病院のルーツはホスピタリティ
こんにちは、アンクル・ジャムです。
ホスピタリティの話を続けます。
話を医療機関に戻そう。“止まらない医療ミス”は、衝撃というよりも恐怖である。病院のことを英語でホスピタル(hospital)とかホスピス(hospice)という。本来、ホスピタルやホスピスはホスピタリティとルーツは同じである。治療に訪れる患者を優しく治癒することが目的であり、病院というところは、患者や外来者に対して親切に厚遇すべき場所の筈である。ところが、昨今の大学病院や公的病院で発生する注射ミスや手術ミスなどは、信じられないニュースとしか言いようがない。
そもそも大病院に患者が集中する理由は、一般の開業医よりも、医師の知識や経験、カバーし得る領域、検査機器等の設備など、あらゆる点で自分の病気を正しく診てもらえる確率が高い、そんな患者の信頼の表われである。それなのに、そうした大病院に限って医療ミスが続発しているのだ。「人間のやることだから」では済まされない人為的ミスであり、まさに人災という以外に言葉が見つからない。こうした事件が発覚するたびに、当該病院の医師たちは記者会見をして陳謝している。しかし、病院で働く医師、看護師、その他の職員たちは、果たして自分たちがホスピタリティ・ビジネスに従事しているということをどの程度自覚しているだろうか。
病院では、患者は問診票を書かされ、さまざまな質問をぶつけられる。医師や看護師の前で裸にされたり、寝かされたり、彼らの思うように奴隷のごとく服従を迫られる。そして、十分な説明もないままに注射され痛い目に遭わされる。入院患者の場合はもっとひどい。見舞い客の訪問時間も制限され、完全看護ならぬ囚人扱いである。そこにはプライバシーもなく、食欲のわかない最低限度の食事しかあてがわれない。まるでトイレと最低限の食物を与えられた拘置所の囚人と何ら変わらないではないか。医師や看護師たちは、ホスピタリティという言葉を知っているのだろうか。
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こうして山崎さんのお話を読ませていただくと、あの状況は普通ではなかったと今さらながらに思い返すとともに、仕方がなかったとはいえ、そのような状況を受け入れて父を預けてしまっていたことへの申しわけなさが残ります。
何年も自宅介護をされている方にとって、ディケア、ショートスティの問題は本当に切実です。
温かくむかえてくださるスタッフがいてこそ、介護者は安心しておまかせすることが出来るのだと思います。
投稿時間 2010.06.5 6:10 AM 投稿者 kokomama
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そんな機会がちょっとでも増えて欲しいものだ・・・。そんな思いでNPOの活動を続けています。
投稿時間 2010.06.5 10:35 AM 投稿者 アンクル・ジャム
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こうして山崎さんのお話を読ませていただくと、あの状況は普通ではなかったと今さらながらに思い返すとともに、仕方がなかったとはいえ、そのような状況を受け入れて父を預けてしまっていたことへの申しわけなさが残ります。
何年も自宅介護をされている方にとって、ディケア、ショートスティの問題は本当に切実です。
温かくむかえてくださるスタッフがいてこそ、介護者は安心しておまかせすることが出来るのだと思います。
投稿時間 2010.06.5 6:10 AM 投稿者 kokomama
わが国の医療業界では、患者さんたちのことを “Patients”(受難者)と呼んでいます。一方、英語圏では “Clients”(クライアント:依頼者)です。日本の医療福祉の現場では、利用者側にとって受難の日々が続いています。もちろん、一部の医師は利用者中心の医療に努めようとしています。しかしながらそれらは少数派と言わざるを得ません。事故や怪我などの場合を除いて、極力病医院には近づかないほうがいいと思います。医師や看護師ら個々の専門職が意図する・しないにかかわらず、そこには自ずと提供者都合の文化が根づいてしまっているのです。残念ながら、自分の大切な家族を守れるのは、私たち以外にはいないという認識をしておきたいものです。そうすることで、奇跡的に身内のような親身さで接してくれる医師や看護師に出会えたとき、何とも言いがたい安堵感や幸福感を覚えることができます。
そんな機会がちょっとでも増えて欲しいものだ・・・。そんな思いでNPOの活動を続けています。
投稿時間 2010.06.5 10:35 AM 投稿者 アンクル・ジャム
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