略語等が使われていたり、誤字脱字が散見されたりするのはまぁご愛嬌か。カルテの写しが欲しいと申し出ると、一瞬たじろぐも、所定の申請書を書くように言われる。が、求められたら提示せざるを得ないという社会的ルールは一応認識できている。患者本人でなくとも、委任状があって身元確認が取れれば対応してくれる。
●良い医者 治療経緯を読みやすい字できちんと記載していてくれる。別の医者にかかる場合には快くコピーを渡してくれる。頼みもしないのに、コピーを渡してくれる場合もある。治療経過が理路整然と書かれているため、次の医者は無駄な検査等を避け、スムーズに治療に入っていける。
●悪い医者 白紙同然。または事実でないことまで記載してある。あれこれ試みたという形跡を残せば収入が増えるからだが、これがバレるとペナルティが課せられる。であるからして、患者のカルテ開示請求に対しては極力回避しようとする。折衝を繰り返していくと、医師法で定められた「カルテ開示義務」や「治療経過記録義務」について無知であったりすることすらある。最終的に、2~3ヶ月を要することもある。その結果が白紙同然だったりしたら、患者は泣くに泣けない。
 
米国では、カルテは当然診療費を払った患者のものと認識されているが、日本では、カルテは病院のものであり、患者が勝手に覗いてはいけないという慣習が根づよく定着している感がある。よくある相談事例としては、カルテ開示を求めたら、以下のように言われ落ち込んでしまったというような話のオンパレードである。
「なぜですか?」
「何のために?」
「何か問題でもありますか?」
「目的と理由が明確でないと差し上げられません」
「うちでは、原則として開示できないことになっています」
「結果は紹介状にまとめてありますからそれでいいでしょう」
まぁ実際のやりとりでは、申し出るときの言い方とか雰囲気とかあるかとは思う。しかし、一般的な高齢者であれば、たかだか自分のカルテの写しをもらうというだけなのに、いかにハードルが高いかはわかってもらえると思う。では、どうして日本の医者は快くカルテの開示に応じてくれないのか。理由として考えられるのは…、①患者に正確な病名や病状を知らせていない場合(がん等の重篤な病気の場合)それがばれてしまう ②不必要な投薬や検査が行われているときそれがばれてしまう ③医療ミスや医療事故が隠されているときそれがばれてしまう ④カルテを渡したら患者がよその病院に逃げてしまう ⑤そもそもきちんと記録を残していない(実はこれがかなりある?) 等であろうか。
こうした医者側の都合を裏返せば、カルテを入手することによる患者の利点は、①正確な病名や病状を知ることができる ②薬漬け・検査漬けの解消 ③医療ミスや医療事故の回避・予防 ④医者や医療の選択における判断材料の確保 といった具合か。単にカルテを開示してもらうだけで、これだけ患者が主導権を握ることが可能になるのだ。いずれにしても、医療情報は患者の財産。病医院はそれを預けている銀行のようなものだ。医療機関は患者の大切な資産を保管するが、引き出しも貸し出しも自由。「良い医者」とは、医療情報の効果的運用のアドバイスをしてくれるプロであって欲しいものである。

紹介(セカンドオピニオン)

いわゆる町医者に通っていたとする。通院の過程で、より高度な医療や専門的な医療を受けるために、町医者よりも規模の大きい病院で診てもらってきてくれと言われることがある。これが「紹介」だ。この逆もある。大学病院など比較的大規模な病院に通院していたら、「症状も安定してきたことだし、日常的にいろいろ気軽に相談できる近所の先生を紹介しましょう」などと言われる場合もある。これが「逆紹介」である。患者側からすると、ひとりの医者がスーパーマンであるはずもないのだから、いろいろな専門分野の医者とネットワークを持っている医者は「良い医者」の条件の一つと言えるだろう。
さてもうひとつ、「セカンドオピニオン」というのを聞いたことがあると思う。セカンドオピニオンとは、直訳すれば「第二の意見」となり、具体的には「診断や治療方針に関する主治医以外の医師の意見」をいう。「手術を勧められたけどどうしよう。」そんな重大な決断をしなければならないとき、他の専門医に相談したいと思うのは当然のことだ。この思いを患者側から医者に伝える手続が「セカンドオピニオン」だ。ここで大切なのは、患者のほうで誰の意見を聞きたいのかを明確にしておくこと。

つまり、どこの病院のどの医者のところへ出向きたいのかを決めた上で申し出ないと、主治医と仲のいい医者を紹介されて終わってしまうということだって実際にはあり得るのだ。患者自ら「セカンドオピニオン外来」を受け付けている病医院を探したり、テレビや本で知った「これは!」と思える医者との道筋をつけたり、それなりの努力が必要となることは知っておきたい。セカンドオピニオンは、日本ではなかなか普及していない。「主治医に失礼になるのでは」と思う患者が多いからだ。

 
●普通の医者 患者によほどの危険がないかぎり、自分の範疇で何とかしようと試行錯誤を繰り返す。患者から求められれば、「じゃあ一度専門の先生に診てもらいましょうかぁ」などと言って、自分が懇意にしている(ツーカーの仲の)医者を紹介する。患者が具体的な病医院名を挙げた場合には、相手の医者名のない意味のない紹介状を書いて渡したりもする(「紹介」を求める場合には、患者側が「どこの病医院のどの医者に診て欲しいのか」を特定しないと無意味な結果に終わってしまう)。
●良い医者 自分の専門外である場合には、患者にその旨を告げた上で、然るべき医者を紹介してくれる。患者が希望する病医院があれば、その病医院のどの医者に診てもらうのが有効かをスタッフに調べさせた上で紹介状を書いてくれる。また、紹介状を書いて封印する前に、写しを取って渡してくれる。
●悪い医者 死んでも患者を放さない。患者が何度も紹介を求めると不機嫌になる。ひどいのに至っては、「私が信用できないんですか?」などと脅しが入ってくる。ちょっと信じられない話だが、これは人格障害ではないかと疑いたくなるような医者が本当にいるのである…。
 
人気アナウンサーだった逸見政孝さん(故人)ががんで亡くなられた後、奥様の出された本や講演等により、「セカンドオピニオン」という言葉がかなり定着したように思う。逸見さんは1993年12月25日に癌との激しい闘病生活に幕を閉じた。同年1月の健康診断にて発見されたとき、がんは初期のもので、摘出手術を行なえばすぐに復帰できると説明を受けた。だが、開腹してみると悪性のスキルスがんで胃を3/4摘出する大規模な手術となった。具体的な手術の内容などの事前説明も少なかったそうだ。妻の晴恵さんは、夫に対して他の医者にも診てもらい最善の方法を選ぶように訴えかけてきた。しかし実直な逸見さんは「主治医を疑うような真似はしたくない」と頑なに拒んだ。

逸見さんの死後、がんの専門医などの間で、逸見さんの治療をめぐって手術はすべきでなかったという議論などが捲き起こり、テレビやメディアでも多く取り上げられた。晴恵さんはその議論を地団太を踏みたい気持ちで見ていたという。「主人の場合は納得して亡くなったと思いたいし、あれこれほじくりかえすのも主人の本意ではないと思う。ただ、もし私ががんになったら、いろんな情報の中から納得できる選択をしたいとつくづく思った」と、晴恵さんは語っている。

実際問題として、医者から説明を受けても、情報も知識もない患者や家族にとっては、治療法の決定をできないのはもちろん、恐怖や不安を覚える場合もある。だからこそ、知識を持っている人=専門医に相談し、意見を聞くなかで意思決定したいと思うのは当然のことである。そう考えると、インフォームド・コンセントとセカンドオピニオンは車の「両輪」であって、「良い医者」であれば患者や家族とのコミュニケーションを通じ、この両輪を円滑に回していくことの大切さを心得ていて然るべきである。

*なお、逸見晴恵さんは、昨年(2010年)10月21日に、みずからもがんのため他界された。

薬の処方

欧米では薬の処方を3剤までに抑えるのが原則だ。このことは医学生向けの教科書にも明記されているらしい。つまり、医者にとっては基本中の基本ルールと言ってもいいだろう。とくに高齢者の場合、体内での薬の分解や排泄に時間を要するため、何種類もの薬を一日に2回3回と飲めば、薬同士の相乗作用が生じ非常に危険である。しかも高齢者の多くは、糖尿病、高血圧、コレステロール過多等、「病気のデパート」と揶揄されるだけに多種多様の薬を処方してもらっている可能性が高い。年齢がいけばいくほど薬を常用するには注意が必要だということを肝に銘じておきたいものだ。

しかしながら巷の医者の多くは、そんなことお構いなしで薬を処方しまくっているのではないか。本当に患者を健康にしてあげたいと思う医者ならば、基本的に薬は服用しないほうがいいことを正直に伝えて欲しいものだ。やむなく薬を出す場合には、その必要性や飲み方やリスクについて、医者はキッチリと説明すべきである。不必要な薬を出すだけならまだしも、その薬の副作用で本当に深刻な状況を作り出してしまうことだってあるのだから。知り合いの医者仲間にも高血圧だったり糖尿だったりする人はかなりいる。でも彼らは、患者には薬を出しても、自分では薬を飲まず、食事や運動で少しずつ改善していると口を揃える。真実というのは、いつの時代もこういうものなのかもしれない。知らぬは善人(国民?)ばかりなり、である。

●普通の医者 患者には「一応、お薬出しておきますね」程度のことしか言わない。患者が会計時に処方箋をみると、最低でも2~3種類程度の薬品名が書かれている。院外処方の場合、いちばん近くにある薬局は医者の親族が経営していることが多かったりする。
●良い医者 基本的に薬は出さない。人間の持つ自然治癒力や免疫力を回復させることの重要性を説明してくれる。やむを得ず応急措置的に薬を出す場合は、薬個々にその効用とリスクについてきちんと説明し、「万一異常があれば、いつでも連絡をしてください」と添えてくれる。
●悪い医者 訳もからないままに、4種類以上の薬が処方されている。7~8種類はザラ。相談者事例でもっとも多かったケースは11種類。「良い医者」に調べてもらったら、なんと2種類に減ってしまった!「悪い医者」も、ここまでいくと尊敬したくなる?
 
<ワンポイントアドバイス:よくある診察風景>
患者 喉が痛くて、熱もあるんですが・・・。
医師 熱はいつからですか?
患者 昨日の夕方からです。38度近くありました。
医師 口を開けて下さい。あっ、もう少し大きく。
患者 あ~ん
医師 喉の奥が赤いですねぇ。咳は出ませんかぁ?
患者 とくに・・・
医師 風邪でしょうねぇ。お薬を出しておきましょう。抗生物質と喉の痛み止め。
あと頓服薬も出しておきますから、熱が上がって辛いようであれば飲んで下さい。
水分と栄養をよく摂って、安静にしていれば心配ないでしょう。
患者 あのぉ、実は胃があまり丈夫ではないのですが・・・。
医師 そうですか。では、胃薬も一緒に出しておきますね。
患者 ありがとうございました。


よくありがちな診察風景ではある。が、これではどこをどう判断して風邪と診断されたのかがまったくわからない。当の医者も「当たるも八卦、当たらぬも八卦」といった感じなのだろう。まぁ、この程度の稚拙な診察であっても、9割の患者は数日寝ていれば治るだろう。怖いのは、実は単なる風邪ではなかった…という場合である。また、患者が訴えるすべての症状ごとに対応して薬を出す医者は要注意だ。決して、「まぁ、なんて親切な」などと勘違いしないように。

薬というのはそれ自体が毒性を持っているものだし、薬相互の相性によって思わぬ副作用(死に至る場合さえある)をもたらすこともある。だから、良い医者というのは、患者と話し合いながら、いちばんつらい症状に配慮しながら優先順位をつけていくものなのだ。それと抗生物質。何かというとすぐに「抗生物質も出しておきますから」という医者がいまだに多い。抗生物質が風邪のウィルスに効かないという事実は周知の事実である。にもかかわらず抗生物質を出すのであれば、「ウィルス自体には有効性はありませんが、患者さんが高熱の場合に限って、感染症予防のために抗生物質を出すようにしています」などと、明確な説明が求められる。

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