「Youth(青春)」とタイタニック号遭難事件
20世紀最大の海難事件、タイタニック沈没から今年でちょうど100年だ。
1912年4月14日夜、若き無線士ディビッド・サーノフがNYのワーナー無線局で当直夜勤していると、突然SOS信号が飛び込んできた。2400kmも彼方の大西洋上からのもので、豪華客船タイタニック号が氷山に激突し、沈没しそうだという。彼はすぐに湾岸警備隊に連絡。まだ微弱な電波しか出せなかった時代。米国政府は、混信を避けるべく、ワーナー無線局以外の周囲の無線の一切を封鎖。サーノフは、沈みゆくタイタニック号および救助に向かう汽船との交信を三日三晩続けた。
最終的に、船内総人員2208人のうち700人あまりの人々がかろうじて生還した。無線通信のおかげであった。その威力に世界中が驚き感動したが、そのなかのひとりに、『青春』を書いたS・ウルマンがいたことは想像に難くない。
この史上最大の海難事故が起きたのは、ウルマン72歳の誕生日の翌日のことである。ウルマンは、無線基地に勇気と希望を託そうとしたのではなかったか。死と紙一重の地獄のような状況下で、最後の最後まであきらめることなく、いのちのメッセージを交信しつづけたアンテナに「青春」を見たのではなかったか。