福祉はお金じゃない?


 コムスンが介護ビジネスに参入した時に、その商業主義的なやり方を指して、「福祉はビジネスや金儲けではない」とか、「人道的立場で社会的弱者のことを考えるべき」等という批判が主に同業者内で飛び交った。介護保険スタートから10年以上経った今ですら同じように仰っている先輩社会福祉士も結構いる。そういう人たちは、社会福祉士はボランティアとでも言いたいのだろうか。しかし、新・社会福祉士はそんな言葉に耳を貸してはならない。まずは経済的な安定を目指すべきで、それがあって初めて社会正義とか弱者救済をすればいい。


 社会福祉士であれば誰でも知っている(?)マズローの欲求5段階説を思い出してみて欲しい。人間の欲求は5段階のピラミッドになっており、低次元の欲求が満たされることで自然とより高次元の欲求が生じてくるというもので、欲求の段階は順に、生理的欲求(食欲・性欲・睡眠欲)→安全欲求(健康・経済的なもの)→所属欲求(会社・クラブ・家庭などの組織)→承認欲求(社会的認知、尊敬、表彰等)→自己実現欲求(能力、可能性の開花)となっている。

 つまり、とりあえずメシが食えるようになって多少のゆとりが出てくれば、次第に世のため人のためになることをしたくなるものなのだ。しかし、第2段階が欠落したままではボランティアさえ覚束ないということになる。「私は金儲けのために社会福祉士になった訳じゃあない」と仰る先輩方が非常に多いのだが、それはおそらく儲けられないご自身のことを正当化・合理化するために仰っているとしか思えない。フロイトが言う「防御規制」にもあるように、人間は自分の欲求不満が合理的に解消されない場合に、非合理的な適応の仕方で自分を守ろうとするものなのだ。

 更に言えば、防御規制のなかの「合理化」という概念は、自分の本当の欲求を自己欺瞞で偽り、自分がいま置かれている状況を正当化しようとするものだ。イソップ物語の「酸っぱい葡萄」がそれで、手の届かない高い木の枝にぶらさがっている葡萄を指して、キツネはこう言う。「あの葡萄は酸っぱくってまずいんだ。だから、おいら、いらないんだ。」葡萄の価値を相対的に引き下げることで、自分の欲求不満を処理しているわけで、言ってみれば負け惜しみということ。

 本当は先輩だって社会福祉士になってガンガン稼ぎたかったし、収入を増やすために奮闘していた時機もあったのだろう。しかし、実際に時間とコストをかけてみた結果、それが叶わなかった。そこで、金儲けに対する欲求と稼ぐことが出来ない自分自身のギャップを解消するために件の発言につながっていくわけだ。実にネガティブ。このような先輩方に混乱させられてはならない。まちがっても、「社会的に不遇なお客様だから、お金を取ってはいけないのでは・・・」等と考えてはいけない。この点は非常に大切なことなので十分に気をつけていただきたい。


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