モチベーションを高めるための心理学的アプローチ


私たちの毎日はイヤなこと、面倒なこと、厄介なことの連続だ。そんな過酷な状況においても上手くモチベーションをコントロールできればすばらしい。これが今回のテーマ。

私たちが生きる人生には絶対的な3つの法則がある。
①人は生き、必ず死ぬ。
②人は一人で生まれ、一人で死にゆく。
③人生は艱難辛苦の連続である。

これに加えて、現代を生きる私たちに不都合なことが更に三つ。
①ここ数年頻発している地球規模の天災
②常軌を逸した悲惨な事件事故
③政治・経済・社会・医療・福祉・教育など国家インフラの破綻と崩壊
こんな状況でモチベーションを維持しろっちゅうほうが無理ではないか。
でも、それは私のような凡人に限ったことではない。過去を生きた偉大な人たちも同じ。

智に働けば・・・・・とかく人の世は住みにくい(漱石)
人生は大いなる戦場(藤村)
人生は地獄以上に地獄的(芥川)

先週行った静岡でも、徳川家康のこんな言葉を教えてもらった。
 
人の一生は、重荷を負うて遠き道を行くが如し。

「重荷」とは、理想と現実のギャップのこと。250年に及ぶ泰平の世の意礎を築いた家康公をして、「人生とは、どうにもならないギャップを埋めるための道程」と言わしめた。

もちろん、この感覚は日本特有のものではない。聖書についで、もっとも多くの国で出版され、多くの文学者から史上最高の傑作と称えられる『ドン・キホーテ』。作者のセルバンテスは、ラ・マンチャの騎士の口を借りてこう言っている。

人間にとって本当の狂気とは何か。
現実ばかりに捉われて夢を持たないもの。これはあまりにも寂しすぎる。
夢ばかりを追いかけて現実を見据えないもの。これは正気の沙汰ではない。
しかし、人間にとってもっとも憎まなければならない狂気とは、
あるがままの人生に折り合いをつけてしまって、あるべき姿のために戦わないこと。
これこそが人間をダメにしてしまう本当の敵に他ならない。

私たちは、過酷な現実を突きつけられても尚、それを一旦受けとめた上で、マイナスをプラスに、ネガティブをポジティブに、意気消沈を意気揚々に、転化させていきたいもの。心を折ってはならない。この世にたったひとりの自分を、たった一度しかない人生を、ほんの一瞬の今この時を本当の意味で生きるために。

肥満と栄養失調を生み続ける加工食品業界

ポテトチップ・マーケティング方程式の恐怖
製品の90%が以上を、顧客の10%に満たない人たちが買うという事実
その熱烈な10%の顧客の殆どが、体重90kg以上、年収300万未満
病的な肥満は、社会上・経済上の可能性を根こそぎ奪ってしまう

大手食品企業や外食企業には、購入者心理や人口学に研究するズバ抜けて優秀な社員が何人かいる。彼らは新商品を開発・発売する際、常にマーケティングに関する偉大な不文律に従うのである。


つまり、同じ商品を売るならば、新規顧客に売るよりも、既存顧客に売る方がはるかに簡単である、という法則である。言い換えれば、ポテトチップを一度も食べたことのない新規顧客に、目新しいポテトチップを一袋買ってもらうより、常連客にまとめて買ってもらう方が簡単で効率的、ということである。

ハンバーガー、フライドチキン、ドーナツ、カップラーメン、スナック菓子等の販売は、業界で「ポテトチップ・マーケティング方程式」と呼ばれる基本法則に基づいてなされている。この法則によれば、ある商品の90%以上は、顧客の10%に満たない人たちが買う。

そして、加工食品やファストフードの場合、その熱烈な10%に入る顧客の殆どは、体重90kg以上で、年収300万円未満の人々であり、過体重の顧客をターゲットにすると特に利益が上がるのは、そうした哀れむべき人たちが、大抵一度に標準体重者の数倍の量を食べるからである。

欧米先進国では、肥満と不健康が及ぼす影響が、もはや外見だけにとどまらない。かつては家名や家柄、人種や性別による差別社会があったように、いまや個人の体重や外見による新しい差別が定着しているのだ。

米国では肥満の人々の多くが経済の底辺にいる人たちであり、肥満が仕事や人間関係をも狭めてしまう構図が既に出来上がっているのである。そして、多くの社会システム同様、米国で起きた現象は、まちがいなく数年遅れて日本でも起こるということを理解しておく必要がある。

知人のケアマネから聞いた介護現場のセクハラ

前回の続きです。
ある会合で知り合った介護専門職の女性たちから聞かされた話です。
いゃあ、哀しくなります・・・。

    ●「前回のヘルパーはおっぱいを触らせてくれたよ」と言って抱きしめられた。

●食事介助のとき、ずっと太ももの上に手を置きっぱなしにされた。ときどき小刻みに動かされて気持ち悪かったが、じっと我慢していた。
●股間を触ってモジモジしていたので「おトイレ、行きますか」と誘導したら、いきなり勃起した陰部を出して「今日は具合がよくないからここでさせてほしい」と言われた。
●入浴介助で陰部洗浄をすると、「あなたは月にどれくらいセックスをするの?」などとセクハラ発言を繰り返された。
●執拗に添い寝を求められ、拒み続けると「窓から飛び降りるぞ」と脅され、布団に引き倒された。抵抗しようとしても、こわくてなかなか声が出なかった。必死で胸の辺りを押しやると、「あっ、痛たたっ・・・」とうずくまってしまった。「大丈夫ですか」と覗き込むと、再び襲いかかってきた。突き飛ばして逃げ帰ったが、事務所で先輩職員から「あなたにそんな気にさせてしまう隙があったのでは?」と質問攻めにあい、泣いてしまった。
●自慰行為を見てしまい、どぎまぎしていると、「ちょうどよかった。近くに来て見ていてくれないかなぁ」と言われた。「もうちょっと後で来ます」と立ち去ろうとすると、「頼む。居てくれ。もうすぐだから」と言ったかと思うと完了。「済まないが後始末をしてくれないか」と頼まれた。
 
対策
1)「やめて下さい」と毅然と拒否する。(つけこませない)
2)セクハラが想定される状況を作らないようにする。*訪問介護では困難
3)特定の人が被害にあう場合は、担当を代える。
4)複数のヘルパーで対応する。
5)状況をご家族に報告し、家族の協力を得る。
6)再発した場合には、協議のうえ契約を解除する。
 
こんな感じか。とにかく一番まずいのは、被害に遭った段階で職員が泣き崩れたりもじもじしたりすること。被害があった事実を請えとして挙げられない職場のムード。例え病気のせいだとしても許せないことは許さないという、組織としての明確なスタンスが求められる。

迷走を続ける戦略なきわが国ニッポン。いや、霞ヶ関はバカではない。戦略は、ある。それを隠しているだけだ。今からちょうど100年前。20世紀最大の海難事件『タイタニック号の沈没』では、乗客2,200人のうち1,500人が命を落とした。あのとき、沈みゆく船の中で、生還するものと死にゆくものとが選別された。生かされたものは乳幼児と若い女性。そうでなかったのが男性と高齢者である。タイタニック同様、沈没直前のニッポン丸。霞ヶ関はとっくに高齢者を選別していると見ていい。

世界に類なき長寿高齢者たちを守るための社会保障財源はない。だって、政治家や公務員の暮らしを維持するための財源を死守しなければならないから。だから表沙汰にしないよう配慮しながら、実質的には社会保障コストを落とそう落とそうと暗躍している。介護もそのひとつである。高齢者に安心の老後をというのは建前に過ぎない。

戦略とは優先順位だとしたら、それも仕方のないことなのかなぁと思ってしまう。
今回のような介護現場の生々しい話を聞いてしまうと・・・。

私自身のためにも社会福祉士の社会的認知度を高めたい


 このレポートは、社会福祉士の収入とステータスとを底上げすることだけを祈りながら書き上げてみた。なぜなら、先述の調査結果で見ると、この私が上澄みの1.2%に入っていることが判ったから。共に通信教育に学び、共に合格した仲間たちを見渡すと、確かに私の市場アプローチは一風変わっていた。

 しかし、みなと変わっていたからこそ家族5人を養っていけるだけの収入に恵まれたのかも知れない。そう考えたのである。福祉の最高峰の資格を引っ下げて、仲間はみんな福祉の世界に進んでいった。それも殆どの奴が特定の福祉施設や介護事業者に。

 一方、私は福祉ではない一般市場に舵を取った。何人かの社会福祉士の方々にお会いして「こりゃ少々違うな」と感じたのもあるが、それは本質的な答えではない。答えは明快で、福祉の資格を武器に福祉の世界で勝負しようとしても全然目立たないからで、これに対して、福祉の「フ」の字も知らない一般産業界に行けば、少なくともオヤッとは思われると考えたからだ。職場デビューの際に多少なりとも注目を持ってもらうことは価値がある。その他大勢との差別化が図れるからである。


 もう一度言おう。社会福祉士の社会的認知度が低いのは、ズバリ、経済的成功を収めている者が少ないから。そしてこの私は、社会福祉士の社会的認知度を上げることこそが自分のミッションだと真剣に考えているのである。

« 前へ


NPO法人 二十四の瞳
医療、介護、福祉のことを社会福祉士に相談できるNPO「二十四の瞳」
(正式名称:市民のための医療と福祉の情報公開を推進する会)
お問い合わせ 042-338-1882