言葉ってなんだろう
言葉は、人生を180度転換させることのできる最強ツールである。
私たちは、言葉が持つ力を忘れてしまってはいけない。
私たちは、感じて、考えて、行動する。そして、このすべてのプロセスを、私たちは言葉で行っている。自問自答するのも、自分を励ますのも、覚悟・決断するのにも、言葉がなくてはならない。
ここで、「言葉」とか「話す」という行為の本質を考えてみたい。私たちは一体何を話しているのか。言語学的にいうと、私たちは言葉というものを組み合わせて話している。では、言葉とはどのようにできているか。それは、日本人であれば仮名「あいうえおかきくけこ…」。昔であれば「いろはにほへとちりぬるを」の平安仮名。私たちは、この48文字を紡ぐことでありとあらゆる感情や理屈を話している。これは凄いこと。私に言わせれば、この文字たちは無限の可能性を秘めた48色の魔法のクレパスだ。
で、この文字たちの配列を見ていて気づいた。平安仮名も現代仮名も「愛」から始まっているということに。だから、話すという行為の原点は愛なのだ。また、愛をアルファベットの “Ⅰ” と見立てれば、話すことは自分自身の映し鏡。さらに愛を “eye” 、「心眼」とみれば、話すとは心の目で見たものを伝えること。洞察力である。洞察力とは、普通の人には見えないものを感じる力、気づく力、見抜く力。
つまり、話すということは、相手のために良かれと思って発信する魂のメッセージ。自分の話を聞いてどう感じてほしいのか。どう行動につなげてほしいのか。こうしてほしいから、だからあえて今ここでこの話をしているんだよという明確な意思を持って、考え抜かれた自分自身の言葉で相手の精神に影響を与えること。
となれば、原稿を読むなんていうのは論外の外。米国の歴代大統領と比べて日本の総理の演説が無機質で心に響かないのは、どうもここらへんに原因があるように感じられてならない。
話すということは、聞き手の精神に影響を与えることだ。日本には古来「言霊」という概念がある。これは、言葉というものに備わっている霊的な力のこと。私たちが用いる言葉のひとつひとつには意味があり、話には私たちの気持ちや意図が込められている。いや、そうでなければならない。