認知症患者の口座名義の書き換え(生前贈与)
前川吾郎さん(仮名:55歳)は、母親の菊枝さん(78歳)と二人暮らし。昨秋、吾郎さんの携帯に菊枝さんから連絡が入りました。家に空き巣が入ったようで、通帳・印鑑・カードすべてが持ち去られているというのです。仕事を切り上げた吾郎さんが戻ってみると、家中のものがひっくり返されて散乱していました。菊枝さんがなくなったと言っていたのは、4つの金融期間の通帳(定期・普通それぞれ4冊)とキャッシュカード、それに印鑑。それ以外にも、家屋と土地の権利書、生命保険の証書です。
菊枝さんの話を改めて聞いた上で探索した結果、ほとんどのものがキッチンの食器棚の引き出しから出てきました。しかし、通帳のうち半分とキャッシュカード2枚が見つかりません。権利書は吾郎さんの父親が亡くなった際に吾郎さん名義に変更しており、書類も吾郎さんが管理をしていましたので、その旨を菊枝さんに伝えました。「ええっ?そうだったっけぇ?」という菊枝さんの反応を、そのときは吾郎さんも気に留めませんでした。それよりも、見つからない通帳について金融機関に紛失届と口座の停止をしてもらうことに意識が向いていたからです。
翌日会社を休んだ吾郎さんは、菊枝さんを連れて銀行回りをしました。預金者本人である菊枝さんが居るわけですから、さして面倒なことはありませんでした。と、行員の方とお話をする中で、菊枝さんが「もう歳だし、また紛失したりするといけないから、これを機に、全部吾郎が管理してくれたらたすかるんだけどねぇ」と言ったのです。すると行員も、「ああ、それでしたら安心ですよねぇ」という流れになり、家に戻ってから吾郎さんは菊枝さんの意思を確認し、すべての預金を吾郎さん名義に変更しようという方針が決まったのでした。
まずは定期預金。4つの金融機関を併せて3千万円。これを菊枝さん名義から吾郎さん名義に変えるには、いくつかのステップを踏まなければなりません。まず、菊枝さんが定期預金の解約をする。相当金額を菊枝さん名義の普通口座に入金する。吾郎さんは、毎年110万円ずつ、菊枝さんの普通口座から吾郎さん名義の普通口座に振り替える。
要するに、この行為は生前贈与に当たり、年間110万円を超えてしまうと贈与税が発生してしまうわけです。そんな無駄なお金は使いたくないというお二人の意向に基づき、こうなったわけです。普通口座ですが、こちらは吾郎さんが菊枝さんのキャッシュカードを使って振り替えればいいだけの話ですが、厳密に言うと、親子間であまり頻繁に振り替えが発生するのは
望ましくありません。税務署は、明確な調査の意思さえあれば、特定個人の金融機関の取引履歴にアクセスができるからです。3千万円程度の金額であれば目立ちはしませんが、将来的に何かのきっかけで調査が入った場合には民法に抵触することになるからです。ちなみに、税務署が調査に入るきっかけとしては、知人友人やご近所のチクリが結構あるそうです。親の預金が入ったからといって急に羽振りがよくなったり、安易に他言したりすると、やっかみ半分で税務署に密告する輩がいるということです。なんかいやな話ですよねぇ。
【対策】
もしも預金総額が多くて年間110万円ずつ口座振替するのが面倒だということであれば、ドーンと現金で引き出しちゃう。特に定期の解約は理由を聞かれますから、『老人ホームに入ることになりまして』というのがポピュラーでしょうか。で、現金で未来の相続人である子供たちに渡しちゃう。子供たちは、それを何回かに分けて、臨時収入があったことにして普通口座に順次預金してもいいし、定期預金を組んだり、保険商品に入ったりするも良し。
【ポイント】
つまり、こういうことです。仮に菊枝さんの認知症確定診断の後に金融機関を回っていたとしたら、そう簡単に菊枝さんの預金を解約したり引き出したりはできなかったからです。逆に言えば、行員の前で「母が認知症でお金の管理ができないので」などと余計なことを口走らないことです。まとまった金額を解約したり引き出したりするには、どうしても預金口座名義人である母親との同伴は必須です。状態のいい頃合を見計らって金融機関に出向くことです。
認知症という病気は、物事の判断や意思決定能力ができないと見なされます。よって、認知症の方の預金口座の扱いには、家庭裁判所にて成年後見人を選任してもらい、この成年後見人などの代理(同意)の元で諸々の手続を進めなければなりません。成年後見人の選任手続には数ヶ月の期間がかかる上、基本的に10万円以上の費用も発生します。非常に厄介です。
老老相続が増えてくる世の中においては、相続人が認知症というケースも増えてきます。中には相続人の署名や押印を偽造して遺産分割協議書を作成しようとする人もいますが、これは明らかに犯罪行為。認知症の相続人がいる場合には、成年後見制度の利用は必須となります。