セクハラだらけの介護現場
とある医療法人が経営する介護施設。そこに勤務する女性職員たちから相談を受けた。ショッキングな内容だった・・・。
迷走を続ける戦略なきわが国ニッポン。いや、霞ヶ関はバカではない。戦略は、ある。それを隠しているだけだ。今からちょうど100年前。20世紀最大の海難事件『タイタニック号の沈没』では、乗客2,200人のうち1,500人が命を落とした。あのとき、沈みゆく船の中で、生還するものと死にゆくものとが選別された。生かされたものは乳幼児と若い女性。そうでなかったのが男性と高齢者である。タイタニック同様、沈没直前のニッポン丸。霞ヶ関はとっくに高齢者を選別していると見ていい。
世界に類なき長寿高齢者たちを守るための社会保障財源はない。だって、政治家や公務員の暮らしを維持するための財源を死守しなければならないから。だから表沙汰にしないよう配慮しながら、実質的には社会保障コストを落とそう落とそうと暗躍している。介護もそのひとつである。高齢者に安心の老後をというのは建前に過ぎない。戦略とは優先順位であるから、それは仕方のないことだ。
仕事がなくてやむなくホームヘルパーの資格を取って介護現場にデビューする。賃金は全業界平均の6割。ほとんどが非常勤採用で移動費や交通費も出ない。スキルアップのために外部の研修に参加しようとすれば費用は自腹。有給休暇なんて概念はなく、事業計画上にも職員の昇給なんて考慮されていない。それでも、不運にも弱い状況にある要介護者たちを元気づけようと、健気に笑顔でがんばっている介護現場の職員たち。しかしそこに待ち受けているのはつらく哀しい現実だ。
若い女性のホームヘルパーや介護士を中心に、要介護者のセクハラに悩む人たちが後を絶たない。中には、「多少のセクハラに耐えられないようなら、はなから介護職になんて就くんじゃない」などという介護事業者のトップさえいる。被害に遭った女性職員たちには共通項がある。それは、「要介護者たちのつらい心情の表れだから、多少のことは我慢しよう」「自分のほうに隙があったのかもしれない」など、何とかして自己完結しようとSOSの声を上げない傾向だ。
また、介護事業者側にも、「何があっても職員を守るんだ」という会社としてのスタンスが明確に感じられないのも介護業界の特徴だ。「何があっても要介護者には手を上げないように」などとルールを明文化していることもままある。自分の身に危険が迫っているときに、そんな悠長なことは言っていられないではないか。
実は、二次被害というのも多い。被害者が勇気を振り絞ってセクハラ被害を訴えても、逆に被害者の落ち度をあらさがしする先輩職員や同僚たち。被害者は仲間に裏切られたような沈うつな思いで介護の世界から身を引いていくのだ。財務体質が脆弱な業界ゆえ、セクハラやクレームに組織的に対応できるだけのインフラが整っていないのである。
まともな給料もなく有給もない。おまけに性的ないやがらせをされても誰も守ってはくれない。これでは介護市場の慢性的マンバワー不足も致し方ない。一方で味をしめた要介護者たちは、今日も全国の介護現場で束の間のパラダイスを堪能しているかも・・・?
例え加害者が要介護であろうがなんだろが、「体を触られる」等の被害を受けた心身のダメージという結果がすべて。介護職員も介護事業者も、もっと毅然とした姿勢を貫いてもいいように思うのだが。ちなみに、東京都の訪問介護契約書のガイドラインには、『著しくサービスを継続し難い背任行為があった場合、事業者はサービスを終了することができる』という一文があり、これを適用してサービス提供を終了させている事業者もある。しかし、実際的には収益が滞ってしまうサービス提供終了は最終手段として、組織としての対策をきちんと設けることだ。
っちゅうか、さっさと同性の介護職員に交代させろよ!
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